お茶菓子(215)川通りの餅@御菓子処 亀屋
May
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上質の求肥に胡桃を加えて、きな粉がまぶしてある一口サイズの大きさで、きな粉で手が汚れないようにと、爪楊枝が付いています。
名称の「川通り餅」は、いわれのある名称なのかと調べましたら、<毛利>氏は<大江広元>の子孫と伝えられ、相模(神奈川県)におこり、南北朝時代に安芸国に移り、<元就>のときに大きく飛躍しました。正平5年(西暦1350年)、<元就>の祖先である<師親>が、石見の国の<佐波善四郎>との戦いで、江の川を渡ろうとしたとき、水面に小石が浮かび上がり、鐙に引っかかりました。<師親>はそのまま戦い、大勝利になりました。これは神の助けに違いないと、小石を持ち帰り宮崎八幡宮に奉納しました。<師親>がおさめる安芸国吉田の庄では、これを祝って、餅を小石に見立てて食べる風習が生まれ、この餅は「川通り餅」と呼ばれるようになりました。<元就>の孫にあたる<輝元>が広島城に移ると、この風習は広島に広がりました、とありました。
素朴な求肥と胡桃・きな粉がまじりあい「雅味」と「風味」の味わえるお餅でした。