残された寿命も少なくなってきたので、自分史をまとめ始めた。 明治30年、会津若松郊外の祖父3兄妹が、新興宗教に狂って上京・会津との2重生活を始めた。 三育とは・(信仰と希望と愛)・・ 聖書の示す愛を土台とし、神と隣人に対して十分な奉仕をするため、人間の備える霊性(spiritus)、知性(mens)、身体(corpus)の全ての面を最大限に発達させ、円満な人間形成を実現すること(To Make People Whole Through Christ's Love) 1919年(大正8年)東京市杉並村天沼に、本部を移転・・現在の東京衛生病院~天沼教会の敷地・・ 母親の話では、周辺は窪地で池がたくさんあった・・現在でも数メートル切削すると水が噴き出す。 我が家の3人の子供たちも(衛生病院)で出産・ 昭和47年大叔父さん(深沢孫次)が死亡してから・・縁切れになっている。