現在も昨日のホテル1階にて。
感謝なことをお知らせします。
①昨夜と同じ席でPCを操作しだした。背後で奇声が聞こえる。ホールを挟んでカラオケ・バーがあって、ものすごい音量。1分しか耐えられないので、席を立ち、ロビーに引っ越す。ここでもWifiが繋がっていた。
②昨夜のウエイターは再び私に注文を聞かなかった。私のすぐ近くまで来たのに。でもロビーにレモネードが準備されていた。今それを飲んでいる。
③PCで時々日本語変換のバーが消えることがある。今回もそうなって、あわてた。
家内にTELして隠れたところにあったバーを見つけ出し、こうして日本語を打つことができる。ありがとう、かあちゃん。
④FaceTimeで家族と面会できた。今日は娘も顔を見せてくれた。サッカー・キャンプもまずまずとのこと。明日は中学校の入学オリエンテーションに行くのだそうだ。
⑤この秋のイスラエル旅行のガイドさんからの連絡が入り、込んだ時期なので苦戦中だが、エルサレムにてユニークなホテルを確保できそうだとのこと。
⑥義父が今日、誕生日を迎えたこと。今年もこの日を迎えられるのは不思議なくらい。来年は微妙。
⑦「さて今日はブログに何を書こうか」と10分前は悩んでいたが、書き始めてみると、その悩みが解消されたこと。
あるホテルのラウンジでピコピコとPCのキーをたたいています。
私の周囲は、お酒を飲みながら楽しそうにおしゃべりに興じている宿泊客にかこまれてます。
少し離れたカウンターバーの向こうには、大きなTVスクリーンがスポーツ中継をしています。
ラウンジの隅に陣とって、PCを設置しているとき、ウエイターが尋ねてきました。
「何の飲み物にしますか?」
私は遠慮しながら答えました。
「グラスに水を一杯くださいますか」
彼は「OK」と快活に答えながら仕事を続けます。
5分経過。
10分経過。
水では何も請求できないのだから、無視されても仕方ないかなあ。
それにしてものども渇いたので、ジムにある給水機まで行こうかな。
そんな風に考えていたとき、バーの向こうから声がしてました。
「ああっ、すっかり忘れてました。今水をお持ちしますね。」
「すみませんでした。どうぞ」
そういって、ワイングラスに氷入りの水を私のテーブルに届けてくれたのです。
ああ、おいしい。
ああ、しあわせ。
昨夜、このホテルにチュックインしたのは、夜中も2時を過ぎていました。
ヒコーキの離陸が2時間以上も送れたためです。
こんなどうでもいいことに時間を使うより、早く自室に入り、ベットに入るべきだったでしょうか?
こんなどうでもいいことに皆様の大切な時間をうばってしまったでしょうか。
先ほど家族総出で長女を迎えにシアトル北部まで行ってきた。
8日間のキャンプを終えた我が子を迎える家族たち数百人が控えている駐車場。
そこに大型バス4台に便乗した子供たちが帰還してくる。
どの家族たちも熱くハグを交わしながら感情的だ。
私も涙を抑えることができるか、心配になった。
バスのタラップを降りて姿を現した長女。
いつの間にやら変わっていた。
大人になっている。
家内の次にハグをしても、私ほど感激していない。
「Daddyに会えなくて、さびしかったでしょ」
「いや~ べつに」
あっさり。
別の種類の涙が出そうになった。
彼女の座席の窓を私がジャンプしてハイタッチしたことも、「恥ずかしかった」と厳しいおことば。
「あなたからはすでに離れたわねえ」と家内のおことば。
つい昨日までおしめを取り替えていたと思っていた。
こんな日がいつか来るのはわかっているつもりであったが、こんなにも早いとは。
独立していく我が子を見て頼もしくは感じない。
さびしく感じるばかりだ。
ポートランドからの帰途、バックミラーに騒がしい赤と青の点滅するネオンを見つけた。
これを見ると血圧が急上昇する。だが、冷静に考えれば私を追いかけているはずがない。もしそうなら、私の直後に寄せてきた後にしばらく走行するはずだ。その後にネオン点滅となる。
どうして知っているかって?
それはもちろん経験者だからです。
シアトルからオリンピアまでなら制限速度が60マイルで統一されている。
だが、オリンピアからポートランドまでの長期間、ほとんどの区間は70マイルとなっている。だが、1割ほどになるだろうか、60マイル制限が所々に点在しているのが曲者だ。
標識案内はあるものの、見落としてしまうことがある。
そんなときに限って、その60マイル制限区域に潜んでいたパトカーに襲撃(?)されたことがあった。
今回もドキリとさせられたが、私の車を無事に追い越していってくれた。
今年もこの日を迎えた。
米国にいると、何事もない通常の日として過ぎてゆく。
米国にとってその日はさほど重要ではないのだろう。
書棚に眠っていた「きけ わだつみのこえ」が目に入った。
十代にして特攻隊に志願した若者たちが散ってゆく直前にしたためた手紙。
あて先は家族であり、母、父であった。
私は、きっと彼らは全体主義に洗脳されて死を美化し、狂想のうちに体当たりをしていったのだろう、と想像していた。
だが、その本に記されている彼らは実に冷静だ。しかも決して軍や国から教え込まれたままに正義の戦争をしているとは考えていない。神風特攻も無駄な死だと、己を客観的に捕らえながらも、運命にに抗わなかった。
彼らの多くは自らの「無駄な死」の後に祖国が生き返ることを信じていて、復興・繁栄を祈念しているのに驚いた。
一つの遺書を紹介します。
特攻作戦の現実に残した文書です。
彼らの切ない犠牲の上に、今日の私たちが享受している平和と繁栄があることを忘れたくない。
無念に散っていった彼らに対して、私は何を持って応えているだろう。
「栄光有る祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、
身の光栄これに過ぐるものなきを痛感いたしております。
思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理
から考えた場合、これはあるいは、自由主義者と言われるかも知れませんが、
自由の勝利は明白の事だと思います。
人間の本性たる自由を滅ぼす事は絶対に出来なく、例えそれが抑えられている
がごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には必ず勝つということは、
彼のイタリアのクローチェも言っているごとく真理であると考えます。
権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後に敗れることは
明白な事実です。
我々はその審理を今次世界大戦の枢軸国家(※日本・ドイツ・イタリア
=三国同盟を結んだ国々)において見ることが出来ると思います。
ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツはまた、既に敗れ、
今は権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、
次から次へと滅亡しつつあります。
真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、過去において歴史が示した如く、
未来永久に自由の偉大さを証明して行くと思われます。
自己の信念の正しかったこと、この事はあるいは祖国にとって恐るべき事で
あるかも知れませんが、
吾人にとっては嬉しい限りです。
現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。
既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。
愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんと
する私の野望はついに空しくなりました。
真に日本を愛する者をして立たしめたなら、
日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。
世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私が夢見た理想でした。
特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言ったことは確かです。
操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、
ただ敵の航空母艦に向って吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。
理性を持って考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば、
彼らの言うごとく自殺者とでも言いましょうか。
精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。
一器械である吾人は何も言う権利もありませんが、
ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、
国民の方々にお願いするのみです。
こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。
故に最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれたことを光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、
そこには感情もあり、熱情も動きます。
愛する恋人に死なれたとき、自分も一緒に精神的には死んでおりました。
天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、
死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。
明日は出撃です。
勿論発表すべきことではありませんでしたが、
偽らぬ心境は以上述べたごとくです。
なにも系統だてず、思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。
明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。
彼の後ろ姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。
言いたいことだけを言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で。
出撃の前夜記す」
~迷い、疑い、恐れに対してどう対応したらよいのか?~
私たちは信じて歩みだしたはいいが、途中で信仰が揺らいでしまうことがある。
「本当にこれで良かったのか。自分の思い過ごしだったのでは?」と迷いの森から抜け出せなくなるとが。壁にぶち当たり、挫折したときにそれまでの確信も簡単に揺らいでしまうのだ。
だが、その経験は貴方だけのものではない。
東方から主イエスを探しにはるばるやってきたマゴス(博士)たちも同様だった。
メシア誕生のしるしとなった光る星を目にしていたときはともかく、しばらくしてその星が消えてしまったとき以来、彼らの中に迷いや不安の暗雲が広がって行ったのは容易に想像できる。
人生をかけてバビロンからエルサレムまで数ヶ月の旅はリスクが大きすぎる。
聖書が預言するメシアにお会いするという、彼らのゴールは果たして実現できるものなのか。ダニエル書や民数記の聖書預言をそのまま信じてよかったのか、、、、ラクダに揺られながら荒野を旅する彼らには星が消えて以降、確信が揺らいでいたのだ。
それゆえ、エルサレムからベツレヘムに至る途上で再びあの東方で見た星が現れたとき彼らは「この上もなく喜んだ」(11節)のだ。
この喜びはゴール(メシアに礼拝)に到達する前のものだ。
彼らの決断に、旅程に、リスクに、その人生そのものが神に受け入れられていたと発見できたことからの喜びであった。
私たちの迷いや不安の多い生涯にあって、貴方とその人生が創造主なる神に受け入れられ、喜ばれていることを知ったなら、どれほどの喜びが力となってわいてくることだろう。
迷いは湧き上がってくることもあるだろう。大切な点はそれでも継続することだ。投げ出さないことだ。
マゴスたちがしたように見えるものに振り回されず、聖書のことばに信仰の碇を下ろしてこれを根拠に旅を続けることである。
信仰の創始者である主イエスが、先に天国に入られた信仰の先達者たちが私たちそれぞれのレースを見守っている。
ゴールラインまであきらずに進もう。
「多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:1~2)
最後にバルセロナオリンピック男子400メートル準決勝で、肉離れのため走れなくなっても最後までレースを捨てなかった選手の実話ビデオをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=kZlXWp6vFdE&feature=player_embedded
昨日の「聖書広場」では、先ず聖餐式と愛餐会とをもって始められた。
すでに新しい形態の「聖書広場」集会が始められて5回目となるが、そのように参加者で食事の機会を持ったのは初めてのこと。
愛餐会の冒頭で聖餐式に預かったのも、私にとっては初めての体験でもあった。
主イエスは黙示録3章20節でこう言われた。
「だれでもわたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
信仰による人格的な結びつきを「食事をともにする」ことにたとえられている。
ともに会食するとは、そのように深い交友関係に入ることでもある。
聖餐式の意義も、主イエスの購いの業を記念することに加えて、主との交わりを深め、また信者同士の交わりを深めるところにある。それなら、愛餐の場において聖餐に預かるのはふさわしいことになる。
初代教会の信者たちが定期的に集まっては「パンを裂いていた」と使徒の働きに繰り返し言及されているが、これは聖餐式を意味している。
そして彼らもまた、食事の機会に聖餐に預かっていたと考えられる。
パンとぶどう酒は当時の彼らにとって日常の食事メニューであった。
その通常メニューをもちいて、主の死と復活を信仰のうちに再体現し、かつその信仰を他者と共有することで交わりを深めて行ったのだろう。
十分に腹ごしらえをした後、1時間20分にわたる学びも充実したものとなった。
長女は昨日早朝から8日間の「馬キャンプ」に参加している。
6人ほどのキャビンに共同生活をしながら、各自に割り当てられた1頭の馬の世話をし、その馬に乗り、その馬と共存するらしい。
オルカイラという、人里はなれた絶海の孤島(?)がキャンプ場になっていて、そこに子供たちが足を踏み入れたとたん、ほかの世界との交流は立たれる。
親子であっても電話連絡はできなくなっていて、メールだけは期間中3回まで認められる。キャンプが毎日UPしている全体やスナップ写真に我が子を探し出して、その生存を確認するしかない。
先ほどその写真に写っている長女を見つけて、健在振りが確認できた。
長女のいない我が家は台風のない晴れ渡った秋空のよう。でも寂しい。
本日、KAIと再びDenny Creekへ行ってきた。
駐車場からこれまでとは反対方向の山道を進むと、なにやら違う展開があるらしい。
40分ほど歩いたところに、大きな川幅のある流れが広がっていた。
巨大で滑らかな一枚岩の肌の上を薄く水が流れている。
子供らにとってそこは絶好の遊び場であり、お年の方にとっても乾いた岩肌に寝そべれば昼寝の場ともなっていた。
私たちはそこから上流を行き着くところまで沢登り。
今回はサンダルに履き替えたので、川の中もすいすい。
その「行きつけるところ」は垂直の滝となっていて、その滝を越えてさらに上流を目指すには流れ落ちる水の隣の崖をロッククライミングしなくてはならない。
3メートルほど登ったところで引き返すことにした。
サンダルでは足場が悪く、危険を感じた。
次回、ハイキングブーツを履いてその先も制覇しようと思う。
小さな滝壺ならあちこちにあって、冷たい川の水にしばし浸かれば気分もリフレッシュ。
もっと早くこの地を発見しておきたかった。
再びここに来ることをKAIと約束した。
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