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ぼくしのめがね

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よくなりたいか ・第三のしるし Do you want to get well?

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日本訪問の写真を紹介しようと思... 日本訪問の写真を紹介しようと思いました。今回は、人シリーズです。所沢にある教会、ホープ所沢にてhttp://hopetoko.org/。。私たちの教会に良く似ていて、バイリンガルです。居心地が良かったです。 あいに駆けつけてくれた、もとシ... あいに駆けつけてくれた、もとシアトル留学生のみなさんと。。。感動して泣いてしまった私です。。 これまた、もと留学生のMさん。... これまた、もと留学生のMさん。お母さんになられても変わらないかわいさです。。。。幸せを祈りながらの短い再会でした。 これまた、もと留学生の結婚式に... これまた、もと留学生の結婚式に出席。とってもきれいな花嫁さんでした。神様の導きです。彼女は、牧師を数年されて、今度は、主婦となられて、違う教会に移られます。今後の神様のお導きに期待しています。。。。本当に、愛と尊敬の溢れる素晴らしい結婚式でした。 またまた、もと留学生のMくん。... またまた、もと留学生のMくん。彼も、牧師です。本当に立派に成長されて、頼もしく感じました。しかも、お寿司をご馳走してくれました。。。心のこもったご馳走で、世界で一番の味に感じました。 奈良福音教会にて。http:/... 奈良福音教会にて。http://www.geocities.jp/narafukuin/
時間が足りないくらい、牧師先生とお話し。。。もっといたかったです。。ここは、保育園や、障害児の施設もされていて、素晴らしい教会でした。
またまたもと留学生が遠いところ... またまたもと留学生が遠いところ駆けつけてくれました。感動しました。。。。就職も決まって、将来にわくわくというところでしょうか。幸せを祈ります。 いとこと、いとこの娘です。前回... いとこと、いとこの娘です。前回帰国第二日に生まれました。まーー、子ども育つのは早いですねーー 母教会の上郡福音教会礼拝奉仕中... 母教会の上郡福音教会礼拝奉仕中。http://www.geocities.jp/kamigori_ec/もうアドベントで、ツリーが。。。とても恵まれたひと時となりました。どういうわけか、駆けつけてくださった方との写真が見当たりません。。。。がっくし。。。 もと留学生Nちゃんが、もってき... もと留学生Nちゃんが、もってきてくれたポインセチア。立派できれいです。しばらくの間、泊めて頂いているお部屋で楽しみました。 アメリカへ立つ前に、最後の見送... アメリカへ立つ前に、最後の見送りに来てくださいました。。。みなさんありがとうございました。 関西から東京に向かう新幹線の中... 関西から東京に向かう新幹線の中で、きれいに見えた富士山!! やはり、美しいですね!! 日本一の山だけあります。 またまた、セルフィー。こちらは... またまた、セルフィー。こちらは、インターネットを通してやり取りしているかたですーー。初めて実際にお会いできて、嬉しかったです。 最後の最後に成田で、もと留学生... 最後の最後に成田で、もと留学生のTさんと。。。仕事がとても忙しいようです。。。。でも、神様の祝福の中歩まれているようで。感謝、感謝!!!!
2015年12月5日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/z739HXWzZUw

ヨハネ5:1-17 The Healing at the Pool on the Sabbath

1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。 2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。 3 その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。 6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」 7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」 8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」 9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。 10 そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」11 しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け。』と言われたのです。」 12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け。』と言った人はだれだ。」 13 しかし、いやされた人は、それがだれであるか知らなかった。人が大ぜいそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。 14 その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」 15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。 16 このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。 17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」

今日は、ヨハネの福音書七つのしるしのうちの第三のしるしを見て行きたいと思います。

★ いやしを求めてベテスダへ v1-5

   時は、ユダヤ人の祭りのとき。みんな、こぞってエルサレムへ行きます。羊の門のところにベテスダという池があり、天使たちが水をかき回したときに水に入れば癒されるとされていました。そして多くの人たちが癒しを求めて集まってきていました。

★ イエスさまとの出会い v6

イエス様の目がこの男に留まる。この男は、ほぼ四十年の長い間やんでいました。
もう長いことを知って。。。。イエス様は、他に大勢いる誰にはなしかけるのではなく、この男に話しかけたのだった。そして、もうこの病が長いことを知ってくださっていた。
私たちが、試練の中にいるとき、孤独を感じる。他の人には理解できない辛さがある。みんなは私よりましに見えるし、みんなは私より恵まれているように見えてくる。
しかし、覚えていただきたいのは、そんなあなたにイエス様の目が留まっていること。イエス様は、理解してくれ、あなたの痛みを知っていてくださるということ。

★ よくなりたいか?

イエス様は、この男に声をかけられる。「よくなりたいか」と。
なんとも、当たり前の質問だ。ベテスダまで来て、癒しを求めているのだから。。。
しかし、イエス様は、この言葉をこの男にかけなければならなかった。
男の口からついて出た言葉は、こうだった。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
なんと苦々しい言葉でしょうか。
不満がたまり、心に傷となり、その辛さでがんじがらめになっていたのです。自己憐憫とは、このように人を不自由にするのです。
私は、孤独だ、私を助けてくれる人なんていない。いつも強いものが私を押しのけて私をふんずけて幸せをつかんでいくのだ。。。と。
イエス様は、この人のこの苦々しい思いを吐き出させる必要を感じていました。
みなさん、心に重荷がある時、それを口に出せたらすっきりしますね。
だから、何でも話せる心の友は大切なものです。
しかし、心の癒しのセミナーでもよく話しますが、人間に話しては、すっきりはするものの、癒しは来ないのです。
けれども、神にその苦しみや思いを話す時に、私たちのうちがわに心の癒し、感情の癒しがやってきます。
この男は、身体よりも、心を癒されなければならなかったのです。

★ とこを取って歩きなさい。

イエス様の言葉の通りに、この男は、床を上げて、歩き出しました。癒されたのです。

★ もう罪を犯してはなりません。 V14

聖書の言語ギリシャ語では、癒しは、Sozo と言う言葉を使いますが
これには、救い、癒し、解放という意味があります。というのも、アダムとエバが罪を犯してから、死と病が入ったので、罪の問題が解決するなら死の問題も解決するからです。
イエス様は、癒しを受けたこの男に再びあい、もう罪を犯さないように、と話されました。これは、完全な癒し、救いと解放の宣言でもあります。
もう自由になったのだから、生まれ変わって、新しい生き方をしなさい、ということなのです。

★ それは、安息日だった  v16-17

イエス様が、癒しを行なわれ、またこの病人の男が床を上げたのが安息日だったので、これが宗教界では大問題になりました。そして、イエス様は迫害されることとなりました。
しかし、そもそも、安息日は、神のためにあるのです。神のために心を沈め、神の前に養われる日です。それを含めた休みです。しかし、宗教の枠にとらわれた人たちは、何もしてはいけない、仕事をしてはいけないということで、過剰な解釈をしていたのです。

イエス様のこのみ業は、何をあらわすでしょうか。安息日の癒しにより、
宗教の枠にとらわれない、天のみ父の時に、み父のなさっていることを地上で行なう時代が来る。枠にとらわれない自由な神と人との協力による働きの時代が来るのだというサインとなりました。
イエス様は、彼らにこのように言われています。

「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」と。

今日のお話しに見る、神様のしるし、私たちのメッセージは、
キリストによって、身体だけではなく、私たちの心も癒されることと、
宗教の枠にとらわれない、父なる神と繋がった奉仕が始まるということではないでしょうか。

あなたに、資格がなくても、神のこころとあなたの心が一致していれば、メッセージを語り、人々を癒しに導き、救いに導いたらいいのです。神様との愛の関係があるものたちが、宗教の枠にとらわれずに、ミニストリーする時代が来ているのです。

私たちは、キリストによって新しい時代に生きています。ますます、神様と繋がって、神様の働きをしていこうではありませんか。



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ノドグロ

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初めて ノドグロなる美味しいお魚を頂きました。

鯛のようで、あっさりしていました。

今回の日本訪問は、一年半ぶりでしたが、

どこに行っても手厚くもてなしていただいて、感謝でいっぱいです。

また、どんな人々とあったか、写真をアップしようと思います。

涙あり、笑いあり、大変祝福されました。

つづく

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京都はいいですね

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京都はいいですね
京都におばがいるので訪問。

おじが今年亡くなり、寂しいのでは、と思いました。

おばは張り切ってよくもてなしてくれました。

大ヒットは

おばんざいバイキング。

お上品で、京野菜の美味しいこと。。。

はあー。。なんだか、アメリカに帰りたくないような。。。。

食べ物の力は凄いですね。

(笑)




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美味しい駅弁

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美味しい駅弁
新幹線での移動が多い私たち。。。

憧れの贅沢。

駅弁の食べ比べ。

私は、鶏飯に一票。

主人は、牛めしにですねー。

もう一つは、豪華な海の幸ちらし寿司でした。ウニに火が通ってるのが、主人が残念がってました。

東京駅、祭りで購入しました。

皆さんのおすすめは?



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日本 美味しいものシリーズ

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日本 美味しいものシリーズ
日本に来ています。

いろいろなものが美味しいです。

写真は携帯からでは一枚しかアップできないみたいですね。。。。

京都は美味しいものがいっぱい。特にお抹茶は美味です。

滞在のはじめは、夏のように私には暑く、パジャマ用に持って来ていた半袖のテイーシャツが大活躍しました。

ここ三日くらいは急に寒くなり、エリックはとうとうユニクロでジャケットを購入しました。

もうすぐ帰国。非日常の日本から、日常のアメリカへ。。。

おっと、そろそろ授業の準備しなくっちゃ。。。。



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日本にいます

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皆さん

こんにちは

今、日本訪問中です。

とても良い時を過ごしていますが、忙しいのとwifiが無くて、なかなかアップできません。

コメントのお返事出来なくてごめんなさいーーー

ファルコンさん、嬉しいですが、私の誕生日12/14 なんですよー

でもありがとうございましたーー

また帰国後写真投稿しまーす



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神の言葉の力 (第二のしるし)The Power of God's Word

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昨日は、お友達のベイビーシャワ... 昨日は、お友達のベイビーシャワーに行きました。赤ちゃんが生まれる前に、みなさんでプレゼントを持って集まります。普通は押し目でケーキをつくって飾るんですが、ここは、おしめでバイクをつくっちゃってる!!!! すごい技!!!! びっくりして写真をとりました。もう少し違うアングルでとったらもっとすごさが分かったかも。。。。 子どもたちがつくっているのは、... 子どもたちがつくっているのは、生まれてくる子のためにみんなで手作りのアルファベット積み木です。無地の木にみんなが思い思いにローマ字を書いたり、絵を描いたりしています。
いいアイディアですねーーー! いい思い出にもなりますね。
2015年11月15日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/NAQevYdMLYo

ヨハネ4:46-54

46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。 47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。息子が死にかかっていたからである。 48 そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」 49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」
50 イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。 51 彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。 52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、「きのう、第七時に熱がひきました」と言った。 53 それで父親は、イエスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。 54 イエスはユダヤを去ってガリラヤに入られてから、またこのことを第二のしるしとして行われたのである。

★しるし

今週は、先週に続いて、ヨハネの福音書の七つのしるしの第二のしるしを見て行きたいと思います。しるしは、看板のようなものです。その看板を見たら、どんな店だかわかるのと同じですね。このしるしを通して、イエス様はどんなメッセージを私たちに与えようとしておられるのでしょうか。

★見ないと信じない

イエス様のうわさを聞きつけた、王室の役人が助けを求めてやってきました。病気の息子が死にそうだったのです。
私たちも、絶体絶命のような危機が人生のうちには起こってきます。どんな人にも試練や苦しみはあります。この役人は、その困難をイエス様に何とかしてもらおうとしてきました。
そこで、イエス様は、言われました。

48 そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」Then Jesus said to him, “Unless you people see signs and wonders, you will by no means believe.”

あなたは、奇跡を見たいと思っている。奇跡が起きないなら、あなたは信じなのだ、と言われた。
これはどういうことでしょうか。私たち人間が陥り易いあやまちではないでしょうか。
私たちには、みな苦しみや解決したい問題があります。そして、その解決を目指して、何かを信仰します。とすれば、信仰の目当ては、問題の解決です。これは、日本語ではご利益信仰といいます。結局のところ、実際自分の神になっているは、問題の解決、ご利益なのです。それを偶像礼拝といいます。天地万物と私を創造された神を信じるのではなく、私の目的を達成するために神を使うということです。私が神を動かす立場になるのです。考えてみればこれは、深い罪ですね。
神様、神様と言っていても偶像礼拝の罪に陥ることだって実はあるのです。私も、これに気がつくまで随分時間がかかりました。ともすると、偶像礼拝に陥りそうな時があります。
それは、いつも問題が起きたときや、どうしても達成したい目標がある時です。
では、神様が意図している信仰とは、どういうものでしょうか。

★見ないで信じる真の信仰

イエス様は、粘り強く、自分の家まで来て息子を癒してくれという役人にこう答えられました。

V50イエスは彼に言われた。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。Jesus said to him, “Go your way; your son lives.” So the man believed the word that Jesus spoke to him, and he went his way.

この王室の役人は、ねばってみたが、もう癒されているから帰りなさいと言われ、その言葉を信じて帰るしかなくなりました。いわば、イエス様が信じざるを得ない状況をつくって下さった。行動は、信仰の現われです。私たちは、信じてないことを行なうことはありません。心にあることが行動にでるのです。役人は、歩き出しました。
信仰について、聖書に次のような言葉があります。

ヘブル11:1, 6

v1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
V6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

目に見えないものを確信させるものである、と書かれてあります。
見えてないのは、あなたの目標、問題の解決でしょうか。それても神様でしょうか。
また、神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならない、と。
神は、神ご自身を求め神ご自身を信じるものに必ず報いてくださいます。
献身、結婚相手の私の例)
神が良い方で、きっと神を信じている私に報いて下さると信じることが出来ないから、いつまでも不安だった。自分が思った時に起きない、時が遅れているから、もうこの願いはかなわないのではないかと思ってしまう。これは、信仰の反対、恐れです。
信仰は、見ることから来るべきではなければ、どこから来るのでしょうか。

★信仰は、聞くことから始まる 

聖書の箇所に次のような言葉があります。

ロマ10:17
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。 So faith comes from hearing, and hearing by the word of Christ.

信仰は、聞くことから始まるというのです。

現に、現在の私たちは、キリストの十字架を肉眼で見たわけでもなく、キリストに実際にお会いしたわけでもありません。キリストの話しや、人々の証し・体験談を聞くことろからみんな始まったのです。
ヨハネの福音書の七つのしるしのうち、第二のしるしは、①聞いて信じる人たちが将来たくさん現れるというしるしではないでしょうか。これが神様のメッセージです。
また、もう一つ、 

②神の言葉は、距離や時間を越えて働く力があるというしるし。

イエス様がもう癒されてるといわれた時に癒しが起こっていたのです。役人がイエス差の言葉を受けて、帰り始めたときに癒されたのです。神の言葉には、力があります。それは、時間も距離も問題ではありません。現に二千年も前の、しかもイスラエルという遠い国の出来事を聞いて、世界中の多くの人がイエス様を信じて救われているのです。

★神の御言葉に必要なことは

ただ一つ、神の言葉の力には、受け手が必要なのです。
それは、み言葉に耳を傾ける人です。み言葉を聞いている人なら、世の中にたくさんいるでしょう。しかし、どれほどの人が注意深く耳を傾け、心にそのみ言葉を入れていることでしょうか。
心にみ言葉を入れたと分かるのは、あなたの行動が変わったときです。ちょうど、この役人が家の方向に歩き始めたときに癒しが起こったように。み言葉を自分の物にするには、その通りに行動することです。

★神の言葉の力

神の言葉の力をアンロックし、アクティベイトするものがある。それは、受け皿。受け手。受けての信仰です。
神の言葉には力があるが、私たちが受け取らなければ、その言葉は私たちのものになりません。実現しないのです。
毎日、神の御言葉をきき、心に信じそして行ないましょう。きっと、奇跡を体験するはずです。

bo
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自然と超自然の結婚Marriage of Natural and Spiritu

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シアトルの名所、パイクプレイス... シアトルの名所、パイクプレイスマーケットにあるポストアレーの通り一面に貼り付けられたチューインガム。。。このガムの通りを見たくて来る人たちも多いのですが、今週市が取り除くことに決めたそうです。 私は、個人的に、誰かがかんだガ... 私は、個人的に、誰かがかんだガムの山を見るのは好きではなかったです。。。気持ち悪いですよねぇ。。。無くなるのはうれしいです。
まだまだいろいろあるシアトルです。ぜひ、みなさんもお越しください。。。。
2015年11月8日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/qfNpg7yk8Zc

ヨハネ2:1-11

それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」 5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」 6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。 7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。 8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。 9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、・・しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。・・彼は、花婿を呼んで、 10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」 11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

今週は、ヨハネの福音書から学びたいと思います。福音書と呼ばれるものには、マタイ、マルコ、ルカヨハネとあります。ヨハネは取り分け、前の三つの上に付け足す形でかかれました。また霊的な書物とも言われています。この書のテーマは、「イエスが神の子キリストであること」であり、目的は、人々がいのちを得るためであると20:31にあります。ヨハネの福音書には、七つのしるしが書かれてあります。
しるし、というのは、何かを指し示すものですね。看板、サインと言う意味もあります。ヨハネは七つのしるしを記しています。今日は、その第一のしるしを見てみましょう。

★ それから三日目

いったいどこからの三日目なのでしょうか。。。ある人は、日曜日から数えて三日目と解釈したり、この出来事からの3日の後のそのまた3日目だから、6日目とかいう人もいます。
ヨハネの福音書は、霊的な書とするならば、預言的に読んでみるならば、
三日目ということは、何を表しているでしょうか。
Third Day というクリスチャンアーティストがアメリカにはいますが、
そうですね、イエス様の復活を暗示する言葉でもありますね。
イエス様のこのカナの婚礼でのしるしは、イエス様の復活が私たちに何をもたらすかを教え示しているのではないでしょうか。

★ ワインが無くなった

3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」 5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」3 And when they ran out of wine, the mother of Jesus said to Him, “They have no wine.” 4 Jesus said to her, “Woman, what does your concern have to do with Me? My hour has not yet come.” 5 His mother said to the servants, “Whatever He says to you, do it.”

イエス様が招かれたのは、随分身近な人の婚礼だったようです。イエス様のお母さんのマリヤが裏方を担当していたようです。婚礼の最中にワインが無くなりました。ワインが無くなったら大変です。せっかくのお祝いの席が台無しになってしまいます。
そこで、マリヤはイエス様に何とかするように言ってきました。
イエス様は、。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」“Woman, what does your concern have to do with Me? My hour has not yet come”
と答えられます。ここを読んでどういうことだろう? と首をかしげる人もいるのではないでしょうか。イエス様は、公生涯、ミニストリーの生活に入っていました。もはや、マリヤの子というよりも、神様の御用をしてる人の立場になっていたのです。私も、牧師になって初めのころ、母が私にあれこれとくっついて来て、私は今神様の御用をしているから、また後でといわなければならない場面もたくさんありました。イエス様の時間も、父なる神様の御用、父なる神様のタイミングで何かをするということになっていたのです。人の指図ではなく神様の時にするように。ですから、母親に対して一線を引くような発言となったのです。。。。そして、イエス様の言う、「わたしの時はまだ来ていません。」は、十字架の死と葬りと昇天を意味しています。贖いの業です。
今は、その時ではないが、その時を指し示す、しるしをしてくださいました。

イエス様の母は、手伝いの人たちに、「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」“Whatever He says to you, do it.” と、言い渡します。きっと、何かが起こると確信したのでしょう。

★ 水がワインに

6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。 7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。 8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。6 Now there were set there six waterpots of stone, according to the manner of purification of the Jews, containing twenty or thirty gallons apiece. 7 Jesus said to them, “Fill the waterpots with water.” And they filled them up to the brim. 8 And He said to them, “Draw some out now, and take it to the master of the feast.” And they took it.

イエス様は、六つのかめに水を汲むように言われました。
聖書の世界の「六つ」という数字は、人間の不完全性を表す数字です。そのかめは大きいもので、日ごろ汚れた手や、食器などをあらうために水がためられていました。
イエス様は、その水がめに水を満たすように言われました。
そして、今汲みなさいと、水がめからくみ出させ、宴会に持っていきました。
それは、ワインになっていました。

水がめは、あなたです。私たちは、不完全な人間たちの象徴です。肉なるものです。水は、自然界のものです。
しかし、イエス様が今と言うときに、くみ出すときにワインとなったのです。
私たちは、私たちの内に良いものがないと思うかもしれません、しかし、主のときに、主に従って内から外に出す時に素晴らしい奇跡となって、良質のワインになるのです。私たちの内側に、奇跡の可能性が秘められていることを忘れてはいけません。

イエス様の長年の夢は、私たちと一つになることでした。イエス様は、建物、神殿に住むことよりも、私の中に住むことを選ばれました。あなたの中にもう、イエス様がいるのです。あなたはすでに、奇跡です。奇跡をイエス様とともにつくることが出来る存在となっています。
あなたがするべきことは、イエス様の時に、くみ出すだけです。

★ 喜び

ワインは、喜びを意味しています。
いつの時代も、喜びを求めて人は、生きています。
ちょうど、このカナの婚礼のように、喜びが無くなった、喜びはどこにあるのか、もっと喜びをというような人々の叫びが聞こえてくるようです。
イエス様にあっては、喜びは、あなたのから湧き上がるようになる。
たとえ、あなたが、そのかめを
そして、かめの水を汲みだしたように、あなたの中から出たときに、それは、人々を満足させるワインのようにものになるのです。
このワインは、コミュニティを満足させることができました。

★ 自然と超自然の結婚

イエス様にあっては、日常の水もワインに変わる。私たちの肉の世界と神の霊の世界が一体化することができるという時代が始まったのです。
それは、三日目に象徴される、イエス様の復活によって不動のものになりました。

私と天国の隔たりが無くなったのです。私たちが、自然界ですることが超自然になることができるのです。イエス様にあって。

★ 鍵は、従うこと
イエス様の声に従うこと。。。あの方が言われることを何でも
それから、イエス様の時に従うこと。


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光の子の生き方 As a bride of Christ

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教会のオフィスからの眺め。。ど... 教会のオフィスからの眺め。。どんより、冬です。今日はすっかり寒くなりました。雨もたくさん降っています。シアトルの長い冬が始まりました。。。。
2015年11月1日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/0xTMrzR_DiQ

Ⅰテサロニケ5:12-23

兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。13 その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。19 御霊を消してはなりません。20 預言をないがしろにしてはいけません。21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。22 悪はどんな悪でも避けなさい。23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

テサロニケへの手紙第一のテーマは、「主の再臨」です。イエス様は、一度世を救うためにこの世に来られました。それが、イエス・キリストの誕生ですね。十字架にかけられ死んで葬られ、3日目によみがえられ、そして、40日の間人々に現れ、天に帰られました。そして、もう一度来ると約束なさいました。

★主の日とは

一番初めに来られた時は、人々の救いのために来られましたが、今度いらっしゃる時には、最終審判に来られます。主を信じて主にしたがっている者は、天国へ、主を受け取らなかった人は、地獄へ。。。と分けられるのです。
このテサロニケでは、性的不品行なども横行し、神にあって聖く生きることを再度注意され、教えられなければなりませんでした。
主の日は、聖書の他の箇所にも書いてあるとおりに、盗人のように、こっそりやって来る。誰もそれがいつか分からない。だからこそ、主がいつ来られてもいいように、毎日、聖く正しく生きなさいというメッセージが文脈にあります。そして、テサロニケの教会にどう生きるべきかとパウロは教えているのです。

◎ 主の日に大切なこと。主を心に受け入れていること。光の子となっていること。

 主の日は、いつかやってきます。テサロニケの教会へは、あなたはすでに光の子なのだから、恐れることはないと言っています。
みなさんは、どうでしょうか。神の子、光の子とされているでしょうか?  イエス・キリストを信じるものは、誰でも救われる。どんな罪人でも、天国にいけるのです。もし、まだイエス様を心に受けいけていない場合は、心にお迎えしましょう。

★すでに光の子となっている者たち(教会)への勧め

そして、パウロは、続けてます。5章12節に、あなたがたにお願いします。And we urge you, brethren  と。教会全体に向かって話しています。教会は、キリストの身体であり、やがて来られるキリストの花嫁です。主の日、いわば、キリストと教会の天の婚姻のために、教会は整えられていなければならないわけです。
23節にこの一連の教えのまとめとして、このように書いてあります。

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。Now may the God of peace Himself sanctify you completely; and may your whole spirit, soul, and body be preserved blameless at the coming of our Lord Jesus Christ.

★あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

 教会は、建物ではありません。人の集まりです。あなたこそが、教会であり、キリストの花嫁です。また、教会は、召しだされたものたちの共同体です。あなた一人ではなく、兄弟姉妹と共に一つの身体なのです。ですから、今話すことは、自分自身にも当てはまりますし、教会全体としても当てはまることを覚えておいてください。

 ◎教会の身体のために 

 V13・リーダーを敬う
 V14・互いに戒め、励ます 相互牧会
 V15・悪に悪で報いず、いつも善を行なう

  敵、悪魔、悪霊には戦略があります。彼らは、効率よくキリストの身体を壊そうとします。そして、一番嫌うのは、一致です。一致には、悪魔の入り込む余地がないからです。そして、いつもリーダーを狙ってきます。リーダーを疲れさせ、リーダーの時間を奪おうとし、霊的な奉仕から遠ざけようとしてきます。また、弱い信徒たちの心に疑いの種を入れたり、悪口を入れたりして、教会をばらばらにしようとしてきます。

だから、パウロは、リーダーを敬いなさい。指導や訓戒をしている人を認めなさいと言います。なぜなら、指導や訓戒をしない牧師は本当の羊飼いではなく。愛がないからです。牧師も人間ですから、いやなことを言わないで済むなら、それに越したことはありません。なぜ、指導するのか。それは、群れを成長させるためです。
また、信徒たちも、互いに戒めあい、間違っていることは、違ってますよと教え、そして、互いにゆるし合うようにと勧めています。
人間の集まりですから、矯正なしには、本当の意味の一致はできないのです。これが、身体がばらばらにならない秘訣です。

◎教会のたましいのために
 教会は生きています。絶えず、神様の霊が流れています。ピリピ満ち満ちている

V16・いつも喜び
V17・絶えず祈り
V18・すべてのことを感謝

クリスチャンの第一の特徴は、喜びです。また良く話しますが、私たちの真の報酬は、喜びです。キリストにあって、v18 と書いてあるように、キリストにある私たちには喜びがいつもあります。

先日、またカウンセリングをしていましたが、その方が、一つ一つ神様に解放していただいて、一番顕著な変化は、喜びが心の底からわきあがるということでした。嬉しさがとまらないのです。
罪を悔い改め、イエス・キリストとの正しい関係に自分を置く時に、喜びが溢れてくるのです。

光の子に対して、悪魔、悪霊は、限られたことしかできません。彼らは、私たちの人生を奪ったり変えたりすることができません。私たちがそうしない限り。。。ただ、彼らは、私たちを脅したり、恐れさせたりして、私たちの頭の中を不安にしてきます。そして、そのことについて考えさせ、私たちの時間を取ります。彼らは、そうして、私たちに喜びを保たせないようにしてくるのです。

私たちは、いつも心に平安があるか確認しましょう。

そして、喜びと平安を保つこつは、絶えず祈ること、そして、感謝をすることです。祈りは、私たちに平安を与え、感謝は、私たちに喜びを復興させます。

◎教会の霊のために

V19・御霊を消してはなりません 
V20・預言をないがしろにしない
V21・悪はどんな悪でもさける

霊と言うのは、燃えている火のようです。ふっとしたことで消えてしまいます。そして、消えてしまったら、次ぎに火をつけるが難しいのです。

私が救われて、半年して、聖霊のバプテスマを受け喜びにあふれ、いつも主を証しし、賛美していました。預言の言葉も神様からたくさんもらい、陰でその言葉に基づいてとりなして祈っていました。燃えていました。しかし、ある時、心無い先輩クリスチャンに、「証ししすぎ、やめなさい」と言われました。先輩にいわれたのですから、私は不安になって、自分が間違っていたのかと一瞬戸惑いました。その時に、恐れが心にふっと入りました。それから、預言の言葉がぴたりとやみました。
また他の人にも同じようなことを見たことがあります。

恐れとは、違うことばでいえば、聖霊様の働きに対する疑いのようなもの。それが入るとその働きは、消えてしまうのです。聖書は、消してはなりませんと言っています。

また、もう一つ、聖霊様は、聖い霊です。聖い所を好まれます。少しでも悪があるなら、神の霊にとっては、いごこちが悪いのです。

以前、悪魔礼拝をしていてあらゆるウィチクラフトをしていた人が、救われて牧師になったという証しをききました。。その人が言うには、悪魔の入り口は、目、口、耳だそうです。だから、悪いことを口にしないように、見ないように、聞かないようにしないといけないと。。パウロが言っているとおり、悪は、どんな悪でも避けるという態度が必要ですね。そして、その人は、昔、いつも、クリスチャンたちにのろいをかけるために出て行くが、霊で祈っている人には呪いがかからなかったそうです。

霊で祈ること、霊が養われていることは、最大の防御です。霊を養うには、神様の臨在に浸ること、神様の声を聞くこと、神の霊に触れることによって養われます。

光の子であるからこそ、霊・たましい・身体全てを大切に守り、神様に仕え、イエス様が再びこられるその時まで、キリストの花嫁として整えられながら歩んで生きたいものです。

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あなたは神からのしるし You are God's Sign

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先日のパンプキンの会のお話しタ... 先日のパンプキンの会のお話しタイムの様子。子どもたちも学生たちもよく聞いてくれました。。。。。

写真は、パンプキンくんの心の中がきれいに掃除されたようすです。。。
2015年10月25日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/wpFS5WHLQFE

エゼキエル24:15-27

15 次のような主のことばが私にあった。
16 「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。17 声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」18 その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。19 すると、民は私に尋ねた。「あなたがしていることは、私たちにとってどんな意味があるのか、説明してくれませんか。」20 そこで、私は彼らに答えた。「次のような主のことばが私にあった。
21 『神である主がこう仰せられるとイスラエルの家に言え。見よ。わたしは、あなたがたの力の誇りであり、あなたがたが愛し、心に慕っているわたしの聖所を、汚す。あなたがたが見捨てた息子や娘たちは剣で倒される。22 あなたがたはわたしがするようにすることになる。あなたがたは自分の口ひげをおおわず、人々からのパンを食べなくなる。23 頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはき、嘆いたり泣いたりしないようになる。ただ、自分たちの咎のために朽ち果て、互いに嘆き合うようになる。
24 エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。
25 人の子よ。わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日、26 その日、のがれた者が、この知らせを告げにあなたのもとにやって来る。27 その日、あなたはのがれて来た者に口を開いて言え。もう黙っていてはならない。あなたが彼らのしるしとなるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。』」


今週も引き続き、エゼキエル書を読んでいますが、4章から24章までエルサレム滅亡の預言がされてきました。そして、今日読んだ24章でその預言は終わります。24章の最後は、エルサレム滅亡の予告と宣言という形になってしまいました。
この章のはじめに語られている通り、そのたとえによっても、こびりついて取れない錆のようなイスラエルの罪でした。とうとう、エルサレムは滅亡します。
ちょうど、エルサレムが滅亡しようとしているその時に、神様は、エゼキエルに告知します。もう、さびがどんなにしても取れないから、いっそのこと全て鍋ごととかすと言われた神様の言葉があったあと、最後の言葉になります。

★ ことの重大さを一人ひとり噛み締めるべき

エゼキエル24:16

16 「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。17 声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」“Son of man, behold, I take away from you the desire of your eyes with one stroke; yet you shall neither mourn nor weep, nor shall your tears run down.

・わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。… エルサレム滅亡の預言はされていたが、ずっと語られていたが、まさに、一打ち、一瞬のうちにそれが起きる。エルサレムは、イスラエル人にとってはアイデンティティに関わるほど、愛する町、神のいる町、象徴的な町でした。

・嘆くな。泣くな。涙を流すな。声を立てずに悲しめ。死んだ者のために喪に服すな。… ユダヤの世界では、泣き屋がいるほど、お葬式では、盛大に泣いて、家族を慰め、悲しみを表現するのが習慣でした。しかし、誰にとっても、エルサレムは、愛する者。お葬式をしたところで、ユダヤ人全員が喪主となるわけです。神様は、声を出さずに一人で悲しみを噛み締めるように言われました。

・頭に布を巻きつけ、足にサンダルを履け。口ひげを覆ってはならない。…よく聖書の中で悲しみの最大の表現として、また悲しみや喪に服する人の表現として、灰を頭からかぶったり、するな。サンダルを放り出して嘆くのではなく、そのまま履いていなさい。そして口ひげは、尊厳の象徴ですが、それを覆うことは、不名誉のしるしであったが、それもしてはいけない。ありのままの、自分、開かれている時に、悔い改めなかった日常のままの姿で、悲しみなさいと言われているのです。

・人々からのパンを食べてはならない。… お葬式では、食べ物がでますが、そのようなことをするな。と言うのです。

悲しみを慰められたりするなと言うのです。

★ エゼキエルの妻の死

預言者エゼキエルは、先の言葉を朝、民に語った後、その日の夕方、なんと自分の大切な妻が死んでしまいます。エゼキエルは、神様が言われた通りのことを自らしました。
灰をかぶったりせず、泣き叫ばず、しずかに、悲しみを噛み締めます。
エゼキエルのその姿は、イスラエルの人々の中で非常に目立ちました。そんなことは、普通はしないからです。不思議がった民は、どうしてそんなことをしているのか、説明してくれと言いに来ます。

そして、エゼキエルは説明しました。

21 『神である主がこう仰せられるとイスラエルの家に言え。見よ。わたしは、あなたがたの力の誇りであり、あなたがたが愛し、心に慕っているわたしの聖所を、汚す。あなたがたが見捨てた息子や娘たちは剣で倒される。22 あなたがたはわたしがするようにすることになる。あなたがたは自分の口ひげをおおわず、人々からのパンを食べなくなる。23 頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはき、嘆いたり泣いたりしないようになる。ただ、自分たちの咎のために朽ち果て、互いに嘆き合うようになる。
24 エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。

★ エゼキエルがイスラエルの民のしるしとなる

神様は、この通常の喪に服さないことについて、二つのことをおっしゃっています。

①  ただ、自分たちのとがのために、朽ち果て、互いに嘆きあうようになる。

通常のように、大切な人を失った人を慰める代わりに、みなが失ったのだから、それぞれがことの重大さと、自分の罪の重さに向き合わなければならない。と言うことでした。

私たちは、新約の時代に生きていますから、恵みのメッセージがもちろん一番語られます。神様の赦しは、ただである。十字架で私たちの罪の身代わりとなってくれた、イエス様を信じるその信仰だけで、私たちは、救われる。。。というメッセージです。
しかし、よく注意していただきたいことがあります。
この福音は、簡単なように聞こえますし、救いはいともた易いものに聞こえるかもしれません。

しかし、十字架につけられたイエスを信じるということは、真心からの信仰でなければならないのです。どのようにして、真心からの信仰にいたるのでしょうか。
ことの重大さに気がついていることが大切です。

自分の罪の重さ。自分のどうしようもなさを認めていなければ、真心からの信仰には至りません。

また、真心からの信仰の実は、真の悔い改めに根ざしているものです。

ことの重大さに気がついている人は、もう、その罪から金輪際離れたいと思うものです。そう思うからこそ、神様の前に悔い改めるのです。
ただ、口先だけで、後悔したり、ごめんなさいと言うだけのものではありません。
180度、態度を変えるものです。

神様は、いくら前もって警告しても、悔い改めなかった民に、愛するエルサレムをいよいよ失ってから、ことの重大さに、自分の責任で向かうことを促されたのです。

私も、心の癒しのカウンセリングをしますが、本当に行き詰まってどうしようもない人しか、カウンセリングしないようにしています。。なぜなら、行き詰まりを感じていない人は、自分が変わらなければならないとは、自覚していないので、何時間も時間を掛けて、話を聞いて、導こうとしても、良い方向に向かうために、何も行動を起こさないからです。行動に移すことが大切です。
しかし、もうこれ以上生きていけないというほどに悩んでいる人は、すぐに変わります。そして、神様の教えをしっかり受け取り従います。

エルサレム滅亡は、悲しい悲しい出来事ですが、本当の意味で、民の態度を変えられる一番最後の時であったのです。

② エゼキエルは、民のしるしとなる。

不思議なことがおきました。それは、神の人、預言者エゼキエルの妻の死です。
エゼキエルは、迷うことなく、イスラエルの民に語られた預言のとおりに自分も行ないます。
神のメッセンジャーである、預言者は、しばしば、生きている神のメッセージとなります。エレミヤもそうですし、ホセアもそうです。神様にこれをせよといわれたことをしますが、必ずしも、自分の頭で理解できないこともあります。
神が召された人たちは、全世界への神の生きた手紙なのです。その手紙であるあなたを見たら、神のメッセージが分かるのです。
時に、エゼキエルの通ったような、辛い体験をすることがあります。

みなさんも、神に選ばれた、神のメッセンジャーです。新約に生きる私たちは、キリストがわたしちの内に住んであられるのですから、私たちは、生きながらにして神のメッセージを日々運んでいるのです。

皆さん方の人生の中でも、どうして、こんなに辛いことが起きるのだろうかと思うことはありませんか?
どうして、他の人には、自然にできるようなことでも、私には難しいのだろうかとか。

私にもあるのです。
そして、この箇所を読んだときに、神様が語られました。
「あなたを人々のしるしとしている。」と。
悲しんだのは、民だけでしようか。エゼキエルだけでしょうか? エルサレム滅亡のために一番悲しんでいるのは、神ご自身ではないでしょうか。

神様は、その友に、悲しみや辛さ、感情を分かち合われることがあります。アブラハムを見てください。彼は、約束の子イサクをささげるように言われ、本当に手を下そうとしました。我々の神様は、まさに、それをされた方ではないでしようか。神様は、ご自分の一人子イエス・キリストを手放さなければならなかったのです。
その辛さをその友、アブラハムと分かち合ったのです。
アブラハムは、また、民のしるしとなりました。主の山には備えがある。主は、贖いを具えてくださるという証し、しるしとなったのです。

私たちの中で、苦しんでいる方、悩んでいる方がいたら、祈りましょう。
神様が、あなたが、その苦しみを神様にあって正しくとおり、回復していくことを人々へのしるしとされます。
メッセージとされます。あなたの人生を、神様からの生きたメッセージとされるのです。

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