サンフランシスコ最終日の夕食は、Pad Taiとなった。
これもシアトルに引っ越してから始めて口にしたタイ料理で、お気に入りのひとつ。
うれしいことにこの店(写真)はWiFiが利用できる。
キャッホー!!
それなら食事後にコーヒーショップによらずに済む。
今回の安ホテルにはWifiサービスがないため、メール連絡がたくさんたまっている。
にもかかわらず、
まず着手した作業はFacebookや当ブログの更新であった。
これは優先順位の弁えがないってことだろうか?
たった今、店員から閉店時間を聞いた。
10時だと言う。これまでのコーヒーショップは9時までだから多少、余裕がある。
これから家族とビデオ電話をしよう。
今回も、近藤MASAKOさんとお会いする。
60代前半の彼女とはすでに7年来の知人であるが、今回始めてその苗字の由来を教えていただいた。
父方が新撰組の近藤勇の親戚と言う。母方は会津若松の松平容保を補佐した要人であることは以前から聞かされていた。
明治維新後、特権を失った士族は新天地を求めて多く渡米したらしい。特に敗軍とされた会津若松藩は土地を取り上げられて、青森の荒涼とした八戸に移住させられるが、その中からMASAMOさんの4代目のご先祖はまずハワイに移民したと言う。
彼女のご両親はもちろん戦時中、強制収容所に入れられる。
その中から志願兵が徴収されるが、そのほとんどは士族出身の人々だと言う。
ただしこの点は機関銃のような早口で巻くしたてた、先祖を誇りとしている彼女の言葉でであり史実であるかどうか、私は確かめたことはない。
彼女の家族・親戚たちもすべて志願し、有名な442部隊で参戦し、そのうち二人の叔父さんが命を落としたのだと言う。
「侍は己が主人のために命を捨てるのよ。今や米国が彼らの主人となり、このことを他の人にわかってもらう為には“当たって砕けろ’で戦うしかなかったのよ。」
とにかくすごい勢いで話される。彼女が当時生きていたら女性ながらも戦地に赴くであろう。次の訪問が会って時間が気になったが、その機関銃早口に私から口を挟むことすら難しい。およそ30分間は射撃を続けられた。
サンフランシスコ・ダウンタウンの博物館に父親が寄贈したと言う、先祖からの家宝の日本刀をいつか見に行ってみたいと思っている。
サンマテオの日本人教会で牧師をされているN先生と会食。
半年振りにお会いする先生はだいぶお痩せになった。
ご自宅のPalo Altoから教会まで約1時間もかけて毎日、自転車通勤を始められたそうなのだ。毎日2時間もマウントバイクでの有酸素運動をされていたら、いやでも痩せる。
ベイエリヤは年中温暖で快晴が続き、バイカーには理想的な場所。雨の多いシアトルで真似しようとするとだいぶ根性が必要となる。
待ち合わせの夕食場所はしゃぶしゃぶレストラン。
前回はここで食べ放題だったので、私は3皿、N先生は5皿を平らげた。
「韓国料理屋が食べ放題をしているらしいけれど、そこは遠慮しました。せっかくダイエットに成功している先生を誘惑したら悪いですから。」
「そこならいいところだよ。これから行こうよ。」
すでにそのしゃぶしゃぶレストランに席についているのにもかかわらず、私たちは立ち上がった。そして15分ほどの運転で韓国BBQ食べ放題のお店へ急行
「毎日それだけ走っていたら、一夜の肉なんて何ともないってことですかね。」と私。
「日ごろ肉は食べないようにしているけれど、ここぞ、と言うときは食べますよ。
これも自分へのご褒美なんです。」とN先生。
それにしても食べた食べた。閉店時間までがんばり続け、1か月分の肉を蓄えた気分になった。
今週は運動を何もしていないことから、腹を手のひらで撫でてみると、その出っ張り具合が尋常でないように感じた。
N先生ほどストイックになれないが、翌朝、私は部屋でスクワットをした後にホテルのプールに飛び込んだ。
まだ私が寝ている間に、すでにN先生は1時間のロードワークを終えて教会に到着していたはずだ。先生のつめの垢でも、、といったところ。
屋外はまだ肌寒いが、プールの水は温められていたのがうれしかった。
本日は韓国人の知人と会話する機会がありました。
彼の6週前に生まれた子が、ZOEと言うのだそうです。
「life」と言う意味ですね、と私が言い当てたことからギリシャ語を勉強したこと、神学校に行ったこと、現在も日本語教会の牧師をしていることなどを話す機会となりました。
以前からの私の想像通り、彼もクリスチャンでした。
そこでどうしてクリスチャンとなったのかを尋ねてみました。
それは15年前に米国にやってきてしばらく経ってからのことでした。
会衆わずか8人の小さな韓国教会でのこと。
集会前、彼はベンチに静かに座っていました。
すると、その静けさの中で神の迫りを体験するのです。
彼は鮮明にある光景をビジョンの中で見ます。
それは、母親が彼の1歳のとき心臓発作で倒れて他界したときのものだったそうです。母親は坂道を歩いて登っていました。しかし突然発作を起こし、道端に倒れ、誰にも助けを求めることもできないまま息を引き取ったのです。
そのとき、1歳の彼自身を残して逝かねばならない母親の無念さをリアルに彼が味わったと言うのです。母親の自分に対する強烈な愛。体験としては覚えていないはずですが、そのとき始めて強烈な愛の迫りを受けたのだそうです。それは神の愛でもありました。
それ以後、集会中も集会が終わったあとも約2時間ほど、彼はただ涙が出て、泣けて泣けて仕方がなかったと言うのです。
牧師が感動の説教をしたわけでもないのに。
誰一人として彼に神様の話をしたわけでもないのに。
賛美の中で誰かと感動を分け合っていたわけでもなのに。
もちろん、そこに至るまで彼は教会出席のうちから聖書の話を伺っていて、いわば神様についての基礎理解がありました。
しかし聖霊(神の霊)が働くとき、人の思いや計画を越えて働かれるものであることを知りました。
サンマテオのYさんご夫妻と会食しました。
ここに来る度にこのお宅にお邪魔となり夕食をご馳走になるので、今回は私が近所の日本レストランに招待。
日系2世のご主人は16歳の時に、戦争中で日系人強制収容所に入れられた経験を持つ方。
そこで米国に忠誠を誓うかどうかの思想調査でNOと回答したため、日本へ強制送還されました。戦後は、進駐軍の通訳として青森県・八戸で仕事をします。12年間の勤務の後、熊本県出身の現在の奥様と結ばれて帰米します。
彼らには3人の娘さんたちがいて、それぞれ家庭を持ち、その合計8人のお孫さんと娘たちのために毎月ご自宅で誕生会を開いています。
末っ子の娘さんと私が同じ年のため、男の子のいなかったご夫妻には私を末息子のようにしてかわいがって貰っています。
いろいろお話させていただいた中で、奥様が以下に冷蔵・冷凍庫のお掃除が得意でいらっしゃるか、娘たちから賞賛されているかを知りました。
それも戦中戦後の欠乏時代を生き抜いたためであることも。
「困ったことは決して役に立たないことはない。」
「若いうちは苦労は勝手でもしておきなさい。」
そんなことを親の世代から聞かされて育ったそうです。
そういえば私の親もそんなことを私に盛んに言っていたときがありましたね。
私はこの米国に住む私の子供たちにこれを伝えることができるのだろうか。
マタイ4章1~11節「主イエスの誘惑」
マタイ福音書連続講解説教⑨からの抜粋
http://hosannamin.org/jpn/page/home
Ⅰ.誘惑の正体を知る
誘惑と試練とは、コインの裏表である。
「誘惑」に対する聖書原文のギリシャ語は「ペイラスモス」であるが、これは「試練」とも訳せる二つの概念が同居している言葉である。
「誘惑」は悪魔がもたらすも(ヤコブ1:13~15)で、ここで主イエスを誘惑している者は悪魔(サタン)という人格を持った実存のモノだ。一方、その困難な状況は神がお許しになされた「試練」(ヤコブ1:2~4、12)という見方ができる。主イエスは「御霊に導かれて荒野に上り」、そこが誘惑の場所とあった。
大震災と言う悲劇に直面して、二つの見方がありそこから二つの結果が表れた。神が愛ならどうしてこんなことが起ったのか、と不信と憎悪を掻き立てられた人々がいる一方で、与えられた命と残されている家族の尊さにあらためて気づき神の恵みを知った人々。同じ一つの出来事は、神から私たちを引き離す誘惑とも成るし、同時に神に近づく試練とも成り得るものなのだ。
Ⅱ.誘惑の連帯性を知る
ここで主は3度の誘惑に会っておられるが、その3種類のものは私たちすべての人間が遭遇する種類のものであり、またこの3種類以外に受ける誘惑はない。
最初の人間、アダム&エバもこの3つの誘惑に陥り罪に落ちてしまった。
「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましい」(創世記3:6)木の実をサタンにそそのかされて食べてしまった。彼らが堕罪したがゆえにその罪が世界と私たちの中にも侵入してきて(原罪)、私たちは欲と罪、誘惑には勝てない者と堕落した。
世にある欲とは「肉体の欲、眼の欲、勢いより起る高ぶり」(Ⅰヨハネ2:16・元訳)の3つであると教えれているが、その欲に対して無力なのは、アダムの失敗がその子孫である私たち人間全体に連帯されているからなのだ。
そこで第二のアダムである主イエスが新しい人間の代表選手となって誘惑に勝利してくださるところに、望みがある。アダムとの連帯性ゆえに連戦連敗だった私たちに、主イエスと連帯すること(信仰による一体化)で勝利への予感がもたらされた。
Ⅲ.誘惑の勝利者があなたの側に立つ
主は、3回の誘惑とも「~と書いてある」と旧約聖書の言葉を引用されて誘惑を撃退された。神の言葉は生きていて人を変える力がある。私達も聖句を暗唱するほどに親しむことで必要なときに聖句を思い出し、その力を引き出すのだ。
2回目のときには悪魔も聖句を引用したが、それは自己流の間違った解釈によるもの。聖書を正しく理解・解釈するために学び続けなくてはならない理由がここにある。
本日午後に、双子の姪の誕生パーティがあって義弟の新居に行ってきた。
そこはシアトルから遠い郊外にあり、数エーカーの広い敷地を持つ。
先日、裏庭に野生の母ウサギと5羽の子ウサギが散歩しているのを4歳になる姪たちが窓越しに見ていたが、そこへ無情にも鷲が飛来して来て、子供の1羽をまさに鷲づかみにして飛んで行ってしまったという。姪たちにはトラウマとなった悲劇であった。その時、もしウサギ達の側に弟が羊飼いが使うような丈夫な杖を持って守っていたらどうであろう。さすがの鷲も簡単には近づけないはずだ。
私たちは、一人孤独に誘惑に立ち向かうのではない。
勝利者(黙示録5:5)なる主イエスが私の側に、あなたの側にいてくださり、この方が戦ってくださることを知ろうではないか。
「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル2:18)
本日午前から長男のサッカー観戦。
かつては見ているこちらがやきもきしてストレスが溜まるばかりであった。
なぜあんなボールを受け止めないんだ、どこにけってるんだ、オープンスペースに走るんだ、、、とばかりに。
今期初めての試合。
4年生ともなり、数年間プレーを続けた成果か、試合らしく見える。
子供は成長する。
大人は衰えるばかり。
かつて観戦に来てくれていたグランパアやグランマアは、こう今期から来れない。
グランパアの認知力がスポーツを理解できないところまで進み、グランマアは人口の膝を移植して椅子から立ち上がるのも難儀している。
試合結果は2-1で長男のチームの勝利。
その2得点は長男がゲットした。
毎日のように私とサッカーしている成果か。
彼はドリブルがすこぶるうまい。
多少かっこよく言えば、あの2点をグランパアとグランマアの二人にそれぞれ捧げたい。
先ほどサッカーフィールドのライン引きを終えて帰ってきました。
家内が今期、長女のサッカーコーチを引き受け、毎週二日間、十数名の女の子たちにサッカーをコーチするようになりました。その役割の一つに、試合会場にラインを引く仕事があります。
わたしの帰宅が今夜は遅くなりましたので、夕食が済むと家族で急ぎ出立。ライン引きやチョークの納められた倉庫まで車を走らせ、それらを載せてサッカー場へ。
ぎっしりと詰め込まれた袋は米袋ほどの大きさですが、重さはその何倍もあり、女性では車に搬入できないのです。
ライン引きは日没との競争となりましたが、残照が残る中、真っ暗になる直前に完成しました。
3袋のチョークをすべて使用したところで終わり、ここでもギリギリとなりました。
これで明日、子供たちの歓声が聞けそうです。
マタイ3章13~17節「主イエスの洗礼」
マタイ福音書連続講解説教⑧からの抜粋
http://hosannamin.org/jpn/page/home
主が洗礼を受けられて水から上がられたとき、天から声があった。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3章17節)
父なる神がいわば主イエスのミニストリー着手を認められた宣言となり、福音書には他にも2回、それぞれ異なる機会に同様な天からの声が記録されてある。
この声は、主イエスに大切な二つの自己認識を与えた。
1) 王としての立場。
前半の「わたしの愛する子」は詩篇2篇7節からの引用で、そこの文脈では王としてのメシア預言がなされている箇所。イエスは、やがて全世界を治める平和の王として来臨する確信を深めた。
2) 僕としての立場。
後半の「わたしはこれを喜ぶ」はイザヤ書42章1節からの引用で、そこの文脈では僕としてのメシア預言がなされている箇所。この言葉により、人に仕えられた後に命をささげる従順な僕として世に来られたとの確信を抱いた。
この主イエスが理解され受け入れられた立場は、主イエスのバプテスマを受け、主と一体化する私たち信者にも演繹される。そう、私達も王として、また僕としてこの世に派遣されている者たちなのだ。
先日オリンピア半島にキャンプしたとき、我が子たちはテント設営場所にあった大木の枝からぶら下がるブランコに夢中となった。私が車からの荷物搬入を手伝うよう命じるまで、わき目も振らずに遊んでいる。
彼らは仕事はしたくない。ただ遊んでいたいだけだ。それでも良い。それも許される立場にある。なぜなら彼らは私たちからして生徒でもなく、従業員や兵隊でもなく、我が子であるのだから。オーナーの子供であるなら、王のように振舞うことも許される。
だが親としては、彼らに喜びを経験させたい。それは好き勝手に遊んでいることからは生まれて来ない。プロジェクトに共同参与して、それを達成することから得られる自信や誇りを経験してほしいのだ。それゆえ荷物の運搬から始まり、テント設営、夕食準備など諸々の仕事に協力してもらうことになる。
彼らはしぶしぶブランコから降りて、僕としての働きをはじめることになる。やがてキャンプファイヤーに火がともり、その隣のテーブルには夕食がセットされ、組み上げられたテントの内部には4人分の寝床が整えられたのを見て満足する。家族としての共同作業が、自分たちの野外での一夜の生活を支えたことを身を持って体験したのだ。
私たち主に購われた者は神の家族に加えられ、キリストとの共同相続人であり、つまり「王」としての立場を持つものである。ゆえにどんな種類のミニストリー(働き)であれ拒む自由がある。同時に参与する自由もある。「僕」として働きに専念するなら、やがて完成したその働きを見て、主とともに喜ぶ者とされるのだ。
王である私たちは、僕としての働きに召されていることを覚えようではないか。それが主イエスの辿られた道であった。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。」(ピリピ2章6~9節)
今週から新学期が始まった。
小学4年生となった長男は、学校が好きになれない。
毎朝、重たい気持ちで起きてきて「学校へいかないと行けないの~」と聞く。
彼は米国で流行のNinjyagoの大ファン。
漢字で「忍者」の意味を説いた。「忍耐する者なのだ」と。
するとNigagoに出てくる忍者KAIはどれほど忍耐がないかを説明しだした。
そのエピソードの物語をとうとうとまくし立てる。
忍耐なくても忍者になれる妥当性を説得しているようだ。
ヤレヤレ。
FBの友人が、「忍」とは、「心」の上に「刀」を乗せた緊張状態とコメントしてくれた。
それも彼に説いてみると、
「それじゃ、死んじゃうジャン」
なんとも諦めが早いことよ。
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