Search Bloguru posts

つれづれなるままに

https://en.bloguru.com/hosanna
  • Hashtag "#メッセージ" returned 274 results.

freespace

「私は乏しいことがない」

thread
「私は乏しいことがない」 「私は乏しいことがない」 「私は乏しいことがない」 「私は乏しいことがない」


詩篇 23篇1~6節


"主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。
たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。"


「私は乏しいことがない」

本篇の作者であるダビデは、王位を確立した後だから断言してるのではない。

少年時代の貧しい羊飼いとしての務め、
青年時代に王から逃れた破綻した人間関係、
王となってからも家庭内の反目や部下の裏切り。

逆境のただ中にあってこのような高い調べを歌いあげることができたならば勝利であろう。

私たちの人生の旅路にも試練はつきものであるがこれらの3点に留意したならばそれが恵みにと変わる。

❶私を義の道に導かれる
過去にしでかした罪や過ちを恥じてさいなやまされる時がある。
そんな私を「義の道」に、すなわち神ご自身と顔と顔とを合わせられる聖なる場に導いてくださる。
それは私にふさわしいものがあるからではなく「御名のゆえ」イエスの贖いのゆえである。

❷あなたが私とともにおられる
神の臨在の伴わない生涯はどんな犠牲的で困窮していても、どれほど高貴に豊かであっても虚しいものだ。イエスご自身が共に同伴者として旅路を歩いてくださっているとの納得があるならば、どんな問題をも乗り越えて行けるものである。

❸主の家に住まいます
聖書で主の家とは神殿を意味している。
そこは礼拝(賛美といけにえ)が捧げられる場所である。地上のどこにいても生活のあらゆる場面で神殿を住まいとするとは、どういうことだろうか。
新約の光に照らして敷衍するならば、それは御霊ご自身を、キリストご自身を心中に保つと言うことに他ならない。
私どもの住まいをどことしてるだろうか。

"あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。"
コリント人への手紙 第一 6章19節
#メッセージ

People Who Wowed This Post

世界観が変わると心燃やされる

thread
大祭司カヤパ邸宅の当時のままの... 大祭司カヤパ邸宅の当時のままの石畳道路 当時アントニア要塞のあったとこ... 当時アントニア要塞のあったところで現在はダビデの塔
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージ・ノートです。です


「エマオへの二人」


ルカの福音書 24章13~35節


"ところで、ちょうどこの日、弟子たちのうちの二人が、エルサレムから六十スタディオン余り離れた、エマオという村に向かっていた。
彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。
話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。
しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。
イエスは彼らに言われた。「歩きながら語り合っているその話は何のことですか。」すると、二人は暗い顔をして立ち止まった。
そして、その一人、クレオパという人がイエスに答えた。「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか。」
イエスが「どんなことですか」と言われると、二人は答えた。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいました。
私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、
仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。
それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。
彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。
そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、
「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。
そこで二人も、道中で起こったことや、パンを裂かれたときにイエスだと分かった次第を話した。"


⑴暗い顔つきの二人

①目が遮られていた
人には見たいものしか目に入らない
自らの造った世界観の中で生きているゆえ

②二人が見ていたもの
イエスがイスラエルを贖ってくれるはずだとの望みに生きていた〜ローマからの政治的軍事的独立を成し遂げて、平和と繁栄が行き渡った世界の中心となる望み。それは旧約聖書預言のメシア王国。


⑵心燃やされる二人


①それは世界観が変革した時
「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」
聖書で「愚か」とは、信仰のない状態を表す
二人は弟子であることには違いなくとも、「全て」を信じていなかった。

②「聖書全体」が何を行っているかを理解し始めて世界観が変革していった。
挫折だと思われていたことを包めて栄光に至る1つのプロセスであった。神のご計画は未だ挫折せず。


⑶目の開かれた二人


①その場面〜「そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された」(30) 。それはユダヤ教ラビとしての典型的な食前の祝福の祈りであった。


②その前提〜「すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」(31)。
イエスのパンを裂く仕草を覚えていた。
イエスとの共通した共有体験が開眼に至らせた。


(結論)


イエスとの共有体験をどこまで経験し深めているか。主は会話のきっかけ(17)、議論の深まり(19)、叱責(25)、解説(27)、供与(30)など、信仰生活のあらゆる場面で働きかけておられる。
たとえ私たちが「愚か」の状態であったとしても、ともに道を歩いてくださる主のお言葉に耳を傾けようではないか。
#メッセージ

People Who Wowed This Post

「マリヤとマルタ」

thread
「マリヤとマルタ」 「マリヤとマルタ」 「マリヤとマルタ」 「マリヤとマルタ」

イースターおめでとうございます。

復活の主イエスは今日も来ておられます。

ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージノートです。



「マリヤとマルタ」


ルカの福音書 10章38~42節


"さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」"



⑴マリヤの選択〜Better or Best?


①主の足元でみ言葉に聴き入る〜学問や教育が許されていなかった女性に対しての主の配慮や価値観が伺われる

②姉のマルタの選択〜世間の常識やホストとして当然の行為でありストレスが高じているのもやむを得ない





⑵マリヤの洞察〜Many or One


①より価値のあることに時間と心を用いて実践せよ〜それは突き詰めて言えば主の御言葉と同化することであり、キリストご自身が内住されること。


②キリストご自身が望んでおられたことでもある
人々を教え癒されたがそれを通して人々に内的な変革を与えるためだった
パウロもただ「この1時に励んでいる」と言っている


⑶マリヤの保全〜Knowledge or Life

①「それが彼女から取り上げられることはありません」未来形であり受け身形。かつての新改訳と異なり原文に忠実。信者の信仰は永久に保存される教えにつながる
ローマ8:39

②事実として生きることと理解している事とのあいだには雲泥の差である。内住の恵みはかつて与えられたに違いない。これを正しく理解し時々刻々の自覚に生きながらその恵みを更新しよう。


(結論)


イースターは2000年前のイエスの復活という歴史的事件を想起するだけでは足りない。
今私の心の中にも復活の主が事実として生きておられる恵に生きるものとされよう。



#メッセージ

People Who Wowed This Post

復活の希望

thread
復活の希望 復活の希望 復活の希望 復活の希望


イースターおめでとうございます。

誠に主は死を打ち破り復活してくださいました。

これにより、

ご自身の語られたお言葉の信憑性
ご自身が約束してくださった救いの確かさ
ご自身が初穂として私たちに永遠の命を担保してくださいました。

かつて義父が出席していた教会に行き、そこに併設されている墓地に家族で行きました。

私たちはやがて愛する方々との再会が実現できるのです。
ハレルヤ。


"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。"
ヨハネの福音書 14章6節
#メッセージ

People Who Wowed This Post

ゲッセマネの園での祈り

thread
オリーブ山から神殿の丘を見下ろ... オリーブ山から神殿の丘を見下ろして。
昼はこの神殿の場所で主は教えられました。
オリーブ山の麓です オリーブ山の麓です 2015年の大晦日、エルサレム... 2015年の大晦日、エルサレムのホテルにてユダヤ式の安息日夕餐をお祝いしました。

受難週の霊想

"しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。
それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。
ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。
あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです。"
ルカの福音書 21章12~15節


"こうしてイエスは、昼は宮で教え、夜は外に出てオリーブという山で過ごされた。
人々はみな朝早く、教えを聞こうとして、宮におられるイエスのもとにやって来た。"
ルカの福音書 21章37~38節
"さて、過越の祭りと言われる、種なしパンの祭りが近づいていた。"
ルカの福音書 22章1節
受難週の木曜日を迎えました。
今年はキリスト教暦のイースターとユダヤ暦の種無しパンの祝い(過越の祭り週)の日が同日に重なった珍しい年となりました。

神殿の丘の東側にそびえているオリーブ山の麓に広がるオリーブの園。

そこで主は夜になると時を過ごされていたとありますが、主は祈っておられました。

そしてその祈りのクライマックスが、木曜日の夜、翌日に十字架刑を控えた時のものです。

それでは主は、一体何を祈っておられたのか。

ご自身が父なる神の御心を違うことなく歩んで、最期まで忠実に使命を全う出来るようにというものではなかったでしょうか。

早くから神殿で民衆を教えられたその教えの結語が36節にあります。

"しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。」"
ルカの福音書 21章36節

やがて私たちは皆、人の子なるイエスの前に立たされます。

その裁きの座で使命を全うしたかどうかが問われるのでしょう。そのためにいつも「油断せずに祈っていなさい」と教えられたのです。

人に教えておいて自ら実践しなければ偽善者です。

主は人に教えられたことを先ず自らが率先して実践されて来られました。

ゲッセマネの園での主の祈りを想うとき、

私自身の快楽願望計画が成るようにではなく、
主の御心が成されて、
主の道を歩むことができるようにとの

祈りに導かれざるを得ないのです。


#メッセージ

People Who Wowed This Post

「ダビデの杖と石で」

thread
「ダビデの杖と石で」 「ダビデの杖と石で」 「ダビデの杖と石で」 「ダビデの杖と石で」


巨人ゴリアテに青年ダビデはどのようにして立ち向かったでしょうか。

〜ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージ・ノートです。


(序論)


286センチの身長と鎧の重さで57キロもある巨人ゴリアテに青年ダビデがほとんど素手で戦うのは常識を超えたところのものであった。ダビデが勝利できたのは肉(身体の強靭さ・優れた武器・戦士としてのスキル.......)によるものではなく、霊よる勝利であった。
その霊(スピリット)の法則を自らにも適用しよう。



⑴あなた自身であれ(39)〜日頃使い慣れた道具を手にせよ


①羊飼いとしての日常道具(40)〜ありのままのあなたで行け。戦士としてではなく羊飼いとして戦え。

②自分自身を見失ってはならない
*皮肉と悪意のある中で(28)〜エリアブの嫉妬
*善意と好意のある中で(38-39)〜サウル王の気遣い


⑵ストレスを乗り越えよ〜本番に強くあるために


①信仰による戦い〜「万軍の主の御名によって」(45)
中近東における古代の戦争はその民族の神々の戦いであると考えられていた。

②すでに勝利を確信していた
5つの石から1つだけの石で決着(49)


⑶平素の営みに心せよ〜危機にあっての最大の準備


①羊飼いとしての命を張った日常生活(34-35)
戦士としての訓練はなかったが羊飼いとしての忠実な毎日がそれと代わるものとなっていた。

②羊飼いとしての大自然の中での信仰生活(36-37)
野原や岩場がダビデにとっての神殿であり神学校でもあった(詩篇23)


(結論)


手に負えない大問題に接するとき、しかもそれが主の栄光に関わる事であったとしても心配には及ばない。私たちのうちにお住まいになっておられる御霊に信頼をおこう。信頼を置くために平素からの信仰生活に心しよう。

"しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。
それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。
ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。
あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです。"
ルカの福音書 21章12~15節
#メッセージ

People Who Wowed This Post

花見の季節

thread
花見の季節 花見の季節 花見の季節


四国在住の友人が花見に行った様子をFacebookで紹介してくれました。

繚乱の言葉を思い出す見事な満開に桜。

日本の風土と景色によく溶け合っているピンクの花柄。

ここシアトルにも日本から移植されたソメイヨシノの見事な花見の場所があります。

そのワシントン大学のキャンパスに今週は行ってこようかと思います。

桜には私たち日本人の心を愛でさせ、上に向けさせる何かがあるようです。


ところで聖書の世界には、


何となく「何かが」といったあやふやさを超え、
聖書には確かな約束が記されています。

そうです。
恵みをいただくために、大胆に神が御臨在されるその場に侍ることができるのです。

"ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。"
ヘブル人への手紙 4章16節
#メッセージ

People Who Wowed This Post

「大胆に恵みの御座に近づこう」

thread
「大胆に恵みの御座に近づこう」

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージノートです。



「大胆に恵みの御座に近づこう」


ヘブル人への手紙 4章14~16節


"さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。"


⑴主イエスを知ろう(14)〜その職能を把握せよ

①「もろもろの天を通られて偉大な大祭司となられた」
かつて大祭司アロンは贖罪の日に会衆の面前でさまざまな仕切りを通り至聖所にまで至った(レビ16:15、17)

②本書が論述している「優れた方」
預言者より
天使より
モーセより
ヨシュアより
アロンより


⑵主イエスとともに(15)〜その方は低いところに降って来られた


①人との自己同一性を開拓された主
完全な人間として肉体、感情を備えられ喜怒哀楽を経験して来られた

②自己同一性が成立して始めて「同情」が可能となる
*イチロー選手の引退。
「アメリカに来て、外国人になったことで、人の心をおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた」「孤独を感じて苦しんだことは多々ありましたが、その体験は未来の自分にとって大きな支えになると、いまは思います」。

国民栄誉賞授与を3回目にして拒否〜「人生の幕を降ろす時に」


⑶主イエスに近づこう


*新しい元号「令和」時代の華やぎと希望
『初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、〜』(万葉集)との文言から引用。

「この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております。万葉集は1200年あまり前に編纂された日本最古の歌集、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」(安倍首相談話)

新しい時代を感じさせる、希望を見据えた元号改元である。
春という季節や日本古典からの典拠と言う雰囲気に依拠するのではなく、
私たちが希望を失わずに済む確固とした土台があることを知ろう。

①あわれみと恵みとをいただくために

②折にかなった助けを受けるために

③恵みの御座に近づこう



(結論)
私たちの側には俊敏なユダヤ人弁護士(イエス)が常時ついていることを知ろう。この方は、大祭司として私たちのために執り成しをしておられる。

#メッセージ

People Who Wowed This Post

失ったものを見つけた喜び

thread
失ったものを見つけた喜び 失ったものを見つけた喜び 失ったものを見つけた喜び 失ったものを見つけた喜び



半日間失っていた財布。

数百ドルの現金やクレジットカード数枚、それにドライバーズライセンスや教会堂アクセスの鍵まで入っている。

机の周りや部屋中探しても、またあらゆるポケットを探しても出てこなかった。

息子に打ち明けてみると、

「車の中を探したか」
「助手席に置いてないか」

とのたもう。

そんなとこに置くわけないよ、と言いながらも行ってみると車の窓越しにちゃっかりと財布が助手席に座ってるのが見えた。

その時の喜び、開放感、満たされた思い(^^)

昨夜息子に運転させて自らが助手席に座った時どうやら財布を持ち出したのを忘れていたらしい。

聖書の次の言葉を思い出しました。

"また、ドラクマ銀貨を十枚持っている女の人が、その一枚をなくしたら、明かりをつけ、家を掃いて、見つけるまで注意深く捜さないでしょうか。
見つけたら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『一緒に喜んでください。なくしたドラクマ銀貨を見つけましたから』と言うでしょう。
あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」"
ルカの福音書 15章8~10節


財布が見つかるまでは食事をしても美味しくなかったし、息子とバスケットボールをしても気にかかって楽しめなかった。

財布がどれだけ貴重かと言えば、百ドル少々の現金と後は時間と手間をかければ回収できるものばかりのはず。

もしも悪用された場合カード会社は補填してくれるし、運転免許証だって再発行すれば良い。

考えてみれば全て取り返しの効くものばかり。

それでもあの半日間は空虚な気持ちでそわそわして生きた心地がしなかった。

「生きるって辛いな〜。こんなことも耐えねばならないなら死んだ方が楽か?」
少々大げさだけど、そんなふうにも思った。




失われた私たちに対して神がどんな思いでいらっしゃるかを主イエスが例えにして教えられた。

上記にある女性が銀貨を失った際の慌てぶりと発見の際の喜びの例え話。

銀貨も財布も取り返しのきくものである。

ところが私たちの命には取り返しがきかない。

そこで神は自らの命を差し出すことを決意された。

私たちが神によって発見されるために、
主イエスが十字架でその命を差し出さねばならなかったのだ。

神の目から見て私たち一人ひとりの命はそれほど重い。

「人の命は地球よりも思い」

ある政治家の言った言葉らしいが確かにその通り。

神のひとり子を犠牲にする程の重さだったのだから。


#メッセージ

People Who Wowed This Post

他人事が自分事になったときに

thread
ナザレにある聖誕教会 ナザレにある聖誕教会 ナザレのバザール ナザレのバザール




「ナザレのイエス」
ナザレ〜それは辺鄙な片田舎であり、
当時の聖書には一度も言及なく
「ナザレから何の良いものが出よう」(ヨハネ1:46)と言われるほど蔑まれたところだった。

そのナザレ出身の学歴なし支持基盤なしの30歳の青年イエス。

数ヶ月前、なぶりものにされた上、
十字架で死を遂げられたばかり。

さらに死から復活されたという知らせは、
弟子たちの間に広まっている。

生まれてこの方、足がなえていて歩いたことない男にとって

突然「歩きなさい」とのペテロの命令はあまりに唐突でハードルが高かったに違いない。

エルサレム神殿の美しの門に物乞いのために置かれていたこの男は、当然のことながらこれまでイエスの噂を耳にしていたはず。

そのイエスに賭けてみることにした瞬間だった。

ナザレのイエスと言う方が行なっていた、

病を癒し目の見えない者を開眼させていた他人事話を、

この時、自分にも適応してみたのだ。

つまりイエスと言う方が聖書に予言されたメシアであり、

神ご自身であり、

不可能はない救い主であられるとの信仰を抱いて自らの足で立ち上がった。

いや立ち上がろうと、決意して意思を動かした。

ペテロはその時、彼を助けて「右手をとって立ち上がらせた」(7)とある。

その瞬間、神の力が彼の全身を貫いてその足は飛び上がるほどまでに頑丈に癒されたのだった。

私たちも同様にしてナザレのイエスと言う方が

死なれたこと

復活されたこと

その前にも、イスラエルの地で様々な奇跡を行われたことを

聖書の中から知ることが出来る。

クリスチャンの知人から友人から聞いたこともあるでしょう。

これが単なる昔話、おとぎ話の段階から

自分自身に適応するときに神のみわざが始まる。

ペテロはその直後、その神のみわざがどうしてこの男に実現したかをまとめている。


"このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです。"
使徒の働き 3章16節


①この男を癒した直接要因〜「イエスの名」。
ヘブル的に名前はその人自身を表す。
すなわちイエスご自身。

②この男を癒した間接要因〜「その名を信じる信仰」その男がイエスに対して抱いたメシアとしての信仰のこと。

③信仰の起源〜「イエスによって与えられる信仰」
それ故私たちは自らの敬虔に根拠を置かない。
永久に保証されている救いをいただいているのである。


#メッセージ

People Who Wowed This Post

  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account
Happy
Sad
Surprise