友人と新年の食事を共にした
いつもは、夕刻から居酒屋やスナックでノミニケーション
一寸趣向を変え、昼食にたっぷりと時間をかけて
楽しんでみた
予約を入れて、静かな端の席と指定
幸い、別室の円卓を用意してくれた
ドアを閉めると、他の客の声は聞こえない
至福の時間を過ごすことが出来た
新しき 年を迎えし 昼食(ちゅうじき)は
酒食味わい 話はずまん
昨夜来降った雪は日陰の斜面に残っている
桜の木々は眠りから覚めるには三ケ月ほど先である
1883年(明治16年)に建てられた県会議事堂は幸い
保存され現在に至っている
人工地盤に樹木を植えあたかも自然と一体となった景色を
もたらしてくれる
この画像を撮っている辺りは、明治初期には川岸で
ロンドンのテームズ川河畔に建つ議事堂に似ていると
当時の新聞で報道されている
建てた大工は地元の人間で、洋風建築を真似た「擬洋風建築」
である
両脇の建物の屋根には擬宝珠が上下に付いている
激動の 時代を経ぬる 議事堂で
歩む政(まつり)は 民の為ならむ
一月も半ばとなっても、殆んど降雪はない
この公園は明治に入って県令としてやってきた楠本氏が
恐らく海外視察でヨーロッパ、アメリカに市民が憩う
パブリックな緑地が街中にあることから、日本で最初の
公園を造成・作庭した
現在も神社を核に、市民に親しまれている
雪や雪 降れば降ったで 嘆けれど
雪のなき日は 寂しさしきり
昨日、アップした地震の義捐金により建てられた会館まえに
子供達を先導する教師・保育師の像が据えられている
大きな災害が突如襲い掛かると、大人もパニックになるが
平静を保って、預かった子らを誘導する判断力が要求される
さいがいに そうぐうしたる そのときは
きもちしずめて こらをみちびく
1964年(昭和39年)に襲った地震は、丁度この年に
開催された国体を終えた直後にやって来た
アパートが傾いたり、大きな橋が将棋倒しになった画像が
新聞やTVに盛んに流された
その義捐金の一部を使い、県民会館が建設された
その建物の入口に金色の鳳凰が輝いている
地震が起きて44年が経過した
この鳳凰は日本の将来を見据えて、飛翔出来るのか
このまま留まったままなのか、はたまた朽ちて地に
降り立つのか
大空に 舞う鳳凰の 行き先は
地球の姿 いかになりけん
向かい合った岸壁に専用貨物船が二隻停泊し荷物を
下ろしていた
下の白っぽい船はセメントを運んでサイロへ流している
のであろう
上の青い船の積荷は判らない
喫水から判断すると、まだ相当積んであるようだ
何処(いずこ)より 運び来たりし 船の荷は
下ろす作業に 人影もなし
岸壁で釣りをする人が数人いた
この岸壁では季節により、鯵っ子がさびき釣りで多く釣れたり
ボラが釣れたりする
今の時期はハゼがあがるようだ
あまり釣れてはいない
釣り人は 浮きの沈みを 気にはかけ
今の釣果を 自慢しつつも
陸上に保管されたクルーザー(ヨット)はセンターボードの
形態は様々である
小さなディンギーなどはセンターボードを入れたり出したり
するが、大型のヨットは固定されている
※ヨットは和製英語で、外国ではヨットと云え ば豪華な船で
日本で云うヨットはセーリングボートと言う
クルーザーはクルーズ(巡航)から、各地を 回る船に付けられた
それぞれの 形違いし 船底は
眼にすることぞ この季節(とき)ならん
陸(おか)に上がった・・・
冬の日本海は荒波が続き、クルージングには向かない
管理の為に陸上に上げて、ペンキ塗りや修理を行なう
クルーザーは船底に突起があって、足場を組んで固定する
管理費が相当掛かるであろう
荒海に 漕ぎ出す ことを諦めて
陸(おか)に上がりし 船の寂しさ
対岸の造船所に数隻の貨物船が係留されている
これから修理なのか、新造船で艤装を施しているのであろうか
対岸の 行き交う人を 眺むれば
いずこへ向かう 新しき船
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