我が身のこと、真剣な眼差しの諸氏。
米国では66歳から年金がもらえます。繰り延べると毎年8%が加算されます。妻の分だけを給付してもらえた「File & Suspend」制度は今年5月から無くなるとのことです。
シアトル・オーナー会へ行ってきました。
今回の勉強会ではこうしにEdward Jones 社のチアキさんを講師に
投資や税、リタイアメント、保険などのファイナンス全般にわたる情報を教えていただきました。
メンバーの中には今年で66歳を迎える御仁もおられて
夫婦で年金給付が今年から変更となる情報をタイムリーで知ることができたり、有益でした。
私たちは皆、いつかは働けなくなり、リタイアメントの時がやって来ます。
事故や疾病で突然働けなくなることも、それゆえ生活の屋台骨がへし折られるような事も起こり得ます。
それに備えるための保険などの準備は、
可能ならしておいてもおかしくありません。
自分や家族を守るための備えです。
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ところで、ところで、投資って、
それだけで十分でしょうか?
多くの人が見逃しているもう一つの備えが必要だと聖書は教えます。
それが、「神の前の備え」です。
70-80年の地上生涯だけが、実は私たちの人生でないからです。
死後のいのちについて神の言葉は啓示しています。
そのいのちの質について、どこで過ごすかについても教えてくれています。
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13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。
14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」
15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
16 それから人々にたとえを話された。 「ある金持ちの畑が豊作であった。
17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
(ルカの福音書12:13-21)
本日は長女の高校でコンサートがありました。
合唱部に属している彼女はこれまで数時間の猛特訓を毎日の放課後続けながら今日を迎えました。
数週間前、誕生日を迎えて15歳になった高校1年生。
日本だと「15の春」を迎えているはずです。
中学3年生として、
高校受験という人生で最初の試練の中にあったはずです。
が、所在は言うまでもなくワシントン州。
昨年の9月、入学試験も入学式もなく普段着のまま気軽に初登校し、そのまま気軽に高校生となりました。
好きな合唱のトレーニングに励んでいる毎日。
他者と比べて(相対評価の成績表)、良い点数(偏差値)を取ることだけが評価されるだなんていう
単一の物差しに縛られることもなく
のびのびと、自らの命燃やせる事に熱中出来ることが
とても尊いように感じます。
それにしても綺麗な合唱!
多くの友人たち、父兄らの応援を受けて
賜物を開花させてもらえる彼らを微笑ましくも、羨ましくも感じました!
桜の季節を迎えました
米国の郵便制度は日本とほぼ同様、信頼できます。
これまで数百回も利用してきて、
宛先に送付されなかったケースが1回か2回ほどあっただけです。
その1%に今回の発送物も当てはまるのでしょうか?
数週間経過しても宛先にPriority Mail の商品が届いていなのです。
Priority Mailにはトラッキング番号があり、
ウエブで追跡することができます。
その追跡内容が冗談でした。
ケントオフィスに届いたことを示すだけでそれ以上ではない。
現在どこにあるのかも定かではない。
そのケントオフィスに電話しても、録音メッセージが繰り返されるだけでラチもあかない。
そこで仕方なくケントまで行って来ました。
自宅から南下すること30分ほど。
ダウンタウンの郵便局まで出頭して事情を話す。
そのトラッキング番号を持って奥の部屋で調査した局員が戻ってから言われた言葉。
「どこにあるかは、誰にも分かりません。
あと数週間待ってみてください。見つかる場合が有ります。
そうでない場合は紛失届けを出してください。」
今の現状ではどうにもならない。
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このような状況は私たちの人生においてもやってくる。
そうあがいても、自分でも、他者にもどうにもならないお手上げ状態。
自分が出来るところまでは最善を尽くせても、
全容の解明や解決には程遠く、先が見えない状態。
東日本大震災から5年も経過しても仮設住宅暮らしが続き、将来の展望の見えない方々。
ギリシャ国境で足止めされ冷たい雨の中、テント暮らしの続く欧州目指すシリア難民。
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旧約聖書に出てくるヨブも難題を突きつけられました。
彼は立派な信仰者で、神から祝され大富豪でした。
その彼がいわれのない災難に突然見舞われ全てを失うのです。
彼の全て財産も、子供たちも、ついには彼自身の健康も。
厳しい苦悩の声を上げます。
「神様、今まで私はあなたを信じて従ってきました。
なのに、なのに、、、この試練はどうしてですか?」
彼の「なぜ?」
〜それは生きる上での根源的な問いであり、私たちの問いでもあります。
その答えを直接見いだすことは彼に許されませんでした。
その中から金字塔とも言うべき告白に至ります。
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「私は知っている。
私を贖う方は生きておられ、
のちの日に、ちりの上に立たれることを。
私の皮が、このようにはぎ取られてのち、
この方を私は自分自身で見る。」
ヨブ19章25〜27節
皮をはぎ取られるかのような痛痒の病の中からの信仰告白です。
この痛みの理由は今は分からない。
分からなくとも良い。
やがて死後、復活し、この目で神に見える日が来ると信じているのです。
それが神の約束の言葉であるから。
その日、神にお会いしたなら苦難の意味も会得するに至ると告白しています。
私たちが生きる上で分からない事は五万とります。
しかし、神は私に最善を尽くしてくださっている方であると知るのは、そう信じ得る方は幸いです。
その人は、生きる意味を見出し、
生きる力を与えられるからです。
マンハッタン・イーストサイド地区
今週から25度ほどの暖かいニューヨーク
「あなたの道を主(イエス)にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
主を己の喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」
詩篇37篇5ー6節
「ゆだねる」という行為はどういうことだろう?
もし「ゆだねる」ことが出来るとしたら、どれほど幸いであることか。
その時、人は自由を取り戻し、ストレスから解放され、
アルコールやドラッグ、ギャンブル等の有害な中毒の牢獄から逃れ得るのではないか。
問題は自分のキャパを超える大きさで、自分には扱えそうにない事態はしばしば出来する。
そんな問題でさえも「ゆだねよ」と聖書は教える。
なぜなら、ゆだねる相手は主イエスであり、
このお方が人生最大の大問題である死を解決されたのだから、
ほかの問題なんて、なんでもないじゃん!という論理。
「そうは言っても、この私の問題を見てよ~」
「どうしてここで安心なんてできるものですかぁ!」
そんな重たい現実に直面せねばならないのは、
クリスチャンであってもなくても、
すべての人に共通した人生の原則であろうかとも思う。
私にはつい昨日も経済的な問題が発生した。
昨年、我が家のリファイナンスをして以来新しい毎月のローン払いが始まっていた。
ところが、である。
複雑な事が幾重にも重なっているのであるが簡略して言うと、
その新しいローン払いに加えて古いローン代金を二重に支払い続けていることが判明したのであった。
しかも3日月間も!
どうりでこの数か月間、出費が多く、銀行口座は常にネガティブであったわけだ!
そこでリファイナンスの際に世話となった銀行員に電話した。
もちろん払い過ぎの分は返金してもらえるはずだ!と確信しながらである。
ところが、である。
返金は出来ない!とのたもうたのである!!
ソ、そんな、、バナナ!!
電話口で我が耳を疑いながら銀行員の説明を聞く。
銀行口座にアクセスできる権利を持った私がその新しいローン払いを申請し、
古いローン払いをストップ出来る唯一の権利を持った私がしななったとして、責任はすべて私にあって、誰もこの現実を変えることが出来ない、とのたもうたのである。
冷静さを失いながら応答せざるを得なかったが、
銀行員としてはそのような巨大な組織(Wells Fargo)の中で決められていることを変えることはない、と一点張り。
カスタマーサービスの連絡先を教えるからそこに問い合わせてみよ、最後に言ってきた。
彼が出来ることはそれだけだった。
家内に相談しても、銀行員の言うことに分があり
返金はないだろうからあきらめざるを得ない、という。
私の心中は猛嵐が吹き荒れた。
翌朝、聖書を読んだ場所は、マルコ福音書の4章後半。
主イエスがガリラヤ湖の猛烈な嵐を
「静まれ」とおっしゃたのみで風も波も沈められたという記事。
自然界を統御される力をお持ちの方は、
この私の経済問題にも関与され、統制力をお持ちのはずである。
祈り、ゆだねることにした。
全てを。結果をも含めたすべてを。
カスタマーサービスに電話して、一からややこしい経緯を説明せねばならない。
これは家内に押し付けた。
どこまでの上級銀行員がこの問題にかかわってくれるか?
あの担当銀行員の言った通りで、どこまでたどっても結論は変わらないのか?
そうであってほしくないし、
この現実が撤回されるように願い、主に祈った。
それと同時に、主がこの問題を扱ってくださることをゆだねたのである。
不思議な事が起こった。
猛威を奮っていた心中の嵐は止み、鎮められた。
主が最善の結果を導き出してくださる。
〜それは、私の望むようにしてくださるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それでなかったとしたら、それはそれで、今の私にはわからなくとも、
主が、その最悪から最善を引き出してくださることのできるお方であることを信じることにしたのである。
「ゆだねる」ことのできる幸いは
主を知っていることの幸いは、
何ものにも代えがたいもの。
人生の大問題を凌駕する現実である。
Yamagataでの写真は撮り忘れてしまいました。
帰りのワシントン・ブリッジはシェアライド。しかもパトカーに先導?という特権付き。
錦織先生と夕食を共にしてきました。
場所はいつもの、「YAMAGATA」です。
1年ぶりほどの再会です。
先生は1泊の牧師研修会の帰り道にその足で立ち寄ってくれました。
家庭のこと、教会のこと、信仰や聖書理解のこと、、、
時間はいくらあっても足りないほどでしたが、貴重な話し合いが出来ました。
私も錦織先生も高校時代、
伊豆大島のクリスチャン高校生キャンプに参加して以来再会したのが数年前。
わずか数日間の経験を共にしただけの「幼馴染」ですが、
こうして同じ使命に立つものが想いをシェアできるのは大きな明日への力となります。
も~、やんなっちゃう!!
自分の記憶力のなさにほとほど手を焼いている。
恥ずかしい話ですが、私には方向感覚がまるでないのです。
マンハッタンを歩いていて、東西南北が分からなくなり、逆方向へ歩いていることが何度かあります。
今日もそうだったんです。
レストランまでは正しい方向へ歩いていた。
その店を出てから進んだ方向は、行くべき向きとは逆であるのを 1~2 ブロックほどしてから気づき、引き返しました。
さらにようやく見つけた地下鉄駅からが
も~、大変!!
乗り換えの地下鉄駅で、間違った電車に乗ってしまい、マンハッタンを離れてしまった。
引き返すが、乗換駅を乗り過ごしてしまう。
再び引き返して、ホームにやって来た電車にヤレヤレと乗り込む。
それもまた間違った電車だった!!
そんなこんなで通常なら 15分ほどでホテルに帰れる距離なのに、
1時間ほども時間をかけてしまう!!
も~、やんなっちゃう!!
一人での行動だし、市内を地下鉄移動するだけなので
こんなドジもご愛敬になるかもしれません。
ところが、国際線の飛行機に乗る際はそんな失敗は許されません。
何時間も前に空港にスタンバイして、空港までの移動も研究して失敗の無いよう細心の注意をするはずです。
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それでは私たちの人生航路についてはどうでしょうか。
貴方は人生の行き先がはっきりしていますか?
その目的地に行くための案内人や地図をお持ちですか?
人生を終えて息を引き取る時、次の次元に移されることをご存知ですか?
ちょうど、演劇で幕が開けられるように、次のステージが始まるのです。
私は地下鉄に乗って何度も間違った方向へ進み、時間を浪費しましたが、
先ほど無事にホテルにたどり着きました。
電車内に路線図があり、 Iphone からも路線図を見て修正できたからです。
さらにお隣の人に何回か聞くことができました。
さらにもしこの土地に詳しい友人がいて、私とともに行動をしてくれたのなら迷うことはありません。
彼の言うままについていけば最短ルートで最少の時間でホテルに着くことが出来ます。
私たちの信じている主イエス様は、
その案内人のようなお方です。
「これが道だ、これに進め」とどこか遠くから指図するのではなく
「わたしが道である」とおっしゃいました。
主イエス様は私たちを天にまで導く「道」そのものなのです。
私たちは天への道を探し出すために、勉学や修行、自己犠牲や禁欲などに励む必要はありません。
そのような『善い行い』が天国を約束していると聖書は教えていません。
主イエスを貴方の心にお迎えすることだけです。
すると、主が貴方の人生案内人としていろいろなアドバイスをして下さるようになります。
目的地に至るまでこれほど確かな案内人はないのです。
そして案内板・地図は聖書です。
聖書を読み、学ぶことによって
主イエスの導きがだんだん確かなものへとなってきます。
貴方には人生の案内人が必要ではないですか?
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「わたしが道であり、
真理であり、
いのちなのです。
わたしを通してでなければ、誰ひとり父(神)のみもとに来ることはありません。」
ヨハネ14章6節
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