私の義父がいよいよ介護ホームに引っ越すこととなりました。
アルツハイマーと脳溢血の後遺症から、歩くのもおぼつきません。
室内で倒れてしまい、義母では起こすことができずに救急車を呼ぶはめとなったのも数日前のことでした。
そこでこの日は引っ越しの手伝いに行きました。
思い出の写真や家具、タオルや電気スタンドなどを新しい彼のホームまで搬入しました。思えばほんのわずかな所持品です。数年前まで彼の必需品であったコンピュータや本、音楽CDなどはもう不要となっていました。
自らの介護ではどうしても不十分であり、重い決断をしなくてはならなかった義母にとり、とても辛い日となりました。心痛のため昨夜は眠れなかったそうです。人が老いを重ねるとは、時に厳しい現実と向き合わねばなりません.
ホサナキリスト教会・聖書広場
マタイ福音書連続講解説教20 マタイ9章18~26節
「メシアの5つの力ある業―その②」
{メッセージからの抜粋}
先日聖地旅行から戻ってきました。
イエスが十字架にかけられたゴルゴダの丘に、現在では聖墳墓教会が建っています。その十字架がしばらく保存されていたことをガイドさんから伺いました。やがて人々はその十字架を有り難み、細かく切り刻んでエルサレム中のキリスト教会に配ったのだそうです。各教会でばその小さな木片が神のように扱われ、偶像化していきました。
かつてモーセが荒野で上げた青銅の蛇もまた大切に保管され、これが人々の注目を集め、これが祈りや礼拝の対象と偶像化して行ったのでした。
今日もしイエス様の十字架が残っていたら、もしモーセの青銅の蛇が残っていたら、もし契約の箱が残っていたら、そこには大勢の観光客が群がり、それらを神のように有り難く扱ったことでしょう。
ところがそれ自体には、何の効力もご利益もありません。
ただの木片と鋼、工作物に過ぎません。
本日の聖書には、12年間も婦人病で苦しんでいる女性が出てきます。
「お着物に触ることができればきっと直る」(21)
そう考えた彼女がそっとイエス様の背後から着物の裾に手を触れました。
ルカの福音書の平行記事には、「するとたちどころに出血が止まった」とあります(ルカ8:44)。
そしてその瞬間イエス様ご自身も「力が出ていくのを感じた」とおっしゃっておられます(ルカ8:46)。
イエスのお着物自体に、特別な病を癒す効力があったわけではのです。
大勢の人々がイエス様の体をひしめき合って押していましたが、彼らには何の変化もありませんでした(8:45)。
それでは何が彼女にだけイエス様の癒しの力を働かしめたのか。
その理由を、主ご自身が明らかにされておられます。
「あなたの信仰があなたを直したのです(マタイ9:22)。」
彼女は主イエスを旧約聖書の預言するメシアであると信じました。
メシアであるならどんな不治の病も、死でさえも克服することのできるできる方である、というのがユダヤ人の共通理解です。
その彼女の主イエスに対する信仰が、病を直したのです。
ここで「直す」というギリシャ原語は、ローマ書の中で「救う」という言葉として使われているものと同じです。
すなわち私たちが主から救いをいただくのも、同じ原理です。
著名な説教者の感動する話や、洗礼という儀式が人を救うのではありません。
あなたの主イエスに対するメシア信仰が、あなたを罪から救うのです。
メシアとして主イエスは、
❶十字架により死に追いやられ
❷よみにまで下り
❸三日目に復活された方です。
この日、タコマで聖書家庭集会がありました。
この日もkさんは、パーキンソンとアルツハイマーを併発している旦那さんのお隣に座ってました。
彼は会話はもちろん、食事やトイレを自力ですることができません。
数週間前にその旦那さんは老人ホームに入所したんだそうです。
ところがkさんは、1週間で旦那さんを家に連れ帰りました。
トイレを利用できるのにおしめを強要させられる、起立させる際無理に引っ張るので腕があざだらけとなってるのを見て決意しました。
老人ホームは現在の姥捨山となっているのでしょうか。
たとい障害を持ち、できることが限られていたとしても、人間の尊厳は減らないはずです。そのような視点と家族的な配慮を合わせ持つ老人ホームがどこかにないでしょうか?
うまく取れてませんが、太鼓叩きのダンサーです。
渋滞で目を吊り上げるよりも、音楽と彼らのパフォーマンスを楽しませてもらいました。
このごろ夕方になるとBellevueのダウンタウン周辺は渋滞がひどいです。
このあたりにお住まいの両親宅に行くのに通常なら10数分で済むのに、なんと40分もかかってしまいました。モールがあるので、皆さんクリスマス・ショッピングに忙しいのでしょう。普段なら半分以上は空いているモール駐車場も満車状態が続いています。
そのダウンタウンの目抜き通りである8thストリートで、毎年恒例のSnowflake Festivalが始まっています。
クリスマスキャロルに合わせて太鼓叩きのダンサー達が踊るショウです。
ビルの一角からは人口雪が放たれます。
午後7時からのこのショウも渋滞に一役買っているのでしょう。
PHOとは、ベトナムの米をベイスにしたヌードルです。
シアトルには多くのベトナム移民がPHOの店を経営しています。
それぞれの家族に先祖伝来のレシピがあって、微妙に味付けが違います。
うまいラーメン屋がないだけに(すみません断言してしまいました)、ヌードルがほしくなるとPHOをいただいています。
この日たまたま立ち寄ったBallardにあるこのお店は大正解でした。
ウエイトレスの方が笑顔も見せないし、英語も話してくれないので正真正銘のベトナム人であることがわかります。その方が本来のPHOを作ってくれるので、期待が高まります。
味もOK. 良い所は皆知っていて、ランチ時間は満席でした。
驚いたのは、麺の上に乗せるモヤシ等の野菜と一緒に、シュークリームが皿に載せられて出てきたこと。
甘いものが食後ほしくなる向きには絶好のデザートとなります。
さらにこのシュークリームはホームメイドであり、持ち帰りが出来ます。
なんと3つで1ドル50セント。
PHOは、大盛りの麺とスープを注文して10ドル以下というのもリーズナブル。
場所はMarketとLearyの交差点にあります。
シアトルにかつて存在していた日本町の一角で見つけました。
数日前カメラに収めました。そこが現在でも「日本町」といえるだけのものかは大きな疑問です。
かねてから二人の子供たちは犬や猫を飼いたいとアピール。
父親がどうしても首を縦に振らないので夢は叶えられていない。
ここにきて、ウサギならどう?
家内がある日運転中にラジオから得た情報を基に提案してきた。
大して世話も必要でなく、餌も台所の残りものなら何でも食べるので経済的。
「それなら」ということで、頑固一徹の父親も首を縦に振ることになりました。
大喜びの子供らは、興奮しながらそれぞれのウサギの名前を考え出しました。
数十の候補の中から絞られたものは、
長男のものが、モチ。
長女のものが、モモ。
日本語の名がつけられて私も満足です。
アルバムの表紙を飾る写真です。マサダ要塞のヘロデ大王の宮殿の屋上にて。
先日行ってきたヨルダン&イスラエル旅行の写真アルバムをオンラインで製作しました。
家内はすでに6年間ほどのキャリアがありまして、彼女の指導を受けながら私には初めての経験をしました。
写真の選定から、時間やテーマ別の編集。複数のカメラからの写真編集であり、思わぬ時間がかかりました。300枚ほど、20ページのアルバムとなりますが、5時間ほどもかかってしまいました。
同時に家内は数年分の家族写真と、特別イベントの写真アルバムを7冊作成していました。
このとき血眼になって夫婦で没頭したのは理由があって、その日までに発注すると60パーセントも割引になるのです。
午前0時を回っても終わらない作業。あせりながらも手を抜くことは出来ません。
割引が気になりましたが、最終的に2時間ほど締め切り日から超過してしまいましたが、60パーセント割引は適用されました。
ディール!!
先日山から切り取ってきたツリーを一晩外に置きました。
本日リビングの定位置に搬入して、子供たちにオーナメントで飾り付けをしてもらいました。彼らは喜んで率先してしてくれます。
今年のツリーは例年よりも小さかったため、すべてのオーナメントをつけることが出来なかったようです。騒々しくつけるより、ツリーの緑の部分がバックグランドとして十分にあるほうが綺麗に見えます。
あと何年、子供たちは飾り付けを楽しみにすることでしょうか?
この日、イサクワにあるTrinity Treeまで、クリスマス・ツリーを買いに行きました。
山頂にツリー畑があり、好きな木を自らのこぎりで切り出せるのです。
そこまでドライブして、切り取ったツリーを車の屋根にくくり付けて、部屋に飾るのがクリスマスを迎える我が家の年中行事となっています。
どのツリーを選ぶか。低い天井を考慮しながら、末広がりの形よいツリーを山歩きしながら探します。例年、それぞれがそれぞれによいと思うツリーが違っていて四家争鳴?となるんです。
そこで今回私は自らの意見を封印することにしました。3人で決めたほうが時間短縮になります。私は決まったツリーの根元をのこぎりで切り倒す仕事に徹しました。
サンフランシスコのマーケットストリート
この通りを歩いていたとき、ふと携帯を見るとサンフランシスコ市内の方から訪問要請のメッセージがあるのに気が付きました。
この日でSFの最終日。その方のところへ行っているゆとりはありません。
あと一日早く連絡をくれたら寄れていたのに。しかも昨日はすぐ近くにまで行っていたのに。
次回訪問することで了解をいただきましたが、楽しみが一つまた増えました。
こうして楽しい面談が重なるたびに、SF訪問が待ち遠しくなります。
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