【勇気が出る20の言葉】
①望む現実を創るとは望む自分を創ること
②すべての壁は自分の内にある
③できるかできないかではなく
やるかやらないか
④やる人は「時間」を作り
やらない人は「理屈」を作る
⑤他人に期待すれば不満になり
自分を信頼すれば自信になる
⑥人は欲しいものではなく
自分と同類のものを引き寄せる
⑦だから素敵な恋人を求める前に
素敵な自分になろう
⑧愛を求める前に愛に生きる人になろう
⑨問題は「彼ら」が何をするかではなくて
「自分が」何をするか
⑩人間関係とは他人を通して
自分自身との付き合い方を学ぶ機会
⑪他人を変える一番良い方法は
自分の視点を変えること
⑫転ぶものほど転び方がわかる
⑬自分の苦しんだ経験が他人の役に立つ
⑭「辛い」+「-」=『幸』
⑮人は賛成意見に勇気づけられ
反対意見で成長する
⑯自分の短所を受け入れるとき
自分らしさという魅力が生まれる
⑰最大のピンチは最大のチャンス
⑱大変とは大きく変わる事
⑲うまくやるより本気でやる
⑳出来ない理由は出来る理由は。
カリフォルニア州フレズノ近郊にあるピーチ農家へミッション・トリップに行っていた息子が今日の夜帰宅する。
教会のユースグループ6〜7人の一行で、約1週間ほどのボランティアの働き。シアトルから当地まで車で移動するだけで丸二日間。往復四日間が消費される。当地では月曜から土曜日まで毎朝7時からの食事、そして午前9時から午後4時半までの炎天下でのピーチの収穫・選別・梱包・発送作業が続く。そこからの収穫物や収益は貧困国へ送られる。
グループリーダーから次のような報告があり嬉しく思いました。
①ユースたちはこれまでになく神を体験し、神の御臨在を感じているようです。
②彼らは厳しい作業や長い拘束時間にもかかわらず積極的に奉仕に励んでいます。
③来年も同様にこのところにボランティアに行きたいと彼らは考えているに違いありません。
親の下にあっては家事にも消極的で、厳しい旅行スケジュールにあっては文句タラタラだったのに、我が子とは思えないほどの変貌ぶり。
子供って、親のいる巣箱から離さないと成長しないんですね(^^)
現在彼らの乗ったバンは、オレゴン州を北上中です。今晩1周大きくなった息子に会うのが楽しみ。
藤本満先生を講師としたインマヌエル綜合伝道団主催のe-learning8週間コースが終わりました。テーマが、「現代的コンテキストで十戒を読む」。
自ら主体的に考えることを基本に据えた講座でした。
講師の動画講義はもとより受講生のレスポンスのそれぞれの体験談から醸し出されてくるユニークなコメントが洞察深く、それまでにいだいたことのない概念へ触発されることが多かったです。
8週間最後週のテーマが、これまた今日的であり論争の多い同性愛問題。聖書を表面的に字面だけの文言を取り上げて解釈することの危険性。
いったい主イエスなら涙と血の通う現実の人間を前にどのように接しだろうか?との、より根幹的な視点に立つ重要性。
さらに一見同性愛を弾劾する厳しい言葉を聖書に記させた当時の文化的習俗的な背景を知った上で、そのテキストを含んだ書簡が全体として何を伝えようとしているかの文脈をわきまえなくてはならない点も確認することができました。
その週の課題である私の投稿文をここに紹介して本講座の紹介とさせていただきます。
講師の藤本先生と鈴木先生、そして今回もまたお世話になった大津さん。
有意義な学びとなったこの機会を心より感謝しています。
(以下が私の投稿文書です)
藤本先生
本講座の最後に現在最もホットでありかつ何が正しいかとても断言できないかのような微妙な題材を取り上げてくださいました。
そればかりでなく先生ご自身のお考えも余すところなくお伝えくださり嬉しく存じます。
先生がこのように同性愛についてお考えになるのは、親しい友人との出会いが大きく関係していると伺いました。その中で主イエスであったらマイノリティーに対し、社会から阻害されていると感じてすでに悩んでいる者に対してさらに聖書の言葉を盾に断罪するとは思えないとの聖書全般に対する基本的な考え方がベースにあると伺いました。同性愛に対しての私の基本的な考え方を形成したのもまた同様なプロセスがあったことを認めます。
同性愛的志向があることをある方は幼少期から感じていたのですが保守的なクリスチャンホームの中で育てられる中でそれを正直に認めることができないまま宣教師にもなっていました。40歳を超えたときその人は同性愛の友人たちとの付き合いの中でそのことに目が開かれていったのでした。そのような世界が存在すること、そしてそれは神が与えた性の賜物であること、それに正直に生きることが誠実な生き方であるとの信念を持ち、離婚した上で同性のパートナーと同居を始めました。私から見てその人はとても真面目で良識的な信仰者です。
このような実際的なLGBTの方との出会いがなければ私も同性愛に関する聖書箇所をそのままストレートに受け取っては許容することができなかったでしょう。小学生がするような表面的に聖書の文言をそのまま解釈しては彼らを断罪していたと思います。今回の講座で解説してくださった聖書の解釈方は大変考慮するべきものであり、正当に扱われるべきものと考えます。
イスラエルは選ばれた民族として他の民族とは異なるアイデンティティーを確保するために様々なタブーがあり、その社会的祭儀的習慣の枠組みの中で独自の共同体を保ってきたとする視座。主イエスによってモーセ律法が完成し、信仰生活の規範としての効力を失った新約時代、それらのタブーがあらゆる面で崩壊し覆してきたのがキリスト教の歴史であったとの解説。
どれも1つの聖句からだけでなく聖書全巻を見渡す広い文脈の中で導き出される視座であろうかと思います。
さらに創造の秩序を理由に同性愛を否定する人たちに対しては、次のように考えることができないでしょうか。
神が人を男と女とに創り、一心同体となって家庭を造るのが御心であるのは間違いありませんが、それは一般的に、マジョリティに対してあてがわれるものであり、例外を排除するものでは無い。性的不能者として生まれてくる場合、遺伝子異常による性同一性障害、さらにそのような性的少数者ばかりでなくても手足を失ったまま生まれてくる身体的なハンディの場合、知能や精神にハンディを持って生まれてくる場合などもあるでしょう。それゆえに家庭生活を形成出来ないからといって神の御心に反しているは言えないはずです。それらを失敗や堕落として排除するならナチスドイツの優生保護法につながる恐ろしい考え方であり、むしろそれらハンディ(障害)と一般に思われるものは、各人に与えられた個性として、神の愛と御守り中にあるものとしてリスペクトするものではないでしょうか。
「神のわざがこの人に現れるためです」(ヨハネ9章3節)
ローマ書1章や他のパウロの書簡でも同性愛や男色を罪深い行為として取り上げている事例について。
これらの聖書箇所が罪深い行為として同性愛行為を咎めている文脈は、神を認めない反抗的な人間が欲望と情欲を自らの神とし偶像礼拝を積極的に行った結果、自制のきかない性的逸脱の中で最終的に同性愛や獣淫と言う不自然な性行為に淫乱に陥ったとしているところのものです。その具体的事例が創世記にあるソドムの街の様子です。旅人の男性らを強姦目的で家に侵入しようとする街中の男たち。それに対して未婚の娘を身代わりに差し出そうとする父親ロトの落ちた倫理観。淫乱の極みに陥り理性を失った人々は当然さばきの対象となるものですが、それと本来同性愛的志向を持って生まれた人として倫理観と良識とを備えている一般市民、まして信仰を持っているクリスチャンらとを同列に扱うことはできません。
ここで同性愛的志向と性行為とを分けて考える教団があります。
性的志向は神からの賜物として先天的なものでゆえ個人が変えることができないことを認めるとしても、同性同士の結婚や同居、性行為までは認めないとする考え方です。私の最も信頼を寄せている米国のあるメジャーなプロテスタント教団がそのようなスタンスに立っています。私もこれについては白黒決めることはできませんし、聖書も沈黙しているように思います。ただ同性愛の存在を認めてもその行為や同居を認めないと言うのは異性愛者のマジョリティーとしての論理であって少々横暴ではないかなぁとも考えます。パートナー以外との性的関係を否定し、貞操を守る良心的信仰的な同性愛カップルに対して教会として門戸を閉ざすことが果たして許されるのでしょうか。彼らを罪人として断罪し、のけ者にすることが果たして主イエスの教えと合致してるのかどうか甚だ疑問です。神はありのままの、あらゆる個性をその人のままのかたちで受け入れてくださるお方であると信じるからです。
「割礼を受けているかいないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6章15節)
本日も朝の4時半ごろから始動を開始デス。
まず太平洋から昇る朝日を写真に収めたかったのですが、
あいにくの曇り空で願いが叶いません。
1人の子供が携帯電話を失なったため、
大阪にあるiPhoneショップに立ち寄る羽目になりました。
そこで3時間ほど機種の選択やセットアップに時間を取られ、
ホテルにチェックインしたときにはすでに夜の7時を回っています。
今日は日本チームの最終予選ゲームが1時間後に始まります。
さぁ今晩も眠り眼をこすりながら応援してしまうのでしょうか?
本日午後3時過ぎの405サウスバウンド。
白いバンが路肩に激突したのみならず炎上していて高く煙が舞い上がっている。
反対車線を通り過ごしながら被害者の安全を祈る。
道路は完全にシャットアウトされそのあと数キロにわたって完全に停車状態が続いていた。
1台の不注意が万台にとんだ迷惑をもたらす。
以下がブルースリーが残した言葉だそうです。
映画では多くを語りませんが、そのカリスマ性が一目でわかってしまうほど、特異な存在でした。
まさに映画の中の役者と言うよりも彼自身の武道に対する哲学をそのまま表現したのが「燃えよドラゴン」の映画だったと言えそうです。
そんな彼がいかにも残したような言葉です。
賛成も反対もしない。
決して他者を比べることをしない、孤高の人でした。
(1)
常に自分自身であれ、自分を表現し、自分を信じろ。成功者を探し出してきて、その人と同じことをやろうとするな。
(2)
パンチとは目標を「打つ」のではない。「打ち抜く」のだ。
(3)
簡単な人生を願うな。困難な人生を耐え抜く強さを願え。
(4)
失敗は、それを認める勇気さえあれば、いつでも許されるものだ。
(5)
誰が正しくて誰が間違っている、誰が誰より優れているなどと考えるな。賛成も反対もするな。
(6)
私が恐れるのは、1万通りの蹴りを1度ずつ練習した者ではない。たった1つの蹴りを1万回練習した者だ。
(7)
武術家の肉体は武器である。にもかかわらず、武器の手入れを怠る人間が、なんと多いことだろう。
(8)
境遇なんかクソくらえだ。俺は自らチャンスを創りだす。
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(9)
重要なのは日ごとに技量が増えることではなく、減らすのを心掛けることだ。つまり実質に関係ないものはどんどん捨てることである。
(10)
物理的であれ、なんであれいつも自分のやることを制限してしまうとそれはあなたの行動、人生にも広がってしまう。限界などない、停滞期があるだけだ。そこに留まってはいけない。
(11)
敵と戦うとき、勝敗は意識のなかから消し去るべきである。 状況に応じて動けばいい。
(12)
あなたが思い描くように、あなたはなっていく。
(13)
知るだけでは不十分。応用しなくてはならない。決意するだけでは不十分。実行しなければならない。
(14)
馬鹿な人間が賢明な答えから学ぶよりも多くのことを、賢明な人間は馬鹿な質問から学ぶ。
(15)
行動した者だけが学ぶことができる。
ホサナキリスト教会の日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「植えて水を注いで」
コリント人への手紙 第一 3章1~9節
"兄弟たち。私はあなたがたに、御霊に属する人に対するようには語ることができずに、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように語りました。
私はあなたがたには乳を飲ませ、固い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
あなたがたは、まだ肉の人だからです。あなたがたの間にはねたみや争いがあるのですから、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいることにならないでしょうか。
ある人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言っているのであれば、あなたがたは、ただの人ではありませんか。
アポロとは何なのでしょう。パウロとは何なのでしょう。あなたがたが信じるために用いられた奉仕者であって、主がそれぞれに与えられたとおりのことをしたのです。
私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
植える者と水を注ぐ者は一つとなって働き、それぞれ自分の労苦に応じて自分の報酬を受けるのです。
私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。"
⑴世界の畑にいる3種類の人たち
①「御霊に属する人」〜「成人」(2:6)
②「肉に属する人」 「キリストにある幼子」〜その現れは「ねたみや争い」
③「ただの人」(3)〜「生まれながらの人間」(2:14)
⑵畑を耕作する者たち
①コリントは畑、そこで労した二人の農夫
②開墾者としてのパウロ〜使徒18:4-11
③農務者としてのアポロ〜使徒18:24-28
④役割は違えどそれぞれは、「信仰に入るために用いられた僕」(5)に過ぎない
⑶育てたもうは神
①作物は種、苗、結実と太陽光を浴びながら自ら発芽し成長して行く
②耕作者は神の協力者(9)。それぞれの働きにはやがて報酬を受ける時が来る。
③「成長させたのは神」(6)
(結論)
人が気になるか?
一切の源泉は神にあり、神へのの絶対的な信頼を一貫させよ。
「訓練・隠遁生活がもたらすもの」
マタイの福音書 4章1~11節
"それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、
こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。"
⑴モーセのミデアンでの40年間〜出エジプト3章1〜6節
①それまで宮廷での40年間であらゆる学問と武術を習得したモーセは、解放者としての自負心や他者への優越感を持っていた。それがミデアンの荒野において単調な羊飼い生活を40年間過ごした今、敗北感と劣等感の中に置かれている。
②そんな彼に神は思いがけないミッションを授けられた。己ではなく神により頼むことを伝えた。新たな自己認識を形成する期間となった。
⑵パウロのアラビア生活〜ガラテヤ1章15〜17節
①エリート意識と自己義の塊であったパウロが太陽より輝く光に打たれキリストの言葉を聞いたとき、それまでの行き方が崩され、過去のあらゆる価値観がご破算となった。
②キリストに出会うときに私たちの世界観と生き方のパラダイムが大きくシフトされる。
古い過去の精算と新たな目標の整理期間であった。
⑶イエスの荒野での40日間〜マタイ4章1ー11節
①執拗に迫り来る悪魔の誘惑と攻撃に、神の言葉を用いて撃退されたイエス。
富と名誉と権力と言うあらゆる地上にある誘惑を経験された上で勝利された。
②私たちが自らの生きる目的と使命とが確立されるには神の言葉を学び、咀嚼し、蓄え、実生活に適用するまで親しまなくてはならない。
(結論)
私たちに必要なのもこれらの3点である。
神の前の静止の時、己を知り、キリストを新たに発見し、そして使命は御言葉によって確認させていただこう。そのためにも深く隠遁しようではないか。
Aさんは飛び切り笑顔が綺麗な女性です。
ただ顔だけでなくその言葉も綺麗で、
常に周囲の人に優しさといたわりの言葉をかけることを忘れません。
そんな彼女の周りにはいつも人が取り巻いています。
同僚ばかりでなく自然に彼女から施術を願うクライアントも増える広がる一方。
彼女のお父さんに言わせるとお店の中で最も成功しているとのことですが、
確かにそうかもしれません。
でも彼女は自身はそのことを認めてないんです。
彼女にとって売り上げの多寡が成功を決める物差しでは無いようです。
彼女がクライアントとの時間を共有できる喜び、
彼女がしたいことをしてクライアントを助けることが出来るなら
それが祝福と考えてるようです。
そんな彼女でも辛い時が過去にありました。
日本での場合研修期間中は先輩の指図通りに行動することが最優先され、
そのことに気をつかってしまいとてもクライアントさんとコミニケーションできる状況ではなかったようです。
正しいことを丁寧に早くきれいに仕上げることは大切でしょう。
でもさらに大切なこととして、中心となる目的を見失ってはなりません。
サービス業はサービスを施すだけでなくそのサービスを受ける人に喜んでいただけることに大きな目的があります。
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