Sep
11,
2006
来年への掛け橋!?!
今年の夏は、夏らしい日が続かなかった。
海岸近くの地元人!!も心なしか日焼け色が薄いように見える。
遠方より来る友人と海辺を散歩していると、東の空に綺麗な虹が現れた。
9月の初めというのに、何所となく暑さを感じない。歩く者にとっては、ありがたいが^^。
サーファーに聞くと、「海水は、はや秋を思う」であった。
この時の虹、来年の夏への掛け橋、と言わんばかりに見事な半円を見せてくれた。
Sep
11,
2006
夕日〜〜朝日
この夕日の遠い向こうでは朝日を拝する人々がいる。
わが大地は、大きく・・・丸い。
9月11日に思い・希するは、
地球全体の人々の友好。
人は、何故にいがみ合うのか??
多くの欲を捨て、、、。我必非聖
彼必非偶
共是凡夫耳日本の聖人の言葉を思う。権力者の犠牲になった
総ての地球上の人民のご冥福を祈る。
Sep
9,
2006
光りと影・・・晩夏!?!
Sep
6,
2006
素晴らしき、ショーウインドウ!!
東京・銀座4丁目交差点。。。
此処は、色々な意味での日本を代表するスッポットである。
この交差点の一角に鎮座する「和光」ビルは、銀座の象徴とも言える建物。頂きの時計台もそうだが、一階のショーウインドウ・ディスプレイが素晴らしい。40年以上も見てきているが、時代の最先端・超モダンな見せ方に驚かされる。まさに銀座の顔、否、日本の顔かもしれない。
Mさんのブログで「活け花」を楽しませて頂いているが、創作、と言う点からすると単なる見せるものではなく、「活け花」もこのディスプレイも何か主張を感じとれる。このディスプレイには、宣伝を超えたひとつのアートと言った趣がある。
Aug
30,
2006
古き時代の生き残り・・・!!
この界隈をご存知の方は多いと思うが、こんな場所に眼をとめないかもしれない。山手線の歴史を感じる事とはできよう。辺りの近代的・高層ビルの中で取り残されてるようにも思うが、、、。
この画像は、歴史的建造物の証拠物件でもあることをご存知か??
前置きが長くなったが、「煉瓦」のことである。
煉瓦を多用していた明治・大正・昭和初期の生き残り・証人^^!!
かつて、煉瓦には、フランス式・英国式の2通りの積み方が基本であった。
良くごらんあれ^^。一段おきに大きさが違う。これは正統的英国式煉瓦積みである。
こんなことを見て取れる、JR新橋から御茶ノ水にかけてみられる。お近くを通った折には、一見してほしく思うのである.
Aug
29,
2006
何所にでも見れる光景だが・・・!!
とりわけ夏の海岸では、犬の散歩の傍ら「水浴び」
いや、海水浴をさせてるところによく出会う。
僕にとっては辛い思い出もあるが、
今では懐かしい思い出として思い起こされる。
小学生中学年の頃、病弱でおもてで遊ぶことが少なかった。
週末の午後、
材木座から江ノ島まで5頭のシェパードを母子は自転車に乗り、
母が4頭、僕が1頭を連れて、
早足で往復10キロ余りの散歩が週末の遊び!?!だった。
雨の日も風が強くても、土曜日の午後は必ず。
辛いのは、神経をつかうからだ。
訓練されてる犬達だが、僕の言うことを聞かない時がままあった。
当時は、野良犬が結構多かった時代だから。
何が起こるか分からなかった。
途中の七里が浜は、道路わきが海岸であったこともあり、
帰り道、夏場は必ず水遊びを犬と一緒に。。。
5頭の犬に遊ばれていた。
たてば、有に僕の倍はある犬達、
沖合いまで連れていかれるのは当然の理。
あるとき、大波を食らってもがいているところを
僕が連れていた犬に助けられたことがあった。
こうした光景に出会う度に、当時が甦る。
Aug
18,
2006
流行・・・個性・・・好み!?!
昼間の浜辺を散歩していると、
観光客が競い合うようにデジカメ・携帯写真を撮っている姿を見かける。
最近、そんな中にフィルムカメラを持っている女性、
とりわけ若い女性が目立つ。
モノクロームフィルムを自分で現像・プリントしてきた僕には、好感を持つ。
デジカメは、便利だ。撮ったものをすぐさまPCに取り込み、加工も自由に出来、プリントも容易に出来る。
だが、フィルムカメラによるプリントの微妙な味加減は、
デジカメでは味わえないものがある。
この点、オーディオ機器にも通じるか!?!
真空管より奏でる、あのやわらかい音の響き!!
好きだなぁ〜〜〜^^。便利なデジカメではなくてフィルムカメラ!!利便性をおき去り、あえて面倒を選ぶ、
はたまた、反旗か^^。
いやいや、個性重視、こだわり、なのかも知れない。我が愛用するデジカメは、発売後、半年で製造中止。
今の時代、何が何だか、良くわかりませぬ^^。
Aug
18,
2006
8月15日に思ったこと!?!
記念日ではない、戦争を考える、国々の戦いを戒める、
戦争体験者の立場で反省・戒める・・・つまりは悲惨な出来事を思い起こし、
世界平和を訴える日であると思う。
自主・独立、世界唯一の原爆被災国として不戦国でありたい。
米国の庇護を廃して、無防備国家・日本になれたら、
と夢想した一日であった。
そんなことを思っていた時、知人を案内して江ノ島を訪れた。
普段、気にも止めない風景に、思ったことがある。
画像の景観、江ノ島から見た七里ガ浜方面である。
手前の海岸道路に面しているのが七里ガ浜高校の校舎、
後ろに位置する建物は、高名なPホテル。その右下もPホテルの一部である。
この建物の所には、かつて海水プールがあった。
目前の海、数百メートル沖合いから海水を引き込み安全な海水浴??ができた。
珍しいこともあって最初は結構、賑わっていたが、
当時、この海岸線の道路は、有料であったことが原因か?
いつしか閉鎖してしまった。
七里が浜の右手は、
「新田勢」の鎌倉攻めで有名な稲村ガ崎。
この合戦で「鎌倉時代」は、終焉した。
800年後の鎌倉攻めは、環境破壊であった。
鎌倉時代以後、
仏法の聖地、特に臨済宗の建長寺・円覚寺を中心に仏門の修行地として、
また、古都としての観光地として静かな佇まいであった。
昭和の時代、とりわけ第二次大戦後は、
首都圏の通勤エリアとして生活地として開発が盛んになる。
それが、緑豊かな鎌倉の環境破壊の始まりだった。
画像の左奥は、「七里ヶ浜団地」??
と我々は呼び蔑まして、開発に猛反対をしていたが、
前述のプールと共に一大高級分譲地になった。
今でこそ落ち着いた生活地になったが、
それでも後ろの鎌倉山から見る七里ガ浜分譲地は、
マッチ箱のようで、しっくりしない。航空写真を見ると緑豊かな周りの中に砂漠があるように見える。
人間の目線でものを見てはいけない。
自然環境と共存・共栄、つまりは動植物をも含めての環境開発であって欲しいものだ。
江ノ島から眺めていると、
40年経てば少しはよくなってくるものだ、
と感慨あって眺めていた。
だが、稲村ガ崎から七里ガ浜・腰越に至る海岸道路後ろの緑地は、
ことごとく宅地化された。
止む終えないことだろうが、景観の視点に立つと、
場所によっては、個々の建物外壁であっても
「色」を検討すべき時、などと思ってみた。
Aug
7,
2006
嵐はくるのか!?!
台風が接近しそう。
自然界にとっては必要なことか!?!身近な花が、しっとりと水滴を携えている。
心休まる瞬間だが・・・台風接近は歓迎したくない。
早めに対処しておかないと、、、温室の補強をしてきたところです。接近しているエリアのブログル諸氏、お互いに気をつけましょう。
Aug
6,
2006
水も・・・生ぬるい^^。
盛夏 お見舞い申し上げます。先週から・・・突然に「夏」になった。
午前中、植木鉢いじりをしていて、あまりの暑さに水遊びをしていた。
水もオブジェになる^^。
でも散水しても、周りは涼しくなるどころか、むっとして・・・。
「涼」なる言葉は、どこえやら。
頭からみズ浴びしても濡れた衣服が気持ち悪いだけであった。桂魄 戊辰
×
- If you are a bloguru member, please login.
Login - If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account