テーブルは、離れて設置されているが、移動して連結する人たちが多い。 他の店ではテーブルは移動しないで下さいの注意書きや、仕切り板が設置されている。 若年層のクラスターが各地で拡まっているので気にかかる。 検査数が増えているので感染者が増えるのは当然だが、重傷者が少ないので油断しているようだ。 単なる風邪だよ・2~3日寝てれば治るよ・広言する人もいる。
テレビの調理番組で左利きの方が実演していた。 眼の錯覚かと?見ていてかなり違和感があった・・ 小生は右利きだが、足は左が利き足・・子ども頃の相撲は左四つ右上手だった。 オバマ元大統ベッドサイド領・石原都知事も左利きだった。 日本の文字・アルファベットでも左から右になぞるので過程が多いので随分不自由ではないかと感じている。 以前は小学校入学前に文字だけは右利きに強制する家庭が多かった。 ハサミなどの道具類も右利きに便利になっている。 野球は左打ち右投げが多いが・・左打席が1塁まで近いから内野安打を狙って変更するケースが多い。 浅丘めぐみさんの唄で<私の彼は左きき>・>左利きの方がもてるのかな・・ 小さく投げキッス する時もする時も こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も いつでもいつでも 彼は左きき あふれる泪を ぬぐうのもぬぐうのも やさしく小指を つなぐのもつなぐのも いつでもいつでも彼は 左きき あなたに合わせて みたいけど 私は右ききすれ違い 意地悪意地悪なの 別れに片手を 振る時も振る時も 横眼で時計を 見る時も見る時も 私の私の彼は 左きき
ブログルでは考えられないことだが・・フェイスブックで・迷惑な人に困惑している。 昨日から10数回・会いたい~連絡ください~電話を等の連絡が来る。 コメントの通信などして存じている方なら返事はするが・詳細のデーター・投稿記録等で判断できない人とは躊躇する。 *下記のように返信した。 度々連絡下さるが特別の用事があるのですか?内容をコメント下さい・・小生は眼が悪いので近隣以外は出かけません。 館ケ丘団地にお越しくださればお目にかかります。 見知らぬ方とはチャットやメッセンジャーは使用していません。 それにも関わらず・日曜日に会えますか・・ 自ら投稿をしたことのない人で友達リクエストを沢山している・・
朝食後2棟110戸に、会報を配布して歩いた。 落ち葉がいっぱい・うっすら寒く晩秋を感じる・ 不思議なもので季節ごとに口ずさむ歌は季節に合っている・・ 真っ赤な太陽は? 幼いころに覚えた童謡・唱歌が出t来る しずかなしずかな 里の秋 おせどに木の実の 落ちる夜は ああ かあさんと ただ二人 栗の実にてます いろりばた 先日(おせど・お背戸)ってな何と聞かれた、裏口・勝手口を知らぬ世代が増えている。 裏にあった台所が、DKに変わった昨今は陽当たりの良い場所に配置換えになった。
本年度の「第41八王子いちょう祭り」は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、例年通りのイベントや出店は全て取り止め、「楽しく、元気に歩こう!いちょう並木!」というテーマで、インターネット通信とGPSを使った「むーちゃんモバイルスタンプラリー」を開催します。 1カ月間という長い期間を設け、「新型コロナウイルス感染症感染拡大防止に関する啓発運動」を推進しながら、美しいいちょう並木を主役に、ゆっくりと、楽しく、元気に歩いていただき、この新型コロナウイルスで不自由な思いをしている人たちや、多くの市民の皆さまに少しでも景気づけ、元気づけとなり、いつまでも健康で楽しく過ごし、新たな一歩を踏み出していただきたいという想いから、「第41回八王子いちょう祭り」を開催いたします。 昭和40年代・30代前半の小生は数年間・夜の街を年中徘徊していた。 素敵なおねーさんたちから<むーちゃん>と声を掛けられ有頂天だった。 48年末のオイルショックで、破綻・・海の波が引くように・・周囲の取り巻き・おねーさんたちもいなくなった。 以後・クラブからスナックまで単独で出かけたことはない。 <むーちゃん>大きな声で言わないで・・山の神が激怒するから・・
朝日新聞のbeから・・ 駅前広場を全く別の空間にしようと考えた人物がいる。47年4月、初めての統一地方選挙で杉並区長となった文筆家の新居格(にいいたる)である。 新居は、中央線の荻窪駅を区の中心とし、北口を広場にしようとした。その動機はこう記されている。 「駅頭が広場であってほしいのは、そこを人民討論場であらしめたいからだ。人々は集まって機智(きち)と理性の討論会たらしめ、選挙のときなどは意見発表の場所とも出来るからである。どうしても広場と大通りが要るのだ。現に、杉並の中心となろうとする傾向のほの見えるのは荻窪北口である」(『杉並区長日記 地方自治の先駆者・新居格』) 当時の荻窪駅北口には、闇市の立ち並ぶ猥雑(わいざつ)な空間が広がっていた。ここを駅前広場として整備し、古代ギリシアのアゴラのような「人民討論場」にしようというのが、新居の構想だった。 現実とあまりにかけ離れたこの構想に耳を傾ける議員や区民は少なかった。新居は体調を崩し、区議会や行政に失望してたった1年で区長を辞任している。 燐家のお兄さん(鈴木わたる)東大の学生だったが・新居さんの応援に夢中になっていた・・父親が、わたるさんは赤になったのかな?大丈夫かなとつぶやいた・小学校1年生だったが鮮明に記憶している。 小生は、東京衛生病院・天沼教会がルーツなので・度々荻窪に出かけたので駅前の変遷と記憶している。 久しく出かけていないが階段を上がった場所の(焼き鳥屋)はあるのかな?
グッドネーバースを紹介されて、乏しい小遣いの中から毎月寄付することにした。 *子どもの「ちゃんと食べたいのために」 一人親家庭の子どもの2人にひとりが貧困状態にあります。 送られてきたパンフレットを見ていて情けなくなった。 新興国の貧困はしょうちしていたが、文明国の?日本でも・・ 敗戦後の厳しい時代に育ってきたが・食べるものがない?の経験は無い・ 無駄な戦闘機などは不要・・贅沢は望まないが・食べるものがない状態は困ります・
2015年5月19日製造~2016年11月18日期限の、ラトビア産の(鰯のパテ)が、いつまでも食べずに放置されている。 このまま捨てるのもまずいし・開けて野良猫にも、食べさせようか迷っていた。 HPで調べてみたら問題なさそうなので夜食で食してみることにした。 適切な環境での保存であれば、5年や10年は大丈夫・・ 未開封であれば賞味期限が過ぎていても食べることができます。 しかし、条件があります。それは、適切な環境状態で保存することです。 適切な環境とは、湿気が少なく、直射日光の当たらない冷暗所です。 にイギリスから北極に来た研究員たちへの食用缶詰だったそうですが、異臭や腐ったような風味を感じることなく召し上がることができたそうです。 今晩、酒の肴出食することにした。
気になる・ 小生は、バスを下車する時に必ず<ありがとうございました>と挨拶する。 を出さなくても会釈ぐらいはいかがでしょう・・ 運転手は機械的に?ありがとうございました・・連発している。 車内では、うるさいくらい会話していた面々を含み大半の人はお通夜の晩みたいに、無言でで降りていく。 声かけの人は10数人に1人くらい・・ありがとうの応酬は 気持ちが良いのだが・・
冷凍庫には<あさりめし・チキンライス・シーフードピラフ他>が並んでいる。 朝日の夕刊記事を見て、調べてみた。 結論は炊き立ての熱いのが(ごはん)・冷えたのが(めし) この違いが生まれたのは、江戸時代のころ。 朝に食べるのが「ごはん」、 昼や夜に食べるのは「めし」なのです。 違いはというと、なんと温度なんです。 このころは朝にお米を炊き、 朝食では熱い状態で食べていました。 この熱い状態の炊いたお米が「ごはん」なのです。 「ごはん」がだんだん冷めていき お昼には冷たくなっていますが、 この状態が「めし」なんですね。 というわけで、基本的に江戸時代では 朝食は朝ごはん 昼食は昼めし 夕食は晩めし と呼ばれていたのです。