近所のBest Buyという家電量販店へ行ってきました。
先週からPCが立ち上がらなくなり、新規に購入する他ないようです。
サンクスギビングデーの翌日は、どこの小売店も安売りして黒字を出すことから
Black Fridayと呼ばれます。
閉店の夜8時前に行ったのですが、
駐車スペースを見つけるのに苦労するほどの賑わいでした。
店内もレジ前には長蛇の列。
消費者の購買意欲は概ね好調のようです。
オレゴン州のフット山にかかる満月
ある方とディスペンセイションについて意見を交わすことがありました。
ここに紹介して私のディスペンセイションについての考えを披露します。
Kさんのお考え:
「千年王国も個人的には存在する、と思っておりますが、それが、イエスの2nd Visitの前か後かは、確定できないというのが、現下のわたくしの立場です。この千年王国理解が米国で広がる根源になったディスペンセイション神学を生んだ教派におりますので、その背景はある程度存じ上げており、私が見る限り、千年王国に関しては、聖書の箇所のどこをとるかによって、艱難後千年王国説にも、艱難前千年王国説にも、どちらでも理解を持っていくことは可能です。うちのキリスト者集団のメインの理解は、艱難前千年王国説でございますが、一部には、艱難後千年王国説の方もおられます。プレ、ミレ論争に関しては、千年王国理解の聖書解釈というよりは、わがキリスト者集団においては、戦前の宗教迫害期をその教会の関係者が通過したかどうかによる感じです。宗教団体法を経由し、投獄者が出た教会では、艱難後をとられることが多いようです。私は、無千年王国主義ではなく、時期不確定のままでよい(あるいは、時期を安易に判断しない方がよい)、と思っております。
ところで、ディスペンセイション神学という大変迷惑な聖書理解を生み出したキリスト者集団にいるものが言うのも変な話ではありますが、私は、ディスペンセイション神学の問題にもう辟易していて、これで理解することの限界を感じており、有体に言えば、「ディスペンセイション神学を西ノ島かどこかに捨てた」とご理解いただいた方がよいかと思います。
ここらのことが、Left Behindへの対応と、この世の生き方にかかわるのではないか、と思います。
以上、グダグダと小弟の現下の理解を申し上げました。ご容赦賜りますように。」
わたしはKさんに以下のように応答しました。
「ご丁寧に応答していただいてありがとうございました。
空中携挙やプレミレに関してのお考えが整理されていて、よく伝わって来ます。
ディスペンセイション神学に辟易されたのちに、西ノ島に捨てられた経緯をいつか膝を合わせて伺って見たいものだと思わされました。
私の属している教団はディスペンセイションに対して可・不可を明確にしておらず、
各牧師の聖書理解に委ねられているものであると私は考えています。
中にはディスペンセイションを煙たがる牧師もいたりするのですが、よく話を伺ってみるとだいぶ曲がりもののディスペンセイションを知見したことから由来する誤解に基づくものだったりしています。
私自身、「そんなディスペンセイションなら私も嫌い」としたことがありました。
私の信じているディスペンセイションとは、
神の経綸のことであり、あるいは契約を主な要素とする時代区分のことです。
モーセ律法が機能していた時代には、動物の生贄を決められた方法でエルサレム神殿にて捧げるのが、神への礼拝の様式でした。
イエスによって新しい契約の元にある我々にはそれが命じられていません。
なぜ?
ディスペンセイションが異なるからです。
ユダヤ人には今も豚やタコの刺身を食べられない人がいますが、
メシアニックジューの人でそれらを自由に食べる人もいます。
ディスペンセイションが異なるのを理解できたからです。
確かに千年理論や再臨の順序に関しては「圧倒的な聖書箇所をもとに議論できないこと」であることには違いありません。
しかし、私は聖書の十全的な霊感を信じている者です。
たとい重複せず一箇所であったとしても、聖書が明確に教えていて、他の聖句とも整合できる教えであるのなら、それを神が啓示されている真理であると受け止めております。
終末論を学び出すと、理性や常識では図りきれない預言に対面せざるを得ず、
自らの聖書信仰がグラグラと揺さぶられたのを思い出します。
Kさんのブログも大変興味深く拝読しました。
ありがとうございました。」
…………ディスペンセイションという多くの方にとって耳慣れない神学用語があります。
ある方々はその教えを奉じているとしながら、だいぶ怪しい信仰生活だったようです。
それだからと言ってディスペンセイションの教えを評価できるものではないはずです。
それは、ブッシュ大統領がイラク侵攻をしたのでクリスチャンは嫌いだ、
という論理と変わりません。
その教えが真理であるかどうかは、
聖書が教えているかどうかが決めてとならねばならないはずです。
そしてその聖書は千年王国について、携挙について、
はっきりとした預言を残してくれています。
貴方の先入観や常識を先ず脇において、
丁寧にみ言葉に接して行けば何を教えているかは明確になってくるものです。
電子空間でのこの問題についてのやり取りは今後も紹介して行きます。
久方ぶりに見た官兵衛は、時代が進み、
秀吉が死去して関ヶ原前夜となっていた。
徳川を立てて結束しようと躍起となる息子の長政。
家康は思惑通りに二分した豊臣家の武断派を籠絡してしまう。
尾張出身の長政、加藤清正、福島らがねね様中心に結束するのは、
石田三成ら近江出身の官僚らに対抗するため。
尾張派の三成への個人的な憎悪が、
徳川に見事に手のひらに乗せられ利用させられた。
そのカラクリを透徹した目で見抜いていた官兵衛。
「わしは、わしの道を行く」…側近にそう告げた時の官兵衛の目は将来を見つめ輝いていた。この時の岡田さんは、骨の髄まで官兵衛になり切っていた。
徳川でもなく、石田派にでもなく、自ら天下を目指す官兵衛。
その父親の夢と気概、戦略を解せない息子の長政がもどかしい。
ホサナキリスト教会では、感謝祭ポトラック礼拝を持たせていただきました。
ポトラック愛さん会の後は、先日イスラエル研修旅行から帰国されたばかりのUご夫妻が
写真を紹介しながらの報告会も合わせて持ちました。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ」(詩篇103:1)
主に感謝する理由は数多くある中で、
小さきながらもこの礼拝を守れて来れたことが私には嬉しいことです。
聖書を字義通りに解釈、かつ当時のユダヤ人が受け止め理解した解釈を探求するヘブル的な視点を重心に据えた説教を積み重ねて来れたこと、
そしてこれを共有できる方々が与えられていることに改めて感謝するものです。
その路線とイスラエルへの研修で見聞したこととが重なり、
聖書をより有機的つながりのある神のストーリーとして把握されたご報告を伺ってこれまた感謝。
満員の地下鉄で今回も遭遇したのはアクロバットなパーフォーマー。
満員の人たちを掻き分けるようにして所狭しとクルクル回転。
本物の猿だってここまで上手くできやしまい。
I phone をかざして本ビデオを収録していると、
お兄さんが私にハイタッチを求めてきた。
スーパーヒーローとの光栄な出会いであった。
もちろん、この後1ドル札の詰まった帽子が回って来た。
男の子が手に帽子を持って車両を巡る。
彼らは次の駅で下車し、他の路線に乗り換えて行く。
生業として一日中あんなアクロバットをしているみたい。
生活できるほど稼げるのかな?
ビデオを撮らせてもらった手前、
いつもよりも奮発して私は5ドル札をドネイション(^○^)
U
サラダと味噌汁、それにデザートのあずきアイスクリームが付いて$13は安過ぎるでしょう! こんなにお得で良いのかな?
1981年、大島での高校生キャンプの同窓会です。
Fort Lee へ行ってきた。
宿舎のあるロングアイランドからマンハッタンを抜け、
ハドソン川をワシントン橋で渡るとそこにある街がFort Lee。
3つの地下鉄(F、M、A)とワシントン橋を通るバスを乗り継いで1時間ほどの距離。
この街にいる友人は、皆日本人ばかりである。
特に見逃せないのが小川さん。
ランチに必ず立ち寄ることにしているYamagataのオーナーシェフである。
この日もその日の日替わりランチをご馳走となったが、どれも実に美味い。
味噌汁を一口味わっただけで感動の世界が広がった(^O^)
小川さんには「あと少なくとも、20年は続けてください」と懇願。
「いやあ、もう疲れてきてねェ」と独特のしわがれ声で応答してくださった。
故郷の山形県酒田へ、時には温泉療養などされれば良いのに。
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