《”珍しい花” つくば市内2021/11/29》 マルバノキ(丸葉の木) ; 「マンサク」の仲間でハート形の葉が丸っこいから「丸葉の木」と名付いた由。 自生は珍しい、かつ隔離分布し、個体数も少ない氷河期の遺存種と云われる。 樹皮は灰褐色、丸い皮目がある。葉は互生し、長さ5~11㎝の卵円形~卵心形。 秋に紅葉すると、葉腋に短い枝が出て、暗紅紫色の花が2つ咲く。 ヒトデのような変わった形の細長い花弁が5枚、花は背中合わせに一対で咲く。 蒴果は、頭が窪んだ倒円心形、翌年の秋に熟すと2裂する。日本固有種。 花、果実、紅葉が晩秋に一緒に見られる。紅葉の美しさ等で庭木に用いられる。 「令和参年(皇紀2681年)11月29日、記」
《”林床の色・ポーラ美術館” 》 ミヤマシキミ(深山樒) ミカン科(Rutaceae) 学名:Skimmia japonica Thunb 和名の由来は葉がシキミに似ていることから。ミヤマシキミの園芸品種が西欧に多い。 茎は直立し、よく分枝する。葉は輪生に近い互生、長楕円状披針形、厚い革質、全縁。 葉表は光沢があり、葉裏は黄緑色、油点がある。雌雄異株。 長さ5~8㎝の半球形の円錐花序を茎頂に伸ばし、よい香りのする花を多数つける。 花は直径約1㎝。花弁は4個、長さ4~5㎜の長楕円形。雄花は雄しべ4個、雌しべは退化。 雌花は仮雄しべ4個、雌しべ1個、柱頭が四角形で浅く4~5裂する。萼は浅く4裂。 果実は直径8~10㎜の球形の核果、秋に赤色に熟し、春まで見られる。 果実は有毒。核は長さ6~8㎜の広卵形、先が尖る。 ツルシキミ(蔓樒) ミカン科(Rutaceae) 学名:Skimmia japonica Thunb. var. repens (Nakai) Makino ミヤマシキミの幹が蔓状に這う品種、主に日本海側に分布する。 蔓になること以外はミヤマシキミと同様である。 幹は灰色、下部が蔓状に這う。葉は互生、革質、長楕円状披針形、全縁。 葉先は鈍く尖り基部は楔形。葉表は光沢があり葉裏には油点がある。葉柄は長さ0.5~1㎝。雌雄異株。 枝先の散房状の円錐花序に花が多数つく。花弁は4個稀に5個。 果実は直径約1㎝の球形の核果、核が4~5個入り、赤色に熟す。 来春~秋にかけて、再度観察してみたい植物。ツルシキミは以前、湿生花園で見た。 「令和参年(皇紀2681年)11月28日、記」
《”森の色・ポーラ美術館” 》 ポーラ美術館の森と色、ブナを頭に色々な葉色で構成されている。 紅葉・黄葉が織りなす景観は、當に自然林と感じさせる!?! ブナ(椈・山毛欅); ブナの漢字、かつては木ヘンに無と書いていたほど使い道のない木とされていた。 が、自然環境を守る大切な樹木として注目され、神奈川県内では丹沢・箱根に見る。 寒い地方では低地、暖かい地方では高地に生える。陰樹で極相種。肥沃土壌に育つ。 丹沢では、600~800m以上の尾根筋に多く見られた。 近年、丹沢の南西面のブナにオゾン(光化学スモッグ)による立ち枯れが多々見られる。 ブナの成長は遅く、実生から5年でも樹高1m程。 簡単な年齢推定方法は、直径が40cmになるのに100年と見る。 樹皮は灰白色~暗灰色、滑らかで割れ目は無い。その為、時に地衣類が付き模様ができる。 材は木目が通らず、腐りやすく狂いも大きいため、建築用材としては使われなかった。 欧州では、(種類は異なる)ブナを高級木材として扱う。日本ではかつて、食器などを作った。 古くからわが国では、飯碗や汁碗は木製で、片手で持てるお碗で食事するを習慣としていた。 このお碗の作り手を木地師と呼んでいた。材料は、一般的にブナが使われた。 木地師は各地の山々を移動しながら、轆轤で挽き、かんなで削って碗や皿、盆などを作った。 ある程度の数がまとまると、里に降りてきてお金や米に変える生活をしていた。 白木の碗では水気を吸い、耐久性に乏しいため漆を塗ることで使い勝手は著しく向上した。 この漆を塗る職人を塗師(ぬし)と呼んだ。木地師と塗師の分業が全国各地で行われていた。 “ブナの実の豊凶”ブナが豊作だと、野ネズミが大繁殖すると言われる。 一般に木の実は、動物に実を食べ尽くされるのを防ぐため、定期的な豊凶の波を持つ。 これをマスティングと呼ぶ。しかしブナには豊凶の定期性がないとされる。 木の実の豊凶の落差が野生動物の食料に響く。自然界の妙であろう。 「令和参年(皇紀2681年)11月27日、記」
《”“箱根山中・ポーラ美術館(3)” 》 箱根山中は、自然景観のみならずジオパークとしても知られている。 自然豊かでもあるが、散策路整備が少ないように思う。 ある意味、自然そのままと言えるかも知れないのだが、、、!?! 温泉と観光、そしてゴルフ場、これだけ広いエリアに散策路が少ない。 都心に近い故、日帰りも楽々だ。それ故、のんびりとした散策・保養は? 自分の足で感じる。現代人は、“自然環境”を如何に捉えているのだろうか。 ポーラ美術館、館内と周りの景観に接してみると一体感を感じる。 「令和参年(皇紀2681年)11月24日、記」
《”箱根山中・ポーラ美術館(2)” 》 自然と人が手がけた造形。ふたつがひとつになり、凛とした時間が流れる。 造形と云う「響き」、森で耳を澄ます”スーザン・フィリップスのサウンド・インスタレーション。 ポーラ美術館の森の遊歩道に国際的に活躍するアーティスト、スーザン・フィリップス (Susan Philipsz)のサウンド・インスタレーション《Wind Wood》をコレクションに加えた由。 2019年に開催された企画展「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」に際して、 美術館屋外の「森の遊歩道」で展開されたもの、その再演公開、とパンフで知った。 清々しい鑑賞空間に作家自身の幻想的な音色と自然を感受したいと出掛けた。 《Wind Wood》、室内や屋外に音を響かせることでその空間や環境を新たに体験させる、 これらをサウンド・インスタレーションと称し作品化する事で知られるアーティスト。 上手く表現出来ないが、芸術・・表現、情感は、微妙かつ繊細、孤独の空間!! 自然自体が、紅葉・黄葉が、音と共に一瞬・同化する。言葉に表現できない空間。 面白い自然鑑賞方法“造形”と凡人感覚で楽しんできた。 「令和参年(皇紀2681年)11月23日、記」
《眼福(266)!?!”❖21-324》 《”“箱根山中・ポーラ美術館(1)” 》 箱根山中には、色々と個性を持った美術館が点在する。 黄葉・紅葉を見事に魅せる庭園が、幾多にもあって一日では回れない。 ゆっくりと散策、堪能したいからだ。前回は、色に拘って散策した。 今回は、“自然環境”に拘って散策したいと訪ねたのが“ポーラ美術館”。 美術館のホームページには、「アートの森で、響きあう。 私たちの美術館は、 箱根の国立公園にとけこむように立っています。 手つかずの自然と、人が手がけた造形。 ふたつがひとつになり、凛とした時間が流れる。 モネ、ピカソ、フジタ・・・そして現代の作家たち。 化粧道具や工芸品、その数は10,000点におよびます。 ひとつの作品から、ひとりひとりの感性へ。 アートが持つ力をありのままに届ける。 響きあうためのキュレーションとともに。 都市の美術館にないものを。POLA MUSEUM OF ART」、と謳われている。 「令和参年(皇紀2681年)11月22日、記」
《”自宅裏手の実” 》 庭の手入れなど全くしない昨今だが、樹や草花たちは健気に活きている。 普段、見ない裏の物置脇に植わっている萬兩に赤い実がついていた。 この時期我が家で見れる花は、マーガレットコスモス (ガモレピス)位だ。 黄色と赤、花と実隣り合わせだと良いのだが、、、。 萬兩は、幼児が無いと行かない物置の脇にひっそりと見をつけている。 自然な野生ではなさそうな低木。園芸種は、じつに沢山の実をつける。 年を越して来春迄実がついてる。楽しめるが、場所が場所、植え替えるか!! 「令和参年(皇紀2681年)11月21日、記」
《”赤系統色の実&??” 》 東丹沢と呼ばれる厚木市・清川村周辺は、低山が折り重なっている地域。 緑濃い散歩道に事欠かない。又、自転車散歩にも適している。 散策の途で無意識に撮していて帰宅して、あれぇって思う実と花茎があった。 「令和参年(皇紀2681年)11月20日、記」
《”丹沢山地山麓の植物(2)” 》 リンドウの白花品種。野生種もあるようだが、園芸種と思える。 形態的にリンドウと変わらないようだが、リンドウに比べ草丈が低い。 今ひとつ、シロバナエゾリンドウの可能性もあるが、識別が??? 「令和参年(皇紀2681年)11月19日、記」
《”丹沢山地山麓の植物(1)” 》 ツワブキ(石蕗); ツヤブキがなまったも、といわれている和名。三浦半島の海岸近くでよく見かけた。 葉は長さ10~38㎝の柄があり、葉は、腎心形。葉面は、厚くて光沢がある。 若葉は、握り拳の様に丸まり灰褐色の軟毛が覆い、葉柄の基部は鞘状になる。 葉の間から高さ30〜75cmの太い花茎をのばし、黄色の頭花を散房状につける。 頭花は直径4〜6cm。花柄は1.5〜7cmと長い。周りには雌性の舌状花が1列に並び、 中心部に両性の筒状花が多数集まる。総苞は筒形で、総苞片は1列に並ぶ。 昨年、丹沢の麓の野草園で見たツワブキ、綺麗な色をしていた。 その風情を思い出させる色づいた葉を見た。 「令和参年(皇紀2681年)11月18日、記」
《”寺家ふるさと村(2)2021/11/14!?!” 》 ハゼノキ(櫨の木); 山野に生え、高さ7〜10m、幹の直径8〜12cmになる。 幹は灰褐色~暗赤色で平滑。若い樹皮は皮目があり老木になると縦に裂け目が入る。 全体に毛が少なく、ほぼ無毛。枝は灰褐色〜帯赤褐色。 葉は互生し、長さ約30㎝の奇数羽状複葉。小葉は、4〜8対で広披針形~狭長楕円形。 先が長くとがり、全縁、ほぼ無毛、裏面は緑白色。小葉が垂れ下がることが多い。 葉裏は緑白色、葉裏の側脈がヤマハゼやヤマウルシほど目立たない。秋に紅葉する。 若芽は、無毛で緑色又は赤くなる。雌雄別株。黄緑色の小花を円錐花序に多数つける。 ヤマハゼは葉軸に毛が密生し、小葉の幅がやや広く、葉に毛が散生する。 ヤマウルシは幹が灰白色で、褐色の縦筋がある。 葉幅が広く側脈数が少なく、側脈と主脈の角度がやや小さい。 「令和参年(皇紀2681年)11月16日、記」
《”寺家ふるさと村(1)2021/11/14!?!” 》 レンプクソウ科(Adoxaceae) のガマズミ属(Viburnum) の実と思う上画像。 ガマズミ(鎌酸実、莢迷・・学名:Viburnum dilatatum )とは異なるか??? 花は、大きさ等で区別できるだろうが、赤い実では区別が難しいほど良く似ている。 鎌酸実の名前の由来は、実が酸っぱい事からきているらしい。 ムシカリ 、ヤブデマリ、ミヤマガマズミ、チョウジガマズミ、コバノガマズミ、 オニコバノガマズミ、 これらの実、同じように真っ赤に実る。ガマズミ属だろう、と思いはすれど明確に特定できない。 葉身に托葉が無い、実の付き方等で、ミヤマガマズミではなかろうか。 「令和参年(皇紀2681年)11月15日、記」
《”ふれあいの森晩秋2021/11/14!?!” 》 ノラボウ(のらぼう); ノラボウナは、東京都西多摩地方及び埼玉県飯能市付近で栽培されてる野菜。 江戸時代初期にはすでに各地で栽培されていたと伝えられている。 耐寒性に優れ、天明の大飢饉、天保の大飢饉の際に人々を飢饉から救った。 春に咲くと聞いているが、こんな季節に花を咲かせていた?? 「令和参年(皇紀2681年)11月14日、記」
《”寺家ふるさと村の晩秋2021/11/13!?!” 》 オケラ(朮); 学名に混乱があると言われているが、ここでは上記のように記すことにする。 短い根茎があり漢方薬に利用される。茎は細く、木のように堅くなる。 葉は互生し、下部の葉は長さ8~11㎝、3~5裂し、縁には刺状の鋸歯がある。 根生葉は花時には枯れてない。葉は秋の終りに黄色くなって落ちる。雌雄異株。 頭花は直径約2㎝、筒状花だけからなり、やや紅色を帯びた白色、稀にピンク色。 雄株は雄花、雌株は両性花であり花冠の先は5裂する。総苞は長さ10~12㎜の鐘形。 総苞片は7~8列。魚の骨のような特徴ある形をした総苞外片が、2列に総苞を包む。 総苞外片を苞葉と解説している図鑑もある。 (2列の総苞外片は外苞葉 と内苞葉といい、その内側に総苞があり総苞片が多数 )。 「令和参年(皇紀2681年)11月13日、記」
《”泉の森の晩秋2021/11/12!?!” 》 サラシナショウマ(晒菜升麻) キンポウゲ科(Ranunculaceae) 学名:Cimicifuga simplex Wormsk. 地下茎は横に伸び、茎は高さ1mに達する。上部は分枝し短毛を密生させるが、下部は無毛。 葉は複葉で長い葉柄があり互生し、葉縁には鋸歯があり葉柄基部は広がり茎を抱く。 茎先や葉腋から太い穂状花序を伸ばしブラシ状に白い小花を多数付ける。 真っ白い巨大なネコジャラシの容貌。蕾状態では、「ヨウシュヤマゴボウ」にちょっと似ている。 ふわふわの花は、日があたっていると、遠目でもあちこち咲いている如くによく目立つ。 類似の「イヌショウマ」等と見分ける点は、個々の花の付け根に短い花茎がある事。 「令和参年(皇紀2681年)11月12日、記」
《”横須賀・鴨居・観音崎2021/11/07!?!” 》 "谷内六郎”さんの名を聞くと、「週刊新潮」の表紙絵を描いておられた方。 描かれた、親しみある画風は、我々の心を魅了し続けた御仁であった。 天星するに早すぎた、と惜しまれる。その画伯の記念回顧展が開かれている。 横須賀美術館内に谷内六郎館があるが、改装中で本館で展覧されていた。 「特別展示:生誕100年 谷内六郎展 いつまで見ててもつきない夢」 昭和31(1956)年に創刊された『週刊新潮』の表紙を創刊以来、飾り続けた足跡。 谷内六郎(1921-81)の原画数・約1300点余りが横須賀美術館に所蔵されている。 今回の展では、『週刊新潮』表紙絵をはじめ、戦後まもなく発行された漫画本、 兄が経営する「らくだ工房」で作られた染色作品、子どものための手作りオモチャ、 第1回文藝春秋漫画賞受賞の抒情的初期作品群、装丁本等、多彩な展示であった。 * * * * * 開催している横須賀美術館は、東京湾に面し観音崎灯台の近くに位置する。 又、後ろの緑の丘陵上に防衛大学校があり。最寄り駅は“馬堀海岸駅。 京浜急行の本線は、かつて馬堀海岸駅を通り浦賀駅が終点だった。 大津駅から久里浜駅が支線だった。後に三浦海岸駅まで延長している。 今は、こちらが本線となっている。だが三崎までは鉄道が行っていない。 かつて横須賀は、造船の町でもあって、浦賀ドックは、立派だった。 海軍基地の街、人口も其れほど多くは無かった頃、国立病院があり、 市立病院があり、私立の総合病院も2つもあった。半世紀も前のことだ。 横須賀の変貌は、70年安保頃が変わり目か?都市開発が始まった。 今の16号線沿いの海岸線(よこすか海岸通り)沿い住宅は埋立地上に建つ。、 馬堀海岸は、昔、大海水浴場で、走水は地元の人が行く静かな場所だった。 観音崎灯台の近く、開発された住宅地奥に谷内六郎さんのアトリエがあった。 昔を思い出す。親と植物観察に散策してる折、幾度かお会いした事があった。 アトリエは、今の横須賀美術館の裏手になる。画伯の庭みたいな所だ。 「令和参年(皇紀2681年)11月11日、記」
《”職人感覚デジカメ・復活NIKON!?!” 》 一眼レフカメラの最高峰Nikon F。機能もさることながらデザインもまた素晴らしかった。 ピラミッド型ファインダーに象徴される直線を基本としたボディーラインは、當に工芸美。 ニコンFは、機能や堅牢性、ニッコールレンズの秀逸性も加味しプロに愛用されていた。 ニコンFは、フルメカニカルカメラ。メンテナンスも可能で道具として使用に耐える。 フィルムカメラからデジカメに移行すると、日本のプロ用機材群は世界を席巻する。 銀塩一眼レフではNikonが圧倒的だったが、デジカメ時代に入るとCanonが台頭。 報道写真界での使用分布での話。今は、個性豊かな機材が日本には色々ある。 そんな中、ミラーレス・フラッグシップ機としてNikon Z9が発表された。 4軸チルト式モニター、3D-トラッキング、最長125分の8K動画機能など搭載。 メカシャッター非搭載。このミラーレスカメラ「Z 9」、価格は税込70万円前後に由。 総画素数5,237万画素積層型ニコンFXフォーマットCMOSセンサー(35.9×23.9mm)を搭載。 3000万画素以上のミラーレスカメラで世界最速のスキャンレートと云う。 それによりローリングシャッター歪みを極限抑制。“メカシャッターの要らない構造に由。 自動焦点(じどうしょうてん)は、ディープラーニング技術を用いた被写体検出。 検出できるのはミラーレスカメラで世界最多という9種類もあるという。 人物(顔、瞳、頭部、胴体)、犬猫鳥(其々頭部、瞳、全身)、車、列車、飛行機の各所。 同社ミラーレスカメラで初めて「3D-トラッキング」を搭載している。AF演算は120回/秒。 ファインダー(EVF)は「Real-Live Viewfinder」の名前で、表示解像度は約369万ドット。 一眼レフでのミラーアップによる像消失がないだけでなく、メカシャッターも使わない。 連写の開始/終了時における同一画像のリピートやワープ(表示飛び)がない。 動画機能も充実、ゆっくり動く被写体、速く動く被写体もスムーズに追従する。 手ブレ補正は、ボディ内VR、シンクロVRのほかに、電子手ブレ補正も利用可能。 EXPEED 7エンジンの採用で性能が大幅に進化した由。仕様としては、D6を上回る。 外形寸法は約149×149.5×90.5mm。重量は約1,340g(バッテリー、メモリーカード込み)。 一眼レフカメラの「D6」と比べて約20%の小型化としている。 その他、各所に新技術・改良点が見られ、他メーカーのフラッグシップ機を上回る性能。 * * * * * Nikon F(親所有)を持って先輩にモデル撮影会に連れていって頂いた(遥か昔のこと)。 その時のモデルさんの中に入江美樹(ベラちゃん)さんや長谷川照子さんがいた。 このお名前を知る人は、かなりの高齢だろうね!! Fに135mmをつけて持参したが、メインはMinolta Autocordで撮った様に記憶してる。 Fは、殆どバッグの中に。懐かしく思い出す。 デジカメ時代に入って、ニコンは報道写真に余り登場しなくなって、と聞いていた。 自分では使っていなかったこの20年来だが、やはりNikon派の自分がいる。 そして我が仲間の報道写真家がバタバタと、天星、寂しいかぎりだった。 彼等は皆、Nikon派だった。 Nikkor 14mm~600mm迄借用して撮ったこともあった。 落ち込んでいた昨今だったが、Nikonが爆発した。驚くも嬉しい。やっぱりNikonだ!! 仲間の最長老は、ライカ一辺倒の人だ。僕は、フジとシグマ。 なんとか、私家版植物図鑑を作りたいが夢だ。頑張ろう!! 「令和参年(皇紀2681年)11月10日、記」
《”こだわり・職人気質のデジカメ!?!” 》 フィルムカメラ時代から日本にも色々と楽しいマニアック仕様の機材はあった。 僕自身、山岳・植物・仏像等々、比較的静物を求めて撮り歩いてきた。 アナログ(フィルム)時代には、6☓6判を主に、時折大判カメラも使っていた。 フィルム代を考え、一枚入魂って・・・慎重に一枚一枚撮ったものだ。 デジカメ時代になり、フィルム代は不要になったが、センサーを使いこなせない。 最先端技術に全くついていけない。オート仕様にすれば良いのだが、、、。 アナグロで育ったものとしては、どことなくマニュアルフォーカス&露光に傾く!! デジカメの中で殊更、拘ったカメラが“FUJIFILM X-Pro1・ 2・ 3"がある。 デジタル表示を見ながらダイヤルやファンクションボタンを駆使し操作する時代に、 フィルムカメラのようなアナログ的な操作系を採用し、クラシック的なカメラ。 『X-Pro3』は、レンズ交換式デジタルカメラの中でも特異な存在と思える。 デジタルカメラが進化するにつれ、様々な機能が備わってきて撮影者には便利だが、 何かを失いつつあるって感じる。操る楽しみ、詳細にセッテング、ワクワクする感覚。 写真を撮る道具として、便利・不便という観点に当てはまらないカメラ『X-Pro3』。 フラッグシップのテクノロジーが詰め込まれたカメラとも思う『X-Pro3』。 超個性的で全ての愛好家が好むものではないが、五感を研ぎ澄まして撮るカメラ。 道具としての『X-Pro3』、写真文化を支えてきたフジフイルムらしい素晴らしいカメラ。 同じフジフィルムからラージフォーマット中判デジタル機が身近になってきた。 先日発売された『FUJIFILM GFX 50S II』は、ボディ内手振れ補正機構を採用している。 高解像度による手振れにシビアな中判デジタル機の登場に驚く!! 先の『GFX 50S』は、中判カメラシステムをデジタル化させた機種で特筆したい。 今度の『GFX 50S II』はよりライトに使えるようミラーレス機として進化したと言えよう。 中判カメラの手持ち撮影は、手振れとの戦いであることは周知の事。 弱々しくある老人にとって、中判デジタル機を手持ち撮影できるカメラの登場に驚いた。 「令和参年(皇紀2681年)11月09日、記」
《”尖ったデジカメ!?!” 》 ここ数年、主に帯同しているデジカメはSIGMA dp0 Quattro。 SIGMA dp0 Quattro本体の形もユニークだが個性的なデジカメ。 而して、dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。 そのレンズ構成はまさに豪華絢爛。高性能レンズを使い超広角。 「ディストーションゼロ」歪み0.5パーセント。このレンズの凄味。 広角は周り周辺が歪むことは、当前。その概念を打ち砕いた。 foveonセンサーは、等倍にしても画像が鮮明、建築物撮影に適している。 更には、カラーモードも多種、RAW現像すると更に良い。 基本をマスターしていない。それなのに魅力的なデジカメが次々に出てきた。 dp0を使うにあったって、オートフォーカスではなく、マニュアルフォーカスで。 所が、ピンぼけばかりで・・・目の治療をしないといけないか??? それにもまして思うことがある。機材が軽すぎてブレるとおもえもする!?! 「令和参年(皇紀2681年)11月08日、記」
《”便利、自分で自由自在に加工できる写真!?!” 》 感光材(銀塩フィルム)の化学反応を用いたフィルムカメラ。 その仕様に取って代わった、便利で効率よい画像保存方法の登場!! CCDやCMOS等の撮像素子やフォトダイオードによる光電変換する方法。 電気信号をデジタルデータ化し、メモリーカード等に保存する仕様。 それが、デジタルカメラ。従来のフィルムカメラは、好事家だけの宝物。 フィルムカメラ関連の事業は激減しているのが今の現状だろう!?! レンジファインダー、一眼レフ型カメラを使ってきた者には、デジカメは??? 細かすぎる仕様。色々な操作で独自の風合いが出せる利点はあるが!! 今後、どんな仕様になるのだろうか??望むは、簡単・シンプルで尖った機だ。 デジカメを最初に面白いと思い入手したのがNikonのCOOLPIX S4だった。 レンズ回転式構造をニコンでは「スイバル機構」と呼んでいた。 COOLPIX S4は、その機構を採用した10代目の機種。 1/2.5型の600万画素CCD、10倍ズーム、2.5型液晶モニター、単三電池駆動。 次に手にしたのは、NIKOND40。デジカメ初心者向けで且つコンパクトカメラ。 重厚なNIKONにあって軽量化と新画像処理エンジン搭載、使い勝手が良かった。 今、最も愛用しているデジカメは、SIGMA dp0 Quattroという特異なデジカメ。 SIGMA dp0 Quattro、上から見ると異様!!怪しげなデザインが凄いって感じる。 SIGMAカメラの欠点としてISO感度を上げるとノイズが乗りやすさに苦慮する。 而して、PC上でRAW現像をする必要があるクセが強い「じゃじゃ馬」的なのだが!! つかっている者とすると実に楽しく然と挑戦し、乗りこなせたら最高である。 画角に歪みが無い。dp0は14mm(35mm判換算で21mm相当)の広角レンズ。 而してdp0は、「Foveon X3イメージセンサー」と云う独自のセンサーを採用している。 独特な質感描写を生み出すシステムとして注目、使って見てビックリであった。 一般のカメラは「ベイヤー式」、光の3原色RGBを互い違いに並べて構成するセンサー。 SIGMAのカメラは3層になっていてそれぞれの層で色を受け止める仕組み。 「ベイヤー式」は1枚のセンサーを3色で分割する為、それぞれの色情報が少なくなる。 一方でSIGMAは3枚のセンサーで各色を受け止めるので、色の情報が豊富である。 Quattroシリーズは、一番上のB層を4分割し情報処理の効率を格段に改善している。 独自路線をひた走る「Foveon センサー」のシグマというメーカーに期待している。 フルサイズFoveonセンサー搭載カメラの製品化を注目しながら待ち望んでいる。 「令和参年(皇紀2681年)11月07日、記」
《”独創的中判カメラ!?!” 》 レンジファインダーから一眼レフ型カメラへ傾斜した日本写真界。 20世紀後半、報道写真の世界では一眼レフは、大活躍(現在もだが)。 とは言ってもプロの世界では、色々な用途に用いるカメラが多種類あった。 静物を撮る、コマーシャルに使う写真、それ等に適したカメラも存在した。 ブローニー判という少し大きなフィルム用カメラ群は、色々あった。 中で関心を持ったカメラが2つ、アサヒペンタックス6X7、マミヤRB67である。 アサヒペンタックス6X7、35mm一眼レフを大きくした形のカメラであった。 マミヤRB67の方は、ハッセルブラッド等の6☓6判一眼レフに似た形態だった。 プロの世界では6☓6一眼レフ=ハッセルブラッドで、信頼愛用されていた。 写真報道では35mm一眼レフが多用されるのは、当然の理である。 畏敬の念を持つ写真仲間(写真を生業としていた)の幾人かが天星した。 僕より一回りも若い人々。言葉、持てない。 国産製機材に拘った人達。僕は、アサペン67もマミヤRB67も使ったことない。 プロ故に撮影した画像は素晴らしい。彼等の言葉、おれ達・・日本人!! 「令和参年(皇紀2681年)11月06日、記」
《”一眼レフ全盛時代懐古!?!” 》 レンジファインダーの完成型カメラの出現で日本のカメラメーカーは兜を脱いだ。 1950年代のカメラ業界の行く末を決定付けたモデルがLeica M3だろう。 太刀打ち出来ないと諦めたのか(Nikon SPは、充分に戦えると思ったのだが)?? 日本のカメラ製造メーカーは、一眼レフ型カメラに舵を切った。 黎明期の一眼レフの欠点が、「撮影の際にブラックアウトする」であった。 これを解決したのが、旭光学工業(現リコーイメージング)のクイックリターンミラー仕様。 1954年に発表されたアサヒフレックスIIb(旭光学工業)に装備された。 今ひとつ、「絞り込むとファインダーが暗い」という欠点も日本のメーカーで解消していた。 ズノー光学工業は、1958年に自動絞り機構を装備したズノーペンタフレックスを発売した。 1957年、旭光学工業は“アサヒペンタックス”との名称で一眼レフカメラを研究開発した。 世界初のクイックリターンミラーとペンタプリズムを両方搭載した画期的な一眼レフカメラ。 更には、1959年ニコンが発売した“ニコンF”は頑強で報道者に愛用されはじめた。 写真報道で多用されていたスピードグラフィックとローライフレックスにとってかわった。 以後クイックリターンミラー・自動絞りを装備するのが当然となって行く。 以後、日本の一眼レフ型カメラは、世界的に圧倒的支持を得て発展してこんにちがある。 そんな一眼レフカメラにあって総合的高評価は、Nikon Fが抜きん出ていたか。。。! 世界中のプロが使っていた一眼レフカメラ。レンズも多種あった。 如何にNikon Fが信頼されていたか!!! 米軍用 Military Nikon F KE-48C Nikon F US GOVT PROPERTY なんていうのもあった。 交換レンズの中には、アオリ機構(シフト、ティルト)つきレンズも初期からあった。 「令和参年(皇紀2681年)11月05日、記」
《”写真機の傑作=Leica M3!?!” 》 レンジファインダーを追求し一つの完成型カメラの登場したのが、Leica M3であった。 今では「一眼レフカメラ」が主流だが、M3は「レンジファインダーカメラ」である。 ドイツのLeicaという会社製。世界中のプロフォトグラファーに絶大なる信用が!!! 一般的には「35mmフィルム」と言うが、「ライカ判」なんて呼ばれたりもしている。 この「35mmフィルム」とは、フィルム幅が35mm、高さ24mmの大きさ。 Leica M3は、巻き上げレバーやバヨネットマウント等、新機構を搭載して登場した。 以来長きに渡りライカM型は進歩を続け、今日に至っている。 採光式ブライトフレームファインダーに組み込まれた50、90、135mmのフレーム枠、 取り付けるレンズに応じて自動的に枠が出る。半世紀も前に完成したシステム。 発売初期から色々と改良はされているが、前期型はフィルム巻き上げが2回式とか、 初期型ライカM3のシャッター音の静かな事は歴代ライカM型のシャッターの中で最高。 色々あるが評論できるほど使っていない(総て先輩の借り物)だが、魅力余りある。 一方、昔、使ったことのある国産レンジファインダーカメラ、Nikon SP。 このカメラ、敬愛して止まない写真家のお古だった。使いこなせずお蔵入り状態。 「令和参年(皇紀2681年)11月04日、記」
《”写真機と呼ばれた時代!?!” 》 写真機からカメラ、機材の歴史、大きく分けてフィルムカメラとデジタルカメラ。 機種的には、レンジファインダー・一眼レフカメラ・デジタルカメラと変転してきた。 両親の趣味が植物探しで、記録用写真機材が親爺の書斎には色々あった。 小学校高学年頃には、暗室部屋を作って、現像からプリント迄自宅で処した。 おかげで中学生で現像からプリント迄自分でできた。もちろん白黒写真だけ。 小学生当時、カラー写真は“天然色写真”、白黒フィルム、ネオパンS/SS/SSS!! 今では、難なくこなせるプリント。増感現像、そんな表現は、死語になってしまった。 我が家にバルナック型ライカIIIf(レッドシンクロ・セルフタイマー付)が、あった。 ライカⅢfは、バルナック型ライカの中でも、最も完成されたモデルと言われている。 ドイツ、エインスト・ライツ社の天才技師、オスカー・バルナックによって開発された。 レンジファインダーカメラとして完成域に達していた驚異的なカメラ。 世界中のカメラメーカーがバルナックライカを模倣したのは周知のこと。 日本のニコン、キャノン等もライカのコピーモデルを製造していた。 ライカを凌ぐ製品としてNikon SPがあげられるだろう。 だが、SPの上を行くレンジフィンダーカメラの出現、それがM型だった。 M型の登場で、日本の各メーカーはレンジファインダーから一眼レフの開発に移行した。 現在のライカは、一眼レフ開発では日本メーカーに遠く及んでいない。 我が家にあったバルナックライカⅢFには、ライカビットがついていた!?! ライカビット(SYOOM / 14009 / 14109)とは、バルナック用のフィルム巻上装置。 面白い装置だった。裏面中央にトリガー(引き金)が格納されている。 この装置を参考にしたのか??後の一眼レフ・キャノンR2000にトリガーが採用されている。 R2000と同時期に登場したのが、伝説のニコンFであった。 前東京オリンピックの報道関係者は、殆どがNikonFだった。 それが、2021東京オリンピックでは、キャノン機材が殆どだったと聞く。 時代の流れ、経緯を思うと“昭和は遠くなりにけり”だ。 「令和参年(皇紀2681年)11月03日、記」
《”泉の森・植物(8)”❖’21/11/01❖ 》 ビワ(枇杷); 西日本の石灰岩地帯に野生のものが散見される由。原産地は、中国説が有力である。 現在日本各地で栽培されている。葉にアミグダリンやクエン酸等が含まれている。 古くから薬用に使われてきたが、薬効成分のアミグダリンは体内で青酸に変化、毒性もある。 高さは10m程。樹皮は灰褐色で細かい縦皺がある。老木になると剥げて、斑紋ができる。 葉は、枝先に集り互生。葉は広倒披針形で基部は次第に細くなり葉脈が深く裏面に隆起する。 葉表は濃緑色、無毛、光沢があり、葉裏には褐色の毛が密生する。縁には荒い鋸歯がある。 長さ10〜20cmの円錐花序にかなり芳香のある小さな花が100個前後つく。 花は、直径約1㎝の白色5弁花。花弁の内側下部、萼、花序には褐色の綿毛が密生する。 「枇杷葉湯(びわようとう)」 枇杷の葉は、江戸時代には民間薬としていろいろ重宝していた。 葉をそのまま煎じて枇杷茶とし、暑気あたり回復や下痢止めにした。 また葉を数枚風呂に入れると肌をなめらかにして、あせもに効くとされた。 京の烏丸の薬店が、枇杷葉湯として売り出したものが有名になる。 材料は枇杷の葉の他に、木香、桂枝、甘草、呉茱萸などを煎じたとされる。 京、大阪、江戸で売られたが、江戸では、宣伝用に路上で往来の人にただで振る舞われた。 そのため、後に貞操のない女のことを枇杷葉湯と言うようになった(「広辞苑」)。 「令和参年(皇紀2681年)11月02日、記」
《”泉の森・植物(7)”❖’21/11/01❖ 》 ヒイラギ(柊); クリスマスに用いる赤い実は、モチノキ科のヒイラギモチ、アメリカヒイラギ 、セイヨウヒイラギの実。 上記画像の花は、モクセイ科に属する柊でキンモクセイやヒイラギモクセイの仲間。 画像で分る様に柊の実は、黒っぽい濃紺色で雌雄異株で実は雌株にしかつかない。 普段余り目にしない。この柊は、樹齢を重ね老木になると、葉のトゲがなくなり丸くなる。 だが実際には、老木でなくても春先に出る新葉は、棘のないものが多々みられる。 幹は淡灰色、樹皮には縦方向の割れ目が菱形状に入り大きめの丸い皮目が点在する。 葉は対生、楕円形で厚く硬い葉身。表面は暗緑色で光沢あり葉裏は淡緑色で緑色細点がある。 若木の葉には、棘状の粗い歯牙が~5対あるが老木になると、全縁となる。 図鑑などには、老木になると棘の無い、全縁の葉になる、と図鑑等にあるが、 それほど老木でなくても春先に出る新葉は棘のないものが多々見られる。 葉腋に白色の花を束生し、よい香りがある。花冠は直径約5㎜、4裂し裂片が反曲する。 花冠の筒部は長さ1~1.5㎜、裂片は長さ1~1.5㎜。雄蕊2個。核果は惰円形で紫黒色に熟す。 * * * 節分にイワシの頭をヒイラギの枝に挿して作る『柊鰯(ひいらぎいわし)』を戸口に飾る。 邪鬼除けの風習とは、古来、“臭いもの”や“尖ったもの”には魔除けの効果があるとされて来た。 鬼門除けに庭の表鬼門(北東)に「ヒイラギ」、裏鬼門(南西)に「ナンテン(南天)」植えた。 「令和参年(皇紀2681年)11月01日、記」