もうすぐ帰国につき、奏楽が今日で最後となった、Mちゃん。。。最後に、ワーシップリーダーとピース! 今まで、ありがとう!
最近のかわいいちゃんは、「写真とる」「写真とる」と言って、私の携帯で、セルフィーを撮ることが流行です。しかも、取った後に、「見る」「見る」と、ちゃんと写っているかチェックします。さすが、女の子!!! 今週二歳になりました。かわいい。。。。。。
2015年8月23日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/dPNd4EsMqmQ
エペソ6:10-20
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。20 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。
★神の武具について 守りと攻撃
V11 悪魔の策略に対して立ち向かうために。。。悪魔は、策略を持っています。相手はあなたのことを良く知っていて、どこを攻撃すればいいのかちゃんと知っています。私たちが武具をつける場所は、私たちが守るべきところなのです。私たちは、敵の策略を知って立ち向かうべきです。
◎守り v14-17
・腰には真理の帯…
腰は、全ての動きの要です。またしっかりと腰が安定していければ、戦えません。腰に巻くべきは、真理の帯です。私たちが、物事を判別するときは、必ず真理を軸にしなければなりません。世の考えではありません。
真理を自分の物にするには、私たちのマインドの変革が必要。私たちは、聖書の真理よりも、自分の過去の経験や今まで積み上げてきた信念に基づいて生活していることが多い。聖書の言葉を読むときに、自分の古い生き方、考え方から、聖書の真理に変えられる必要がある。それは、知識として知るだけではなく、聖書の言葉に基づいて行動する時に、真理が自分のものとなる。私たちは聖書の真理を自分のものとしているだろうか。
・胸には正義の胸当て…
相手は、心臓めがけて矢を放ってきます。そこには、正義、すなわち、キリストにある義が必要です。キリストによって私は赦された。神の目に義とされているということが私たちの守りです。敵は、いつも、様々なことにつけ私たちに罪悪感をもたせようとします。罪悪感が一番人をコントロールするのに有益です。もっと、あのようにしたらよかったのだろうか。私のせいだろうか。。。という私たちに罪悪感をもたせれば、あいての思うとおりになって行きます。注意してください。
義とは、キリストと私の正しい関係から来ます。あなたが、良い人間になったら義なのではなく。キリストが私のために代価を払ってくださって、私の義になってくれるから、私たちは、義なのです。ただ、このキリストを信じ、自分の至らなさ、罪を悔い改めなければなりません。そうする限り、私たちは、キリストと正しい関係、義の関係をもつことが出来ます。この関係があるなら、あなたは揺るがされることはありません。罪悪感は、もうあなたをコントロールすることはないのです。
・足には平和の福音の備え…
敵が一番恐れているのは、私たちが霊の子どもたちを産み増やすことです。私たちは、いつでも福音のために動けるように足に福音の備えをはくべきです。敵は、あなたが福音を伝えることをやめるように攻撃してきます。
先週このようなことがありました。
私たちの教会の一室でカウンセリングをしておられるエリック・マイルズさんが、急に私の事務所に入ってきました。「今、少し時間ある? 一緒に祈って欲しい人がいるんだけど。。。」と。私は、「もちろんよ。今行きましょう。」と、会堂の方に行きました。そこには、Dさんという男性がいました。彼は、ホームレスとなっていますが、神様を信じている方でした。
きくところによると、Dさんが道を歩いて、エリックさんの事務所を通り過ぎたとき、神様がエリックさんに、「彼の人生には目的がある、いって話しなさい」と言われたそうです。彼は、その声に従って話しかけ、ランチに誘いました。彼らは、昼ごはんを食べながら、人生について話したそうです。そして、Dさんは、今とても辛い状況にあるけれど、神様を信じている、神様の力が必要だというのです。そして、私を含めて3人で祈ることになりました。
祈り始めたとき、天から滝のように神様の愛がこの男性にそそがれました。男性は、咽び泣きました。私たちも泣きました。神様の愛に感動したのです。神様がどんなに彼を喜んでおられるか、彼の信仰を喜んでいるか祈りました。
彼は、全く違う人のようになり、目は透き通り、輝き、そして、泣きながらいいました。「私は、再び、生まれ変わりの体験をしたようだ」と。「私は、希望が持てる。」と。
この一人の人の従順が、この男性の人生を大きく変えることになったのです。
ホームレスであろう人と、ランチに行くなんて普通は考えないものです。しかし、エリックさんの神様の声に従う柔軟さがそれをゆるしたのです。
これこそが、「福音の備えをはく」ことではないでしょうか。足とは、ある方向に向かってわたしたちを運ぶものです。私たちは、神様の声に従って、そちらの方向に動く用意があるでしょうか。
・これらすべてのものの上に、信仰の大盾…
大盾は、敵の火矢を、みな消すことができます。敵の矢はあなたの頭、胸、胴と足をめがけてやってきます。すべての武具の中で、これさえあれば一番助かるという武具です。信仰の大盾とは、神は生きておられ、信頼するあなたを守ってくれていると信じることです。神に全幅の信頼を置くことです。
なんと、信仰というものは、私たちに休みを与えることでしょうか。。。信仰があれば、どこを攻撃されるのだろう、こうしなければ、ああしなければ、という忙しさから解放されるのです。
・救いのかぶと…
先月も言いましたが、戦いは頭の中でおこります。頭を守っているのは救いです。「私は、キリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」I have been crucified with Christ; it is no longer I who live, but Christ lives in me; and the life which I now live in the flesh I live by faith in the Son of God, who loved me and gave Himself for me.ガラテヤ2:20「救い」でいつも頭を覆っているなら守られるのです。
◎攻撃の方法 v17-19
攻撃のためには、三つあります。
① 御霊の与える剣である、神のみことば
② 祈り
③ 福音の奥義を大胆に語る
攻撃のための武器が、実は、主によつて強められる方法と密接に繋がっているのが分かります。神の御ことばに親しむ、祈る、そして、神の素晴らしさを知れば知るほど、私たちは、人々に伝えたくなってくるのものです。。。
ぼ
日曜日は、主人のエリックの誕生日を教会で祝いました。いつもいろいろと犠牲になってくれて、すまん。。。ありがとう!!!!
エリックがキャンドルをふいているのをみて、この二歳のかわいいちゃんは、「あ、おにーさん、ふぅしてる」と、言っていました。大人の男性を全ておにーさんと呼ぶように教育されています。いい気分にさしてくれます。。。。
2015年8月16日日曜日礼拝音声は、http://youtu.be/a-W_L_Hm1ic
エペソ6:10-20
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。19 また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。20 私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。
V12私たちの戦いは、「血肉による戦いではない」、とあります。私たちの生活の中でも、職場や友達、家族などの人間関係や状況で、まるで攻撃されているような、戦いのような感覚をもつことがあります。それは、実際目の前の世界のことだけではなく、実は、霊の世界のことであるのです。
血肉によらないのです。あの人さえいなくなったら。。。と思いますが、あの人がいなくなったとしても解決しないのです。霊的な戦い、背後にいる霊との戦いだからです。
私たちの闘いは、霊の戦い。霊の戦いはどのようにして戦うのだろうか。
神の戦士としての第一歩
★その大能の力によって強められる
私は、最近ボディコンバットクラスに行っています。ボクシング、ムエタイ、空手、ブラジリアンじゅじゅつなどの型を組み入れたエクセサイズです。実際に戦うわけではありませんが、先生は、敵の腰を狙って蹴れとか言います。負けるな、負けるな、Don’t you surrender!! と先生が最後まで励まします。相手を倒すまでやれー! と。。それを聞きながら、神様が教えてくださいました。このように、鍛えていたら、いつどんなことがあっても戦えるのだよ。と。
あきらめない精神力も必要だ。とどめをさすまで戦うのだ。体力も必要だ、技も必要だと改めて思わされました。そして、やっているうちにだんだん、実際何かあった時、素手で戦えるような気がしてきました。。。
みなさん、米軍に入っても同じことです、いきなり、鉄砲を持って戦いの実際の前線に行くわけではありません。まず、体力訓練や、規律命令に従うことを徹底的に鍛えられてからです。エリックは、空軍にいましたし、空軍では、戦闘機に乗っていたわけではなく、グラフィックデザイナーをしていました。しかし、初めの一年??二年?? テキサスでベーストレーニングをしないといけませんでした。
Building confidence 勝てるという確信を強めていく、勝てる精神力・信仰が大切です。
戦いで強かった人といえば、旧約聖書ダビデ王を思い出します。
ダビデは、羊飼いでした。野で、一日を過ごし、羊を守りました。熊や狼が来ても戦い、羊を守りました。ダビデは、必ず神様がともにいてダビデと任された羊を守ってくれると信じていました。
ダビデは、自分を主にあって強めることに長けている人でした。この点で、どんな困難な時も乗り越えることが出来ました。すなわち、神の大能の力によって強められていたのです。
彼は、今日の子どものメッセージのように、詩篇一篇にあるように、神の言葉を口ずさみ、瞑想しました。
また、神を礼拝し、神の臨在の中にすごしました。また竪琴を弾いて神を賛美しました。これが、彼が主にあって強められた方法でした。ですから、ダビデは、巨人ゴリアテを石一つで倒すことができたのです。
今日は、神の武具の第一段階のお話しでした。
皆さんも、神様のベースキャンプに行きましょう。
神様の臨在に浸り、御言葉を黙想し、見えない人を神様の力によって強めていきましょう。。
ぼ
シアトルでは、SeaFair の季節。。連日戦闘機ブルーエンジェルが空でくるくる回ったりする、ショウの練習をしています。しかし、戦闘機っちゅうのは、音がすごいですね。爆音です。礼拝中も何度もゴゴゴーーーと言う音がしました。。。気になる方は、下記のYoutube のリンクからどうぞ。。。
礼拝後、家で預かっている留学生が、前のホストファミリーの家で、ベットバグにたくさん足をかまれてかわいそうで、万が一荷物についてきていたらと、造園屋さんで駆除の薬を買いに。。。。。そこには、カフェや小物屋さん、そして、鯉の池が二つありました! 鯉が立派で、大きい! 感動です。。。。
鯉の池のそばで、コーヒーを飲みながら夕方をまったりすごしました。。。。立派な鯉ちゃんでしょう??
2015年8月2日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/Whs64peT_H4
先週お話しましたマナセ王がユダの国をまた偶像礼拝や他の神々を復活させ、ヒゼキヤ王の改革を台無しにしましたね。。そして、マナセのあと、アモン、そして、ヨシヤが王となります。今日は、このヨシヤのお話しをしたいと思います。
このヨシヤの時代が、今の世の中ととても似ているような気がします。
★神の目にかなう良い王の再来
神様の法則というのは、本当に憐れみ深くできています。マナセは、先祖たちの罪を引き継ぎましたが、ヨシヤは、家系、国に流れている霊的祝福を受け継ぎました。かれは、神の目にかなうことをする王となりました。
Ⅱ列王Kings 22章 1-2
1 ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年間、王であった。彼の母の名はエディダといい、ボツカテの出のアダヤの娘であった。 2 彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった。 1Josiah was eight years old when he became king, and he reigned thirty-one years in Jerusalem. His mother’s name was Jedidah the daughter of Adaiah of Bozkath. 2 And he did what was right in the sight of the Lord, and walked in all the ways of his father David; he did not turn aside to the right hand or to the left.
私たちは、国のリーダーについて憂い、文句をいいがちですが、神様は、必ず霊的な祝福をもった人を送ってくださるはずです。まして、アメリカは、真の神を信じる信仰の遺産が多くあるはずです。聖書では、「祝福は千代に至る」とかいてあります。期待しましょう。
★神の御言葉、聖書との出会い
ヨシア王は、主の宮を修繕するための事業を始めます。それにあたって必要な金を取り出すために、祭司たちを宮に遣わしました。すると、祭司たちがある物を見つけてやってきました。
次の聖書の箇所を読んでみましょう。
Ⅱ列王Kings 22章8-10
8 そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「私は主の宮で律法の書を見つけました。」と言って、その書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。 9 書記シャファンは王のもとに行って、王に報告して言った。「しもべたちは、宮にあった金を箱からあけて、これを主の宮で工事している監督者たちの手に渡しました。」 10 ついで、書記シャファンは王に告げて、言った。「祭司ヒルキヤが私に一つの書物を渡してくれました。」そして、シャファンは王の前でそれを読み上げた。
8 Then Hilkiah the high priest said to Shaphan the scribe, “I have found the Book of the Law in the house of the Lord.” And Hilkiah gave the book to Shaphan, and he read it. 9 So Shaphan the scribe went to the king, bringing the king word, saying, “Your servants have gathered the money that was found in the house, and have delivered it into the hand of those who do the work, who oversee the house of the Lord.” 10 Then Shaphan the scribe showed the king, saying, “Hilkiah the priest has given me a book.” And Shaphan read it before the king.
祭司たちは、律法の書を見つけてきたのでした。今で言えば、聖書と思ってくださって結構です。
逆に言うと、今まで、祭司たちさえも、聖書を読んでいなかったのか、聖書のある場所すら知らなかったのだろうかと思います。それほど、ユダの国は、他の神々に占領され、人々の心さえも、真の神の教えから遠のいていたのだと言えます。
御言葉に親しむことは、私たちの守りです。先日youtube を見ていて、感銘を受けたのは、立派な説教者、ビル・ジョンソン師や、ロバート・モーリス師も、毎日たくさんの時間を割いて聖書を繰り返し繰り返し、未だに、まるで初心者であるかのように、読んでいることです。この、赤ちゃんが母のお乳をもとめるようなこのみ言葉に対する姿勢。私も見習いたいと思います。
皆さんは、どうでしょうか。聖書を毎日読んでいるでしょうか。み言葉に親しんでいるでしょうか。神の言葉を心に蓄えているでしょうか。これこそ、私たちの最大の守りとなります。
★ヨシヤの変革
さて、この聖書の言葉が一体、ヨシヤ王をどのように変えたのでしょうか。
Ⅱ列王Kings 22章11-13
11 王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた。 12 王は祭司ヒルキヤ、シャファンの子アヒカム、ミカヤの子アクボル、書記シャファン、王の家来アサヤに命じて言った。 13 「行って、この見つかった書物のことばについて、私のため、民のため、ユダ全体のために、主のみこころを求めなさい。私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行なわなかったため、私たちに向かって燃え上がった主の憤りは激しいから。」11 Now it happened, when the king heard the words of the Book of the Law, that he tore his clothes. 12 Then the king commanded Hilkiah the priest, Ahikam the son of Shaphan, Achbor[a] the son of Michaiah, Shaphan the scribe, and Asaiah a servant of the king, saying, 13 “Go, inquire of the Lord for me, for the people and for all Judah, concerning the words of this book that has been found; for great is the wrath of the Lord that is aroused against us, because our fathers have not obeyed the words of this book, to do according to all that is written concerning us.”
◎ 自分の衣を裂いたhe tore his clothes… 神への冒涜を恐れて、嘆く感情を表現するものである。つまり、彼にとっては、悔い改めの態度でした。
神の御言葉は、ヨシヤとその国の、現状がいかに神の標準とかけ離れているかを知らせるものとなりました。V13 で、「私たちの先祖が、この書物のことばに聞き従わず、すべて私たちについてしるされているとおりに行なわなかった」because our fathers have not obeyed the words of this book, to do according to all that is written concerning usと言っている。
私たちは、みな良い者になりたい。向上したい。今の生き方、状況が良くなりたいと思っています。その第一歩は、ゴールを知ること、自分の向かっている将来を見据えることと、現状を知ることが大切です。ゴールと現状がどんな差があるのか知る必要があります。
ヨシヤは、いかにこの差が激しいかということに直面し、神の怒りがどれほど燃え上がっているかfor great is the wrath of the Lord that is aroused against usということを悟ったのです。
そして、祭司とリーダーたちに、王と国のために神のみこころを求めるように命じました。Go, inquire of the Lord for me, for the people and for all Judah
神の御言葉というのは、私たちを変革させるものです。
まず、私たちの心を変えます。私たちの心に気づきを与えます。私たちの現状とゴールを示します。そして、私たちを神のみこころに近づけます。
私が、初めて聖書の言葉で大変革したときのお話しをしましょう。洗礼を受けて半年が過ぎていました。しかし、なかなか成長しない自分にフラストレーションを持っていました。なかなか、罪から離れられないこともそのフラストレーションの一つでした。
ある時、聖書の御言葉が集会の中で語られました。
「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナ人投げ込まれるよりは、よいからです。 If your right eye causes you to stumble, gouge it out and throw it away. It is better for you to lose one part of your body than for your whole body to be thrown into hell.」(マタイ5:29)と言う言葉でした。
この言葉にであったとき、罪のもつ影響と言うものに対して、リアリティをもって初めて実感することが出来ました。その時、自分から罪を犯す部分を切り取ったら、つめの先ほども残らない、けれども、私は、今、切り取ることによって死んでしまってもいいから、イエス様のもとに行きたい。。。と真剣に祈り、悔い改めました。その時、イエス様の十字架の幻を見たのです。そして、あなたが死なないために、私が代わりに死んだのだよ。と語られました。その時、聖霊に満たされ、心が変えられたのです。それからと言うもの、神を昼も夜も求める生活、神様に人生を捧げる決心、将来の神様からの召しなど立て続けに、変革が続きました。
一つの神の言葉がどれだけ人の人生を変えることでしょうか。。。。
★堕落しすぎたのろいの時代にあって
ヨシアは、女預言者フルダのところにこのリーダーたちを遣わし、主の言葉を伺います。その答えは、次の通りです。
Ⅱ列王Kings 22章16-20
16 主はこう仰せられる。見よ。わたしは、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。ユダの王が読み上げた書物のすべてのことばを成就する。 17 彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。わたしの憤りはこの場所に燃え上がり、消えることがない。』 18 主のみこころを求めるために、あなたがたを遣わしたユダの王には、こう言わなければなりません。『あなたが聞いたことばについて、イスラエルの神、主は、こう仰せられます。19 あなたが、この場所とその住民について、これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。・・主の御告げです・・ 20 それゆえ、見よ、わたしは、あなたを先祖たちのもとに集めよう。あなたは安らかに自分の墓に集められる。それで、あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらすすべてのわざわいを見ることがない。』」彼らはそれを王に報告した。
16 “Thus says the Lord: ‘Behold, I will bring calamity on this place and on its inhabitants—all the words of the book which the king of Judah has read— 17 because they have forsaken Me and burned incense to other gods, that they might provoke Me to anger with all the works of their hands. Therefore My wrath shall be aroused against this place and shall not be quenched.’”’ 18 But as for the king of Judah, who sent you to inquire of the Lord, in this manner you shall speak to him, ‘Thus says the Lord God of Israel: “Concerning the words which you have heard— 19 because your heart was tender, and you humbled yourself before the Lord when you heard what I spoke against this place and against its inhabitants, that they would become a desolation and a curse, and you tore your clothes and wept before Me, I also have heard you,” says the Lord. 20 “Surely, therefore, I will gather you to your fathers, and you shall be gathered to your grave in peace; and your eyes shall not see all the calamity which I will bring on this place.”’” So they brought back word to the king.
ヨシヤの悔い改めと、変革と、国を変えたいという思いと意気込みとは裏腹に、積み上げられてきた神の裁きの時というものは、今回ばかりは変わらないということでした。しかし、ヨシヤの悔い改めの故に、ヨシヤが生きているときには、その裁きは見ないという約束をいただきました。
私は、今の時代について考えさせられるのです。また、特にアメリカのために祈らされるのです。先日、ニュースで話題になっていたショッキングなことがありました。それは、堕胎された赤ちゃんの臓器や肢体を売るという会社があるということです。。。ショックすぎて言葉がでませんでした。以前、中国の会社で、堕胎した赤ちゃんを調味料にして、アメリカに売っている。また、美容液として売っているということは聞いていました。自分の都合、わがままで神様からあずかった命である赤ちゃんを殺し、そして、それを若返りや、自分の病気のためにその命の犠牲の重さも考えずに使うなんてひどすぎる。。。殺された赤ちゃんの意思や人生の目的が無視されて、踏みにじられている気がしてなりせんでした。。。
世の中どれだけ、堕落しているのだろうと思わされました。
また、一方で、いろいろな国で、イエス様に出会い、変えられて行く人生、変えられて行く国があります。特に伝道が難しいといわれるイスラム圏では、夢で直接イエス様にであって、救われるという証しを多く聞かれます。また、イエス様の奇跡がさまざまなところで起きています。
今は、神様の力が現れている素晴らしい時代とも言えます。
しかし、この悪と神様の栄光が両極端にある時代でもあります。
ヨシヤの時代その様ではなかったでしょうか。
堕落しきった、国。罪の影響が重く、神様のみこころが踏みにじられている時代。しかし、ヨシヤのように、悔い改め、神様に立ち返り、みこころを求めようと人々に影響を与えていく姿。。。
これこそ、私たちが取るべき生き方ではないでしょうか。
これこそ、神様に対して忠実に生きることではないでしょうか。
まず、聖書の言葉に立ち返りましょう。
もう一度、御言葉に、幼子が乳をもとめるように、慕い求めようではありませんか。
ぼ
礼拝の前日土曜日は、留学生たちを連れてスクイムのラベンダー畑めぐりに行きました。みんな、楽しくラベンダーを摘みました。5ドルです。
天上に吊るされたハンモック式プランコ。気持ちよかったですが、一時間くらい乗ってたら、よいそうになりました。。。笑
とっても綺麗なラベンダー畑。いい香り。帰りの車の中も、いい香り。おかげで、眠くて運転がしずらかったこと。危ないよーー。
ヒゼキヤの死-ユダの滅びの足音。。2015年7月26日日曜日礼拝音声http://youtu.be/6YgP4nHH1wA
2列王記20:1
そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」 In those days Hezekiah was sick and near death. And Isaiah the prophet, the son of Amoz, went to him and said to him, “Thus says the LORD: ‘Set your house in order, for you shall die, and not live.’”
◎死の宣告
ヒゼキヤ王は、ある日、預言者イザヤから死の宣告をされます。「もう必ず死ぬから、家を整理しなさい」と、神様からの言葉をいただく。これが、ヒゼキヤ王とユダの国の最大の試みとなった。
人間はいつか必ず死にます。しかし、自分の死期を宣言されるとき、自分の死期を悟る時に、人は、どんな行動をとるのでしょうか。一番、生き方を試されるのではないでしょうか。
みなさんが、今、神様に死の宣告を受けたら、一体何をするでしょうか。少し、考えてみましょう。例えば、来週死ぬとしたら、何をしたいですか?
◎命乞い
ヒゼキヤ王、神に命乞いをし、寿命が15年延ばされる。しかも、その確証のしるしまで与えられる。神様は、なんと憐れみ深いかたなのでしょうか。心から神の前に祈る祈りに答えてくださいますね。。ヒゼキヤ王は、その十五年をどのようにして生きたのでしょうか。
◎ヒゼキヤは家を整理したのだろうか?
人は、いづれ死にます。神様は、わざわざイザヤをヒゼキヤに遣わして、死期を伝え、死期が限られているので、しなければならないことをわざわざ教えていたのでした。それは、きっと大切なメッセージだったはずです。しかし、ヒゼキヤは、そのメッセージのうち、自分の死期にフォーカスを当ててしまいました。寿命を延ばしてもらうことに集中し、神様の本来の死期を伝えた目的を見逃していたのです。
・バビロンからの使者 2列王記20:12-19
ヒゼキヤがもう死ぬらしいということを聞いてバビロンがユダに使者を送る。そして、驚くことにヒゼキヤは、
V13 ヒゼキヤは、彼らのことを聞いて、すべての宝庫、銀、金、香料、高価な油、武器庫、彼の宝物倉にあるすべての物を彼らに見せた。ヒゼキヤがその家の中、および国中で、彼らに見せなかった物は一つもなかった。And Hezekiah was attentive to them, and showed them all the house of his treasures—the silver and gold, the spices and precious ointment, and all[b] his armory—all that was found among his treasures. There was nothing in his house or in all his dominion that Hezekiah did not show them.
その後、イザヤに、それらの財産は何一つ残されずバビロンに運び去られると預言されます。ヒゼキヤは、自分の家を整理するどころか、自分の栄誉に酔いしれ、富を自分の勲章として保管しておいたのです。ですから、それをわざわざバビロンの使者に自分の偉大さを示すために見せたのです。もう、死期が近づいているのに、なんと愚かなことでしょうか。
2歴代誌にこのことに関して次のような記事が残っています。
2歴代誌32:24
ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。In those days Hezekiah was sick and near death, and he prayed to the Lord; and He spoke to him and gave him a sign.
2歴代誌32:31
バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。However, regarding the ambassadors of the princes of Babylon, whom they sent to him to inquire about the wonder that was done in the land, God withdrew from him, in order to test him, that He might know all that was in his heart.
・息子マナセの悪行 Ⅱ列王記21章
彼が命乞いをし、寿命が延ばされてから、生れた子マナセが、彼の死後王となります。そのマナセは、ヒゼキヤの宗教改革を台無しにし、高きところを築きなおし、バアルのために祭壇をたて、アシェラ像をつくり、天の万象を拝み、これに仕え、自分の子どもに火をくぐらせ、卜占をし、まじない、霊媒、口寄せをし、神の怒りを引き起こします。
2Kings21:3, 6
For he rebuilt the high places which Hezekiah his father had destroyed; he raised up altars for Baal, and made a wooden image, as Ahab king of Israel had done; and he worshiped all the host of heaven and served them. 6 Also he made his son pass through the fire, practiced soothsaying, used witchcraft, and consulted spiritists and mediums. He did much evil in the sight of the LORD, to provoke Him to anger.
ヒゼキヤは、アッシリアに対する神の奇跡の勝利、また寿命が15年も延ばされるという奇跡を体験しました。その15年の間、一体何をしていたのでしょうか。
マナセには、ヒゼキヤの神のことも、信仰も何も伝わっていなかったのです。
一代で、ヒゼキヤが立てあげた成功も、改革もみな台無しとなりました。
今日の神様からのメッセージは、ここにあるのではないでしょうか。
新約の私たち、キリストを信じる者には、天国に行くこと、永遠の命を与えられることが約束されています。私たちにとって、死は、永遠の命への入り口であり、自分にとっては、命の本番に入ることであります。怖いことでも、悲しいことでもなく、むしろ、楽しみであり、喜びであります。
しかし、私たちがこの地上にいる意味は何でしょうか。何かをこの地上に残すべくこの地上に存在しているのです。
それは、霊的な祝福を残すということです。富や財産は、天国に持っていかれません。富や財産があっても、何の足しにもなりません。むしろ、天国で待っているのは本当の富です。
聖書では、富を天に蓄えなさい。と書いてあります。 虫もこないし誰も取らない
また、天国では、報酬が待っています。その報酬は、地上でどれだけ忠実に生きたか、ということが目安となります。人と比べてどれだけ大きなことをしたかではありません。
人それぞれ任された、タラントをどれだけ忠実に用いたかということになります。人より能力が多く与えられていたり、富が多く与えられている人は、それに見合うことを神様は求められています。
ヒゼキヤは、残念ながら、富を地上の自分の蔵に蓄えました。それが、彼を高慢にしました。
また、霊的な祝福を自分の子どもに与えることを忘れてしまいました。
これこそ、「自分の家を整理する」という本当の意味ではないでしょうか。自分の家系から、徹底的に、罪の根を根絶すること。偶像礼拝の根を抜き去ること、ここに力を注ぐべきではなかったでしょうか。
ヒゼキヤの息子マナセにより、最終的にユダは、北イスラエルのように滅ぼされることになります。一見、マナセがユダの悪の根源のように見えますが、これは、前もって、神から宣告を受け、前もって、家を整理するように教えられていたヒゼキヤの不忠実ゆえではないでしょうか。
私たちも、今日の聖書箇所から学び、神様の声に注意深く聞き、そして、最後まで忠実に従うものでありたいものです。
ぼ
土曜日は、主人の同僚の結婚式でした。変わった服装できてくださいとのことで。。。。私は浴衣、主人はじんべいさんを来ました。暑かったです。。。。浴衣は、珍しいのか、みなさんに喜んでいただきました。
あ、他の方々は、ハロウィンさながらでした。。。ファラオや、クレオパトラとか、いろいろなキャラクターが。。。。
2015年7月19日日曜日音声Bilingual Audio is from..http://youtu.be/8i1jOJlkfd0
2列王記18, 19章
今日は二章にまたがり長いので、みなさんお家で読んでこられたと信じて、話しながら、ところどころ読んでいくことにしたいと思います。
アッシリアがイスラエルを滅ぼしたことは、先週お話ししましたね。今日のお話しは、南ユダのお話しです。アッシリアが北イスラエルを滅ぼした時、その同じ時期に南ユダでは、ヒゼキヤが王でした。ヒゼキヤ王は、主の目にかなうことを行う良い王でした。
2列王記18:3-7
彼はすべて父祖ダビデが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。4 彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。6 彼は主に堅くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。7 主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に仕えなかった。
ヒゼキヤは、真の神以外のものは、全て排除し、神に信頼していました。
アッシリアがサマリアを包囲。
★言葉による戦い
アッシリアは、ヒゼキヤに使者ラブシャケを送り、ヒゼキヤとユダの人々を言葉で操作しようとする。これが、ヒゼキヤにとっての信仰の試練となりました。みなさん、私たちの霊的戦いのほとんどが言葉の戦いなのであります。しかも、私たちの頭の中で起こっているのです。霊的戦いと言いましたが、実は、霊的、また現実の目の前の世界というのは同じなのです。頭の中で勝利することは、現実の世界で勝利することであるのです。
◎敵の言葉 V17-25
誰に信頼するのか?
V18 彼らが王に呼びかけたので、ヒルキヤの子である宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、アサフの子である参議ヨアフが、彼らのもとに出て行った。And when they had called to the king, Eliakim the son of Hilkiah, who was over the household, Shebna the scribe, and Joah the son of Asaph, the recorder, came out to them.
V19 ラブ・シャケは彼らに言った。「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリヤの王がこう言っておられる。いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。Then the Rabshakeh said to them, “Say now to Hezekiah, ‘Thus says the great king, the king of Assyria: “What confidence is this in which you trust?
ヒゼキヤの宗教改革についてなんくせをつける。過去の功績に疑いを持たせてくる。
V22おまえたちは私に『われわれは、われわれの神、主に拠り頼む。』と言う。その主とは、ヒゼキヤが高き所と祭壇を取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい『エルサレムにあるこの祭壇の前で拝め。』と言ったそういう主ではないか、と。 But if you say to me, ‘We trust in the LORD our God,’ is it not He whose high places and whose altars Hezekiah has taken away, and said to Judah and Jerusalem, ‘You shall worship before this altar in Jerusalem’?”’
アッシリアと取引をしようという。
V23-24 さあ、今、私の主君、アッシリヤの王と、かけをしないか。もしおまえのほうで乗り手をそろえることができれば、私はおまえに二千頭の馬を与えよう。24 おまえは戦車と騎兵のことでエジプトに拠り頼んでいるが、私の主君の最も小さい家来のひとりの総督をさえ撃退することはできないのだ。Now therefore, I urge you, give a pledge to my master the king of Assyria, and I will give you two thousand horses—if you are able on your part to put riders on them! 24 How then will you repel one captain of the least of my master’s servants, and put your trust in Egypt for chariots and horsemen?
ユダの軍隊が小さいから、どうせ負けるんだから、馬をあげるからついて来いと。
ユダを滅ぼすために主に遣わされたとまで言っている。V25 アッシリアに身を任せることのほうがみこころなんだと説得しようとする。
また、本当に信頼しているのは、エジプトか? と、続いてラブシャケは言っている。イスラエルが近隣の大国エジプトと仲良くして自分たちの有利に働くようにしてることをついてきている。神様に信頼している割には大国と仲良いですね。。。的な。
さあ、私たちの頭の中でもこのようなことがよく起きるのではないでしょうか。自問自答しながら、自分自身を傷つけたり、くさしたり、後悔したり、他のオプションを探ってみたり。。。
そして今度は、民に聞こえるようにラブシャケは話し始める。民の心を奪おうとしたのです。アッシリアに従ったら、生活が楽になるぞー。。今まで、神々の助けで、今までアッシリアに勝った国があるのか? と北イスラエルでたくさんの偶像がありながら、アッシリアに滅ぼされたことをいやみたっぷりに言っているのであろう。
◎敵の言葉には、相手にしないことが一番の戦略である
『彼に答えるな』
V36 民は黙っており、彼に一言も答えなかった。「彼に答えるな。」というのが、王の命令だったからである。 But the people held their peace and answered him not a word; for the king’s commandment was, “Do not answer him.”
英語では、民は「平安を失わず」と書いてある。私たちは、言葉の挑戦にこたえることによって怒りや苛立ちなどといった感情がでてきて、気持ちが揺らぐ。揺らぐと神様への信頼がいつのまにかそっちのけになってしまうことはないだろうか?
★祈りによる応戦
19章 ヒゼキヤは預言者イザヤに伺いをたてる。すると、イザヤは、ヒゼキヤに祈るように指導した。軍事力をもちいたり、政治的な力は一切関係なかった。神様に祈り、神様のところに自分の重荷すべてを委ねることだった。
ヒゼキヤは祈った。そして、神様は祈りを聞かれた。神様からの返事は、イザヤに来た。
「神様がユダを救う」という約束をいただいた。
祈りは、霊的な世界と肉眼で見える世界をつなぐものであり、天国を地にもたらす働きがある。また、神様に私たちの重荷をあずけ、私たちが休むことができるものである。心に平安を与えるものである。
ピリピ4:6,7
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Be anxious for nothing, but in everything by prayer and supplication, with thanksgiving, let your requests be made known to God; 7 and the peace of God, which surpasses all understanding, will guard your hearts and minds through Christ Jesus.
と、新約聖書にある通りに、私たちの心と霊的な戦いの戦場である頭の思いも守ってもらえます。
マタイ11:28
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 28 Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest.
これは、イエス様の言葉です。もしも、重荷や悩み、頭の中の戦いがあるなら、イエス様のところに行きましょう。そこには、休みがあるからです。
祈りとは、そのようにあなたの重荷をそのまま神様のところに持っていって、神様にお渡しすることです。自分の肩にはもう重荷をなくして、手の中を空っぽにすることです。
現に、ヒゼキヤは、その後、敵から手紙がとどきますが、それを神様の御前に祈りをもって、持っていっています。
さて、約束の成就が奇跡的に起こりました。
★主の勝利
2列王記19:35 その夜、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。 35 And it came to pass on a certain night that the angel of the LORD went out, and killed in the camp of the Assyrians one hundred and eighty-five thousand; and when people arose early in the morning, there were the corpses—all dead.
驚くべきことが起こります。ヒゼキヤとユダの軍が実際に戦わずに、ユダがしかも眠っている間に全てが終わっていたのです。
★主に信頼することは、あなた方を休ませ、安息に入らせ、しかも、勝利を得させる。
北イスラエルは、真の神ではなく、偶像礼拝をやめなかったので、アッシリアに滅ぼされました。しかし、小さいユダは、主に信頼して勝利しました。
聖書の中にも、詩篇 127:2b 「主はその愛する者に、眠りを与えられる」とあります。
また、神様が創造された、植物は、夜の間に、花や実、芽を大きくします。また、人間も、寝ている間に、成長ホルモンがでて、筋肉が癒されたり、つまり、筋肉はその間に大きくなるんでしょうね。身体の中の器官が回復するようにしてあります。
なんという神様の知恵でしょうか。頼っていいのです。この世の中は人に頼らないことがかっこいいというマインドセットがありますが、神に頼ることは、別です。私たちは、ヒゼキヤのように、人になんと言われようと、どんな疑いの言葉がやってきても、神様に信頼するものになりたいと思います。
さあ、今日は18,19章から何を学びましたか。
私たちの戦いが頭の中で起こっていること。けんか、敵の攻撃を買わないこと、信頼し続けること。敵と口論するより、心を騒がせるよりも祈ること。神が祈りを聞かれること。そして、神が私たちを休ませ、私たちが眠っているうちに私たちの代わりに戦われること。これが私たちの勝利です。主に信頼してゆったり眠れるほどでありましょう。
ぼ
もうすぐ帰国のともちゃんのために、セバスがカスタード・ブリオッシュという美味しい焼き菓子をつくってくれました。嬉しいともちゃんの笑顔。
えまちゃん家族とともちゃん。ともちゃんは、天使のような二歳児えまちゃんとよく遊んでくれました。ちなみにお父さんは、天才ベーカリーです!!
2015年7月12日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/-6vxakpjOBw
Ⅱ列王記17:7,8 7
こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王パロの支配下から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、8 主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習に従って歩んだからである。
Ⅱ列王記17:12-18
12 主が彼らに、「このようなことをしてはならない。」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。13 主はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。」14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、主を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。15 彼らは主のおきてと、彼らの先祖たちと結ばれた主の契約と、彼らに与えられた主の警告とをさげすみ、むなしいものに従って歩んだので、自分たちもむなしいものとなり、主が、ならってはならないと命じられた周囲の異邦人にならって歩んだ。16 また、彼らの神、主のすべての命令を捨て、自分たちのために、鋳物の像、二頭の子牛の像を造り、さらに、アシェラ像を造り、天の万象を拝み、バアルに仕えた。17 また、自分たちの息子や娘たちに火の中をくぐらせ、占いをし、まじないをし、裏切って主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。18 そこで、主はイスラエルに対して激しく怒り、彼らを御前から取り除いた。ただユダの部族だけしか残されなかった。
出エジプト記21:1-6 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
さて今週のお話しは、いよいよ北イスラエルが滅亡してしまう場面です。時は、BC722年。王は、ホセア王となります。しかし、アッシリアに捕らえ移され、国は滅びてしまいます。聖書は、その国の滅びた理由は、こうであるというところから学びたいと思います。現代のクリスチャンの私たち、特に日本人である私たちに非常に学ぶべきところが大きいと思っています。
★ 北イスラエル滅亡の原因は偶像礼拝にあった。Ⅱ列王記17:7,8
前にも話しましたが、そもそも、北イスラエルができたのは、ヤロブアムによってでした。そして、このヤロブアムが金の子牛をべテルとダンに作って祀り、神としました。
それというのも、ソロモンが妻たちの神々をイスラエルの中で礼拝させることを許したことからの影響があった。
金の子牛の由来; 出エジプト記32章で、モーセが山で神とあっている時に、民の不安をおさめるために、アロンが金の子牛をつくって、「これがあなたがたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。金の子牛信仰というのは、その時代からその地域に存在していたようだ。古く根強く残った人がつくった神であったのだ。それをヤロブアムがまた担ぎだしたということだ。
◎厄介な神観のすり替え The replacement of view of God;
子牛をわざわざエルサレムに行って礼拝しなくても、地域で拝めるお手軽な地方の神とした。目に見えない神を見える神にした。
信仰とは、目に見えない事がらを確証させるもの。目に見えるなら、本来信仰はいらない。「神は、霊ですから、神を礼拝するものは、霊とまことによつて礼拝しなければなりません。」God is Spirit, and those who worship Him must worship in spirit and truth.ヨハネ4章24節
◎信仰のすり替えが起こっている The replacement of faith。。。。。
一体何のために礼拝するのか?
V12-18 にいろいろな神々が出てくるが、それらを人々が拝んだのは、豊穣、繁栄、安全を願ってのことであった。願いを持つことは、自然であり、悪いことではないが、
我々の神は、豊穣を願って拝む神ではない。拝むことと引き換えに、何かを得るのではない。私たちが、神の言葉に従い、神を愛して生きるなら、願わなくても豊穣が付いて来るのだ。命、健康、繁栄、農業的な豊かさ、安全、尊敬そのようなものがついてくる。
例) フィジーのリバイバル。。。国のリーダーが罪を悔い改め神に立ち返る。人々が悔い改める。今まで不作だった農地が豊かに実りだし、魚がいなくなった海に魚たちが戻ってきて大漁となった。90年代に話題になった出来事であった。
〇さまざまな神々との共存 v12-18
北イスラエルには、ヤロブアムだけではなく、様々な神々が拝まれていたようです。
V12-18にも書かれていますが、アシェラ像、金の子牛、天の万象(太陽、星、月), バアル、子どもをいけにえにするモレク。その他にまじない、占い。。。
もういろいろな神々が共存していた。しかも、まことの神、ヤハウェも民の意識の中ではそれらの神々とミックスされていた。
日本の霊的状態に似ているではないでしょうか。
北イスラエルのこの神々は、豊穣を願って祀られたものである。ご利益があるというので拝むのだ。
◎偶像礼拝とは
1) 天地を創造した神が禁じている。出エジプト20:1-6
2) 人間のわがままの表れである。
神よりも自分が大事になるとき、偶像礼拝の罪の陥ることを覚えておこう。今すぐに、自分の願いをかなえて欲しい。これが偶像礼拝の根の思いではないでしょうか。もしも、自分の夢や、願い、あるいは、問題や心配ごとが神様の存在よりも自分の中で大きくなってしまったら、それはもう偶像礼拝になっているのです。この問題さえ解決されたら、私は幸せになれるのに。。。私の夢がかなったら私は幸せになれるのに。。。という具合に、あなたの夢や問題があなたの気持ちを全て支配するようになります。本来は、神がともにいて下さったら、幸せであるはずです。。。
3) 悪霊との契約関係である。 V35, 38 契約を結び。。。結んだ契約を忘れてはならない。。。。
人間が手でつくった木や、石、あるいは金が本当に神なのでしょうか。背後に霊がいるのです。もと僧侶の松岡先生が以前おっしゃっていましたが、仏像は、出来立ては、ありがたくないそうです。何10人もの僧侶が何日も拝み倒さないし、霊が入らない、ありがたくならないのだそうです。
すなわち、私たちが拝まなければ、その像は、何の力も持たないのです。しかし、あなたが手を合わせて、拝んだとき、あなたの人生と背後にいる霊と契約ができてしまうのです。
個人的な経験から、この契約を解除せずにいるなら、クリスチャンになっても成長が妨げらると言えます。
日本には様々な神々、八百万の神がいるとされているが、天地万物を創造した神は、世界にただ一人です。その方は人間の手でつくった住まいに住まわれるような方でもなく、毎日供え物を当てにする方でもありません。
★ 現在の私たちが学ぶべこと
北イスラエルは経済的にも政治的にも安定していた。しかし、霊的には、大きな神の怒りを積み上げていくこととなった。
ご利益をもとめて、悪霊と契約関係をいくつも持っていたイスラエルの民は、結局、自分の思うとおりの人生を生きたい、違う言葉で言えば、自分のエゴから、神をつくりあげ、それを拝むことで、それを実現させようというのです。
また、背後に働いている霊は、神の座を奪いたい。人間に崇拝させたいと思っているものたちですから、それをかなえてやるから、拝め拝めとやってくるのです。悪霊にとっては、人間に拝まれることがたまらなく好きなのです。
一方、天地を創造された真の神は、私たちに拝むことを強要されません。また、拝むならよいものをあげようと言われる方ではありません。私たちの心が神に向けば、全てはついてくるのです。
◎ 福音。。。真の神様との契約とは信じることのみ
有名な新約聖書の箇所を開いて見ましょう。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。For God so loved the world that he gave his one and only Son, that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.
福音は、ただ。神様の救いはただです。罪が赦されることも、天国にいけるようになることもただです。ただ、信じることが求められます。そして、心からの改心、悔い改めが必要です。そして、心が変わった人たちは、神様の大きな愛にふれられ、さらに変えられ、この神様に生涯ついていきたいと思うのです。これは、律法でなく、愛の生き方です。
偶像は、人のわがままの心のあらわれですが、天地を創造された神を信じて生きることは、愛に根ざすことなのです。
ぼ
土曜日は、たこ焼きパーティをしました。留学生さんや子どもさん連れのご家族が楽しく集いました。関西人の血が騒ぎました。おしいかったですーーー。
新しく始めて教会に来られた学生さんたちが今回は、五名おられました。学校の勉強に励んでおられます。すこしですが息抜きを提供できて良かったです。。。
2015年6月28日日曜日バイリンガル礼拝Audio....http://youtu.be/ZtXxIbDX8Fc
Ⅱ列王記Kings 9, 10
エリシャはエフーを王として油そそぐために預言者のともがらを遣わします。そして、このエフーが、大胆な宗教改革をし、エリシャの預言したことがその通りになります。今日は、このエフーのお話しです。次の箇所を読んでみましょう。
Ⅱ列王記Kings 9:6-10
エフーは立って、家にはいった。そこで若い者は油をエフーの頭にそそいで言った。「イスラエルの神、主は、こう仰せられる。『わたしは、あなたに油をそそいで、主の民イスラエルの王とする。7あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流された主のすべてのしもべたちの血の復習をする。8それでアハブに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまでを、イスラエルで断ち滅ぼし、9アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。10犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、誰も彼女を葬る者がいない。』」こう言って彼は戸を開けて逃げた。
そして、その通りになりました。エフーは、また Ⅱ列王記Kings 10:11にあるように、アハブの家に属する者を皆殺しにしました。また、Ⅱ列王記Kings 10:18 から、エフーはもっとバアルに仕えるつもりだと、バアル信者を騙して集め、皆殺しにした。徹底的に、イゼベルが持ち込んだ悪、を根絶やしにしたのです。
エフーは、神様からの使命をことごとく全うしました。そして、神様にこのように言われました。
Ⅱ列王記Kings 10:28-31
このようにして、エフーは、バアルをイスラエルから根絶やしにした。29ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、べテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。30主はエフーに仰せられた。「あなたは、わたしの見る目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に着こう。」31しかし、エフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。
エフーは、神の目にかなって、神のことばどおりによくやり遂げたとほめられています。が、ヤロブアムの罪から離れませんでした。31節に「心をつくしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけず」とあります。
エフーのお話しから私たちが学ぶべきこと
① まことの神との関係 vs パフォーマンス指向(自分の行動で愛を稼ごうとする指向)
エフーは、王として神に言われたことは、やりましたが、自分の生活の中には、神を招いていませんでした。宗教家、または、王としての顔と、一人の人エフーとしての神の前の顔は違っていたのです。
私たちが、自分の生活の中に神様を招くときに、本当の実が実る。ヨハネ15:5に書いてあるとおりです。
ヨハネJohn 15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。5 “I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.
私たちと、イエス様の関係は、神様に言われたことを全て守って、言われたとおりのことをやったから、つながりができるのではありません。根底に流れているのは、愛です。イエス様がまだ私たちが罪人であったときに、ご自分のいのちを捨ててまで、私たちに愛をしめしてくださったので、私たちは、その愛に触れられ、感動して、この愛に応答する。これが私たちの神様への愛となります。そして、イエス様の愛と私たちの応答の愛が私たちと神との関係となります。
「とどまる」ことの意味はなんでしょうか。それは、その、愛にとどまり、休む、安息することです。自分を打ちたたいて宗教的になることでも、良い人間になろう、成功した人生を送ろうとおもってあくせくすることでもありません。神の愛に感動し、心から応答している限り、人生のなかに多くの実りがなるのです。
エフーは、バアルの神とそれに付く者を徹底的に取り除くことはしたが、神の愛の中にはとどまっていなかったのです。
新約聖書に次のような言葉があります。
ⅠコリントCorinthians13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にもたちません。3 And though I bestow all my goods to feed the poor, and though I give my body to be burned, but have not love, it profits me nothing.
どんなに、物事が良くできて、立派であっても、愛がなければ何の役に立たない。と。
エフーは、使命に関しては、情熱があったのかもしれませんが、真の神に対する愛がありませんでした。神様との愛の関係、個人的な関係がありませんでした。
② ヤロブアムの罪というfamiliar Spirit (私たちが盲目になっている罪)
イスラエルが分裂して北イスラエルと南ユダとなったことは、皆さんご存知だと思います。そして、どのようにして、北イスラエルができたか、ご存知でしょうか。北イスラエルのはじめの王は、ヤロブアムです。彼は、ソロモンの家来でありましたが、ソロモンに反逆しました。ソロモンの子レハブアムが王となったとき、これが南ユダのはじめの王ですが、北イスラエルとなるべく人々が、ヤロブアムを担ぎ出して北の王としたのです。このヤロブアムは、独自の宗教をつくり、山に祭壇をつくり金の子牛を祀りました。そして、それに仕える祭司たちを任命して、新しい言わば”ヤロブアム教”新宗教の教祖にもなったわけです。これが北イスラエルのはじまりです。ですから、エフーは、六番目の王となりましたが、北イスラエルにとって新しいバアルの神は成敗しても、北イスラエルはじまったときにあったヤロブアムには盲目となっていたのです。
罪、というのは、このように伝承され、またそのコミュニティにいる人たちの心を麻痺させるものです。これが、Familiar Spirit というのです。
私たちは、なかなか、この罪が罪であると気がつかないことが多いのです。そして、これが妨げとなって、多くの実を結ばない、本当の意味で人生に実りをもたらすことができない障害となることが多いのです。
私たちのうちにもそのような罪がないでしょうか。
たとえば、本音とたてまえというのは、日本では自然なことですし、日本人的には一種の相手への配慮、やさしさであったりしますが、他の国ではそれは不誠実であり、うそであり、罪と捕らえられます。
また私たちの育ってきた家族の中で当たり前であったことであればあるほど、その間違えに気がつかなかったりします。
例) 国・文化
家系・家族
③ 神に立ち返ること、主を恐れること
箴言Proverbs 22:4 謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。 By humility and the fear of the LORD Are riches and honor and life.
わたしたちのうちには、ヤロブアムの罪はないだろうか。聖霊様に示していただきましょう。
神様の愛、イエス様の愛に帰りましょう。今日は、今から聖餐の時を持ちたいと思います。自分自身をイエス様の前に吟味し、悔い改めるべきことがあれば、悔い改め、イエス様の身体と血潮にともにあずかっていきましょう。
ぼ
礼拝後 最近は、小さいお子さん連れの方が増えています。。そろそろチャイルド・ケア、教会学校が必要です。わー。教会らしくなってきたなぁ。
2015年6月21日日曜日バイリンガル礼拝音声は、http://youtu.be/j6zFj4Fjs0o
Ⅱ列王記Kings 6:8-22
6アラムの王がイスラエルと戦っていたとき、王は家来たちと相談して言った。「これこれの所に陣を敷こう。」9そのとき、神の人は、イスラエルの王のもとに人をやって言った。「あの場所を通らないように注意しなさい。あそこはアラムが下って来ますから。」10そこで、イスラエルの王は神の人が告げたその場所に人をやった。彼が王に警告すると、王はそこを警戒した。このようなことは一度や二度ではなかった。11このことで、アラムの王の心は怒りに燃え、家来たちを呼んで言った。「われわれのうち、だれが、イスラエルの王と通じているのか、あなたがたは私に告げないのか。」12すると家来のひとりが言った。「いいえ、王さま。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られる言葉までもイスラエルの王に告げているのです。」13王は言った。「行って、彼がどこにいるかを突き止めなさい。人をやって、彼をつかまえよう。」そのうちに、「今、彼は、ドタンにいる。」という知らせが王にもたらされた。14そこで王は馬と戦車と大軍とをそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。
15神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。16すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。17そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。18アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。19エリシャは彼らに言った。「こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの探している人のところへ連れて行ってやろう。」こうして、彼らをサマリヤへ連れて行った。20彼らがサマリヤに着くと、エリシャは言った。「主よ。この者たちの目を開いて、見えるようにしてください。」主が彼らの目を開かれたので、彼らが見ると、なんと、彼らはサマリヤの真ん中に来ていた。21イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ちましょうか。私が打ちましょうか。わが父よ。」22エリシャは言った。打ってはなりません。あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。彼らにパンと水をあてがい、飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」23そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして彼らに飲み食いをさせて後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それからはアラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なかった。」
エリシャは、神の人でした。預言者でした。彼の仕事は神の声を聞き、それに従うこと。それを人に伝えることでした。
ここで、イスラエルとアラムの間の実際の戦いがありました。しかし、この神の人エリシャがどんなに大きな役割を持っていたかが良く分かりますね。彼は、神様に聞いて、まるで相手の動きを見ているかのようにイスラエルの王に指示を出し、イスラエルを敵から守っていました。今日は、このエリシャから戦いにおける戦略について学びたいと思います。これは、私たちの人生にも適用できることです。私たちもたくさんの戦い・試練・攻撃のようなものを乗り越えながら生きているものです。
① まず第一に、神の声を聞くこと v6-14
ヨハネ10:4, 5
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼についていきます。5しかし、他の人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。And when he brings out his own sheep, he goes before them; and the sheep follow him, for they know his voice. 5 Yet they will by no means follow a stranger, but will flee from him, for they do not know the voice of strangers.”
先ほども言いましたが、神の声を聞くことは、一番の勝利の決め手。視力の弱い羊は、聴力、すなわち、自分の主人の声をしっかり聞き分けることで自分の身を守っている。
私たちに聞こえる声は、三種類ある。
1) 自分の声。。肉の声。。理性、過去、常識、自我・高慢。
2)敵サタンの声、恐れを持たせてくる。ネガティブ。
3)神の声。。。信仰が引き上げられる。ポジティブ。信じることに結び付けられる。慰められる。心が満たされる。心が自由になる。
自分を疲れさせ、混乱させるのが、自分と敵の声。。また特に敵からの声を聞くと落胆させられる。
神の声に対して敏感に、また親しみましょう。神の声を聞いている限り、どんな状況の中にあっても、揺るがされることがありません。
② 霊の目を開いて見ること v15-17
15神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう。」と言った。16すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。」と言った。17そして、エリシャは祈って主に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。15 And when the servant of the man of God arose early and went out, there was an army, surrounding the city with horses and chariots. And his servant said to him, “Alas, my master! What shall we do?” 16 So he answered, “Do not fear, for those who are with us are more than those who are with them.” 17 And Elisha prayed, and said, “LORD, I pray, open his eyes that he may see.” Then the LORD opened the eyes of the young man, and he saw. And behold, the mountain was full of horses and chariots of fire all around Elisha.
イエス様の目を通して物事をみる。ヨハネの福音書で生まれつきの盲人がイエス様によって、目を開けられ、見えるようになりました。後にそれが大問題に発展します。しかし、このもと盲人は、私は見える。私の目を開けた人は神から来たに違いないといいました。そして、イエス様を信じました。彼は、肉の目と同時に霊の目も開かれました。それは、イエス様が目を開けてくださったからです。彼は、どんなに反対者が来ても、自分の体験からくる見解を曲げはしませんでした。
私たちも、戦いの多いとき、難しさの中にあるとき、イエス様に心の目に触れていただかなければなりません。
誰が主であるのか、神なのかを、困難なときに見出すことができなければ、つぶされてしまう。問題があなたの主なのか、悩みがあなたをコントロールしている神であるのか? それとも全地の主があなたの神なのか。
③ 目を閉じることBlindness v18-19
18アラムがエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って、盲目にされた。19エリシャは彼らに言った。「こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの探している人のところへ連れて行ってやろう。」こうして、彼らをサマリヤへ連れて行った。18 So when the Syrians came down to him, Elisha prayed to the LORD, and said, “Strike this people, I pray, with blindness.” And He struck them with blindness according to the word of Elisha. 19 Now Elisha said to them, “This is not the way, nor is this the city. Follow me, and I will bring you to the man whom you seek.” But he led them to Samaria.
新約聖書の中に、
ヨハネ9:39 「そこで、イエスは言われた。「わたしは、さばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」And Jesus said, “For judgment I have come into this world, that those who do not see may see, and that those who see may be made blind.” とありますが、
目を開かれるのも神様ですが、目を閉じられることも神様の業です。Ⅱ列王記ではエリシャが神に願って、敵の目を見えなくしました。
真理が来るときに、このようなことがおきるのです。イエス様という真理が来たときに、盲人の場合は、目が開かれました。
しかし、自分は霊肉ともに見えているとしているパリサイ人たちの霊の目は余計に堅く閉ざされてしまいました。
真理が来るときに、このような分離、裁きともいえることが来るのです。これは、何も神が裁かれるということではなく、人々の心が頑なで、真理を受け入れられないときに、霊の目も堅く閉ざしてしまうのです。
私は、見える、見えているという態度に気をつけましょう。
④ 反対のスピリットを持って戦うことv21-23
21イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ちましょうか。私が打ちましょうか。わが父よ。」22エリシャは言った。打ってはなりません。あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。彼らにパンと水をあてがい、飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」23そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして彼らに飲み食いをさせて後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それからはアラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なかった。」21 Now when the king of Israel saw them, he said to Elisha, “My father, shall I kill them? Shall I kill them?” 22 But he answered, “You shall not kill them. Would you kill those whom you have taken captive with your sword and your bow? Set food and water before them, that they may eat and drink and go to their master.” 23 Then he prepared a great feast for them; and after they ate and drank, he sent them away and they went to their master. So the bands of Syrian raiders came no more into the land of Israel.
神様と人の方法とは、まったく質の違うものであり、相いれないものであります。ここで、敵を盲目に集め、場所を移したエリシャに、王は殺してしまうことを提案しますが、神の人は、全く逆に思えるようなことを言います。飲み食いさせた上で生きて帰らせてあげることでした。
霊的な戦いには、いつも感情が伴っています。私たちは、その感情に反応して物事を決めて行動していまいます。相手がこんな悪いことをしてきたから、自分たちもそうするのだと思いがちではないでしょうか。
自分が相手をこらしめるんだ、罰をあたえるんだという思いをもっては、自治は、敵のおもうつぼなのです。
しかし、そんなとき、一呼吸おいて、神様に聞いてみてはどうでしょうか。相手に反対のスピリットをもって対峙するときに、実は、大きな勝利を体験することが多いのです。
エリシャは、自分を殺そうとした人たちをもてなしたのです。
その結果、その後、二度とアラムはイスラエルの地に侵入してこなかったのです。
これこそ、一次しのぎでない、永遠の勝利が得られる方法なのです。
戦いのとき、困難のとき、自分の身が危ういとき、あなたは、今日のポイントを思い出してください。
神の声を聞くこと。霊の目を開くこと、反対のスピリットで応じること。
ぼ
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