Oct
18,
2006
「函館塩ラーメンキャラメル」!?!
なにぃ〜〜〜!!これ?解説によれば、一粒食べれば、甘さとしょっぱさが渾然一体となって口の中に広がり、「でも意外と普通のキャラメルっぽいな!?!」塩ラーメンテイストが確かにその存在を主張してくるとか・・・?こんなお菓子な(おかしな^^)、キャラメルが、函館地方中心に売られているらしい。函館で食せる「塩ラーメンのスープを原料に」。北海道では各地で珍キャラメルがあるらしい。コンビニのお菓子コーナーの一角に「北海道限定キャラメル」の棚がある程に種類があると言う。ご当地商品が色々ある中でこんなものまであることを知った。ちなみに^^・・・、「バンビミルクキャラメル復刻版」「バンビチョコレートキャラメル復刻版」(以上、池田製菓)、「熊出没注意 焼きトウキビキャラメル」(道南食品)、「サッポロビールキャラメル」(メルシー)など、なぜかいずれもタテ11.7センチ×ヨコ4.5センチの統一された細長タイプ!?!北海道限定の「夕張メロンキャラメル」とか「男爵いもバターキャラメル」、更には「ジンギスカンキャラメル」なんてのもあるらしい。ご存知の方、味を知っている方が、おありなら教えていただきたい。ちなみにキャラメル中毒人間です、僕は^^。全国各地にもあるのだろうか??このようなキャラメルが??
Oct
11,
2006
こだわりを持つ洋菓子店!!
会合の後、東京オリンピックを観戦した事もある知人達をも伴って、
昔話をしながら散歩・・東京オリンピックに縁ある、、、
以来、東京に止まったフランス人が開いたCafeを訪ねた。
創設者は、すでに故人だが、粋な雰囲気は、受け継がれている。
店名、A.Lecomte(ルコント)ご存知の方もおありだろう。
フランス人による日本最初のフランス菓子専門店である。
ケーキ類は、美味であることは、言うを待たないが、
知人達を案内したのには、
フランスの何所の街角にもあるカフェスタイル・・・
お茶とパンを頂くのが目的であった。
近い将来西欧に出向くだろう若者達にも知らせたかった。
目の前に置かれたホットチョコレート、
そして、皿にのったクロワッサンとアップルパイ!!
アンドレ・ルコントの味を忠実に受け継いでいた。
遥か昔・・ルコントさん自らが給仕してくれて
「これおいしいねぇ!!」とウインクする姿を思い出す。
気さくな方であった。今日のスレッドの本題はこれから・・・^^。
以前、僕のスレッドにコメントを載せてくださった方が、
クリスマスケーキを掲載してくれていた、そのお店訪問。
![](http://www12.plala.or.jp/redhupa/s_weil.jpg)
かつて、神田の古書店街をまわったあと、
訪れたい店が、画像のエスワイルだった。
1年ぶりのエスワイル。ここのモンブラン・オ・マロンは絶品である。東京でこれほどのものを食せる店は、おそらくないだろう。
店名にピィ〜〜〜ンと来られる方があれば、
その方は、かなりのフランス料理人通。
S.Weil とは、人名である。昭和2年12月に横浜ニューグランドホテルが誕生した。
その初代料理長が、スイス人のSaly Weilであった。
その愛弟子、菓子職人(パティシエ)に大谷長吉があった。
その大谷氏が神田に開いた洋菓子店名に冠したのが
「エス・ワイル」。
資料によれば料理長を「エスワイル」と呼んでいたとある。
それを店名にした大谷長吉がいかに畏敬の念を抱いていたかが
伺われる。
2代目大谷龍一氏は、ヨーロッパでながきに渡り、
又、ワイルの支援をも受けた
存命(失礼だが)では数少ない方でもある。
味は、天下一品であるが、店のスタイルは、
お洒落な昨今の菓子店とは少々異なり、
平凡な店構えであった。
そんな東京・神田のお店が2004年9月に閉店された時、
僕は、驚いた以上に寂しかった。
それが移転とわかった時は、ほっとしたと同時に嬉しかった。
移転先に伺った時は、なんと小さなお店にしたんだろう??
と驚いた・・・!?!
カウンターに5席しかないスペース・・・
ショウケースの後ろで注文する度に
その場でケーキを完成させ出してくれる。
こうした二代目、大谷龍一氏の姿勢、
職人のあるべき姿を見た。
「Authentic・・・由緒正しい、本物の、確かな」
Authentic & Deliciousと僕には映る。
注文したモンブラン・オ・マロン、筆舌に尽くしがたい!!
![](http://www12.plala.or.jp/redhupa/monblanc_o_maron1.jpg)
生クリームがたっぷりと添えられている。
まさに西欧流の出し方である。
ドイツでは、ケーキを注文する時に、
”ミット・ザーネ”と言ったものであった^^。今の社会にこのようなお店もある、と紹介したい。
Oct
3,
2006
見る瞬間、思う瞬間!?!
無意識に、ぼ〜〜っと海面を見ていると、一瞬、不可思議な模様とであった。偶然の産物だが、なんとも面白い。単に、画像を見ているだけではどんな場面か分からないかもしれない。説明あっての理解。日々の生活の中でも気にとめないと社会の様々な出来事が通り過ぎていってしまう。事象は時間と共に忘れ去られていく。
この所、裁判で、解せない判決が相次いでいる。先日、又も考えさせられる民事法上の決定があった。
自分にとって関係ないこと、社会での既存・一般的倫理の中で、一個人の考えであっても思考してみたい。
そんな自己主張が容易に出来るのがブログであろう。法の判断は、専門家だけが出来るのでもない。
社会的コンセンサスも重要な判断要素、である。
法的判断は、狭義の法・条文解釈だけでではない。
社会通念として、要件妥当とする内容であれば、
法・条文解釈を拡大できるとする判例が出始めた。
現行法をも活用・・・できる事である。
現行法における限界、とする判断が相次いだが、
今度は、「法の前に人間」それを問うているやであった。
「生きた法律」!!硬直した判断が、司法では、よくみられるが・・・。
先日、画期的な判例が出た。
「代理出産」 を容認する・・判断基準を定義するべくな判決。世に不妊で悩む夫婦は、多いであろう。
欧米で言われる「生殖補助医療技術」を一個の人間として真摯に考えて見ることも大切である、と海面の模様を見ながら思った。日本の医学会は、容認していないかもしれない!?!
更には、養子ではなく実子として出生届を出したいのは当事者・子供が欲しい親の身勝手なことか??
而して、「出産した女性だけを母とする」法解釈ははたして??現代社会において正論か??
生殖補助医療技術の確立・法制化が検討されている時期だが、生命倫理に基づいた真摯な分析・検討、既成概念に捕われず、東京高裁の判断・決定が示すように、真摯・慎重にではあるが、国民、一人一人が、思考すべき時が、今、と感じる。
高裁の決定書にある「わが国の民法は、生殖補助医療技術が存在しなかった時代に制定されたが、現在はこうした技術で人為的な操作による妊娠や出産が可能になっている」「法制定時に想定されていなかったからといって、人為的な操作による出生が、わが国の法秩序の中に受け入れられない理由とはならない」
但し、ケースバイケースであることは確かで、慎重な判断、医療実施に際しての基準・規定を早急に国として策定して欲しい。
現実問題として、向井さんの場合のように既存の問題を、国の審議会の答申で「代理出産禁止」と言う法律が出来ようとした前に、東京高裁という場で出た決定は、物議をかもすことは確かだが、
『誰のための法か!?!』と言う点で、まさに当事者の立場にたった、慎重に審議された真摯な決定、人道的な決定と、賛意を表したい。
Sep
26,
2006
襍崋(華)!?!
生意気にも、我が部屋につけた名前「襍崋房」その主として、
ハンドルネームをzakkaとした。
襍は、雑の旧字体、昨今、文字離れが顕著と言われている。
しかしながら、日本らしさ、和言葉・漢字を忘れてしまったら、
日本の伝統・歴史はどうなってしまうか??
せめて我が子には、と難しい言葉・漢字を示してきた。
今日、新たな首相が誕生した。
そんな折に思うは、
雑草と呼ぶなかれ、「野草」と呼んで欲しい。
この感覚・感性を大切にして欲しいのだ。
最近、近くの公立公園内に田んぼを作り、
そこを地元の小学児童に開放している。
先日、田んぼの畦、周辺を整備??している子供達と公園管理者・先生方を見かけた。
「これは、雑草です。全部刈り取ってしまいなさい!?!」
その意は、分かるのだ。だが、その草花をもいとおしむ心を教えて欲しいと、見ていた。
画像をみて頂きたい。楚々と咲いている小さな花。小さな2〜3mmのピンクの花、花色でその存在は良く分かる。
草丈15cm〜20cmの草本は、斜上して生えている。
多年草と言うことで、農業者には厄介な草だろうが、
自然界の共生・多様性を年頭に、
教育理念を構築して欲しく思って止まない。
Sep
25,
2006
初秋・・・。
野にある芒は・・・とおもって散歩に先日出かけた。
秋をひしひしと感じる。清々しい。
あるところで赤い彼岸花をみた。
しばらく行くと、「秋・・・ススキ」
を思える光景と出会えた。
Sep
19,
2006
「護美」・・・!!
散歩に出かけた。
駐車場から浜辺に下りるところに、
車等の転落防止か?パイプの柵がある。
そこにゴミ袋のネットが括りつけられている。
折しも海からの風にあおられて
ネットが吹流しのようになびいていた。
なにか・・・花のように見えた!!我が家の道路に面した裏木戸前に
ゴミ箱を置いていたのだが、
母は、ゴミ箱を「護美!?!箱」
と書いていたような気がする。
この光景を見ていると
「護美」って^^画になると。
散歩・・一瞬の妙味!!
Sep
18,
2006
天・・・陽!?!
何所でも見られる天空・・・陽の明かり。
画像の光景を見ていて、先日あった裁判の結末を思っていた。
オーム真理教麻原彰晃の裁判の事を。
『テクノロジーの狂気』そして宗教。
『』の言葉は、
西暦1900年生まれで2002年3月13日に永眠された、
哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマー、享年102歳・・
が最後に世人に語った言葉である。あの9・11事件直後に語った老哲学者の困惑、
『暴力にまでなった「宗教」・・・と。
師は、「如何にすれば理性的未来を構築できる」と、苦悩を見せていた。。。
その上で、「死」が何を意味するのか、、、
「暴力」がウィーンの城門の前に立ちはだかった
(オスマン・トルコ帝国による1529年、1568年の第一次、第二次ウィーン包囲、
また1683年のトルコ軍によるウィーン包囲等を指す)などの歴史上の事実・・に重複させ、
「恐ろしく長い間絶えて無かったことを思うと本当に不気味に感じられてきます。」
「共通感覚」「他者の思考」「他者の理解」』等を語っておられた。。20世紀を代表する一人の哲学者の言を思いながら、
9・11事件以前に日本に存在した事件「オーム事件」も忘れてはなるまい。
宗教の存在が、我々の生活に如何なる力を呼び起こしているのだろう??か。
宗教は「何をなしうるか」、凡人の己には分からない。
「テクノロジーの狂気」、宗教の恐ろしさを「オーム真理教」等の新興宗教に見る。
科学技術を用い、「詭弁」「妄想」、言葉巧みに言いたい放題。
「オウム事件」を空洞化させてはいけない。
その他の怪しげな宗教団体も含めて、
罪と罰、倫理と行為規範を裁判の中で深く審理して欲しかった。
オーム事件の首謀者に断罪がくだったが、中味の全くない事実に対する結論が出ただけだ。
人が人を裁く、そこには「審理」と言う客観的整合性がなくてはいけない。
「裁判・訴訟制度」の根幹をなす、
「検証」が疎かにされ、法廷技術(訴訟技術)
つまりは、形だけの訴訟が先行して、裁かれる加害者、
そして救済されるべき被害者の存在を充分に検証していない、
蔑ろにしている。
同時に、言論・行政・政治、それを動かし携わっている人々にも危惧感を持つ。
真摯に分析、対策を講ずるべき、と・・・
新たに日本を動かす首相が決まる時、
英知を結集して、
平和な日本を築いて欲しく希して止まない。
Sep
11,
2006
来年への掛け橋!?!
今年の夏は、夏らしい日が続かなかった。
海岸近くの地元人!!も心なしか日焼け色が薄いように見える。
遠方より来る友人と海辺を散歩していると、東の空に綺麗な虹が現れた。
9月の初めというのに、何所となく暑さを感じない。歩く者にとっては、ありがたいが^^。
サーファーに聞くと、「海水は、はや秋を思う」であった。
この時の虹、来年の夏への掛け橋、と言わんばかりに見事な半円を見せてくれた。
Sep
11,
2006
夕日〜〜朝日
この夕日の遠い向こうでは朝日を拝する人々がいる。
わが大地は、大きく・・・丸い。
9月11日に思い・希するは、
地球全体の人々の友好。
人は、何故にいがみ合うのか??
多くの欲を捨て、、、。我必非聖
彼必非偶
共是凡夫耳日本の聖人の言葉を思う。権力者の犠牲になった
総ての地球上の人民のご冥福を祈る。
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