【腹が立っても敬語。どうぞお忘れなく。美輪明宏の言葉】
(1)
昔から「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、頑張るレベルの人間には、同じくしっかりしたレベルの相手と自然に一緒になれますが、努力もしない人間に良い相手が来ることは絶対にありません。
(2)
最近はやたらと転職を繰り返す若者が増えていますが、“貴方の為に用意された仕事”などこの世にはありません。
ただ文句をいうのではなく、与えられた仕事の中で何か得になる部分を見つけ身につけ楽しむよう頑張れるかです。
職や職場を変えたところで思考次第は何も変わりません。
辛く厳しい環境の中でも、何か発想の転換と努力で楽しみを見つけて踏ん張ることで意外な未来が切り開け、それが自信につながります。
(3)
人間関係は腹六分、恋人同士でも家族であっても適度な距離は必要です。
仕事場でも家庭内でも相手の人格、尊厳を人間として守ることが付き合っていくコツです。
心の修行の一環として「家庭内でも相手を別な人だと思う」ことを実践してください。
そうすると、“感謝”の気持ちも湧いてきます。
(4)
自分が弱いと嘆く人や、ついついマイナス思考に陥ってしまう方、それは貴方が真面目な人だという素晴らしい証拠です。
真面目で几帳面で責任感が強い、だからこそ自分を責め、落ち込むのです。
仕事なり対人関係なり、悩みの原因の問題に対して人生の新入生だから、経験値が浅く少ないだけです。
ただ、それだけのこと。 嘆く必要などさらさらありませんよ。
(5)
恋が成就しないことは良くあることです。
しかし、最初から無理だとわかっている高根の花を採ろうとして落ちて転んで大ケガして泣きわめき怒り絶望している人、これはどうかしています。
「君子危うきに近寄らず」と申します。だから実らないものを好きにならない、これも恋愛のテクニックです。
結果はいい事なんて一つもないに決まっているんですから。
(6)
本当のナルシストとは、“自分には厳しく、他人に優しい、尊敬すべき人間である自分が大好き、そのために努力を惜しまない人”であって、恥と誇りと優しさを兼ね備えた“人間力”ある人のことを言います。
あなたも素敵なナルシストになってみてはいかが?
(7)
誰に対しても敬語、腹が立っても敬語。
どうぞお忘れなく。
(8)
前向きに生きていくために最も大事なことは、愚痴や悪口のようなマイナスの思いや言葉は発しないことです。思念や言葉は本当に凄い力をもっています。
いつも美しい言葉遣いで、元気で前向きなことを思い言っていれば陽のエネルギーが現象となり自分を取り巻き元気になります。
ですから、辛かったり苦しかったりでどうしても口から愚痴や悪口を言ってしまいそうな時は、カラオケで思いっきり大声で怒鳴ってわめいて唄ってください。そのうちバカバカしくて自分で笑っちゃて落ち着きますよ。
(9)
悩みは理性的に解決する習慣をつけることが、人生航路の第一歩。
どんな悩みでも、感情的にならず冷たく理性的に静かに”悩んでいること”を理論的に分析する。その事件の原因・結果・状況はどうで、どんな解決策があるのかあらゆる方法を考える。そして具体的に悩みを解決する方法を優先順位で行動する。
どんな悩みでも時を得れば何か必ず解決の糸口、突破口はあります。問題は解決します。
(10)
経験が豊かで思いやりがある人ほど、感じ良くきちんと「ありがとう」を言えます。
逆に、まともに「ありがとう」が言えない人は、感謝することをせず、頭を下げると自分の価値まで下げてしまうと勘違いしているごう慢でバカな連中です。
▼▼▼つづきはコチラ▼▼▼
http://kokoro-movie.com/2018/04/11/post-18491/
大河史上初の試み。
先週日曜の大河ドラマ西郷どんは通常のドラマでなくスペシャルとして俳優2人の対談番組となりました。
これまでのドラマの流れがぷっつり切れてしまうようで多くのファンにとってはむしろ興ざめだったのではないかと訝ってしまいます。
NHKがそんな賭けに出たのは低迷する視聴率を盛り返したいとの意図があったとか。
初回放映だったかなぁ、史上2番目の最低視聴率を記録したとか。。。。
雄大な薩摩の自然と迫りくる欧米植民地化の時代の波、、
そんな中、下級武士の家に育った西郷が自らの特質だけを武器に泳ぎ出すドラマは見応えがあって毎回見入ってしまうんです。
その特質は斉彬との出会いによってさらに育まれ、
やがて座右の銘として言語化するものと理解しています。
「敬天愛人」
長崎に来た米国人宣教師フルベッキを通じて聖書の教えに触れ
やがて自らも聖書を教える程に親しんだ記録はあまり知られていません。
斉彬と西郷の師弟関係もさることながら、
渡辺さんと鈴木さんの2人の友情と信頼関係もまたドラマを生き生きと作っていることが窺われました。
さて今晩も見ちゃおう。
受難週の金曜日。
英語でグッドフライデーと呼ばれている本日は
キリストの十字架の苦難を記念する日であった。
700年ほど前に記されたイザヤの予言の通りに
自ら進んでその命を捧げられたイエス。
ローマが生み出した最も残念な処刑方法である十字架。
その打ち傷ゆえに私たちが癒された。
それ以外にはなかった癒し。
完璧な癒しがここにある。
十字架には、
①罪から離れさせる力があるから
②神の義に生きることを得させるから
③心身をケアしてくれる優しい牧者のの元に帰れたのだから
④逸脱から守る監督者の指導の元にあるのだから
イザヤ53:5-6
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。
Ⅰペテロ2:24-25
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
あなたがたは羊のようにさまよっていた。しかし今や、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰った。
イエス様はある時このように教えられました。
「まことにあなた方に告げます。
子供のように神の国を受け入れるものでなければ
決してそこに入ることができません」
(マルコ福音書10章15節)
子供には私たち大人にはない特質があります。
子供たちは、直感に従って生きています。
イエス様の単純明快なメッセージは子供にも理解でき
そのメッセージを受け入れ信じることができたのです。
ところが大人はユダヤ教ラビらの権威の元に置かれ
その解説を聞き、ラビの判断を通してでしか聖書を解釈しなかったのです。
以下はFacebookにあった投稿文です。
【 子どもから学ぶ
幸せになるためのヒント18選 】
1)直感で行動する
子どもは、本能のままに動く。
本当にこれで良いのだろうか、
自分の決断は
正しかったのだろうかなどと、
必要以上に思い悩んで
時間を無駄に
するようなことはしない。
2)今を生きる
子どもは、今、その瞬間を生きている。
変えられない過去に
悩むこともなければ、
何が起こるかわからない未来を
不安に思うこともない。
3)信じる
子どもは、サンタクロースや物語に
出てくる妖精の存在を信じている。
だからこそ夢中になれるし、
楽しむこともできる。
4)創造する
ペンで描いたり、
ハサミで切ったり、
のりで貼ったり……、
子どもは手にした物で
とにかくなんでもやってみる。
そして、そこから何かを生み出す。
5)他人の目なんか気にしない
子どもは、周囲の人が
どう思うかなんて気にしない。
やりたいことを思いっきりやるだけ。
6)歌う
子どもは、突然歌い出す。
いつだろうが、どこにいようが
気にしない。
思いのままに歌う。
7)鼻歌を歌う
小さな子どもも鼻歌を歌う。
口笛が吹けず、
言葉で上手く歌う
こともできないなら、
鼻歌を歌えば良いのだ。
8)思っていること言う
子どもは、常に本心を直球で伝える。
思ってもいないことを言わないし、
遠回しな言い方もしない。
9)尋常でないほどテンションが上がる
子どもは、嬉しいことや
興奮するような出来事があれば、
これでもかというくらいに
テンションが上がる。
ドキドキやワクワクなどの感情を
素直に爆発させることができる。
10)新しいものに飛びつかない
子どもは、好きな本や映画を
繰り返し見たがる。
お気に入りの服は
毎日でも着ようとする。
彼らにとっては新しいかどうかよりも、
それを好きであることが大事。
大人のように、すぐに
新商品に飛びついたりはしない。
11)匂いを嗅ぐ
子どもは、なんでも匂いを嗅ごうとする。
だからこそ、
歩いているときに立ち止り、
道に咲いている花の香りを嗅ぐ
余裕さえ持ち合わせている。
12)差別しない
子どもは誰のことも差別しない。
分け隔てなくすべてを受け入れる
ことができる。
13)恐怖心を隠さない
子どもは、怖ければ「怖い」と言う。
ひとりで抱え込まず誰かに伝える
ことで、恐怖心を軽減させることが
できている。
14)褒め言葉を受け入れる
褒められると、
子どもは素直に受け入れる。
無用な謙遜はしない。
15)昼寝をする
子どもは、昼寝をすれば元気になり、
気分もリフレッシュされる。
寝ても疲れが取れないなんて
ことはない。
16)夜は早く寝る
子どもは、たいてい早く寝る。
必ずしも自分から布団に入るとは
限らず親は手を焼くこともあるが、
無駄に夜更かしはしない。
17)ひとつのことに集中する
子どもは、
そのときしていることに集中する。
名前を呼んでも気付かないくらい
物事に没頭することができる。
18)型にはまらない
子どもは、型にはまらず我が道を行く。
それが「普通」かどうかは気にしない。
http://beautyhealthdiet.sblo.jp/article/182763083.html
詩篇42篇5節
「わがたましいよ。なぜおまえはうなだれているのか。
私のうちで思い乱れているのか。
神を待ち望め。
私はなおも神をほめたたえる。
御顔の救いを」
私たちの日常生活には、
心がうなだれ、失望するようなことが時に起こります。
その時の対処法ですが、
⑴自分を知れ
そんな時まず大切なのは、
客観的にそして俯瞰的に
自らのその姿を正確に揃える事です。
「わがたましいよ。
なぜ、お前はうなだれているのか」
少し前の新改訳聖書では、
「なぜ
お前は絶望してるのか」とあります。
絶望している自分をまず知ることから
脱出への糸口が掴めます。
絶望している自分を否定すると
いよいよストレスがかさみ、
やがてはパニックとなり
良くない決断をしてしまって
さらなる傷口を広げることになりかねません。
⑵過去のデータベースを掘り起こせ
絶望して思い乱れている心であることを認めた上で
「神を待ち望め」と自らに問いかけています。
なぜならかつて神がどのように祝福し
祭りを喜びをもって祝い
栄誉と勝利を経験した基盤となる経験値があったのです。
「私は自分のうちで思い起こ
私のたましいを注ぎ出しています。
私が祭りを祝う群衆とともに喜びと感謝の声をあげて
あの群れと一緒に
神の家へとゆっくり歩んで行ったことなどを」
(42:4)
⑶人格との出会いがある 「私の救い、私の神を」
アブラハム・イサク・ヤコブの神は
イスラエルの歴史の中で出エジプトと言う
輝かしい奇跡を持って民を贖い救い出されました。
民族を救われた神は、
私たち一人一人と出会い
その窮状を知り
そこから引き上げてくださることができるお方です。
昨日の夜、長女から緊急連絡が入りました。
車のタイヤをパンクさせ
アルバイト先から帰れずに
スーパーの駐車場に車を乗り捨ててきたと言うのです。
翌日は私が学校まで送って行くことになったのは良いこととして
牽引トラックの手配
新しいタイヤの調達
保険を使うかどうかなど
面倒な懸案事項が湧き上がりました。
翌朝、彼女を起こそうとベッド脇で唸っている最中にも
電話が入りました。
すでに牽引トラックが現場に到着しているとの事。
予定より15分早いのですが
私がそこにいなければならないのです。
そんなことで私にもストレスがかさんでいました。
さらにその間に長男を朝食を食べさせ
彼の学校に送らねばならない。
ところがその途中、彼が携帯電話を忘れたため
家にまで引き返したりという
トラブルが重なりました。
こういったうなだれる、絶望する要因は
私たちの日常には事欠きません。
そんな自分を10メートル上空から客観的に把握することができたならば
心を憔悴させることから幾分か解放されて行きます。
必ず解決がある!
必ず脱出の道がある!
必ず勝利が待っている!
過去ののデータベースからそう確信できたら幸いです。
それは私自身に根拠あるのではなく
私を生かし
今も支えて下さっている方が
そばおられ、
必要な助けを与えて下さる事実から。
「私はなおも神ををほめたたえる。
私の救い、私の神を」(42:11)
結果的には
トラック会社がタイヤショップに車を牽引してくれ
長女も学校の授業に間に合い
すべては半日で解決してしまいました
「ただいま」
「おかえり」
こんな何気ない日常言葉は、
日本語に独特なものだと思う。
英語にはこれに相当することがない。
だから
Hello. Hi.
という言葉を使う他ない。
我が家では会話が英語となってしまうが
この部分だけは譲れず、日本語で通してきた。
今日も家に入る時家から出る時
「ただいま」
「おかえり」
と言ってみよう。
こんな単純な言葉を
優しく言えるありふれた幸せを噛み締めたい。
以下はFacebookで見つけた投稿文です。
【 日々の幸せを噛みしめていきたい 】
出会えた幸せ
笑い合える幸せ
「ありがとう」と言える幸せ
「ごめん」と言える幸せ
一緒にいられる幸せ
喧嘩できる幸せ
仲直りできる幸せ
「おかえり」と言える幸せ
「ただいま」と言える幸せ
泣ける幸せ
明日が来る幸せ
幸せを幸せだと気付ける幸せ…
日々の幸せを噛みしめていきたい
画像:ありがとうの森
http://beautyhealthdiet.sblo.jp/article/175768952.html
サンフランシスコダウンタウンのホテルはとても小さな部屋なのですが快適に過ごせるよう工夫されています。
明日は5時半には起床して6時には出立しなければなりません。その日大切なメモリアルサービスがあるのです。
創世記46章1〜6節
1,イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。そしてベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。
2,神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」
3,すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。
4,このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」
5,ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ヤコブを乗せるためにファラオが送った車に、父ヤコブと自分の子どもたちや妻たちを乗せた。
6,そして、家畜とカナンの地で得た財産を携えて、ヤコブとそのすべての子孫は、一緒にエジプトにやって来た。
このときのヤコブにとりベエルシェバは、
人生を画するする重大な意味を持っていた。
⑴歴史の転換点となった地。
70人程のヤコブ一家は
約束の地を出てエジプトに向かおうとしています。
そのエジプトでは400年間を過ごすことになりますが
彼らはその地で人口2百万人を超える一大民族に成長します。
つまり1部族が1民族に脱皮するのがエジプトであり
そこへ至る国境の町がベエルシェバなのです。
ヤコブ一家とっても人類全体の歴史にとっても転換点となるその瞬間、
神は「ヤコブ、ヤコブ」と2回も名を呼んで語っておられます。
⑵恐れを克服した地。
ヤコブにとってエジプト行きは、
心の整理がつかないままの葛藤を覚えたものでした。
そんな彼に「恐れるな」と神は語られましたが、
彼の恐れにはどのような理由があったでしょうか。
130歳という高齢は新しい環境と気候、仕事を恐れた。
アブラハム契約継承者としての神の使命に合致しているかの不安。
エジプト文化の中で民族的アイデンティティーを失って同化してしまうのではないかとの懸念があったことでしょう。
エジプトでの生活が困難であるとの預言から将来への不安。
「あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、
彼らは奴隷として400年の間、苦しめられよう」(創世記16章13節)
約束の地を離れて祝福があるだろうかとの不安。
かつても飢饉の時にアブラハムが、
イサクが約束の地を離れ失敗をしています。
イサク自身もパダンアラムへ逃れたことがありました。
これらは自分の都合による移動であり、
神からの許しを得ずに他国行ったときには痛い目に遭ってきたのです。
⑶神の語りかけによる決断の地。
夜の幻の中で神はヤコブに直接語りかけています。
これで6回目の顕現となります。
①アブラハム契約を結んだ神である。
②恐れなくても良い。
それが神の御心であり一大民族とさせる。
③神自身がヤコブと共にいる。
④ヨセフに見守られ天寿を平安の内に全うする。
これらの神の言葉があったゆえにヤコブは決心ができ
旅立ちを完成させた。
ベエルシェバは国境(境界線)の町であった。
私たちが人生の岐路に立つ時、
決断力はどこから生まれるだろうか。
それは神の言葉に親しみ、その御心を確信するところから生まれてくる。
日々聖書を読み
祈りながら導きを仰ぐ時に
神の御旨が徐々に分かるものである。
ジャパンタウンにある日本レストランのイッカクにて
サンフランシスコ-ジャパンタウン
サンフランシスコを抱えているベイエリアは全米でもニューヨークと並んで屈指の住宅価格が高騰している地域。
主な群の住宅価格中央値は、100万ドル(1億円以上)を突破している。
活況を呈しているシリコンバレーにインドなどからも多くのIT技術者たちが集まるものだから、
制限された住宅建築規制法の下では需要供給の関係で価格がつり上がるのも自然な成り行き。
IT関連企業に就職している高額所得者でない一般労働者らは、
ついに家を買うことも賃貸して住むすることもできなくなる。
ついに2016年から17年にかけて初めての人口流出現象が起こったと言う(ウォールストリートジャーナル: /SB11879568435714574337704584118292836946838)。
2017年7月までの過去1年間に、
2万4千人の人口が減少したらしい。
それはその前年の純減から2倍の勢いで伸びる勢い。
減った分の人口はどこに行くか。
同じ西海岸のポートランドやシアトルに来る方が多く、
そこでの人口増加が不動産価格の上昇に跳ね返ってきている。
シアトルやベルビューでの過去1年間の住宅価格は16%も上昇したとの事。
またシアトル圏での賃貸価格の上昇率は全米1となっている。
ベイエリアに来るために感心するのはこちらのマイルドな気候。
年中雨の多いシアトルに比べて陽日が暖かく青空がまぶしい。
日照時間の多寡は人々のセロトニン放出量にまで影響するらしく、マイルドな気持ちを持った方々が多い。
住宅価格に連なるように日用生活品の物価はそれなりに高いが人々の素敵な笑顔により多く接しているように思える。
そんな雰囲気を感じ取ったのだろうか、
大学入学を来年に控えた長女はこのサンフランシスコの大学に行きたいと言いだした。
来月、大学の見学のため、子供たちを連れてくることにしている。
大学の寮に住むにしても親としてはそんな余裕はありませんのよ〜
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