火曜日は、私たちの霊のお父さん、ダッグ・ヘック牧師の60歳の誕生日でした。教会でみんなで集まってパーティをしました。彼の好きな照り焼きチキンとサラダとライスでお祝い。私は、ライス係になり、125人分のライスを作りました。ふーー。ケーキに60本のキャンドル。消すのに一苦労で、孫たちが消すのを手伝いました。ほほえましい一幕でした。。ダッグ先生のおかげで、今の私があります。感謝しています。。
2016年7月3日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/ORRGi1n2Wy8
さて、先週まで、罪からの呪いである男尊女卑、神様の御心について、そして、イエス様がいかに女性を認めてきたかということを学びました。今日は、ではなぜ、教会文化の中にも根強く男尊女卑的な文化があるのかということをみ言葉から見ていきたいと思います。
それは、聖晝の解択聞違って教えられてしたからなのです。 伝統的に間違った教えを教会でしているために、日本でも、世の中よりも教会の中のほうが女性の地位が低いという現象が起きているのです。
男尊女卑と言われている数々議論されるみ言葉を詳しく見ていく前に、その背後にある文化の説明をしなければなりません。聖書の言葉だけを切り取って適用したり解釈することは、間違いに繋がることが多々あります。
歴史を見てみると非常に興味深いものです。へプルの世界では、女性は、宗教的な学びを一切させてもらえず、そして、宮にも入ることができなかった。また、男性と公に会話をしてはいけなかった。ですから、宗教的な教えを受けるのは、もつばら自分の夫に家で教えてもらうという風習があ った。と先週も話しましたね。
それとは、対照的に、異邦の民は、エジプトでも男女同権であったし、マケドニアでは、女性はビジネスにおいて大変活躍していた。というのです。
また、当時ギリシャの次にあげる三つの町は、特に、偶像の問題とそれにまつわる女性への見方が違っていました。コリント、工ペソ、ラオデキアの町々。こららの町々は、しばしばパウロ書簡ででてきます。
これらの町々では、女性の偶像をつくり拝んでいたという背景があるのてず。特にコリントでは、アフロデAphroditeの神を礼拝するときには、不品行もともに行われたのです。女性は、性の対象でしかなかった。売春が横行していた。コリントでは、そういう意味では、性的モラルのなさでは非常に有名でした。
ですから、パウロは、そんな背景の中にいる人たちに向かって、コリントにおける非常な性的な誘惑や罠から避けるために、独身でいられたらそのほうが良いというようなことを言ったのです。性的なモラルを守るために、女性を避けるような考え方が両極端の反対側にあったわけです。パウロは、何も、独身をどの地域にいる人たちにもすべての人たちにもすすめているわけではありません。
と言うような背景で、パウロは、結婚関係において、女性を敬うようにとも教えている。自分の体のように 。また、夫が、妻の欲求を満たすようにとも教えていることは、当時の文化、特にギリシャ的な背景からすると、非常に画期的なことである。
エペソ、アルテミス、女の神、子宝の神、子供を産むときに死から守ってくれると考えられていた。また、女は、すべての起源とし、女が世を支配するというマインドセットがあった。その文化的背景を持った、教会員たちに語っている言葉がある。
では、見ていきましよう。
Ⅰコリント11 : 3-16 ヒ工ラルキーの長は男性?
3しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。4男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。5しかし、女が、祈りや預言をするときに、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは神をそっているのと全く同じことだからです。6女がかぶり物を着けないのなら、髪も切ってしまいなさい。髪を切り、頭をそることが女として恥ずかしいことなら、かぶり物を着けなさい。7男はかぶり物を着けるべきではありません。男は神の似姿であり、神の栄光の現れだからです。女は男の栄光の現れです。8なぜなら、男は女をもとにして造られたのではなくて、女が男をもとにして造られたのであり、 9また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。川ですから、女は頭に権威のしるしをかぶるべきです。それも御使いたちのためです。Ⅱとはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。12女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。13あなたがたは自分自身で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのは、ふさわしいことでしようか。自然自体が、あなたがたにこう教えていないでしようか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、15女が長い髪をしていたら、それは女の栄光であるということです。なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。16たとい、このことに異議を唱えたがる人がいても、私たちにはそのような習慣はないし、神の諸教会にもありません。
「頭」という言葉を聞くと、私たち罪の呪いのマインドセット、競争の観念では、どちらが偉いか、権威を持っているか、どちらが階層が上か、どちらが治めるのかというようなイメージを持っと思います。
私も、教会に行き初めのころ、、一を読んだときは、そう思いました。そして、少しがっかりしたものでした。 ああ、やつばり、神様にあってもそうなのか。女性というものは、いつも誰かに従えられて生きていくしかないのかな、と思ったものです。
しかし、 ここで使われている「頭」という言葉を聖書に原語ギリシャ語では、Kephaleという言葉が使われています。そして、その意味は、英語では、sourceとなります。源、起源という意味です。
ですから、言わんとしていることは、すべての男の起源はキリストであり、女の起源は男であり、キリストの起源は神です。
ですから、続く言葉のとおりです。女性は、もともと男性とーっであって、神によって男性の中から取り出され、一つであるが、違うものとして男のあばら骨によってつくられましたね。女性のソースは男性なのです。また、私たちは、キリストによってつくられました。私たちのソースはキリストです。キリストのソースは神です。私たちの源がそこにあり、私たちは、そこから成っているのです。
そして、キリストの起源が神であるが、二人は一体であり、一つであり、同等であることを覚えてください。ちょうどそのように、男女も一つであり、同等であるということなのです。
こ こで、男性も女性も考え方のシフトが必要になります。特に男性は、自分がリーダーだから俺に従えというのではなく、自分がソースである自覚をしなければなりません。あなたが、夫婦、また男女間の源であり、養いの要であります。また、女性は、男性をあなたの上に立ってあなたを奴隷のように使うものではなく、あなたを覆いあなたを守り、養うことのできる源であることを理解しなければなりません。
そして、考えてみてください。キリストと神は同等の方です。等しい立場であります。しかし、キリストのソースは神です。それと同じように、女性のソースは男性ですが、二人は同等の存在であります。
◎被り物と栄光について v4-9
髪の毛や被り物について書いていますが、 こをそのまま取って現代でも教会に行くときに女性が被り物をしていく教会も今もあります。しかし、背景を無視してここだけ切り取ってはいけません。被り物の文化は、コリントの文化の背景に重要な要素があります。
当時のコリントというのは、性的なモラルがめちゃくちやでした。売春も多かったのです。そして、アフロデの神殿では神殿娼婦たちがいました。宗教的な儀式で性行がなされました。そして、その娼婦たちは、頭を剃っていたのです。ですから、神が創造されてない、不自然な性行をする人たち、そして、本来美しい女性の髪を剃っているという不自然さ、そういうことがあって、剃った頭を隠すために被り物をしなさい。という風に書かれてたのです。
頭を剃った女性は娼婦であり、すなわち、娼婦というものは、夫の保護下にはいませんでした。当然です。それは、他の人と性的関係を持つのだからです。先週も性交渉の意味について話しましたね。ですから、被り物をするということは、夫との正しいユニオンに戻っている。男女、夫と妻があるべき姿となり一体となっている。一致を示しており、さらには、このユニオンが、神の前にキリストにも栄光を返し、キリストに従いキリストとともに一つになっていることを示しているのです。
ですから、頭にかぶり物をするならば、私は、神の権威の下に従っています。神の赦しの中に生きています。と証ししているものなのです。私は、神様に従って生きていきますという印だったのです。
◎み使いたちのため? V10
「女性は、男性の栄光」とあります。素晴らしい言葉ではありませんか。正しい神様のデザインされた、結婚関係という風に考えて読んでみると分かります。あなたの奥さんこそが、あなたの輝かしい誉であって、名誉です。すべての人の妻は、みんなトロフィーワイフです。あなたを完成することのできる、人間としての片割れなのですから。そして、神のようにあなたを助けることができる存在なのですから。
かぶり物に関してに戻りますが、 「み使いたちのためにもそうしなさい」と書かれていますね。どういうことでしようか。
1 ペテロ1:12 2
To them it was revealed that, not to themselves, but to us they were ministering the things which now have been reported to you through those who have preached the gospel to you by the Holy Spirit sent from heaven—things which angels desire to look into.
パウロは、この章を通して、神の教会において、礼拝中どのようにして、男女がともに等しく神の前に立つべきだと教えています。そして、男女一つとなって神に奉仕するべきであることを伝えているのです。決して、男がヒエラルキーの長であるという主張ではないのです。むしろ、当時地位の低かった、女性たちを男性と同等の地位までに引き上げたのです。
ぼ
元気なボーイズ! 二週間も病欠で教会に来られなく、私たちも寂しかったですが、今週は元気に来ました! 良かったーーー。教会を楽しく満喫していました。
ワシントン大学留学中のSくん。。。エリックと趣味があうので、楽しく会話しています。。。今週は、帰国後のゼミの活動のために質問をしに来てくれました。。。
あと少しの滞在だけど、いろいろとがんばってねー。あちこちでのボランティアの機会を紹介しました。
エリックは、今日は、子どもに受けるために、マッハゴーゴーのTシャツを着ています。
2016年5月15日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Fz-WvU8lrP4
1コリント12:6-14
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。11 しかし同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
ハレルヤ、みなさんこんにちは。今日はペンテコステの日です。今年は、神様から大切なメッセージをこの時期にいただいています。特に、ペンテコステの意味について教会に語っていらっしゃいます。
毎週言いますが、ペンテコステは、イエス様の夢の実現でした。御父とイエス様がひとつであるように、イエス様と私たちが一つであり、私たち同志も一つとなること。それは、同じ御霊、聖霊の浸しを経験することによって実現しました。そして、キリストの体と呼ばれる教会が出来ました。
聖霊のバプテスマによって、開かれる超自然的な世界があります。聖霊様の与える賜物、超自然的な力にはどんなものがあるか、ということを先ほど読みました。
★ 聖霊の賜物の目的とは
V6-7 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。And there are diversities of activities, but it is the same God who works all in all. 7 But the manifestation of the Spirit is given to each one for the profit of all:
聖霊のバプテスマは、私たちが一つとなるためでしたね。聖霊の賜物は、私たちキリストの教会、体に属するものたちの益となるために与えられています。
人それぞれに、働き方や与えられている賜物の傾向が違っていても、それは、教会のため、他の人のために与えられているのです。
「自分のため」ではありません。自分を含めた体のためなのです。私とあなたは、もはや別々の個体ではなく、共同体であり、互いに属しあっているのだということをここで覚えたいと思います。あなたの、益は、私の益。だから、私は、あなたの益のために捧げたいのです。
★ 互いに愛し合うために
賜物の言うものは、自分のためにあるのではなく、相手のために、誰かのために与えられています。考えてみてください。教会の中で、賜物が自由に与えられているとして、自分が、癒しが必要だ、または、知恵が必要だという時に、自分が自分に与えられている賜物を使って癒されり、立ち直ったりしたらいいのではないでしょうか。しかし、それが、神様の道ではないのです。先ほど読んだ1コリント12章の次の章13章では、愛について切々と書かれています。「賜物があっても愛がなければ意味がない」というのです。というのは、互いに仕えあい、愛し合うことが神のみこころであり、そのために賜物というものは、与えられているからです。
★ 真のコミュニティ、共同体とは
私たちは、アメリカに住んでいますから、ここの文化にとても感化されます。アメリカは、個別、個人主義です。共同体理解は、共同体にいくらお金をだしているからとか、自分たちのやりたいこととマッチしているからという、自分中心で共同体を作ります。
しかし、聖書の言う共同体とは、一つの体のようだというのです。手で、足、皮膚、肝臓、つめ、全てが互いにいたわりあってこそ、存在していけるというものなのです。あなたが痛みを持っていたら、体全体が痛むというものです。このキリストの共同体では、世の中とちがって「あなたが何ができるか」と言うことは、関係ないのです。あなたが体の一部であるからこそ、互いにいたわりあうのです。
鍵は、愛です。あなたが、体の一部である方の痛みを知るとき、共感し、愛によって、助けたいと思う、その時、神様は必ず、それに必要な賜物を与えてくださるものなのです。後でもう少し詳しく話します。
★ 聖霊の賜物の機能とは
ではどのようにして、こられの賜物が働くのかということを話したいと思います。
私が初めて聖霊のバプテスマを受けた時、劇的な違いがありました。霊、見えない世界の感覚が一気に開かれました。神様から、ビジョンや預言の言葉を次々に受け取りました。ある時には、教会のなになにさんのために祈りなさい、彼らにはこんな危険が迫っていると。。。そして、その通りのことが起きたりしました。
さて、聖書で読んだとおり、九つの賜物には、知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇蹟を行なう力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力があります。その一つひとつの意味は、次のとおりです。
① 知恵のことば… 神様からの啓示。How を教えてくれる言葉。私たちが、いろいろな状況の中でどうしたらいいか分からない時に与えられる言葉。私の場合、もちろん、人をカウンセリングしている時に、こういう風に問題にアプローチしてはどうかとか、こういう風にアドバイスしてはどうか、という言葉がくる。一人ひとり、状況が同じ場合であっても、有効なアプローチは違う。クッキーカッターの様には物事は解決できない。神様が教えてくれる。また、知識の言葉が与えられるとき、それをどのように、相手に伝えたらいいか分からないとき、そのつど、神様に聞く。すると知恵の言葉が与えられる。
② 知識のことば… 神様からの啓示。What を教えてくれる言葉。知識の言葉とは、自分の知らないことを明らかにされる言葉。例えば、祈っている相手と神様しか知らないような言葉が与えられる。この言葉は、相手に伝える時に、時々注意が必要。時には、ストレートすぎて相手の気分を害することもある。しかし、神様が教えてくださるには、相手の益になるためですから、神様に知恵の言葉を求めます。
知識と知恵の言葉は、同じ祈りのセッションの中で与えられることが多い。また一緒に祈っている人に与えられることも、もちろんある。
③ 信仰… 救いにいたる信仰、神様を今私たちが信じている信仰と質の違う、はるかに大きい信仰。1993年に甲子園を貸しきってリバイバルミッションが開かれて多くの人が救われましたが、その言いだしっぺは、下条まきこ先生でした。先生が話し始めた時は、誰もが、どうやって。。まさかと思った話しでしたが、信仰の通り実現し多くの実を結びました。自分の現状や能力、信仰をはるかに超えた大きな信仰のことを指します。
④ いやし… 癒しの力、祈る時、語るとき、癒しが起きる。心の癒し。
⑤ 奇蹟を行なう力… 創造的な力が働き、無から有が生まれる力。食べ物を配っていると、その食べ物が無くならなかった。無かった目玉が出来た。虫歯が、癒しの祈りで、治療されて、金歯になった。死んだ人が蘇った。雨がやむ。降る。私の友達も集まって祈っていた時、宝石が降ってきたそうです。
時間がなくなってきたので、⑥から⑨は、次回に話します。ただ、大切なこと、一つだけお話しして終わります。
★ 必要に応じて与えられる
賜物は、違う人に違った形で与えられていますが、それは、誰かに仕えるためです。聖書のなかに次のような言葉があります。
エペソ4:7
しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。 But to each one of us grace was given according to the measure of Christ’s gift.
賜物は、英語では、Gift、すなわち、プレゼント、贈り物です。そして、それは、給料ではないのですから、私たちが稼ぐものでも代償でもありません。与え手の好意によります。
聖書、詩篇の中には、神様の私たちへの好意は、一生涯ものだとあります。私たちが神の子どもたちである限り、神様の好意は私たちの上に、キリストにあってあるのです。
また、エペソ4:7の通り、キリストの賜物の量りにしたがって恵みが与えられます。キリストの賜物の量りは、無限です。心配しなくてもいいのです。
プレゼントをもらうことは、そんなに難しいことではないのです。
神様に求めるなら与えられるのです。
神様に求めて、大いに互いに愛し合い、仕えあおうではありませんか。
ぼ
三年前に、シアトルで留学していたEちゃん。フライトアテンダントになって、シアトルに遊びに来てくれました。感謝です。とっても成長して、大人な話しが出来ました。
いつまでも、元気で、神様が守ってくれるようにと、お祈りしています。。。。。
日曜日は、忙しいので、土曜日に母の日を祝いました。義母の大のお気に入りの日本食レストランです。隣には、雑貨屋さんがあり、ショッピングも楽しみました。もう八十代半ばの義母。最近は、立て続けに二回も手術。。。。とにかく健康でいられますようにとお祈りしました。。。。最近、とみにやせちゃったなぁ。。日本の母には、カードとお菓子を送って祝いました。母も、喜んでくれていました。日本の母にもあいたいなーー。。。
2016年5月8日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/K2i5iXsnA10
使途2:4
ここ何週間か大切なお話しをしています。いかに、キリストの昇天が大切であるか、ペンテコステの出来事が教会にとって大切かと話して来ました。今日は、聖霊のバプテスマがもたらす事柄についてお話ししたいと思います。
まず、先に話した事がらの関連性についておさらいしたいと思います。
イエス様の昇天によって、イエス様は、天の王座に着座され、王の王となられた。それを信じる私たちは、そのイエス様の王国の国民の身分となった。そして、信仰によってイエス様の死と葬りと復活と昇天に合わされた私たちには、御名の権威が与えられている。
ペンテコステの日に、イエス様が話されていた「父の約束」すなわち、聖霊が降臨し、一人ひとりの上に臨み、あふれ、みな一つ霊とされ、教会が発足した。イエス様のかねてからの願い、御父とイエス様が一つであるように、教会とイエス様も一つ、信者の一人ひとりも一つとなることが実現した。
聖霊様は、単なるエネルギーではなく、パーソン。イエスの霊、御子の霊とされる一神格。さて、その方が臨む、その方にバプタイズ、浸される時、どのようなことが起きるのでしょうか。。。御国の一員として機能していくことが出来るようになるのです。
★ 異言の力
V4 みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。4 And they were all filled with the Holy Spirit and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.
さて、五旬節の出来事では、みなが外国の言葉で話しはじめ、人々は、酔っ払っているのかと思ったというのです。異言については、いろいろな、議論があります。異言がでなくても、聖霊に満たされているとする人もいれば、異言を話さなければ満たされてないという派の人たちもいます。
私は、人それぞれの神様との関係が大切なのであるから、異言を話さないとダメだとは言いたくありません。
でも、パウロも言っているように、話せるなら、話した方が、いいと私も思います。
異言は、スーパーナチュラルの扉を開く窓口です。 数年前に、テレビ番組で、医者が異言を話す人の脳を調べました。そして、フランシスの修道士の祈っているときの脳と、チベットの仏教の僧侶が瞑想しているときの脳と比べました。異言を語る人たちの脳は、全く違っていたそうです。クリスチャンが言葉を使って祈っているときと、カトリックの祈りと、僧侶の瞑想は同じだったそう。前頭葉に力が集中していたそうです。自分の考えで、言葉をコントロールしています。しかし、異言を語る人の脳は、脳全体が活発に動いていたそうです。全体です!まさに、人間のコントロールから全く外れたところで、脳が機能しているそうで、サイエンスが、聖書の言っていることを証明した。異言を語るとき、この世の力、束縛から解放され、全くこの地上の影響の無い、天的な世界が開かれるというのだ。
聖霊のバプテスマは、天と人を一つにし、また地上の人たちを一つにする。といえるでしょう。
聖書に次のように書かれている通りです。
Ⅰコリント14:14
もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。For if I pray in a tongue, my spirit prays, but my understanding is unfruitful.
異言を話している時は、自分の知性を飛び越して霊で直接祈っているということです。頭では、分からないが、霊では分かっているというようなことがおきます。そして、霊のことがよく分かるようになると、霊でおきていることを、頭が上手に解釈して通訳することができるようになります。
★ 伝道の力 恐れがなくなる=確信をもって
使途1:8
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」But you shall receive power when the Holy Spirit has come upon you; and you shall be witnesses to Me in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the end of the earth.”
弟子たちは、聖霊を受けるまでは、恐れに縛られていました。聖霊が臨んで一番顕著な出来事は、恐れから解放されることです。違ういい方で言うならば、確信に満ち溢れ、恐れなどもろともしなくなる、ということです。
ペテロは、聖霊のバプテスマを受けた後、立ち上がり、大胆に今起きていることはどういうことか、説明し始め、そして、大伝道メッセージへと移り、3000人以上の人が救われるということが起きました。
それは、聖霊を受けると、今まで頭で理解しようとしてたことが、すとんと胸に落ち、確信がゆるがなくなる、確信がズドーンと腹の真ん中に来る経験をするのです。揺るがない確信を持って生きている人は強いです。
★ 御名の権威の行使
復活のイエス様が大宣教命令を弟子たちにわたしますが、その時に言われた言葉が次のことばです。
マルコ16:17-18
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」And these signs will follow those who believe: In My name they will cast out demons; they will speak with new tongues; 18 they will take up serpents; and if they drink anything deadly, it will by no means hurt them; they will lay hands on the sick, and they will recover.”
大宣教命令のあと、父の約束を待ちなさい。と言われました。父の約束、すなわち、聖霊が望むとき、これらすべてのことが可能になるということです。聖霊とは、三位の神の一神格、聖霊様が臨むことによってイエス様の権威と一つになる。確信を持って御名の権威の行使ができるようになるのです。
信じる者には、それを受ける資格があるというのです。私たちは、どれほど、自分に与えられた身分を理解しているでしょうか。どれほど、自分に委ねられている権威を使って生きているでしょうか。
★ 天とのコミュニケーション能力が与えられる
先ほど、異言のところで話しましたが、天と直接一つとなれるものだといいました。自分の知性を飛び越え、人間的な常識を飛び越え、そして、地上のあらゆる束縛を超えて、天と霊においてつながれること、その一つの表れが異言ですね。
聖書には、聖霊の九つの賜物があるというのです。
それは、イエス様の御国に国籍を持つ天国民としてのしるしです。聖霊において、天と一つになっているならば、与えられる賜物として聖書にしるされています。
1コリント12:6-11 聖霊の九つの賜物
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。11 しかし同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
九つの賜物は、
知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇蹟を行なう力、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力
今日は、一つ一つについて、時間が足りないので説明はできませんが。。また、次回に。
いづれも、超自然的なことです。そして、御国のために働くために必要なツールであります。私たちは、すでに天国民とされていますから、この賜物にあずかる資格を持っているのです。
エペソ4:7
しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。 But to each one of us grace was given according to the measure of Christ’s gift.
信じる者には、求めるならば与えられるものです。
★ アクティベーション!
ペンテコステの体験は、五旬節が来たからといって、自動的に全ての人が聖霊に満たされたのではない。イエスの言葉を聞いて、信じ、おことばどおりに祈り待ち望んだ人たちに注がれた。
私たちが、聖書の言葉を黙想するときに、力が注がれる。御言葉を信じるときに、聖霊の注ぎがあるのです。
天に昇られたイエス様を信じている私たちには、天的に生きる使命があります。そして、資格があります。聖霊のバプテスマを求めましょう。そして、受け取りましょう。イエス様に与えられた権威と能力をアクティベイトさせる必要があります。
一緒に祈りましょう。
ぼ
サウスレイクユニオンの地域を歩くことがよくあります。家からすぐ近くです。。。五年前には何----も無かった地域ですが、今や、たくさんのビルが立ち並び、たくさんのレストランとカフェ、そして、アマゾンで働くアマゾニアンでにぎわっています。。。。。通勤時、歩きづらいほどの人が歩いています。
そして、アマゾニアンに配るバナナの小屋が朝でてます。。。儲かっている会社は違うなあー。と眺めています。いつも、二、三人の人がこのスタンドに立ってバナナを笑顔で手渡しています。。。。この仕事ええなぁ。。。なんて思いながら通り過ぎます。アマゾニアンは、犬を連れていることが多いのも特徴です。この写真は、バナナ配りの女性が、アマゾニアンのわんこをかわいがっているところです。。。
2016年5月1日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/6-_w8L1ELEg
使徒の働き2:1-4
1 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。When the Day of Pentecost had fully come, they were all with one accord in one place. 2 And suddenly there came a sound from heaven, as of a rushing mighty wind, and it filled the whole house where they were sitting. 3 Then there appeared to them divided tongues, as of fire, and one sat upon each of them. 4 And they were all filled with the Holy Spirit and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.
もうすぐペンテコステです。今日は、昇天のイエス様の後、何が起こったのかというお話しをしたいと思います。そうです、ペンテコステの日の出来事についてです。
★ ペンテコステ、五旬節、七週の祭りとは
先ほど読んだ使徒二章にもあったように、「五旬節」(「七週の祭り」、ペンテコステ)のできごとです。ユダヤには、七つの祭りがありますが、五旬節はその一つです。そして、全ての祭りは、イエス・キリストを指し示しています。春には過越の祭りがあり、イエス様の十字架を象徴していますし、種を入れないパンの祭りは、罪のないキリストを象徴しています。また、初穂の祭りは、イエス様の復活を象徴しています。そして、ここででてくる七週の祭り(ペンテコステ)は、聖霊降臨を象徴しています。あとの三つの祭りは秋の祭りですが、これは、やがてくるイエス様を指し示しています。
この七週の祭りというのは、二つの種を入れたパンを祭司のところに持ってくるという儀式があります。そして、これの意味するところは、一つの祭司によって、二つの罪ある存在、ユダヤ人と異邦人、すなわち、全世界の人々が一つにされる。ということを指し示すものであります。
みなさん、何ヶ月か前に話した、ヨハネの福音書を覚えていますか?
★ イエス様の祈り ヨハネ17章の実現
イエス様は、十字架にかかられる前に、父なる神様に、とりなして祈りました。
ヨハネ17:21-23
21 それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
イエス様は、切に祈りました。イエス様と父が一つであるように、イエス様と、信じるものたちも一つであるように、そして、信じている者たちも一つであるように。。。一つになることを切に切に祈りました。一つであるなら、世がイエス様を信じるようになると。。。
教会の成熟は、人数でもない、プログラムでもない、ティーチングでもない。いかに一つであるかによります。そうすると、世が信じる人の集まりに魅力を感じ、引き寄せられるのです。聖書にも、いかに人々が、御父と一つになっていたイエス様に惹かれてついていったことでしょうか。
★ 聖霊のバプテスマ、聖霊に浸される体験
ひとりだけの上にではなく、そこにいた全ての人に聖霊が下られた。
聖霊のバプテスマということばは、ペンテコステ教会にいれば、よく耳にすることであります。そして、また、油注ぎを受けた預言者であるとか、癒しの賜物をもつ働き人に注目が行き過ぎる傾向もあります。しかし、聖霊のバプテスマの本来の目的は、五旬節の祭りの意味にもある様に、二つものを一つにすることであります。
人々は、イエス様の言葉に根ざし、期待をして、ともに集まり、祈りに専念していました。イエス様の昇天から10日間、祈っていました。その日が来たので、自動的に聖霊体験をしたのではありません。
イエス様の言葉だけを頼りに、祈っていたのです。
そこへ、突然激しい風のようなごう音とともに、聖霊が降臨されたのです。そこに、集まって祈りに専念することに決めた人たち全員の上に分かれた下のような炎がのぞみ、聖霊のバプテスマを受けました。聖霊に浸されました。
聖霊のバプテスマを思うときに、どのように受けたら。。。と思う方が多いですが、ここでの人たちと同じように、父の約束を待ち望んで祈りに集中することを選んだらいいのです。また集まってともに祈ることもいいでしょう。とにかく、心に決めて求めることが大切です。人それぞれですか。。私の妹は、まだ礼拝にも来ていないときに、キャンプに行って、自分の罪とイエス様の十字架のことが分かった時に、急に聖霊に満たされ異言を話し始めました。。。一方、私は、なかなか受けられませんでした。でも、受けた時には、イエス様の赦しがはっきり分かった時に、滝に打たれたように、激しく聖霊が望みました。みなさんには、どのように来るのでしょうね。
★ 教会の誕生 聖霊によって一つにされた共同体
そののち、二章に書かれていますが、ペテロがメッセージをし、3000人がイエス様を信じ、共同体が出来ました。教会が発足しました。
ここで、教会は、一つになるために集められたのではなく、一つであるから集まるようになったのだということがわかります。
★ ペンテコステの出来事 イラストレーション
小さいコップをボールに十個くらい入れます。そこに、水を注ぎます。コップ一つ一つに注いで行き、あふれるまで、注ぎます。そして、その後も続けて注ぎ続けます。。。るそして、ボールいっぱいまで注ぎます。
ペンテコステの出来事は、このようです。一人ひとりの上に聖霊が臨まれ、あふれ、そこに集っている人たちの上に臨み、あふれ、完全に彼らを浸しました。同じ霊に完全に浸されたら、一つにならざるを得ませんね。
これが、聖霊の満たしの本来の姿です。
共同体の上に、注がれるものなのです。また、共同体、一つとなるべく注がれ、浸されるのが聖霊様のバプテスマなのです。
★ 力でなく、聖なるお方を求めましょう
聖霊と聞くと、力、エネルギーであるとか、見えないソースというイメージを持つ方がいると思いますが、聖霊様は、一人の神です。ご人格をもった方です。
PERSONです。そして、その名前は、聖なる霊です。聖なる方です。
私たちが、力を求めるなら、間違えてしまいます。
しかし、聖なるお方を切に求め、神様のみ言葉と約束に従って求めるなら、必ず満たしを体験するでしょう。
今日のお話しで分かるように、イエス様の情熱は、私たちが一つになることです。そのために、聖霊のバプテスマを私たちに約束してくださました。聖なるお方に満たされ、教会として、浸されることを求めていきましょう。
ぼ
土曜日は、エリックのお父さんの誕生日を祝いにギッグハーバーまで行きました。88歳です!!!! 相変わらず、ジョークばっかり言っていました。本当に、ユーモアの塊のような人です。
いつも私たちのカードを声を出して読み上げます。今年は、天眼鏡を持ち出して読みました。。。
健康に気をつけているので、ミニカップケーキにろうそくを立てて、エリックが歌いました。甘いものに目がなく、ぺろりと一口! 今年も元気でよかったー。。。120歳まで生きてね、なんて話しながら、レストランでハンバーガーをぺろりとこれもまた食べました。さすが!
2016年4月24日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Eld7MNzCVvE
使途1:3-11
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
先週は、復活のイエス様が再びペテロを召しだすところを読みましたが、今週は、復活のイエス様がみんなの見ている前で、天に帰ってかれる様子から学んで行きたいと思います。
私たちクリスチャンは、イエス・キリストの十字架の苦しみと死と葬りと蘇りを信じています。そして、バプテスマを受けます。水の中が死とし、水からでることで蘇りの新しい命を得たものと象徴します。そのことで、自分の信仰を明らかにし、そして、キリストと一つにされたことを宣言します。
しかし、一つ強調することを忘れている重要な点があります。それは、イエス様の昇天についてです。
私たちは、キリストとともに十字架につけられ、死に、葬られ、そして、復活しました。ガラテヤ2:2もはや私が生きているのではなく、キリストを信じる信仰によって生きているのです。そしてまた、信じるものは、キリストの昇天とも一つにされているのです。Co-crucified, co-buried, co-resurrected and co-ascended!
エペソ2:6
キリスト・イエスにあって、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。and raised us up together, and made us sit together in the heavenly places in Christ Jesus,
キリスト者の権威の回復のために、キリスト者が弱々しく生きるのでなく、強く雄々しく生き、主の働きをするには、この昇天の意味をしっかりと知っておく必要があります。
★ キリストは王となられた
イエス様は、四十日間、神の国について語られました。弟子たちは、イスラエルの国の再建のことが頭にありました。。。
V5-7 「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。, “Lord, will You at this time restore the kingdom to Israel?” 7 And He said to them, “It is not for you to know times or seasons which the Father has put in His own authority.
しかし、イエス様は、天で御座に着き王となりました。神の国の王です。
エペソ1:20,21
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」which He worked in Christ when He raised Him from the dead and seated Him at His right hand in the heavenly places, 21 far above all principality and power and might and dominion, and every name that is named, not only in this age but also in that which is to come.
★ 私たちは、その国民となった
ピリピ3:20
私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます」For our citizenship is in heaven, from which we also eagerly wait for the Savior, the Lord Jesus Christ,
私たちは、キリストの王国の市民です。
ルカ17:20-21
さて、神の国はいつくるのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」Now when He was asked by the Pharisees when the kingdom of God would come, He answered them and said, “The kingdom of God does not come with observation; 21 nor will they say, ‘See here!’ or ‘See there!’ For indeed, the kingdom of God is within you.”
★ 神の国民としてのしるし
御使いは、言いました。あなた方が見たように、イエス様は再び来られると。。。
This same Jesus, who was taken up from you into heaven, will so come in like manner as you saw Him go into heaven.
私たち、信じるものたちは、イエス様の昇天から再臨まで、どうしたらいいのでしょうか。
天に上がられる、イエス様を夢中になってみていた弟子たちは、今回ばかりは、イエス様が去られたことで、消沈せず、イエス様の言われたことに希望を持って待ち望んだようです。。。
私たちの役割は、違う箇所で、上への召しとも、高い召しともいわれていますが、神の国をひろげていくことです。神の国とは、住所、場所とは関係ありません。それは、あなたの只中にあります。あなたから始まるのです。
◎父の約束
水のバプテスマと聖霊のバプテスマ
イエス様は、言われました。父の約束が来るとどうなるのか。。。七節から、国の再建を考えてるが、本当の国とは、神の国であり、それは、聖霊が神の国民のしるしである。
V8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」But you shall receive power when the Holy Spirit has come upon you; and you shall be witnesses to Me in Jerusalem, and in all Judea and Samaria, and to the end of the earth.”
私たちには、二つのバプテスマがあります。水と、聖霊。水は、入信を公にし、神と人の前に証しします。そして、キリストの死と葬りと復活と一つにされます。
また、聖霊のバプテスマは、聖霊が望まれると、力を受けると書かれています。文字通り、まず恐れがなくなり、そして、神の霊に満たされ、喜びがあふれだし、とめることのできない喜びが流れ出します。また、神様の心が分かるようになり、罪に対して敏感にとぎすまされます。また、預言を初めとした、聖霊の九つの賜物が求めに応じて与えられます。聖霊様、すなわち、イエスの霊とともに、王と心を一つにして、御国のために働くのです。こうして、地の果てはてまでに福音が到達し、神の国が広がっていくのです。
それは、目に見える国ではなく、あなたの只中、人々の中に確立されていきます。
◎イエスの御名
イエス様は、御座につかれ、天にも地にも一切の権威があります。私たちは、イエスの御名が与えられました。この一番高い御名で祈り、そして、ミニストリーをするのです。イエスの権威は、今や私の権威となったのです。
私たちも、ペテロのように、金銀はわたしにはない、しかし、私にあるものをあげよう。イエスの御名によって! と大胆にミニストリーができるのです! ハレルヤ!
ぼ
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