カナダから帰宅すると、大仕事が待っていました。
週末、子供たちのサッカー観戦です。
何度見てもつくづくと感じるのは、国土が広いっていいことだなぁ、ってことです。
いつも彼らは芝生の上のサッカー専用グランドでプレーしています。
そのグランドは多くの場合、週末しか利用されていません。
日本の事情と比較して、なんとも恵まれている子供たちよ。
われわれの時は埃の舞う凸凹のグランド。しかも空いているときはほとんどなく、他者との共存がいつも頭痛の種でした。
そのためでしょうか、彼らは実にのびのびとプレーしています。
観戦している親たちからは絶えず励ましのエールをもらい、お互いも支えあっていて、見ていて楽しそう。誰が下手とか、上手いとか、そんなこと気にしている様子なく楽しんでます。
長女のチーム名はWild Catsと言いますが、無理に訳せば「野良猫軍団」となるでしょうか。この日の試合にも3-1で快勝して、さらに爪を研ぎました。
かわいさとたくましさをあわせ持った猫たちです。
バラード通りにあるキリスト教会
ダウンタウンペンダー通りにある中国人街
カナダとの国境を越え、USに戻ってきました。
安堵感。
同じ西洋の英語圏の国、距離にしても数時間しか離れていないのに、カナダと米国は大変違います。
う~ん、同違うのかうまく説明できないのですが、文化が似て異なります。
①先ず、人種・民族構成からして違います。シアトルでは良く見かけるメキシコ系、アフリカ系の方々をバンクーバーで見かけることはめったにありません。彼らへの移民政策が厳しいのでしょう。それに対して中国系が圧倒的に多いのがバンクーバー。しかもリッチモンドという街は、中国の国かと思うほど中国語の看板で埋め尽くされた街です。
②交通事情も違います。バンクーバーとその郊外は渋滞が多いです。都市部に住居と産業がシアトルよりもよほど集中しているように見受けられます。その周囲に見事で広大な自然があるのに、なぜバンクーバーの皆さんは広がって住まないのでしょう?おかげでダウンタウンの不動産価格は停滞の米国を尻目に今も上昇中。
さらにすぐ気づくのは、制限速度に変わりなくとも車幅がカナダは狭いです。国境を越えUSに入ると、気持ちに余裕を持って走れます。
あと、黄色信号から赤信号への変更時間が短い。そのため、これまで2回も赤信号違反で反則チケットをいただいちゃいました。米国のタイミングなら違反にならなかったはずです。これもカナダ社会への貢献だと思ってあきらめましたが、$160は痛すぎます。
③言葉も違います。同じ英語です。でもカナダはブリティッシュ・イングリッシュが生きています。トイレをUSでは Restroomと呼ぶのに対して、カナダでは Washroomとなります。Center は Centreとなります。ATMでの第二外国語のチョイスがUSではスペイン語なのに、カナダではフランス語です。レストランで食事するとカード支払いのチップは米国のレシート書き込み型に対して、カナダではターミナルに客が直接キーインします。これは広く行き渡っていて、どのレストランでも同じようなターミナルを使っていました。それも英語でなく、フランス語での表示。NONというフランス語だけ意味が分かりましたので、何とか自力で決済できました。
④政治的規範も違います。バンクーバーはよりリベラルです。同性愛者の司祭があちこちに登場した聖公会ではその問題で真っ二つに分裂しました。米国ではシアトルがリベラルで知られており、今回の大統領選でも民主党が優勢となるはずですが、さらにその先を行ってしまっています。南部バイブルベルトの家庭では師弟をカナダに留学させたくないでしょう。
もう15年も住んでいる米国の水が私には合っています。
国境を越えるとホッとしてしまいます。
{ホサナキリスト教会でのへブル書聖書研究からの引用です}
http://www.hosannamin.org/jpn/page/home
へブル3:7~11
7 ですから、聖霊が言われるとおりです。 「きょう、もし御声を聞くならば、
8 荒野での試みの日に 御怒りを引き起こしたときのように、 心をかたくなにしてはならない。
9 あなたがたの父祖たちは、 そこでわたしを試みて証拠を求め、 四十年の間、わたしのわざを見た。
10 だから、わたしはその時代を憤って言った。 彼らは常に心が迷い、 わたしの道を悟らなかった。
11 わたしは、怒りをもって誓ったように、 決して彼らをわたしの安息に入らせない。」
不従順の危険に対する警告ーその2回目(3:7-4:13)
①旧約聖書からのレッスン(3:7-11)
この聖句は聖霊によって書かれた詩篇95:7-11からの引用で、エジプトを脱出したイスラエルの民が神の「み怒り」を引き起こしたような過ちをしないように警告されています。
ギリシア語の「み怒り」は、新約聖書全体で3回だけしか使われてなく、そのすべてがこの3章にあります(8,15,16)。
モーセはイスラエルの子たちが10度も不従順を重ねたと記録してますが(民数14:22)、この「み怒り」を引き起こしたカデシュバルネアという場所は他とは違うターニングポイントとなったのです。
9節の荒野をさまよった「40年間」とは、読者にとり重要な意味を持ちます。それは主の十字架からすでに40年が過ぎようとしている時に本書が書かれたからです。
神は出エジプト世代の者たちを「常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった」としていかられたのです。著者と同世代の者たちと並行させた書き方です。
その神の怒りの結果は「決して彼らを安息に入らせない」(11)、つまり約束の国カナンには誰もが入れなくなりました。入れたのは子供たちと信仰を貫いたヨシュアとカレブのみなのです。
「約束の国」とは、英語圏の讃美歌では死後に行く天国であると多くの場合歌われてきました。しかし聖書的にはそこは「安息の国」であると理解されるべきものです。
イスラエルの民は、エジプトでの奴隷状態から贖い出されたにもかかわらずに約束の国での祝福を受けることに失敗しました。信仰に踏み止まらずに不従順を続けたからです。
カナン安息を失ったということです。それはきよめられた者が与る安息であると旧約聖書からも教えられているものです(申命記1:34-36,12:9-10)。
その安息とは、神の力に、貴方の心も思いも意思も全てを従わせることから来るもので、罪を征服させるものです。ヨシュアは民を約束の国に導いた時、先住民を征服して安息を彼らに与えました。それがモチーフとされて霊的なレッスンが語られるのです。
ただそのカナン入国世代は出エジプト世代とは異なります。
入れたのは荒野で産まれた新しい世代なのです。
一度贖われた民であっても信仰に留まらないなら、楽しめたはずであろう祝福を失うことがあります。不従順の出エジプト世代は失敗の後に悔い改め、神から赦されていると明瞭です(民数14:20)。
しかしながら肉体的な結果を刈り取らねばならなかったのです。
この点が、本書の十字架の40年後世代に適応されている点です。
彼らは回帰不能点に到達し、肉体の死を招く危険にさらされている状態だと指摘されているのです。
一度回帰不能点に到達したなら神のさばきを受けなくてはならないというのが聖書の原理です。
そのさばきは肉体的なもので、霊的なものではありません。つまり救いを失うことではないのです。民数14:20で人々が悔い改め、神が罪を赦されたとあります。個人の救いまでは影響力を及ばせずとも、肉体の死という結果を払わなくてはならなかったのです。
回 帰不能点に達したなら、どれだけ熱心に悔い改めようとも肉体的なさばきを逃れることはできません。モーセでさえもこの点から漏れることはなかったのです。 彼はたった一つの罪によって約束の国の外で死ななくてはならなかった。彼の救いが取り去られたわけでないのですが、肉体の裁きを刈り取ったのでした。
不従順の結果は永遠の救いを失うことではなく、一時的で肉体的なさばきを招きます。それは肉体の死であり、本来楽しめたはずの祝福を経験できないことにあります。
ハロウィンの大和撫子たち
ここバンクーバー・カナダでもハロウィンを大々的にお祝いします。
たった今、ホテルの窓から打ち上げ花火が炸裂する音が聞こえています。
これはUSにはない習慣。
雨の日なのに良くやるよ。見物客はどれくらいいるのでしょうか?
共通するところは、御客を迎える商店で店員がさまざまなコスチュームに変装している点。お化けとは限らず、TVアニメとかファンタジー・キャラでもOK.
この日訪れたある日本人のお店では”Japan"を基調にした変装がされていて好感を感じました。シアトルの少なく見積もっても10倍以上はある日本人社会のなせる業といえるでしょうか。大和ナデシコの皆さん、カナダ社会に埋もれず、この社会に貢献されながら奮闘されていらっしゃいます。
大雨となりました。
それでもサンディによる高潮被害、停電、避難で街全体がCloseしているニューヨークよりも良いです。
この雨のため、予定してある子供たちのサッカー練習はお休み。
このところ体調を崩している家内にとっても良い休養のチャンスとなりました。
いや正確には、「なるはずだったのです。」
雨を避けて家に帰ったところ、なんと家の中に雨が、、、、
そう、天井から雨漏りがしているのです。
この家に8年間住んでいて初めてのことです。
彼女は勇敢にも屋根に上り、雨漏りの原因を調査。
これを究明したものの、自分たちの手に負えるものでないので屋根を修理する業者に依頼することに。
そのついでに屋根の上から樋の清掃と修理もやってのけました。
こういうときにいないんです。私は外出中でして、、、、
頼もしい家内にまかせっきりでした。
今日もまた運転しながらハーベストタイムのメッセージステーションで「メシアの生涯」を聴いていました。
中川健一先生のメッセージは約1時間ですが、時間を忘れさせるほどのめりこませてくれます。
この日の結論では、「主イエスの説教から学ぶ」こととして、なんと「神学校での説教学」をご教授くださいました。
益のある説教を毎週お聞かせくださるだけでなく、説教者のために益のある教えを下さったので、ここでも皆様にシェアしようと思いました。
貴方がたとい説教者でなくても、講演やプレゼンのためにも役に立つ情報です。
イエスの説教の「あういえお」でまとめられました。
「あ」:「愛」~どんなよいことを話そうが、聴衆に対しての愛がないなら無駄である。
「い」:「いのち」~パリサイ人がどうでもよい些細な規則に汲々となって教えを垂れていたのに対して、主は人が生きるうえでなくてならない重要問題について話をされた。
「う」:「動き」~主の説教には目指すゴール、目的がある。着地点。パリサイ人のそれは堂々巡りで行き先がどこかわからないものだ。
「え」:「絵」~イラスト、たとえ、例話を挿入されて話されるので、人々は話に引き込まれて行った。例話は明るい光を取り込む窓の役割。これがない教条だけの説明では暗いままとなってしまう。ただ、使いすぎも柱構造のない説教となるので注意。
「お」:「お墨付き」~説教の権威を父なる神様から得ていた。語るみ言葉に説教者自身が捕らえれて、そのみ言葉に説教者自身が生きているときに認証を受ける。
正確な引用ではなく、私の頼りない記憶と解釈によるものです。
この「あいうえお」は、最新の「メシアの生涯」からですのでお聞きください。
この日はタコマの南、Lakewoodというところへ行ってきました。
あるご家庭が解放されて家庭集会を毎月持っています。
そこでは賛美歌を歌い、祈りをささげ、聖書を学んでからともに会食します。
これをクリスチャン用語でフェローシップ(交わり会)と言ったりしてます。
いつもは10名以上集われますが、この日は月曜だったこともあり5名でした。
その分、個人的に長くお話できる機会が与えられて、それが感謝。
その方とじっくりとお話したい、と常々思っていたのです。
その方は京都の呉服屋さんの一人娘であられて、跡取りとして幼少時から作法や縫い物、習い事の厳しい修行を受けていました。
ところが若くして京都にやってきていた外国人と結婚してしまうのです。
その男性がユダヤ人。しかもラビ(ユダヤ教教師)。
以後、彼女はユダヤ教徒としての厳しい戒律の世界を米国で生きるようになります。夫を亡くしてからもコシュルというユダヤ教独自の食物規定を今も守っておられます。
家庭集会に来られるようになって初めて新約聖書に接し、多くの疑問をもたれるようになりました。その日も、矢継ぎ早に質問が飛んできました。
?どうしてユダヤ教では旧約聖書だけ使っているのか?
?新約聖書とは何で、どこが旧約と違うのか?
?ユダヤ教では食べ物から、服装、男女の会堂での座る位置や付き合い方まで細かい規則があるのに、クリスチャンにとって規則はないのか?
?クリスチャンの集いはユダヤ教にない「人としての暖かさや自由、楽しさまで感じてしまう」のはどうしてか?
?もう数十年もユダヤ教徒なのに、イエスを信じなければ天国に入れないと親しいクリスチャンの友人から言われたが、それは本当の話か?
この地域は空軍基地があることから、米国軍属と結婚された方々が多く住んでおられるところです。
その中でラビと結婚されたユダヤ教徒の日本人は実に珍しく、真珠のような方です。
先ほどまでどのDVD映画を観るかで子供達は議論してました。
まとまらないので「みんなの平和のためにダディの日本語ニュースにしよう」と提案しましたが、想定通りあえなく却下。
「3対1でボツ」との長男の判決が下されてしまいました。
DVDが作動しないので古いカセットを取り出し、結局彼らはターザンを見てます。
それは私が渡米してから初めて見たディズニーの洋画で、想い出が多く詰まっています。
ゴリラに育てられた人間のターザンは、なかなか仲間入りができずに葛藤します。それは当時の私の米国社会への葛藤とあいまって、胸打たれる映画となったのです。
さわりのところで部屋を飛び出して映画の前に陣取ると、長女が私の様子の変化に気付いて顔を覗き込んで言いました。
「ダディの目に涙がいっぱい溜まっているよ。」(^○^)
どうして感動しているか、彼らにいつか聞かせる時が来るかもしれません。
長男は今日のサッカー試合観戦に妻を指名しました。
私が大声で応援するのがどうも恥ずかしいようです。
アクセントがあるからなのでしょう。
年頃の男の子?には無理もありません。
そこで午後の長女の試合だけを観戦。
今回は自粛し、おとなしく椅子に座って手元にあるタブレットに集中。
するとピッチの長女から声が飛んで来ました。
「ダディ!!(膝の上でなく自分たちを見ろとの合図)」
すみませんです( ̄^ ̄)ゞ
Vashon島へはウエストシアトルからフェリーで15分ほど。
至近距離には違いないのですが、その様子は飛行機で1時間は飛ばないと味わえないほどに異なります。
人々がすれてなく優しいです。島の住民同士が家族単位に支え合い、助け合っていることから来るものでしょう。
これはこの日にお会いできた十数人の方々の言葉使いから、譲り合う運転の様子からうかがい知れます。
一人の知人は、70歳以上になる男性の世話役も近所さんであることから進んでされていました。その男性はマリーナのボートに猫2匹を家族に暮らし、マリーナの清掃仕事で生計を立てています。
アルコール問題から運転免許を失効して以来、他に仕事に行くことができなくなりました。
そんな彼にも言葉をかけ、オフィスに招いてはお茶をご馳走している60代のHさん。彼女にはあと30年は現役で仕事を続けてくれるように頼みました。私がそれだけ仕事を続けたいからです。
島のどこからも海には近く風光明媚。
私が引退したら、移住してみたいところの一つです。
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