オークランド空港から伸びる公共鉄道Bartの高架線
昨年完成したばかり
こんなにも順調にフライトまで進むのは珍しい。
ダウンタウンを抜けて高速に乗るまでの数マイル間、
今回は渋滞がなかった。
レンタカー返却後にシャトルバスで空港まで行くが
そのバスがすでに私を待っていてくれた。
空港ではチケットカウンターにも、保安検査場にも行列はなく
そのまま先頭へ。
フライトも定刻通り。
よって、サンドイッチで夕食を搭乗時までに終了。
サンフランシスコ日本町のショッピングモール。
手すりを常時磨いているおじさんがいて、この通りピカピカ。
モール内には様々な日本のアイテムが販売されている。
数周前に訪れたナバホ自治区でのニュースが
ベイエリアで手にした日本語フリーペーパーに載っていたのでお知らせです。
全米で初めての「ジャンクフード税」が今月から導入され
揚げ物やファーストフード、炭酸飲料やスナック菓子などを対象に
5%の売上税の上に2%が
上乗せされて加算されるという。
その一方で昨年10月には
野菜や果物への課税が廃止されている。
確かにその地区でお会いしたナバホ族の方々は
立派な体型をしておられた方々ばかり。
ある統計によると、
貧困率と肥満率とは比例関係にあるという。
全米を大きく上回る貧困率の同地区では
人々がジャンクフードに頼る食生活を送っているとの報道。
九州の約2倍の広さに
生鮮食料品を売るマーケットが10店舗しかないのだと言う。
糖尿病患者の割合では11.2%と
全米平均の5%を大きく上回っている。
……………………………
肥満対策の究極はどうなるか?
これも最近雑誌で読んだメキシコシティの話。
スクワットをその場で10回すれば、
なんと、なんと〜
公共交通のバスや鉄道料金が
タダになるらしい!!
同市の子供の肥満率が約4割、
成人のそれは約7割に達しているための
苦肉の策
V(^_^)V
10回のスクワットで肥満が解消されるとは到底思われないが、
「溺れる者は藁をも掴む」心境なのでしょうか?
活気溢れる中国人街
イタリア人街に接するワシントン・スクエア
サンフランシスコには広大なチャイナタウンがあります。
その街路に入り込むとどこを向いても中国語の案内板のみ、
通行人から飛び交う言葉も中国語
……中国に迷い込んだか、と錯覚するほどです。
申し訳ない言い方ですが
お世辞にも綺麗とは言えない街並み。
野菜などが煩雑に並べられたまま、その陳列台が歩道にはみ出ていたり
2階の窓から洗濯物が干してあったり…
一方、隣の街区にはイタリア人街が広がっていますが
そこは高級で洗練された内装のレストランが軒を連ねています。
数ブロック四方の規模で、
中国人街と比べたら桁違いに小さなものですが。
整頓や綺麗さの違いは文化の違い、ってことでしょうか?
どちらが上で下で、という話ではないはずです。
そう言えばマンハッタンにあった中国人街は
イタリア人街と隣り合ってましたが
それは単なる偶然の一致なのでしょうか。
オイルを補充し、プラグを交換してやっと動き出した芝刈り機
数年ぶりのエッジングで縁石が顔を出した
このところシオン国立公園、バンクーバー等への外出が続き
気が付いてみると我が家の庭の芝生は30センチほども伸び放題。
この日、ようやく芝刈りが出来た。数年ぶりにエッジングも。
ウィード・ラッカーでシツコイ雑草も絡め取る。
数週前からの夢が叶えられ、スッキリ気分。
おまけに床屋にも行ってきて頭までがスッキリ(^-^)
土や草を触る庭仕事は
人を落ち着かせリフレッシュしてくれるようです
ホサナキリスト教会
日曜礼拝・聖書広場から
ヨハネ21章1〜14節
「さあ来て、朝の 食事をしなさい」
主が復活されて2週後の
ガリラヤ湖畔での出来事であった。
❶対比
ペテロら7名の弟子たちが一晩中漁をしてみたものの、
「しかし、その夜は何もとれなかった」(3)
一方、主が言われる通りに「舟の右側に網を下ろし」再びやってみたところ、
「おびただしい魚のために網を引き上げることが出来なかった」
という大漁となった。
この違いはどこから来たものでしょうか?
人の側の努力や真面目さが違うのでしょうか?
いや、ペテロらは誠心誠意働いたはずです。
一晩中冷たい水や風にも耐えながら重労働に耐えたのでした。
それだけに収穫ゼロというのはキツかったはず。
肉体の疲労だけでなく、労働が徒労に終わった失意と虚無感に陥っていた弟子たちであった。
❷原因
ところで、主の言葉通りに再び網を投げ入れると
その失意は歓喜に変えられた。
朝もやに浮かぶ人影の正体が誰かを真っ先に見破ったのは
「主が愛されたあの弟子」と紹介されたヨハネだった。
不漁と大漁、失意と希望、成功と不成功、、、
両者を分け隔てているのは、
主がそこにおられるかどうかの違いである。
そして主のお言葉を聞いていたかどうか。
さらにその主のお言葉を通りに
信じて、行動に移したかどうかに違いがあった。
❸介入
「子どもたちよ。食べるものがありませんね」
困憊と挫折の只中にいる弟子らに声をかけられた主。
私たちがどんな理由で絶望しているのか、主はご存知であられる。
私たちのその惨めな只中に主は来られて同様に声をかけてくださるのです。
「さあ、来て朝の食事をしなさい」
疲労と空腹の中にいた弟子らのために、
炭火で焼いた魚とパンとが備えられた朝食。
主を否定したペテロ、同様に逃げ出した他の弟子ら。
彼らの傷心を癒し、主との絆を再構築する和解の食卓であった。
思いがけない失敗に沈むことがあったとしても
その現実の中に今も主は介入し、
私たちとの和解のテーブルを備えてくださっている。
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