朝食が始まるまで松本城では1時間程撮影に使いました。アーシングもしっかり出来ました。散歩中の人が 白鳥が来てくれると絵になりますね と声を掛けてくれました。埋橋のたもとに2羽の白鳥が毛繕いしています。戻ろうとしていると白鳥が不意に泳ぎ出しました。後を追うと 今度はこちらに来て挨拶するように泳いでくれます。お陰でお城込みの白鳥の写真が撮れました。流石にお城の白鳥ですね、他に誰一人お客さんはいなかったのに見事なパフォーマンスでした。
松本城の案内板には撮影スポットが数カ所示されています。城内は撮れませんでしたが内堀外堀のスポットを見てみましょう。 先ず松本市役所前の外堀に面した「太鼓門」です。修復されています。 続いて「黒門」と内堀、天守閣のスポットです。 更に内堀の角松本城公園からの天守閣です。 最後は松本城の特徴の朱塗りの「埋橋(うずめばし)」越しの天守閣です。 それ以外で天守閣正面真南からのポイントや松本城公園の植え込みを取り込んだポイントも良いですね。雨だったのが少し残念です。
平湯温泉で一風呂浴びた後、松本を目指しますが、途中1箇所懐かしい道祖神を見るため少し迂回しました。 安曇野には100体ほどの道祖神が有るそうです。以前に探しながら周りましたが見つからない道祖神もあって結構撮影には時間がかかります。今回は時間的に1箇所だけしかも車中からの撮影でした。数十メートル先にもあるのですがそちらへは行きませんでした。丁度夕日がアルプスの山々に隠れようとする時刻でしたので、常念岳を背景に道祖神を撮影出来ました。かつては彩色されていたのですが今は余り祭られていない様です。撤去される道祖神もあるやに聞いています。安曇野独特の文化遺産ですので大切にされると良いですね。 道祖神から20分程で松本駅前のホテルに到着です。 翌朝は雨。でもせっかく来たのですから松本城を訪れてみることにしました。ホテルから撮影しながら20分程です。Google地図では田川となっていますが、地元の看板は「女鳥羽川(めとばがわ)」となっています。どちらが正しいのでしょうか?市内北から南に流れる女鳥羽川が西に直角に曲がって流れる地形を利用して松本城が有ります。女鳥羽川が東と南の堀の役目をしています。その直ぐ北側に 今は殆んど埋めててられている総堀があってそのうちに更に外堀が掘られている陣容です。今は外堀と内堀が残されていて有名な天守閣は国宝となっています。内堀までは開放されていて早朝でも天守閣を見学できます。
白川郷行きは、美濃市で高速に乗る前に急遽決まりました。4人の中で私ともう一人が未だ行った事が有りません。ひるがの高原SAで昼食を摂って約1時間で白川郷に到着しました。時間が押してますのでまたまた車中観光です。 数日前にブログル仲間のmarilynさんがリベンジで高台から集落を撮影していたので私達もそこに行こうと思いました。ただの地図と写真を比べても場所が判然としません。ジェラート屋さんのお姉さんにiPhoneで写真を見せて、アイパッドでGoogle地図を示して場所を教えてもらいました。お礼に五平餅とジェラートを買っちゃいました(^_^) 未だ背後の山には根雪が残っていて集落は田植えの時期で道端にはカキツバタがたくさん咲き、合掌作りが水田に映り、春から初夏の白川郷の最も良い時期でした。空も曇っているので梅雨の雰囲気でした。doteさんの行った高山の蕎麦屋さんには行けませんでしたが、初めての白川郷に行けたので良かったです。
岐阜県は香川県から見たら面積で5倍以上の大きな県です。丁度三葉に似た三角の県です。美濃市は岐阜市の北東部で隣接しています。「みのう」と呼んでましたが「みの」なのですね。「美濃和紙」が有名です。昨年世界無形文化遺産に登録されました。初めて行く所です。早めに着いて朝食を摂り町観光する予定でした。が、ここに来て「吉野家の朝定」が食べたいと言う事になり調べると隣町まで戻らないと無い!20分かけて戻り、私は「野菜焼き定食」を食べました。おかげで「美濃のうだつの上がる町並み」は車中からの観光10分でした。徳島脇町にも「うだつの町並み」保存が有りますが美濃市は平行して二筋有って広い印象です。道幅も広く美しい町並みでした。駐車場は2箇所、「協力金」として200円をポストに入れるようになっていました。これは観光客に優しい配慮で好感を持ちました。「美濃和紙会館」も見たかったのですが休館日でした。是非ゆっくり観たい町並みの場所です。店の開いてない早い時間だとコンビニでの食料調達かな…
岐阜県と長野県の駆け足取材に出ました。予定より1週間ほど日程が遅れたので、天候も良くありませんでしたが、何とかプチ観光も出来ました。日程も色々変更になり、結果的に美濃市での取材、高山経由安曇野、松本市宿泊、翌日小諸市取材、小海線経由諏訪湖の予定に一応決定していましたが、旅行当日予定行い、残念ながら高山市のdoteさん紹介の「ツルツル亭」と「諏訪神社」は今回行けませんでした。残念;_;
「アースイング」と検索すると自動車のアースを設置する事により エンジンの出力向上や燃費改善が見込まれると言う記事がヒットします。 ここで言う「アースイング」は「裸足になって暫く大地に足を付けておく」と言うヒーリングの方法です。偶然インターネットで見つけた方法です。 アーシング(エハン塾) : http://youtu.be/B8d3AvDkkrw 前回レポートした「大窪寺奥の院 胎蔵峯寺」でのアーシングの効果はその後全く筋肉痛にならなかった事!これは不思議です。家では庭石で、足の形をしたような踏石で天気の良い日は30分程度アーシングをしています。本を読んだり ブログを見たり書いたりして時間をすごしています。 写真はグーグルアースでから、中国のチベットにある「タシルンポ寺」です。阿弥陀如来が御本尊の有名なチベット寺院で真言密教のルーツと思われる場所です。此処での正式な礼拝の方法は「五体投地」です。 五体投地 : http://ja.m.wikipedia.org/wiki/五体投地 これこそ究極のアーシングだと見えるのですが如何でしょうか?
大窪寺の境内脇から奥の院・胎蔵峯寺までの距離は880mと八十八箇所巡りと語呂合わせの様な距離です。実際登って行くと急坂で段差の大きい階段がずっと続く難所でした。普段運動もしていないのでかなり苦しい登りです。どこまでも階段が続くので途中何度も休憩してしまいました。その都度、もう諦めようかと思った位です。何度か目の休憩では「アースイング」をして見ました。やり方はいたって簡単!「素足で大地に立つ」だけです。今靴底はゴムやプラステックなので静電気が溜まってきます。この静電気を逃すと共に足ツボから自由電子を取り込んで人体の電気的ストレスを取り除き、健康になると言う考え方ですね。ただ継続時間は30分以上と長めなんです。とにかく息が整うまで「アースイング」をする事にしました。その間上から若い女のお遍路さんが下って来たので残りの登山道の様子を聞きました。「まだまだ階段が続きますね」という返答でした。少しして今度は初老のお遍路さんが降りてきたのでまた聞いてみました。「登りも下りも同じ様な急坂ですよ」と答えてくれました。このお遍路さんは女体山を越えて大窪寺に向かっていたのですね。お疲れ様です。こっちは僅か数百メーター登っただけでバテて休憩している訳ですから、気を取り直して少なくとも奥の院まではたどり着かないと思い、再び登り始めました。まだまだ急勾配の階段は続きやっと2/3辺りと思われる所に展望台が有りました。下には僅かに大窪寺の境内を見下ろせます。この位置が標高560m辺りと言う看板が有ります。更に登りが続き、やがて女体山方面との別れ道にでます。そこからは道が急に細くなって来ますが、勾配はかなり緩やかになって来ました。歩くスピードも速くなって逆に下りになります。わあ楽と思って思っていると右カーブの先に奥の院が突如現れました。 大窪寺奥の院「胎蔵峯寺」は山肌にへばりつく様な粗末な小屋といった外観です。「金剛峯寺」正反対のお寺です。かつて弘法大師はここにこもって修行した場所です。杖を突いて湧き出したと言う小さな泉が草むらに隠れて有り、お地蔵さんが建っています。 胎蔵峯寺の戸を開くと中は薄暗くて奥に何体かの仏様が祀られているのがかろうじて見えます。この奥の岩肌に本尊の「阿弥陀如来」を彫ったと伝えられています。この阿弥陀如来は西方浄土をあまねく照らす仏と言われています。 ここで高野山「金剛峯寺」は東方浄瑠璃世界の教主の「薬師如来」が御本尊です。御本尊も西方と東方と言うコントラストが有ります。更に、高野山と善通寺と中国長安の青龍寺は同じ緯度に有って一直線になると言われますが、この「胎蔵峯寺」と高野山「金剛峯寺」も僅かに胎蔵峯寺が南に位置しますがこれもほぼ同じ緯度と言えます。前回ご紹介した女体山の北側に有る「古大窪(ふろくぼ)」に最初の大窪寺が有ったとすれば、最初の大窪寺と女体山山頂と金剛峯寺はほぼ同位置になる様です。この様に地理的にも「胎蔵峯寺」が両界曼荼羅図の様に金剛峯寺と一対であって、四国遍路と言う修行の地の意味を一層深いものにしています。 もちろん「胎蔵峯寺」では裸足になって「アースイング」をしながら撮影しました。暫くして、初老のお遍路と若者のお遍路が仲良く会話しながら到着しました。背後からで良いので撮影モデルをお願いしました。お二人と暫く会話してみると、さっき大窪寺で一緒になって登って来たそうです。初老のお遍路は自転車で遍路を初めてこの日が第1日目だそうで、一方若者は車で四国遍路をして今日が満願、最後のお寺で、翌日は高野山「金剛峯寺」にお礼参りすると言う事でした。不思議なご縁でした。このお二人も見事なコントラストを持って出逢いました。先程登る途中で「アースイング」してる時にも若い女遍路と初老の男の遍路に出逢った時のコントラストに励まされて登って来た事を思い出します。偶然と言えばそれまでですが、四国遍路は苦しさと共にそうした幾つもの偶然の感動を学べる場、それこそ修行の場なんだと感動した「胎蔵峯寺」でした。 「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」合掌! 遍路のすすめ: http://www.maenaem.com/henro/
弘法大師は真言密教を中国唐の都長安にある青龍寺で慧果大僧正から正式な後継者として各種法典や教具と共に譲り受け日本に持ち帰ります。その中にあって両界曼荼羅(両部曼荼羅ともいう)は密教の体型を具体的に表す重要な宝具です。先日善通寺にお参りしましたが残念ながら目にする事は出来ませんでした。なぜ両界曼荼羅を見ようと思ったかという事ですが、去年秋 ブログル仲間の天使さんご夫婦と高野山に詣でる予定をしていましたが、直前に脚立から脚を踏み外して右腕を骨折した為に高野山に行く事が出来ませんでした。ずっと気にかかっていたのですが、ある時非常に単純な事に気がつきました。 高野山は金剛峯寺と称しますね。色んな解釈は有るでしょうが、両界曼荼羅は「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」(より正確には胎蔵曼荼羅と呼ぶ様です)に寄って真言密教の体系を示しているという事ですから、何処かに「金剛峯寺」に対する「胎蔵峯寺」が有るはずです。調べてみると四国八十八ケ所結願の大窪寺の奥の院が「胎蔵峯寺」である事が判りました。 先年怪我をして高野山に詣でられ無かったのは「先ず胎蔵峯寺に詣れ!」というお告げだったかもしれません。事実、四国八十八ケ所を無事回ったお礼参りとして最後に高野山詣でをする慣習です。 その前に両界曼荼羅の意味を知ろうとおもったのですが、幸いにもAmazonに両界曼荼羅の色紙が有ったので取り寄せてみました。(続く)
曼荼羅(マンダラ)を見たくて弘法大師後生誕地、善通寺へ行きました。お寺の西にある駐車場に停めて橋を渡れば直ぐに御影堂になります。本来は東の赤門か南の大門を入って先ず金堂(本堂)に参拝するのが参詣順路だと思うのですが 車だと逆になります。橋を渡って左に行くと会館があってお砂踏み道場になっています。以前に行って時にはチベット僧が描く砂絵のマンダラの様子が撮影出来たので 今度も撮影の許可を問い合わせましたが、一切撮影禁止になっていました。久しぶりでしたので境内を一通り撮影して、赤門前にある「郷土資料館」に行き善通寺の古墳遺跡の情報を集めて来ました。 帰りには今月3度目の「宮川製麺所」で昼ご飯じゃなくて「オヤツうどん」を食べて帰路に着きました。