三権分立の司法の最高峰
最高裁判所が見えてきた突き当たって右に折れると、民主党の本部があり
三宅坂の交差点となる
我が家のフェンスにはブラックベリーを絡ませている
今盛んに実が熟し、収穫の時期となっているジャムにしようか、ジュースまたはシャーベットにと思案わが「カミさん」は台所が荒らされるのが嫌であれこれと
口を挟む
簡単なジュースを作ってみた
国会議事堂の裏手、衆参議員会館の前を通り三宅坂方向の
交差点には国会図書館がある議員会館と国会議事堂は入ったことはあるが、国会図書館は
未だに利用実績はない生涯に一度くらいは利用したいものだ
早朝ウオーキングで海岸へ回り、その後農家の多い地区へ
足を伸ばす
枝豆農家が多く、朝早くから収穫に勤しんでいる
枝から実を取り、計量して市場へ出荷
馴染みの農家でスイカをご馳走になり、枝豆を土産に頂く朝食後、即車を20分程飛ばして収穫エリアへ
40分ほどスキンダイビングをしていると突如強風が吹き荒れ
白波が立ち始める
あわてて海岸へ戻る
気圧の谷が通過して、雷雨が各地に発生している
もう少し潜って「岩カキ」をこれからと思っていたが今日はこれにて「岩カキ」は次の機会まで待っていてくれる
交差点から坂を昇ると総理大臣官邸が左手にある
旧官邸を増築し、危機管理に対応する建物が増設されたこの地の由来が書かれている
江戸時代の地図が併記されていたので載せてみた※説明文
この敷地は、武蔵野台地の東縁部に位置し、眼下には近代の初めまで溜池が広がり、近世中期には風光明媚な池として人々の憩いの景観となっていたといわれています。また、縄文時代から近世に至るさまざまな時代における人々の営みがあったことが、敷地内で痕跡として確認されています。17世紀後半には敷地内は二分割され、北側には旗本屋敷があり、その後信濃飯山藩本多家上屋敷、丹後峰山藩京極家上屋敷と移り変わります。
一方、南側は越後村上藩内藤家中屋敷でした。
明治維新後、敷地は一橋徳川家の居宅として使用され、明治3年に鍋島家の所有となります。
明治25年に完成したれんが造りの洋館は大正12年9月の関東大震災により大きな被害を受け、その後復興局へ売却されています。大正15年、震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として、麹町区永田町二丁目一番地旧鍋島邸跡地に総理大臣官邸を新営することとなりました。官邸は昭和4年に完成しましたが、当時は「内閣総理大臣官舎」と呼ばれており、門には表札がかかっていました。その後、官邸の老朽化、狭隘化が顕著となってきたことなどから、昭和62年、閣議了解により、従来の官邸敷地及びその西隣一帯を区域に新たな総理大臣官邸を整備することになりました。新官邸は平成17年に完成し、現在に至っています。
アメリカ大使館の坂を抜け溜池方向から国会議事堂方向へ向かう
交差点から変った広告塔が目に入る
以前は大きな黄色いブルドーザーが屋上に見えたものだ
「小松製作所」
交差点の角には特許庁の建物
黒御影石のオブジェが飾ってある
早朝ウオーキングで5時2分にホテルを出る
梅雨空に一筋の太陽がビルを照らしている
白い塀はアメリカ大使館
24時間体制で警視庁の警備が立っている
六本木にあるAXISビルを訪れるのは何年振りであろうかブリジストンがデザインを重視した店舗の複合ビルを浜野氏に
プロデュースを依頼し完成したものである
当時は話題を呼び、デザイナーや関心のある人々が集まった
ものである開店当初からあるサヴォアビーブルは健在であった屋上庭園のコンテナが綺麗にレイアウトされていた
東京ミッドタウンの高層ビルは最近の傾向を取り入れた
硝子張り大きな地震ではこの硝子が天から降ってこないか心配になる
トイレの洗面台が変っていたのでワンショット
六本木トライアングルの一角、東京ミッドタウンショッピングモールとサントリー美術館がある
モールは吹き抜けと
なっており、回りに専門店が配置されている窓から手入れの行き届いたオープンスペースと竹の植え込まれた内部を撮ってみた
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