引退登板に臨んだ阪神<藤川球児投手>(40)の登場曲「every little thing every precious thing」を歌う「LINDBERG」の<渡瀬マキ>(51)が、引退セレモニーの冒頭にサプライズで<藤川球児>の中学時代の作文を朗読、甲子園球場に新たな感動をあたえていました。
「僕の野球への思い」と題し、高知市立城北中学3年時に書かれた作文では甲子園出場、プロ野球選手になることを宣言。学生時代の<藤川球児>の写真が大型スクリーンに映され、<渡瀬マキ>の美声に乗って紹介された文章が読み上げられると、甲子園のファンからは拍手が起こりました。以下は全文です。
【 「僕の野球への思い」 城北中学校 3年 藤川 】
僕が野球を始めたのは、小学校3年生の時です。きっかけは自分の名前が球児ということが一つ、もう一つは、父が野球をやっていたので、生まれた時から野球を見て育ったからです。そして、僕を産んでくれた母を喜ばせたかったからです。
僕は小さい頃からぜんそくで苦しんできました。母は、僕が発作を起こすと、どんなに夜遅くても自転車で病院につれていってくれました。僕を含め四人の子供達のために朝早くから、夕方遅くまで働き、兄と僕には費用も世話もかかる野球をずっとやらせてくれました。おかげでぜんそくの発作もほとんど起こらなくなり、母には本当に感謝しています。僕はそんな母に夢を与えてあげたいです。
僕は父にも感謝しています。それは僕の名前のことです。自分の「球児」という名前をなんだかマンガみたいで嫌だと思っていました。でも今は嫌じゃありません。それは父が僕の生まれる前の日に野球の試合でノーヒットノーランを達成し、その翌日に生まれた僕に思いを込めて「球児」となづけたそうです。今まで僕は、本当はプロ野球選手になりたいという夢を心の中に持っていましたが、まわりの人から「将来の夢は?」と聞かれても、「プロ野球選手になりたい」とは一度も言ったことがありません。かなうかどうかわからない夢を口にだすのが恥ずかしく、また聞いた人に馬鹿にされるよりは言わない方がいいという、かっこつけた自分がいたからだと思います。でも父の話を聞いてからは、子供に託した父の夢を、これからは僕自身の夢として堂々と語れるようになりたいと思うようになりました。
今までの僕は野球だけでなく、勉強にしても、できなかった時のために「やらない」という口実を先に作っていたと思います。結局はしんどいことから逃げていただけなのです。でも近ごろは、少し人間的に成長したように思います。
僕が野球を初めて7年間、僕を支えてくれた人がたくさんいます。両親や家族はもちろんですが、小中学校の監督、励まし合い競い合ったチームの仲間、応援してくれた学校の仲間や先生、そんな人達の支えを忘れてはならないと思います。練習中は厳しかった監督のあの鬼のような言葉は、僕への期待と励ましの言葉だったんだと、今やっと思えます。
この夏、優勝を心に誓って投げた中学校生活最後の大会で、僕の力が足りず、1回戦で負けてしまいました。悔しくて悔しくて、涙が出ました。スポーツは結果を出さなければだめだということを、この時ほど感じたことはありません。
中学校では僕は、試合で金メダルをとることは、できませんでしたが、僕を支えてくれた人たちから、形には見えないけれど、かけがえのない成長というメダルを、たくさんもらったと思っています。それらを心の財産として、今度は僕が形に見えるメダルを皆さんにお返しする番です。
今は、若者が夢を持つことが少ない時代だと言われますが、自分自身が夢を持たなくて、どうして人に夢を与えることができるでしょう。
僕はこれからもっともっと実力をつけて、将来きっと自分の夢である甲子園に出場し、プロ野球選手になって、世界中の人々の心に夢という名のメダルを贈り続けたいと思います。
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Posted at 2020-11-10 13:46
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Posted at 2020-11-10 14:08
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