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ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたはわたしに従いなさい」
ヨハネの福音書 21章17~25節
"イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
それで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスはペテロに、その弟子は死なないと言われたのではなく、「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか」と言われたのである。
これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。"
⑴愛を土台とした促し
①ペテロの自主性に訴えている
②ペテロと主イエスの信頼関係があって成り立つ
⑵新しい局面における促し
弟子として召された時同様のシーン(ルカ5章)
その時ペテロは動揺を感じたであろうが今回は恐れであり躊躇を覚えたはず
② 信仰生活が深まるにつれて「従う」意味も深まる。得と思えることばかりでなく損と感じることもありえる
⑶ゴールへ方向づけられた促し
①ペテロの従った先にあったもの
〜予言の通りにローマでの殉教死
②ヨハネの従った先にあったもの
〜パトモス島への流刑と主の再臨の幻。黙示録執筆
(結論)
人生の局地戦おいては困難で負けてるように感じることがあるかもしれないが、その大戦略上の大局的見地においては勝利している。主の栄光に招かれていると言う事は最終的な勝利の保証である。
"これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」"
ヨハネの福音書 16章33節
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「圧倒的な勝利者」
ローマ人への手紙 8章31~37節
"では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。"
⑴供給の保証ー31-32
「すべてのものを私たちに恵んで下さらないことがあるでしょうか」
①父なる神にとり最も大切な存在が御子
②その御子をさえ死に渡された
⑵審判の際の弁護ー33-34
神が義とされたのが信者
これを訴えるのがサタンの役割(ゼカリヤ3:1-2)
② 神の右の座にあるキリストのとりなし
⑶勝利者としての行進
①神のためにほふられる羊とされる試練
〜7通りの試練の中で
②脱出ではなくそのただ中にある勝利
(結論)
キリストにおいて神の愛が現れた。
その愛の力はどんな逆境よりも強く私たちに注がれている。
よって勝利者以上の勝利者とされる。
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「香の壇の建設」
出エジプト記 30章1~10節
"また、香をたくための祭壇を作れ。それをアカシヤ材で作る。
長さ一キュビト、幅一キュビトの正方形で、その高さは二キュビトとする。祭壇から角が出ているようにする。
祭壇の上面と、側面すべて、および角には純金をかぶせ、その周りには金の飾り縁を作る。
また、その祭壇のために二つの金の環を作る。その飾り縁の下の両側に、相対するように作る。これは祭壇を担ぐ棒を通すところとする。
その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。
それを、あかしの箱をさえぎる垂れ幕の手前、わたしがあなたと会う、あかしの箱の上の『宥めの蓋』の手前に置く。
アロンはその上で香りの高い香をたく。朝ごとにともしびを整え、煙を立ち上らせる。
アロンは夕暮れにともしびをともすときにも、煙を立ち上らせる。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である。
あなたがたはその上で、異なった香や全焼のささげ物や穀物のささげ物を献げてはならない。また、その上に、注ぎのぶどう酒を注いではならない。
アロンは年に一度、その角の上で宥めを行う。その祭壇のために、罪のきよめのささげ物の、宥めのための血によって、彼は代々にわたり、年に一度、宥めを行う。これは主にとって最も聖なるものである。」"
⑴「香」とは聖徒らが捧げる祈りである
①「私の祈りが御前の香として、、、立ち上りますようにように」(詩篇141:1-2節)
②祭司の勤め
材料を日々に砕いて(謙遜)から日々の必要な分量(その日の必要)を捧げる
⑵角に血を塗る
アロンによる年一度の贖罪の制度。大祭司なるキリストによる贖いを表す
② 祈りにも贖いが必要?
誠意を尽くし言葉を選んだとしても私たちの祈りには欠陥がある。その清めを象徴している。
⑶キリストを通して父の前で祈りとなり得る
「これは主に対して最も聖なるものである」
①キリストの名よって父なる神が私たちの祈りを成就してくださる。ヨハネ16:23。
②キリストご自身が私たちのために執り成しをされている。ローマ8:34。
(結論)
キリストの名によって捧げる私どもの祈りは、清められ、父なる神のもとに届けられ、そしてそのキリスト名において実現される。
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「御前に出なければならない」
申命記 16章9~17節
"また七週間を数えなければならない。鎌を立ち穂に入れ始めるときから、七週間を数え始めなければならない。
そして、あなたの神、主のために七週の祭りを行い、あなたの神、主の祝福に応じて、進んで献げるささげ物をあなたの手によって豊かに献げなさい。
あなたはあなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みの中にいるレビ人、あなたがたのうちの寄留者、孤児、やもめとともに、あなたの神、主の前で、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ばれる場所で喜び楽しみなさい。
あなたがエジプトで奴隷であったことを覚え、これらの掟を守り行いなさい。
あなたの打ち場とあなたの踏み場から取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。
この祭りのときには、あなたも、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みの中にいるレビ人、寄留者、孤児、やもめもともに喜び楽しみなさい。
あなたの神、主のために、主が選ばれる場所で七日間、祭りをしなければならない。あなたの神、主があなたのすべての収穫、あなたの手のすべてのわざを祝福されるからである。あなたは大いに喜びなさい。
あなたのうちの男子はみな、年に三度、種なしパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主が選ばれる場所で御前に出なければならない。主の前には何も持たずに出てはならない。
あなたの神、主が与えてくださった祝福に応じて、それぞれ自分の贈り物を持って出なければならない。"
(序論)
イスラエルの青年大志が毎年エルサレムに登る祭りが年に三度ある。
過越の祭りーエジプトの圧政からの解放
7週の祭りーシナイ山での律法付与の記念
仮庵の祭りー荒野で神が同行保護供給された回顧
⑴恩寵の回顧
どこから救い出されたのか(3)
②自力での脱出は不可能だった
⑵民族としての訓練
①場所、時期、方法に制約があった(6、7、11、15、16)
② その中で一体感や同一性が育成される
⑶新たな生命への刷新
①主のなされた業ゆえの喜びの共有(11、15、16)
②継続される祝福(15)
(結論)
神の前に出る事は霊的生命が刷新継続されるために不可欠であるである。日々の個人的な祈りの生活、毎週の教会での集会。そして年に数度のカンファレンスなどを大切なものとして位置づけよう。
天使は神に仕えるために作られた霊的な存在で肉体はありません。
大きく3つの種類に分けることができます。
①ケルビム(単数形がケルブ)
最高位の天使で神の御座に最も近いところに侍る存在です。契約の箱の贖いのふたの上に純金でその姿がつくられ、載せられていました。2つの翼を持っています。出エジプト22:19
②セラフィム(単数形はセルフ)
次の位の天使は玉座の周りを常に飛翔し賛美をささげています。6つの翼を待っています。イザヤ6:2。黙示録にはそれぞれ4つの顔を持つ、4つの生き物としてさらに詳しく啓示されています。黙示録4:4-8。
③一般の天使
人間社会に現れ、名前を持っている存在でです。イエスの母マリアに現れた天使はガブリエルと言います。ルカ1:26。翼は持っていません。イエスの復活された日、その墓場にいて弟子たちに現れた天使もこの部類に属しています。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「主よ。お話し下さい。しもべは聞いております」
サムエル記 第一 3章1~15節
"さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。
その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。
神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、
エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。
主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。
サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。
主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。
それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。
主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。
その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。
わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。
だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」
サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。"
⑴祈りの人の訓練
体験的宗教の未経験(7)
②人の声と神の声との判別ができていない
世界にある学問や知恵と神のことばとの次元的相違
⑵祈りの人の召命
①聞く姿勢から始まる
祈りとは注文を神に突きつけることではない
② 問題との戦いの最中にこそ「声」がある
⑶祈りの人の行歩
①啓示されたことに従って生きる
②忠実な日課の遂行
「サムエルは朝まで眠り、それから主の宮の扉を開けた」
(結論)
政治や宗教界が混沌とした時代にサムエルは育てられていった。神とのコミニュケーションである祈りが確立されたのは、彼の保持した祈りの姿勢にある。問題の中に秘められた「声」を聞き分け、新しい啓示をいただこう。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「あなたはわたしを愛していますか」
ヨハネの福音書 21章15~22節
"彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」
イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子がついて来るのを見た。この弟子は、夕食の席でイエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切るのはだれですか」と言った者である。
ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなのですか」とイエスに言った。
イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」"
⑴現在のあなたの実質に投げられた問い
「ヨハネの子、シモン」(15、16、17)
イエス様に召される前の名前。「葦」の意味。
聖霊をいただいて炎の使徒「ペテロ(岩)」となる以前の問いかけ
②「心を痛めて」(17)
3度問われたのは3度主を否認した事に関連する。
主のお言葉に、自らの経験や常識を飛び越える信頼を置いた。
⑵あなたの使命(天職・MISSION)に関わる問い
①「子羊を飼いなさい」
愛は実践されて確かめられる
仕事とは、他者に「仕える事」
② 「わたしの」
あなたに委ねられた子供、生徒、家族、顧客、クライエント、教会員はあなたの所有物で無く、主に属しておられ、一時的に管理を任されたものである。
⑶あなた個人への排他的な問い
①ヨハネはどうですか?
殉教の死を示唆されて同僚の報いが気になる
「従いなさい」と言われ「ついてくる」(同語)彼の場合を尋ねた
②「あなたはわたしに従いなさい」
ペテロの賜物と召の道はヨハネと異なる。
(結論)
各人にはそれぞれ、神の栄光を現す道がある。
主のあなたへの召しは、あなたの自発性に訴え、生涯の使命に関わる、あなただけへのユニークなものである。
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「深みに漕ぎ出して」
ルカの福音書 5章1~11節
"さて、群衆が神のことばを聞こうとしてイエスに押し迫って来たとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、
岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。
イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。
話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
彼も、一緒にいた者たちもみな、自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。
シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」
彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。"
⑴常識の浅瀬から離れて深みへ
① 漁師としての常識。漁は日中に行うもの。
②「でも、おことばですので」
主のお言葉に、自らの経験や常識を飛び越える信頼を置いた。
⑵プライドを捨てて深みへ
①すでに網を洗い帰宅の準備は出来ている段階
② 数ヶ月間、共に旅行した主の御業と人格に触れ信頼の素地を築いていた
⑶未知の世界を拓く深みへ
①新しい自己認識〜「私は罪深い人間ですから」
②新しい使命〜「これから後、あなたは人間をとるようになるのです」そこには、これまでの経験とその人の賜物とを生かした新たな世界が広がる。
(結論)
主の言葉には常にチャレンジが満ちている。
自己が常識としてきたことが覆され、自己と世界とに対する新たな発見があり、新しく拓かれる世界への召がある。
オリンピック半島にある海に突き出た砂州
ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「かすかな細い声」
列王記 第一 19章3~14節
"彼はそれを知って立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。
彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
彼はそこにある洞穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、主のことばが彼にあった。主は「エリヤよ、ここで何をしているのか」と言われた。
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」
主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。
エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て洞穴の入り口に立った。すると声がして、こう言った。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの子らはあなたとの契約を捨て、あなたの祭壇を壊し、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうと狙っています。」"
⑴貴方だけに届けられる声
① 他者との比較の世界に生きているエリヤ〜先祖たちと比較(4)、モーセと比較(8、新約の変貌山)
②自負心と自己実現の陶酔にあっては聴こえない声(火と水を持って応えた神:18章))
⑵壊れた者に寄り添われる声
①エニシダの木の下で死を願うエリヤに2回顕現された主の使い(受肉前のイエス様)
説教ではなく食事を(5)
逃避行を勧める?(7)
② 「エリヤよ。ここで何をしているのか」
エリヤ自身のあり方(BEING)を振り返らせている。
エリヤの答えからDOINGに誇りと自負心を持っているのがわかる。
⑶新たな展望・ビジョンを与える声
①シャカイナ・グローリー(大風、地震、火)の中に主はおられなかった。これまでの民族歴史や個人経歴のスタイルや期待とも異なる方法で顕現された神。
②考えも及ばなかった展望
アラム王、イスラエル王、後継預言者の任命
7千人のレムナント(残りの者)
(結論)
自己の対する誇りと祝福の前提が葬り去られる時に聴こえて来る「かすかな細い声」がある。
その声を聴き分け新たな展望を得て指針に生きる者とされよう。
SanRahaelの聖堂
「普通の人、エリヤの祈り」
列王記 第一 18章41~46節
"エリヤはアハブに言った。「上って行って、食べたり飲んだりしなさい。激しい大雨の音がするから。」
そこで、アハブは食べたり飲んだりするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめた。
彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗って、イズレエルへ行った。
主の手がエリヤの上に下ったので、彼は裾をたくし上げて、イズレエルの入り口までアハブの前を走って行った。"
⑴先見者の確信〜大雨の音を聞いた(41)
① 3年と半年の間雨はなく土地はやせ細っていた(ヤコブ5:17)
②火を持って答える神、この方は祈りに応答される方であることをすでに体験していた(37-38)
⑵没頭した祈り〜自分の顔膝の間に埋めて(42)
①注意を分散させず祈りに沈潜していった
② 失望的な報告「何もありません」に耐え続けた祈り
見える変化は何もなくてもあくまで確信(1)が揺るがない
祈りながら夜を明かされた主の模範(ルカ6:13)
40日40夜断食して祈ったモーセ(出エジプト24:18)
⑶永遠者との合一〜手のひらほどの小さな雲が海から(44)
祈りが長時間にわたる理由
霊的な障害が取り除かれない、集中するのに時間がかかる、サタンが祈りを妨げる、肉体的弱さ、精神的低下、、、?
神と同じ立場、見地に立つまでに時間を要する
(結論)
祈りにおいて私たちには安息、刷新、充填が備えられる。主ご自身の御霊と1つとなれる世界がある。
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