この夏のオレゴン・トリップから
「山麓で勝利するために」
マタイ17章19~ 27節
~マタイ福音書連続講解説教46~
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/7192746
山麓では、9人の弟子たちが戦いに巻き込まれていました(9~18節)
今回は、その世界にある現実問題にどう対処して行けば良いのか、という観点から
主イエスの教えを学んで見ましょう。
私たちは常に問題に取り囲まれてますが、
勝利のための秘策も用意されているからです。
Ⅰ 生きた信仰によります(19~21節)
「なぜ自分たちでは悪霊を追い出せなかったのか」
と密かに弟子たちは主に問いかけます。
かつて悪霊追放のための権威も与えられていて、
実績もあった(10:8)のに、
ここで律法学者たちとの議論にも破れて面子を失っているのです。
主イエスのお答え(20)は、
「信仰が薄いから」という、直球できびしいお言葉でした。
彼らは、活性化されていない信仰状態にあり、
過去の経験や、
優位な立場・肩書きに頼っても、
霊の世界では意味がないのです。
「からし種ほどの信仰があれば」と主は言われます。
これは最も小さなものを表すユダヤの格言です。
小さな「信仰」であっても、
種の中には命があるように
それが生きた信仰であるなら
そこに神からの命が通い、
「山」をも動かす、と言われます。
「山」とは、克服困難な大問題を比ゆ的に表現するユダヤの文学形態です。
マタイ21:21
すなわち「山を動かす」とは、
神にしかできない大問題を解決することで、
ここでは、口の聞けない悪霊を追放することでした。
神には不可能は一つもないのです(ルカ1:37)。
処女降誕も、
死からの復活も、
罪の赦しも
神にしか実現不可能な「山」です。
その神の力を引き出すパイプ役が信仰です。
その信仰を抱いて、世界の山と対峙するのです。
Ⅱ 御心への献身(22~23節)
主は、本拠地・カペナウムへ帰ってこられました。
そこで2回目の主の受難告知をされます。
初めての受難告知がピリポ・カイザリヤでのリトリートの最中でした。
いわば非日常での思いがけない啓示でしたが、
ここ彼らの生活の場にあっても、
主の定められたゴール(十字架)は、
変わらないことが示されます。
主イエスは父なる神の御心に献身しているのです。
弟子たちには不評ですし、多くの群衆にも理解できないことでした。
しかしそれは、旧約聖書預言の成就の道であり、
主が地上に来られた目的でもあったのです。
ここに不遇の境遇にあっても勝利する秘訣があります。
人の感心や自己の都合ばかりでなく、
最後のところで父なる神の御心に追従するかどうかです。
Ⅲ 他者への愛の配慮(24~27節)
徴税人たちは弟子のペテロに詰問します。
「あなた方の先生は、宮の納入金を納めないのか」
連続したリトリートゆえに、神殿税の納入期限が過ぎていたのです。
ここで神殿税とは、
20歳以上のすべてのユダヤ人が過ぎ越しの祭りの際に
神殿経費として納めていたものでした(出30:13)。
主は口伝律法をことごとく無視されました。
安息日の詳細な仕事をしない決まりや、食前の清めの儀式などです。
ただしモーセ律法はことごとく守り、一度も破られたことはないのです。
既成権威のパリサイ人達とは衝突されること多く、
ラディカルに見えた主でしたが、
本来の旧約聖書の権威にはことごとく従われていることを見逃してはなりません。
世の王たちはその家族・子供たちから税を徴収しないことをたとえに、
主イエスには納税の義務はないことをペテロに教えられます。
主こそ、神殿の主人であられるからです。
ところが、
「彼らにつまずきを与えないために」湖で釣りをするように命じて、
その口にあるスタテル1枚を
ペテロと合わせた二人分の神殿税とするよう命じられます。
福音の本質的な事柄でないなら譲歩して、
時に権利も放棄された主の姿から学びましょう。
真理を曲げてまで世の風潮に追随はできませんが、
どちらでも良いことなら、
相手がつまずきとならないための最大限の配慮をしましょう。
沖合いに、鯨が潮を噴き上げているのが見えました
誰もいないBeachが子供にはお気に入りだったようです
太平洋の水は冷たく、泳ぐことはできません。
日本のように沖合いは暖流でなく、北からの寒流が流れているからです。
Beachでは、ひざまで水に浸かってみました。
数分としないうちに、骨の芯までが冷やされるのを感じます。
さらにしばらくすると、痛みを感じるほどです。
ただ、ある日のBeachの砂は太陽に熱せられて、フライパンの上を歩かされているような暑さに耐えられませんでした。
太平洋岸を北上する間、多くの灯台を見つけました。
オレゴン州の太平洋岸は、101という高速が南北に伸びています。
I-5という基幹道路ができる以前は
カリフォルニアとワシントンを結ぶ唯一の道路でした。
それだけに古い町並みもあちこちに残っていて、
家内はそんな歴史を感じる古い町に一人で早朝、カメラを片手に入っていきました。
それに灯台も、いうまでもなく船舶には重要な役割を担っていて、
それが地域のランドマークになっていたりしています。
ここまで登るのに車を降りてから10分程度。
それでも高温と乾燥激しく、常に水分補給は欠かせません。
岩石の種類によって色合いが変わっています。
オレゴンの旅を振り返ります。
オレゴン州の中央部からやや東へ行った所に
Paint Rockと呼ばれている所があります。
ここはカスケード山脈の東側に位置している乾燥地帯。
その上、火山活動と水の作用によって、見てください、この山の色合い。
まさに神様がペイント・ブラシを手にしてデッサンしたような風景です。
自宅に帰宅してみると、
玄関先に発注しておいた「はだしのゲン」が箱詰めで届いていました。
早速作者の中沢氏の前書き部分を読んで見ました。
原爆投下を米国によるものというよりも、
当時の日本が引き起こしたものであるとの作者の見方が明確です。
松江市教委が閲覧制限の要請をしたのは、
原爆の衝撃的な描写が子供には強すぎるとした教育的配慮によるもの
と報道から受け取っていましたが、
そればかりでないこともその後のマスメディアの論説から知りました。
産経新聞は次のように報じています。
「閲覧制限を支持してきた被爆者や被爆2世らでつくる
「平和と安全を求める被爆者たちの会」(広島市)
の池中美平(びへい)副代表(63)は
「原爆の悲惨さを強調するのはいい」と前置きした上で、
「作品は非道な原爆投下を日本人の責任にする偏った思想の宣伝道具だ。
学校図書とするのは問題だ」と指摘した。」
先月26日に、松江市教委は、閲覧制限を撤回したそうです。
それでも関係者の間には問題意識が深く残されていることも、
同紙の次の報道が教えています。
「関係者の間で市教委の決定への支持が広がったものの、
作品に流れる思想や暴力描写から「学校図書として問題
との指摘も根強く、賛否はいまだ渦巻く。
一方、作中には昭和天皇をあしざまに罵(ののし)る表現が目立つ。
有識者からは「『天皇に対する理解と敬愛の念を深める』
とうたう学習指導要領を逸脱している」として、
改めて議論を求める声も上がった。」
1巻から5巻ほどまでは、『週刊少年ジャンプ』に連載されたようです。
ところがその後、同作品が掲載されたのは『市民』、
続いて共産党系の論壇誌『文化評論』、
そして最後は日教組の機関誌『教育評論』だったそうです。
その経緯から、
途中から共産党や日教組の意向に沿うように
内容も変化しているのもうなずけてしまいます。
原爆がどれほど深刻な破壊と悲惨を人間とその町に作り上げるかを、
正確に見つめる図書としては評価したい。
一方で、
原爆投下の責任や、そこに至る歴史の解釈は
作者の考えが大きく影響していて、「公正」なものと呼ぶにははばかれてしまう。
砂丘をバギーで滑走する暴走娘
'計画段階では長きに渡るオレゴン・トリップにも思えたが、
いざ始まってしまうと、時間の進むのは意外に早い。
そしてついに太平洋岸まで西に進む。
焼かれるような灼熱の太陽光線が柔らかくなり、気温も穏やか。
そしていよいよ帰路につくことになった。
写真を整理してから、このオレゴン旅行のあらましをさらに後日、報告します。
到着食後のクレイター・レイク。
森の住民が歓迎してくれました。
この日でオレゴン州中央部の探検を終了して、これからは太平洋岸へ移動。
その途中、これもぜひ行かねばならないと考えいていたクレイター・レイクへ。
全米一深い水深(約600メートル)誇るこの湖の自慢はそれだけでなく、
その色鮮やかな水面にある。
日光に照らされると、その水面は濃い群青色となり、それはまさにペンキのような鮮やかさ。
写真でしか見たことのないその神秘を
この目で確かめようと期待しながら進路を南へと進む。
到着してみると、天気ははあいにくの曇り空。
そしてランチを持って車を降り、湖に降る山道を降りているとき雨が降り出す。
あわてて車内に駆け込んで、ランチはそこで摂る。
雨は霙となり、気温も急降下。
辺りは暗闇に包まれる。
ペンキの湖との対面は、今回はあきらめることに。
ここ数日間はオレゴン州中央部、Bendに宿泊。
その町の入り口に住民数が告知されたサインがあり、
それによると8万人少々とあった。
地方中堅都市と呼ぶにふさわしいところで、
宿泊所もレストランも、
シアトルでいつも目にしている名のものがほとんどが揃っている。
ただ日本食レストランは、
ダウンタウンにあるオシャレなアメリカナイズされた
sushi屋が1軒あるのみで、チョイスは少ない。
さてこの日は、2時間ほどドライブして
かねてから行きたいと思っていたPaint Rockへ。
その名の通り、神様がペイントブラシでデッサンしたと思えるような
見事な色の山肌が広がっている所。
コントラストも見事なこの色彩。
火山活動と土地の隆起が、数千年の昔に造形した大地の奇蹟。
その謎の正体については、
いつかより詳しく調査してから紹介させていただくこともあると思います。
滝下りに興じて
こんな急流も普段着のままドブン。
岩肌は滑らかでもなく、叩きつけられる衝撃に尻が痛かった。
オレゴン旅行前半の山場、「マウンテンバイクと滝」の日となった。
朝の9時にsunriverという町の冒険ツアー会社オフィス前に集合。
私たち以外にも家族連れが幾つかあって、
総勢17名が一人のインストラクター&ガイドに率いられて、
秘境の山奥へ入って行く。
スクールバスに乗車した私たち以外に、
164台のマウンテンバイクが搭載している「米国最大搭載数のトラック」(インストラクター曰く)も同行。
到着したトレイルの入り口では、
それぞれの身長やサイズに応じたマウンテンバイクやヘルメットが充てがわれる。
6マイルほどの距離の山道は、ほとんどが下り坂のため、体力的な挑戦は感じない。
が、かなりのスピードが出るし、
砂に覆われた悪路もあって運転スキルは問われることとなる。
最小年齢の6歳の男の子や、長男も悪路に前輪が捕らわれて何度か転倒。
そんなアクシデントにもめげずに進んでいきながら、
ランチを挟んで途中、3箇所の滝壺に寄って、水と戯れることも。
すなわち、滝壺へのジャンプや滝ごり、
岩肌での水流スライドなど大いに遊ばせてもらう。
昨年、家内と子供達は茨城県にある同様のツアーに参加したが、
その時の滝遊びではウエットスーツにヘルメット着用の重装備であった。
今回はそれもない上に、滝遊びとマウンテンバイクを交互に繰り返すため、
着替える間もなく、ほとんどの人は濡れたスニーカーと普段着のままである。
過保護気味の日本的スタイルに対して、
ここ米国での自己責任に任せるあり方の違いがここにも見られるようだった。
それにしても、森林の中を、
緑の風を斬りながらマウンテンバイクで疾走する爽快感は
何物にも変え難いものだった。
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