この日はタコマの南、Lakewoodというところへ行ってきました。
あるご家庭が解放されて家庭集会を毎月持っています。
そこでは賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書を学んでからともに会食します。
これをクリスチャン用語でフェローシップ(交わり会)と言ったりしてます。
いつもは10名以上集われますが、この日は月曜だったこともあり5名でした。
その分、個人的に長くお話できる機会が与えられて、それが感謝。
その方とじっくりとお話したい、と常々思っていたのです。
その方は京都の呉服屋さんの一人娘であられて、跡取りとして幼少時から作法や縫い物、習い事の厳しい修行を受けていました。
ところが若くして京都にやってきていた外国人と結婚してしまうのです。
その男性がユダヤ人。しかもラビ(ユダヤ教教師)。
以後、彼女はユダヤ教徒としての厳しい戒律の世界を米国で生きるようになります。夫を亡くしてからもコシュルというユダヤ教独自の食物規定を今も守っておられます。
家庭集会に来られるようになって初めて新約聖書に接し、多くの疑問をもたれるようになりました。その日も、矢継ぎ早に質問が飛んできました。
?どうしてユダヤ教では旧約聖書だけ使っているのか?
?新約聖書とは何で、どこが旧約と違うのか?
?ユダヤ教では食べ物から、服装、男女の会堂での座る位置や付き合い方まで細かい規則があるのに、クリスチャンにとって規則はないのか?
?クリスチャンの集いはユダヤ教にない「人としての暖かさや自由、楽しさまで感じてしまう」のはどうしてか?
?もう数十年もユダヤ教徒なのに、イエスを信じなければ天国に入れないと親しいクリスチャンの友人から言われたが、それは本当の話か?
この地域は空軍基地があることから、米国軍属と結婚された方々が多く住んでおられるところです。
その中でラビと結婚されたユダヤ教徒の日本人は実に珍しく、真珠のような方です。
先ほどまでどのDVD映画を観るかで子供達は議論してました。
まとまらないので「みんなの平和のためにダディの日本語ニュースにしよう」と提案しましたが、想定通りあえなく却下。
「3対1でボツ」との長男の判決が下されてしまいました。
DVDが作動しないので古いカセットを取り出し、結局彼らはターザンを見てます。
それは私が渡米してから初めて見たディズニーの洋画で、想い出が多く詰まっています。
ゴリラに育てられた人間のターザンは、なかなか仲間入りができずに葛藤します。それは当時の私の米国社会への葛藤とあいまって、胸打たれる映画となったのです。
さわりのところで部屋を飛び出して映画の前に陣取ると、長女が私の様子の変化に気付いて顔を覗き込んで言いました。
「ダディの目に涙がいっぱい溜まっているよ。」(^○^)
どうして感動しているか、彼らにいつか聞かせる時が来るかもしれません。
長男は今日のサッカー試合観戦に妻を指名しました。
私が大声で応援するのがどうも恥ずかしいようです。
アクセントがあるからなのでしょう。
年頃の男の子?には無理もありません。
そこで午後の長女の試合だけを観戦。
今回は自粛し、おとなしく椅子に座って手元にあるタブレットに集中。
するとピッチの長女から声が飛んで来ました。
「ダディ!!(膝の上でなく自分たちを見ろとの合図)」
すみませんです( ̄^ ̄)ゞ
Vashon島へはウエストシアトルからフェリーで15分ほど。
至近距離には違いないのですが、その様子は飛行機で1時間は飛ばないと味わえないほどに異なります。
人々がすれてなく優しいです。島の住民同士が家族単位に支え合い、助け合っていることから来るものでしょう。
これはこの日にお会いできた十数人の方々の言葉使いから、譲り合う運転の様子からうかがい知れます。
一人の知人は、70歳以上になる男性の世話役も近所さんであることから進んでされていました。その男性はマリーナのボートに猫2匹を家族に暮らし、マリーナの清掃仕事で生計を立てています。
アルコール問題から運転免許を失効して以来、他に仕事に行くことができなくなりました。
そんな彼にも言葉をかけ、オフィスに招いてはお茶をご馳走している60代のHさん。彼女にはあと30年は現役で仕事を続けてくれるように頼みました。私がそれだけ仕事を続けたいからです。
島のどこからも海には近く風光明媚。
私が引退したら、移住してみたいところの一つです。
Puyallupは人口3万人強の町。
少し古い統計ですが、87パーセントを白人が閉め、農業が中心産業の町です。
年に一度大きなフェアがあることくらいしか知られていない町かもしれません。167号線がI-5と平行してシアトルの南に南北に伸びてますが、その167号線上に開けた町と言えます。
広大なグリーンの公園に挟まれて、モダンで真新しい市庁舎と図書館がそびえています。
こんな小さな町にもこれだけの立派な公共施設があるのに何時もながら驚きます。そしてその公園正面には戦没者を称える記念碑が建てられていて、これもよく目にする光景。
宗教とは切り離されたところで、「自由と我が国を守るために」犠牲となった英雄たちに賛辞を惜しまないのは市民共通の認識のようです。
先ほどシアトルのオーナー会の会合から帰りました。
今回の講師もユニークで、マウンテンバイクをノースウエストの山々を闊歩してきた方でした。グアテマラにあるマヤ文明の神殿遺跡の頂上で20世紀最後のご自身の誕生日を祝うために一夜を明かし、コンドルや獣と友人になったり、山賊に襲われたり、、、
現在ではカメラマンとしてマリナーズの試合写真を日本の新聞社に送る仕事もしておられます。
そこから得られるマリナーズの裏情報、イチロー選手の意外な側面なども伺って興味は尽きません。
オーナー会メンバーにはその講師の友人も多くおられて、彼ら互いの激しい突込みには皆さん顔を赤くしながら笑っていました。中には涙を流すほどに笑いの止まらなかった人もおられてりして、楽しいときでした。
居間でパチパチとホチキスを閉じる音が聞こえています。
すでに1時間ほどになるでしょうか。
顔を出してみると、妻が塗り絵の台本作りをしていました。
これは長男の通う小学校で恒例のMulti culture week(国際文化週間)があり、妻が導入したプロジェクトです。
子供たちには各自の文化衣装で塗り絵をしてもらい、それをホールに張り出す、というもの。350枚ほどを先ほどKINKOに行ってコピーをしてきた彼女が一人でパチパチしていたのです。
一人でしていたのでは、夜半を越えてしまうので私も参戦。
子供たちに観賞してもらう民族ステージのグループを現在探しているところなのだそうです。
2年前は中国人によるドラゴンの舞。
昨年は日本人による太鼓のパフォーマンスでした。
今年は通年よりも予算も限られていて、なかなか快諾してくれる団体がなく苦戦中です。
ホサナキリスト教会
http://hosannamin.org/jpn/page/home
マタイ福音書連続講解説教15 マタイ7章1~12節
「義の道における注意事項」
{メッセージからの抜粋}
7章の前半部分は、これまで主が語られた山上の垂訓(5章~6章)の総論部分であると位置付けられます。「義」をキーワードにすると、次のようにまとめられるのではないでしょうか。
1) 天の御国の住民(義とされた者)のマカリオス(幸い)を描写~5:1~16
2) 天の御国の憲法(律法の義)をメシアが再解釈~5:17~48
3) 義を生きるとはどういうことか(宗教生活への適応)~6:1~18
4) 義を生きるとはどういうことか(一般生活への適応)~6:19~34
5) 義の道における注意(付帯)事項:総論~7:1~12(今回)
6) 義の道に対する二つの応答:結論~7:13~29(次回)
義を実践しようとするとき、信仰を見える形で表現するとき、それは人目につきやすいものです。それを実践している人がしていない人を見て、さげすんでしまうことも起きやすいのです。
そこで7章に来てから付帯(注意)事項として、
I. さばいてはいけないこと(1~5節)が教えられます。
ただこれは、人を正しく評価(Evaluate)することを禁じたものではありません。
さばくこと(Judgment)と相手を見抜くこととは別ものです。そこで、
II. 判断力(識別力)をもつことが必要(6節)であると教えられます。
そのような知恵は当初から人は持ちえていません。人はみことばを学ぶことによって知恵と悟りとをいただくのです。神様からの良い賜物、聖霊様もいただかねば信仰生活を最後まで全うできないのです。成熟へと進んでいけないのです。そこで主は、
III. 求めることついて(7~11節)、父親と子供の関係をたとえにしながら教えられます。
そしてこの総論部分の結語として12節があります。これは旧約聖書を要約するとこの一文章になる、と主ご自身がまとめられたものです。
IV. 総まとめ(12節):「それで、何事でも、自分にしてもらいたことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」
当時のパリサイ人が実践した義とは、律法(聖書)本来の精神とはかけ離れたものでした。私たちは彼らのことを笑えません。キリスト教会史の中でも、神の義を振りかざしながら、神の御心に反することを繰り返してきました。反ユダヤ主義、十字軍の遠征、宗教改革直後の教派間の血で血を洗う争いなど、ほかにも数えたらきりがありません。
「神のために」という大義名分を掲げるとき、12節にある聖書を要約した基準に照らしてみると、これまでクリスチャンでありながらも、いかに脱線してしまっているかは明確となります。
初代教会の信者たちはアンテオケで大きな教会を組織するようになると、他者から「クリスチャン」と呼ばれるようになったと使徒の働き13章にあります。
それまでは「この道の者たち」(使徒9章2節)と呼ばれていました。
人々は彼らの生活様式を見て、それは一つの生きる「道」であると遠巻きながらも認めていたことがうかがえます。これは東洋的な表現です。
ここで話は飛びますが、「柔道」と"Judo”は別物です。
「柔道」はある原理を持って究明すべき「道」と言えます。その原理とは「自他共栄」と「精力善用」であり、講道館柔道ではその精神を持って1本を取りに行くのを目標としてきました。世界に広がりを見せたJudoは「道」というより純粋なスポーツです。とにかく試合に勝つことが絶対目標となり、ポイントを稼ぐためにガードを固めるため1本での勝敗が少なくなりました。タックルや足取りなどの奇術も外国人選手の得意なものとなり、組み手からの投げ技という本来の姿勢が失われています。負けないこと、勝つことが優先され、「何のための柔道か」という哲学的な命題が抜けているスポーツだからです。テレビスポンサーのために、カラー柔道着が導入されたのもずいぶん昔のこととなりました。
1世紀の人々が信者を見て「この道の者たち」と呼んだのは、彼らの食べ物や着るもの、髪型や服装などの表面的形態が他者と異なっていたからではありません。
信者のスピリットがイエスを主と仰ぎながら、主に習うものであるのを認めたからです。
その良い例が最初の殉教者となったステパノにあります。
彼は自分を石打にして殺害しているものたちのために、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」(使徒7章60節)と祈りましたが、それは十字架上で主が敵のために赦しを祈られた祈りと重複するものです。
その赦しのスピリットが世界を変えてきました。革命を起こしてきました。
義に生きるとは、宗教的形態を取り繕うことではなく、主イエスのスピリットに生きることです。
シアトルに帰宅してみて、「帰国」と言ったほうがしっくりと来るような気候の急激な変化に戸惑っています。
ゴールデンゲイトブリッジの北にあるSanRafael は晴天で夏のようでした。
気温も75度(摂氏ですと24度)もあったのです。プールで泳ぎたくなるほど、暑かったです。
今朝、吐く息が白かったです。小雨の降るどんよりと曇ったノースウエストらしい天気。
気温は45度(摂氏7度)。
アウトドアライフよりもインドアライフがふさわしい日に感じます。
そこで今日は読書をしたり、このブログを書いています。
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