シアトルの南、タクエラという町にあるStarfire サッカー場。
フルサイズのコートが、15面ほど並んでいる。
幾つかを日本へもって帰りたい。
スローインしているのが、長男。
この日は長男のサッカー三昧となった一日。
朝7時台に家内と試合のため出かけていった。
午前中に3つほどの試合があるそうな。
ランチのために一時帰国。
しばらくして、再び試合のために出かけていく。
今期からセレクト(選抜)チームに所属するようになり、試合の数も多くなった。
それにしてもワシントン州のサッカー事情は恵まれている。
こんな子供の試合にも、整備された芝生のコートが用意されている。
リーグ専用のレフリーや、もちろんユニフォームはホームとアウエイの二つを揃えている。
私もこの国で生まれたかった。
TVで江戸時代の絵師、伊藤若冲の絵画が紹介されていた。
その精密極まりない鳥獣や草木の極彩色と、
生命観あふれる構図には圧倒されるばかり。
200年も前に日本にこのような天才がいたことだけで驚き。
私はピカソの絵が理解できない。
何を描こうとしているのか、どうしてそれが評価されるのか。
だが、若冲の絵に瞬時に釘付けとされた。
この夏、その展覧会が東北の被災3都市を巡り、多くの人々を励ましたという。
彼とその作品は長い間評価されずに、
美術館の倉庫に埋もれていたのを掘り起こしたのが、
ジョー・プライスという米国人であるのがまた驚き。
インタビューでのプライスさんの言葉です。
正確な引用ではないですが、私の記憶にとどまったものです。
*多くの人は誰が描いたのかを目当てにしていて、
署名を見ただけで「次を見せてくれ」という。
*美術には何の知識もない私が23歳とき、
「葡萄の絵」に衝撃を受けた。
*当時日本が鎖国をしていたのが良かった。
外国のものの模倣でなく、自国にある美しい自然や動植物に向き合うこととなった。
日本独特のものを生み出す素地となった。
*津波の数週間後、色彩のない灰色の被災地に、
梅の花が開花した知らせに感動した。
以下はプライスさん自身が展覧会開催にあたり、
日本の皆さんに宛てた手紙からの引用です。
「テレビに映された梅の花にそれまで硬直していた身も心もほぐれ、
泣き崩れてしまいました。
一面灰色の瓦礫の中で咲いたあの色鮮やかな梅の花の美しさは一生忘れることはないでしょう。
また私たちは、避難所で配られたおにぎり1個に「ありがとうございます」
と頭を下げられておられた東北の人々に美しいものをお見せしたいとの思いに駆ら
れ、~」
江戸時代のものばかりでなく、
日本の優美は海外の人によって発見されることは珍しくありません。
教頭先生に案内されて、初めての教室に。
ランドセルを背負って、初めての登校日。
写真を整理していたら、3年ほど前の日本滞在時のものが出てきました。
この年、山形の小学校へ子供たちを体験入学させるために連れて行ったんでした。
彼らのランドセル姿を見るのが、私のわがままな野望でもありました。
毎日酷暑の中を、20分ほどかけて登校するのは、米国にない試練。
日本語の環境で勉強するのも、米国ではありえない世界。
たくさんのお友達を作って、貴重な体験の数々。
その時は厳しさの方しか感じられなかった体験入学も、彼らの中で肥やしとなっていると信じています。
東南アジアの子供たち。
夏休みはどのように過ごしているのだろうか。
今日で最後の7月。
子供たちの夏休みもすでにあと1ヶ月。
今日、早くもTVコマーシャルはは、Back to school セールを盛んに宣伝していた。
今年のシアトルは猛暑もなく、すこぶるしのぎやすい。
豪雨だ旱魃だと苦しんでいる日本の皆様に申し訳がない。
今日も昼過ぎに、大学生のクリスチーナが来てくれて、子供たちと遊んでくれている。
彼女が来ると子供のテンションは一気に上がり、
「あそぼ、あそぼ」と夢中になる。
小学校2年生で広島の原爆に遭い、家屋の下敷きとなった家族が焼死するのを目撃するゲン。
「はだしのゲン」は作者の中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした漫画です。
戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が
生き生きと描写されているもので、
私は題名だけを聞いたことがありますが、実際に本を読んだことはありません。
本日のTVニュースでは、このはだしのゲンを題材にした授業がニューヨークの大学で開かれていたりしているそうです。
すでに英語を始め、世界20ヶ国語に翻訳され、核兵器の恐ろしさ、非人道的な被害を長く与える残酷さがリアルに人々に訴えているようです。
核開発の進むイランでも、在日のイラン留学生がペルシア語へ翻訳したことから、この本を読む人たちが起こされています。
核を持たずに、平和への道を模索する機運を与えるツールとして用いられていきますように期待します。
私も英語版を購入して子供に読ませてあげたく考えています。
S.Fベイエリアにはイラン料理の店が多く見られます。
「ペルシャ料理」と銘打っているところが多いです。
地中海料理の中ではお勧めです。
イランは中東でもアラブ諸国とは趣を異にしている。
紀元前数千年の昔から、
ペルシア帝国を築き上げ当時最新の建築技術で他を圧倒していた時期もある。
先日の大統領選挙で保守穏健派のロウハニ師が当選したことも、
イラン社会にある底力を見せてくれた様に感じている。
保守強硬派のアフマディネジャド大統領は
イスラエルへの暴言を繰り返し、
核開発を強行したため、国際社会で孤立した。
西側からの経済制裁はイランの国民に耐えがたい苦難を強いた。
今回の選挙結果は、その大統領路線に民意がノーと判断したものである。
昨今の「アラブの春」騒動に見られるように、
暴動やクーデターが頻発している中にあって、
正当な選挙によって暴君を引き降ろすことができた。
自己変革の力を見せてくれたように思う。
改革派が選挙活動をほとんど封殺されたという現状で、
第1回投票から過半数という圧倒的な数で従来の路線が否定され、
その選挙結果が穏便に政権交代に移行して行ったのは、
ペルシア人の民主主義に基づく民度の高さ故とみて良いと思う。
国土の広さや人口(7500万人)、資源だけでなく、
歴史的・文化的厚み、民度の高さ(今回のような自己変革していく力)から、
イランは強力な中東パワーになれる条件を備えている。
ただこれは国際社会との融和の中でこそ可能なはず。
特にイスラエルとの平和共存を新政権が模索することを期待する。
いのちと全世界を天秤にかけると、、
マタイ16章21~28節
「弟子への受難予告」
~マタイ福音書連続講解説教43~
メッセージノートと聖書本文ははこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/6212843
{メッセージの抜粋}
「その時から」(21) という言葉はカギとなるフレイズです。
マタイ福音書では、重大な転機を意味する言葉として用いられています。
4:17にも出現していますが、
そこでは主が公の生涯に入られた転機を示すものとして使われています。
マタイ福音書を「その時から」で3つに区分すると、以下のようになります。
メシアの準備期間 ~4:16
メシアの宣教期間 4:17~16:20
メシアの受難期間 16:21~
さて、16章は弟子訓練の章でした。
弟子たちや一般民衆のメシア理解とイエスとの間には大きなギャップがありました。
主は今まで言及されなかったのですが、
訓練の進み具合を見ながら、
いよいよここで弟子たちが仰天するようなことを開陳され始められます。
❶ 受難の予告(21節)
主の弟子訓練もいよいよギアが入って来ました。
先回はペテロが満点のメシア告白をしました。
これを受けて主は初めて教会設立や、
その経緯や教えの正統性などにも言及され始めます。
そしてさらに、ご自分の受難について預言されたのが今回です。
そこには4つの側面があります。
エルサレムにて起こることである
長老、祭司長(サドカイ人)、律法学者(パリサイ人)たち、これらサンヘドリン構成員たちから受けるものである。
多くの苦しみのあと殺されることになる。
三日目によみがえる。
❷ ペテロの反応(22~23節)
主が死を遂げられると聞いて、
ペテロは不吉な事と感じたのでしょう、師である主を「引き寄せて、
いさめ始めた」とあります。
そこには主への愛情や守りたいとの熱情が見て取れますが、
同時に彼自身の願望や都合も見え隠れしています。
主は、「下がれ。サタン」と厳しく譴責されました。
それはかつて荒野で悪魔の誘惑に会われたときに使われた断定のお言葉と同じものです(4:10)。
イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」 (16:23)
❸ 弟子としての道(24~28節)
主は弟子となる道を解き明かされます。
それから、イエスは弟子たちに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。(マタイ16:24-25)
気をつけなくてならないことは、
この聖句は救いにいたる条件を教えているのではないことです。
信者となることと、弟子になることとは異なります。
恵みに応答する信仰により私たちは救いをいただきますが、
もし救われた者が弟子として歩みたいのであれば、
それは自己犠牲の道を覚悟せねばなりません。
ここで動詞の時制に注目してみましょう。
アオリスト時制(決断・ある瞬間に完成される行為)が、
「捨てる」(=自己否定であり自己中心をやめること)と
「十字架を負う」(=神に自己意思を全面的に承服させること)に使われてます。
そして、現在形時制(継続・現在も繰り返される行為)が、
「ついて来なさい」(=日々の実践で神の御心を歩むこと)に使われています。
これら動詞の使い方から教えられることは、
自己の意思や願望などの執着を全面的に主におささげする献身の行為は、
生涯のどこかで明確に決断せねばならないというものです。
その後は、
生活の至る場面でその献身の選択を繰り返すのが弟子の歩みであることです。
人は、たとい全世界を手に入れても、
まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。 (16:26)
この聖句は、
日本へ宣教にやって来たフランシスコ・ザビエルが若い時に神への献身を決意するに至ったものとして有名です。
彼が上陸した鹿児島の港には御影石の記念碑が置かれてあり、
その石碑にこの聖句が刻まれてありました。
彼が万里の波濤を越え来日し、いのちを捧げたがゆえに、
戦国時代の多くの日本人がまことのいのちを見出したのです。
歴史に名を残したからでなく、
主に従った献身の生涯ゆえに、
来たる世にあっても彼には大いなる報いが約束されていることでしょう。
使徒パウロは、殉教する直前に次の言葉を残しています。
「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。
私だけでなく、主の現れを慕っている者には、
だれにでも授けてくださるのです 」(2テモテ4:8 )
「義の栄冠」という報いは、
ザビエルやパウロといった功労者だけに備えられたものではないのです。
「主の現れを慕っている者にはだれにでも授け」られるものです。
栄光の報いを目指して、弟子としての道を進もうではありませんか。
この日の土曜もいました。
ユニオン・スクエアのメイデン・ラインにて美しいソプラノを披露して下さるご婦人。
この十数年間、毎週土曜には一度も欠かしたのを見たことありません。
バークレーの見抜き通りの一つ、Shattuck通りの昼下がり。
バークレーは、UCLA大学があることで有名です。
もう一つ有名なのは、この町がヒッピーの聖地であること。
70年代のベトナム反戦運動とヒッピーライフスタイルがこの町で融合し、
一台ブームを引き起こしました。
今でこそヒッピーと言われるホームレスは、ほかの町と比べて特別に多いと感じません。
それでも、名残を家々の様子や町並みに感じることがあります。
たとえば、写真に見られるランチ風景。
中央分離帯にある僅かな緑の芝生に腰を下ろして、
堂々と食事しているのは学生だけではありません。
隣のオークランドにも、カリフォルニアのどこにもこういうのは見覚えがありません。
これも由緒ある?ヒッピー文化の名残でしょうか?
サンフランシスコの日本町。
サンフランシスコ・ベイエリアで牧師をしているS先生と会食しました。
お互い、ほとんど同時期に6月下旬から2週間ほど訪日していたので、
そんなことも報告。
「2週間滞在して、ほとんどプライベートな時間が無かった」と述懐されたS先生。
御教会出身者のための同窓会を全国3箇所で開かれ、2箇所での被災地奉仕。
到着日と、出立日にご両親の家に寄ったのが唯一プライベートと言えるかな。。
なんておっしゃっておられました。
今年の私の訪日も、似たような感じでした。
羽田到着から10時間後には横浜港南教会の日曜礼拝、羽田出立の3時間前までは川崎教会の水曜祈祷会に家族で出席していました。
プライベートと言えるのは、隅田川クルーズに母親を誘ったのと、その夜に高校同窓会に行ったくらいでしょうか?
「そういう訳で」ということではないのでしょうが、S先生は来夏、3ヶ月間の休暇を日本でお取りになるとのこと。
大いに結構ではないですか!
サバティカルとして、これまでに取れていなかった休暇を一気に消費するとのことです。
サバティカルとは、旧約聖書にあるもので、1週に対しての1日、7年間に対しての1年間を休暇として人間や農地に与えよ、との教えです。
もちろん、その運用は社会制度や職種で様々であってしかるべきもの。
そういえば、明治学院の教員がサバティカルを利用して1年間の研究生としてワシントン大に留学、当時ベルビュウーに滞在していたそのご家族とは今でもお付き合いがあります。
もちろん留学費用も滞在費用も大学持ち。
民間企業も同様で、さらに渡航の際にはビジネスクラスが提供されるというのだからスゴイ。
日本の経済力が下火だなんて言われて久しいですが、家族毎海外に研修させるんだから。
ところで聖書に最も親しんでいるはずの、
本家本元のキリスト教会がこの点でかなりの遅れを取っているようです。
私の周りのプロテスタントの日本人教会では、そもそも休みを貰っても外泊出来ない経済事情の牧師たちばかりです。
それを清貧の美徳とするか、改善点と認識するかは、日本の教会人の民度にかかっているのではないでしょうか。
さて、私はサバティカル欲しさにこれを書いているのでありません。
いつの頃からだろうか、私は休暇という概念を捨ててしまった。
On/Offの切り替えや、労働と休養の区別はあっても、
一年365日、一日24時間、常時仕事をしているつもりでいます。
同時に趣味にも励んでいます。
仕事=趣味です。
自分の心からしたいことに取り組んでいるんです。
たった今、夜の12時を超えてしまいました。
そろそろベッドに入り、睡眠という仕事に取り掛かることにします。
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