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ノースウェストでは、ダンジェネスカニが捕れます。
この時期、
ライセンスを持つている人が、ダイビングのついでにとって来てくれて、
家の人が食べないので、たくさんくれたりします。
日本人の私としては、すごく嬉しいです。
最近の我が家の流行りは。。。。。
天津飯にすることです!!
わーーーなぜ今までしなかったのか。。。
すごく美味しいです。
特に、最近いただいたかには、身がたくさん詰まっていて、
たった二はいだったのに、どっさり。。。
すごく美味しい天津飯ができました!
日本のお魚や食べ物も本当に、懐かしくて、
なんとか工夫して食べています。
天津飯、
日本の町の中華屋さん。
すごく懐かしくなりました!
みなさんのお家では、何が流行ってますか?
今日は、シェルターの卒業式です。
私達のシェルターは、薬物、アルコール中毒でホームレスになった人、ホームレスで医療の必要のある人、それから、DVの被害者で行くところがない人たちのリカバリー施設です。
四つのフェイズに分かれていて、三カ月ごとにフェイズアップして卒業します。卒業式は三カ月ごとにあります。
今回も、私の観ている患者さんたちが複数卒業する感慨深い卒業式となりそうです。
コロナの影響で、いろいろな不便を経験しましたが、
よくここまでやりました。
一年前と比べると、もしかして私よりもメンタルヘルスいけてるんではないかというくらいに成長しました。
人が変わるのを見るのは本当に幸せなことです。
よく頑張ったなーーーほんに。
誇りに思います。
写真は載せれないのですが、
今晩の卒業式、インターネットとドライブスルーレセプションのためにお祈りください。
感謝だなーー今日は。。。。
感謝のヒント
感謝は心理学のリサーチでも、私たちの脳内から私たちを幸福にするホルモンが出ることが広く知られています。
また、慢性的な身体の痛みを持つ人の生活の質が上がることが分かっています。
感謝することはいいことばかりのようです。
でも、どんなことについて感謝したらいいか、
急にあげてみようと思っても分からないかもしれません。
そんなとき、これを参考にしてみてください。
1 私が感謝する、わたしの長所は
2 お金で買えないもので私が感謝していることは
3 私が感謝する、私を慰めてくれるものは
4 私が感謝してる、笑わせてくれものは
5 私が感謝する、自然の中のものは
6 私の感謝する、過去の出来事は
7 私の感謝する、変化は
8 私の感謝する、難しいことは
9 私の感謝する、興味深いことは
10 私の感謝する、美しいものは
どうぞ、後ろに何か思いつくものを当てはめてみてくださいね!
今日も幸せな気持ちで1日をお過ごしください。
あなたは一度しか生きられない。もし、ちゃんとやるなら一回で十分だ。
私は、クリスチャンですので、輪廻転生は信じてなくて、
地上に生きる人生は一度きり、また、人は、一人一人大切に目的をもって造られているということを信じています。
そして、私は二十歳でクリスチャンになったのですが、
クリスチャンになってみて、生き方が変わりました。
それは、自分の生き方を大切にするようになったことです。
それまでは、傷ついていたこともありますし、
自暴自棄、どうにでもなれ、
どうせ私なんて貧乏人の子で成功なんてしない。
こんな会社に勤めててもいいことなんてなにもない。
一生こうやって、何となく生きていくんだ。つまらない人生だ。。。。
なんて思っていました。
クリスチャンになってからは、一日一日を大切に、丁寧に生きるようになりました。
毎日、神様の言葉に心が帰られて、日々目的をもって生きるように変わりました。
失敗することも多かったです。若かったですし。
また、自分の心の傷で物事が曲がって見えてたこともありますしね。
でも、長い間、クリスチャンとして生きてみて、
分かったことがあります。
あ、あと、心理学を学んで分かったことも。。
それは、やり直しはいつでもきくということです。
人生は一度きり、そして、失敗したら、またやり直したらいい。
ということが分かりました。
失敗を恐れることよりも、何も習わないことが恐ろしいと思うようになりまた。
この写真の、ちゃんとすれば、正しく生きれば、というのは、
失敗しても、やり直していくことだと思います。
どんなに傷ついた人でも必ず癒しがあるように、
私達の生き方だって、必ず改善されます。
今日も新しい気持ちで、生きて行こうと思います。
一度きりの人生だから、大切に丁寧に生きて行きます。
本当に、気ままに書きます。。。
ランダムな投稿です。。。
人間関係って難しいですよね。
でも、面白いですよね。
私も、もう年ですし、
人に好かれようなんて思って生きてない。
若いころは、人に好かれることも大事なことだったですけど。
あと、友達の多さも関係ない。
関係の質が一番大切です。
もちろん毎日、違った人たちと接して、いろんな人間関係の作り上げ方をする人たちに囲まれて、
ふーーん、そうするんだ。。。。
ほーーーなんで、いつも物事を決めてから、私に相談するんだろ。
とか、
なんで、この人は、いつも目が合わないんだろう。
目が合う時は、決まって誰かの悪口を言う時だな。
とか、
どうして、いつも論題とちょっとずらして話しを勧めてようとするんだろう。
とか、とか。。。
もともとそういう風に人間観察が好きな方でしたが、
今は、もしかして、人に好かれることがどうでもいいから、
もっとしているかも。。。。
あと、自分が人に圧倒されるとき、また、なんか裏切られたと感じる時なんかも、敏感に気が付くようになりました。
年取ってきたせいかなーー
それとも自分を守るという意味が分かってきたからかなー
みなさん、今日も、気楽にのーーびのび行きましょう。
いろいろありますし
いろんな人に囲まれてますが、
全てが益となりますように!
あなたは、あなたがすることにより認識され、あなたがするする言う言葉によらない。
カール・ユング
人は、親切な言葉や、丁寧に話すことはいくらでもできるし、
賢いことだって、知識にあふれた言葉だってたくさん話せる。
しかし、その人の行動がコンスタントに示すメッセージが人にインパクトを与え、人に印象を与えます。
また、人の行動がいつも肯定的なものであっても、その人と知り合いになり、話しをしてみてがっかりすることもあります。
人の目にいいことはしているけど、心が伴ってない場合。。。
自分の行いが、何を示しているか。。。
先週、患者さんの一人から、あなただけは私を信じてくれている、愛してくれている、あなたの愛は一年以上たった今でも変わらない。はじめて会ったあの日からずっと同じだ。と、施設の礼拝の中で、感謝の言葉として話してくれました。たくさんの拍手を受けて、涙してしまいました。
私は、必死で、彼らの癒しのために働いているだけなんですが、思いもよらず、その姿勢がみなの目に留まっていたのでした。
私は、決して善人でもないし、聖人でもありません。
人の癒しに関して、全力でやってますが、
他の面で足りないところだらけです。
心の想いは、行動に現れます。
私の信じている神様が私の行動を通して、一貫して現れてくださるようにと祈るばかりです。
聖書に、行いと信じていることについて下記のような言葉がありますので、シェアいたします。
わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。
ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
神がわたしたちの父アブラハムを義とされたのは、息子のイサクを祭壇の上に献げるという行いによってではなかったですか。
アブラハムの信仰がその行いと共に働き、信仰が行いによって完成されたことが、これで分かるでしょう。
「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」という聖書の言葉が実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。
これであなたがたも分かるように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるのではありません。
同様に、娼婦ラハブも、あの使いの者たちを家に迎え入れ、別の道から送り出してやるという行いによって、義とされたではありませんか。
魂のない肉体が死んだものであるように、行いを伴わない信仰は死んだものです。
聖書 ヤコブの手紙 2:14-26
九章、安全な人間関係とは?
安全な人間関係の三つの要素:
1 あなたを神様に近づけてくれる
2 あなたを他者に近づけてくれる
3 私たちを、真の人になることを助けてくれる
安全な人とはどんな人でしょうか。
ありのままの私を受け入れてくれる人
私の有り様、私のすることに関わらず私を愛してくれる人
私が人を愛する能力と物事に責任感を持つことができるように影響を与えてくれる人
私の内面に愛とよい働きを作ってくれる人
私に成長する機会を与えてくれる人
私のうちに愛を増やしてくれる人
その人の周りでは自由な自分でいれる
他者と神のために自分を否定することをさせてくれる人
神が私を見てくださっている自分になれるように助けてくれる人
キリストに似たものとなるように助けてくれる人
他者をさらに愛することが出来るように助けてくれる人
このような資質はイエス様の中に見られます
1、ともに住む…私たちと繋がる能力がある、私達とともに今ここにいる
2、恵み…いつも私たちの側についてくれる
3、真実…正直さ、愛を持って間違いを正してくれる、真摯に向き合ってくれる、神の真理に従っている
あなたの人生の中に、そのような人はいますか?
次は第10章、なぜ私たちに安全な人が必要なのか?です。
お楽しみに!
鬱を患っているお友達、家族に何て言ったらいいか分からな人が多いのではないでしょうか。
日本人の方は、特に、お尻を叩いて叱咤激励して励まそうとしますが、逆効果です。鬱は、病気なのです。
叱咤激励で立ち上がれたら、世話ないのです。
私も、2003-2006ぐらいのあいだ鬱でした。もっと長かったかも。。。。
私の周りに、こんな言葉をかけてくれる人がいたらどんなにか助けになったか。。。と思います。鬱の末期は、自殺願望です。もし、自殺願望がある人がいたら、すぐに病院に連れて行ってあげてください。
あなたが必要な時、私はいつでも飛んでくるから。ほんとだよ。
私はあなたを見放さないよ。あきらめないよ。
あなたは、一人じゃないよ。
一緒に乗り越えていこう。
この病気は治るからね。
愛しているよ。
きっと、乗り越えられるよ。
今、一人にしてほしい?
あなたは、おかしくないよ。
あなたは、お荷物じゃないよ。
あなたがそんな風に感じるのは決して悪くないよ。誰もそれで責めないよ。
私は、どこにも行かないから。あなたも、そうだよね?約束ね。
この気持ちは、一生続くものではないからね。
きっと、あなたは幸せになるよ。
鬱になっていることで、余計に落ち込み、社会の一員として欠けている、自分はだめだ、負け組だと思っている患者さんですから、
追い打ちをかけて叱咤しないように、気を付けてください。
あなたが信頼できる人だと分かることがどんなにか、彼らにとっては救いであることか。。。。
これは、Empathy (日本語だと、共感かな。。自分のこととして感じる)の目で見て理解できるいい絵だと思います。
癒しは、人に共感してもらう事、感情を共有し、あなたの感情を否定するでもなく、正すでもなく、あなたにただ寄り添って一緒に感じることです。
私達のミニストリーでもEmpathy練習グループを作って、もう一年になります。教会の雰囲気が変わってきました。
頭で理解するものではなく、体験して実践してみないと、共感は分からないと思います。
恥の研究者ブリネ・ブラウンさんの教えのいいビデオクリップがあるのでぜひ見てください。簡単な訳は、ビデオの下に書きますね。
VIDEO
共感とは何でしょうか。同情とはまったく異なるものでしょうか?
00:14
共感は、互いにつながることを促進します。
00:17
同情は切断するように強く働きます。
00:20
とても興味深いです。
00:22
テレサ・ワイズマンという看護学者がいるのですが、
00:25
共感に関して、非常に多様な職業を研究した人
00:29
そして共感の4つの資質を見つけ出しました。
00:31
視点を取る-- 他の人の視点を取る能力、
00:35
または彼らの真実として彼らの視点を認識します。
00:38
人を裁かない-- ようにする。人を裁くのは楽しいけど。
00:42
(観客の笑い)
00:44
他の人の感情を認識しその感情と繋がり、それを伝える。
00:48
共感は人と一緒に感じること、気持ちの共有です。
00:51
私はいつも共感を、すごく神聖な空間と考えていました。
00:56
誰かが深い穴にいて底から叫ぶと...私は行きずまってます。ここは、暗いよ、怖いよって。。
01:04
..そして、私たちは見て、私たちは「ねえ!」と言いますそして降りてきて...
私も分かるよ、ここにいる気持ち。。。あなたは、一人じゃないよ。
01:12
同情は、「あらま!」 (笑)
01:15
「まーひどいわね、ええっと。。。」 (笑い)
01:18
「えっと……いいえ。サンドイッチが欲しいの?」どうでもいい感じで。
01:24
共感は選択肢であり、心を開いて弱さをさらけだすような選択です。
01:27
あなたとつながるために
私は、その感情、それを理解させるできごとともう一度つながらないといけないからです。
01:34
そして、ほとんど、絶対に、共感的な反応というものは、「少なくとも...」で始まることはありません
01:39
(笑い)
01:41
うん。そして、私たちは、しょっちゅうそれをしているのです。なぜって、とてもその気持ちがとても辛いからです。
01:45
誰かが私たちと何かを話してくれたら、
01:48
そして私たちはそれを「銀で裏打ち」しようとしています。
01:54
希望の押し売りをしてきます。
01:56
ある人が言います、「流産しました」。
01:58
「少なくとも、あなたはあなたが妊娠できることがわかったじゃん。」
02:01
「私の結婚生活はバラバラになってしまいました。」
02:03
「少なくとも、あなたは結婚できたじゃん。」
02:05
(笑い)
02:08
「ジョンは学校から追い出されてしまった。」
02:11
「少なくとも、兄弟のサラはA学生じゃないの。」
02:13
私たちが、難しい会話の中でやってしまうことの一つに、
私たちは、何か言って、その人の気持ちを良くしようとするのです。
02:22
もし、私が難しいことを打ち明けた時に、あなたに、むしろこう言って欲しいのです。
02:26
「私は何を言えばいいのかさえわからない。でも、私に打ち明けてくれてありがとう。」
02:31
真実ですね、あなたの応答が何かを改善することはめったにありません。
02:36
相手の物事を良いように変えるのは、「つながる」ことです。
どうですか。
いつも、相手の気分を良くしようとしたり、また話の内容を変えてみたりしていませんでしたか?感じないようにすることは、全く、何の慰めや改善にもなりません。むしろ、一緒に感じることが慰めとなり、また相手の脳に絶大にインパクトを与え、癒しに繋がるのです!
聖書にもこのような言葉がある通りです。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい (ローマ12:15)
ぜひ、ご感想をコメント欄に!!!!
今、シアトルで毎日行われているデモ、黒人差別の問題を受けて、私の友達の友達が詩を書きました。
とても美しい詩です。
訳を下につけました。
Your Shoes My Shoes
Today I strolled a trail in my own shoes. As I walked, I stopped and saw your shoes laying on the pebbles. I thought about your shoes and where they have traveled. I tried to wiggle them on and saunter in your shoes. They were not a sauntering type of shoes and my feet began to ache. The ache shot straight up to my heart. As much as I tried to be snug in your shoes they just were not conforming to my foot. Up ahead I saw you sitting by the brook barefooted. Your feet dangled in the bubbling water. Hey, I found your shoes I shouted, and I tried to wear them. You quietly smiled. "Thanks," you affirmed, I just needed to go without my shoes for a while and must have dropped them. Hey, I said, would you like to try my shoes on for a while? We tried so hard to walk in each other’s shoes. We laughed as we stumbled, we cried with the blisters and we struggled with the pain. I think, you concluded, it won’t work, but we can walk the same path together and talk about where our shoes have been. We quietly positioned our own shoes back on while each appreciating the other’s shoes. And we walked the pathway together and many times the trail proved difficult but we kept on.
By Kim McKinney 2020
あなたの靴わたしの靴
今日私は自分の靴でトレイルを散歩しました。私が歩いていると、ふと、あなたの靴が小石の上に横たわっているのを見て、立ち止まりました。私はあなたの靴について、また靴が今までどんなところを旅していたかについて考えました。私はそれらを小刻みに動かしてなんとか履いて、あなたの靴で歩き回ろうとしました。のんびり歩き回れるタイプの靴ではなく、足が痛くなってきました。その痛みはまっすぐに私の心を打ちました。私があなたの靴を自分に合わせようと試そうとすればするほど、あなたの靴は私の足には合いませんでした。そして、あなたが先に、小川のそばに裸足で座っているのを見ました。泡立つ水に足をぶら下げて。「ねえ」、私が叫んだ。「あなたの靴を見つけたので、履いてみたよ。」あなたは静かに微笑んだ。「ありがとう」、あなたは私を褒めてくれました。「私はしばらく靴を脱いで行く必要があったの。どこかで靴を落としてしまったのね。」「ねえ」、私は言った、「しばらく私の靴を履いてみない?」私たちはお互いの靴をはいて一生懸命歩きました。私たちはつまずいたときに笑い、水ぶくれで泣き、痛みに苦しみました。結論としては、これはうまくいかないと思いました。でも、同じ道を一緒に歩き、靴が今までどんなところを歩いてきたかを互いに話すことができまました。私たちは、お互いの靴に感謝しながら、静かに自分たちの靴を元に戻しました。そして、私たちは一緒に小道を歩きました。何回も、この道はやっぱり難しいことがわかりましたが、私たちは一緒に歩き続けました。
By キム・マッケニー
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