Apr
27,
2005
「だに」が我々の生活を豊かにしてくれる!?!
この表土の保全とは、山等を削るとき、削り取った表土30センチ以上を整地後、元の場所に戻せと言う事。この経費は、おっきい!!かなりの利益低下でしょう。法の盲点(異業者、序々なる開発)で逃げて居る。
昨年までは、今の季節、あたり一面に野草が咲きほこっていたが、殺風景な住宅地になってしまうだろう。庭木を植えても生育が悪い。表土が死んだ土であるからだ。最も重要な地表近くの良質な土では地表下30cm付近までは微生物のかたまりのようなものである。岩石が風化して出来た土壌・植物の落葉や動物の排泄物等が溜まって土を形成している。この地表の土中に、俗に「一踏み一千匹」と言われるダニが生息している。つまり、人の足跡位面積、地下30cmは分解者としてのダニ(血を吸わない・ササラダニ類)が生息できる大切な所である。新しい住宅地造りが引き起こす画一化は、地下数メ−トル・数十メ−トルの地下であった所が表面にでる。微生物がいない死んだ土を表面に出すことを危惧した植生学者の声が15年かかってようやく法制化された。昭和54年の4月に都市計画法に表土の保全規定が盛り込まれた。新しく開発される所では、元の表土を戻す事が義務づけられたのである。但し大規模開発に限って。自然の中にあって人間・動物・植物・微生物の最低限度のバランス、そして、自然の多様性が保たれなくてはよい環境にならないだろう。開発規模の問題ではなく、個々の家庭レベルでの問題だと思う。環境に留まらず、自分自身の小さな環境保全、心したい。関東たんぽぽは、環境指数のバロメーターですね。興味深い研究結果がある。関心あれば、見てください。
http://nh.kanagawa-museum.jp/tobira/7-3/katou.html
Apr
27,
2005
鉄道事故。
事故が人的な原因と報道されていますが、要因の一端は、社会的要求が引き金ではないだろうか。「より速く、安全に」と言う相反した事が根底にありましょう。過密ダイヤとは申せ、普段、乗客は利便性に対して危惧・疑問を言わない。特にマスコミ関係者が危険を、危惧を、世に問うていたであろうか?
こぞって、結果的事故現場等を報道しているだけではないか。更には、同情的に、悲しみを助長させているだけのように見える。JRと言う企業内部での現場・最前線にいる担当者(今回は、運転手)の非を言っている。然し、危険・暴挙に走らざるを得なかったかもしれない運転者の心理状態をも想像するのである。営利・利便性、事故が起こったとき、しばらく間は、自重するだろう。あらゆる観点において、過密ダイヤを軽減する、例えば、10分間隔を15分間隔にする、となったら、利用者側は、何と言うのだろうか。
事故が起こるたびに思う事である。社会全体が、其々少しの我慢をもつ、余裕を持って対処すべきであろう。世の中全体が、走りすぎている。
自然界の摂理を、思うのだ。
Apr
24,
2005
『タンポポ(蒲公英)』・・・里山散策。
春の代表的な花・桜、道端・野原では「タンポポ」。僕の生活歓だ。子供の頃、野山を駆けずり回っていた頃から見慣れてるタンポポ。でも今見れる殆どのタンポポが外来種の西洋たんぽぽ。現在、東京周辺には4種類の自生タンポポが見れるらしい。帰化植物の西洋タンポポは、勢いよく根ずき在来種にとって変わろうとしている。最近、関東タンポポと西洋タンポポの自然交配したもが見つかったとも聞いた。白い花のものもある(九州に多い)。細かな種類は別として人間を楽しませてくれているタンポポをながめていると、人間社会の民族種族を思えさえもする。我が生活地周辺の道端等で咲き誇っているのはすべて西洋たんぽぽである。関東たんぽぽ(日本たんぽぽ)を親からは、鼓草(つづみぐさ)と呼ぶとも聞いていた。茎の両端を細かく裂くと、そり返って鼓のようになるからだとか。調べて見ると名前の由来は、種子の冠毛が丸く集まっているようすが「たんぽ=綿を丸めて布などで包んだもの」に似ていることから「たんぽ穂」と名づけられ、たんぽぽになった、とあった。我が両親は、植物好きで温室を2つ、鉢植えだけで数百、庭には5〜60種類の植物・木々が四季折々、われわれの目を楽しませてくれてる。そんな環境の中で、おのずと、植物が生活の一部になっていた。鎌倉の3大緑地が、ほぼ全域に渡って保全される事が決着した。20年以上に及ぶ保全運動の努力が実を結んだのだ。そんな緑地に西洋たんぽぽが、あるか否か、たずね里山に入ってみた。三大緑地の1つ台峰に隣接する自然公園は人間の手で過剰整備した故か?関東たんぽぽを見つけられなかった。かつての、自然植生を度外視して本来その場に無かった花々が植えられ、、、訪れた人々を和ませてはいるのだが。しかし、言わせていただければ、種類は少なくとも長い年月で出来上がった生態系を崩し、みてくれだけの美しさにしてほしくない。自然のままであってほしく思うのだ。今日、訪れた「広町の森」は、殆ど、人工的に手が加わっていないところだ。2週間前には、まだ蕾だった、たんぽぽが、いっせいに咲き誇っていた。他に、オオイヌノフグリ、ヒメヘビイチゴ、サクラソウ、マルバコンロンソウ、カントウマムシグサ(テンナンショウの仲間・大桁山)、浦島草 (うらしまそう)等々。
目当ての関東たんぽぽが、誇らしげに咲く風情を見ていて「人間は、手を加えてはいけない」と、つくづく思った。それと同時に、西洋たんぽぽを寄せ付けない環境!!日本固有の在来種のがんばり??、何か、とても嬉しかった。
関東たんぽぽの見分け方は、蕾・花の時期に、総包(萼・萼片、ガク)が花にくっついて立ち上がっている(関東たんぽぽ)か、または、反り返り(西洋たんぽぽ)、下に向いているかだ、と聞いている。
たんぽぽは、食卓をかざりもする。若葉はそのままサラダで。ほんのりとした苦味が心地良く広がる。夏を過ぎた葉は、生ハムと一緒に食べると格別で・・。花は玉葱やコーン等と油で炒めて。根は皮を剥き、白髪葱状にしてサラダ。またキンピラにしても美味しい(子供の頃からたべてます)。ち
ちょっと苦みがあるところがいい。根はコーヒーの代用にもなる(根を干して、フライパンで炒り、コーヒーミルにかければOK)。葉を煎じて飲むと利尿剤として効くそうで、古くから薬用として使われている。色々なことを思い巡らして、気持ちよく、帰宅に付いた。途中、知人より生チョコレートをいただき、今食べながら、これを打ち込んでいる。実にすがすがしい時間を持てた一日であった。
(2005.4.26文章を少々修正)
Apr
22,
2005
マンホールの蓋!?!
Apr
19,
2005
『初めての○○』今・・昔
礼装って・・黒でしょ!!・・黒に近いけれど・・・なんか違うじゃん??と、思ってもいえなかった。一式そろえてプレゼントしてくださったのだから。
イブの晩に、聖歌隊仲間の親の車に乗って、ミサを済ませて・・パーティー会場に。受付で出迎えてくれた招待者ご夫妻が・・Oh〜〜と言ってる、何がなんだかわからないまま、部屋内の隅にちじこまっていた。ジュースを持ってきてくれた夫人が、聖歌隊のブレザーでよかったのよ・・と笑っている。それなら書いてよぉ〜〜〜!!とおもった。その夫人曰く「どこで見つけたの・・・と。説明すると、貴方ラッキィーね。最高のおしゃれよ??」お話では、その色は、"Midnightblue"と言ってライトの下では真っ黒にみえて、深みがあるのよ・・と。ウインザー侯が着てた事に始まって、最高のおしゃれ・・とウインクしていた。緊張のしっぱなしで帰宅したのでした。服装に関心持ったのは、これがきっかけ。木の椅子でウインザー系を好むのは、それ故か!!「yumikoさんはどんな家具を作っておられたか(余談です^^)」今、思えば「洋服が歩いてる!!」ソ・ソンナァ((ヽ( ̄  ̄*) ))雰囲気だったろね。洋服の続きはまたにして^^。昨年の今頃、稲村ガ崎隣、七里ガ浜の砂浜で、ある往年シンガーの浜辺ライブ
があった。僕にはそんなライブ初めてのことだった。老若男女が曲を聞きながら、飲み食い・・・踊って楽しんだ。「groovy!!Night」でした。
初めてのライブは、ビートルズが来日したとき、あの感動は忘れられない!!テーマブログ本部:ReGeneration
Apr
16,
2005
幕末あんぱん!?!(初めての復刻パン?)
一八六一(文久元)年、日本で最初にベーカリーが誕生したのは横浜だった。パンが伝来したのは種子島だが、普及したのは横浜からだったそうだ。地元に残る古い資料を基に同市内のパン屋さんたち十八人が、かまどからパンまでよみがえらせ、http://www.kusizawa.com/>四月十二日のパンの日、横浜を中心とした十八店で一斉に売り出したのでした。幕末パンではイースト菌は使わず、重曹を生地に加える。ボウルからパン生地を手に取り、直径六センチほどに平たく延ばす。中にあんを入れて包む。一つ一つを金属の型に入れ、十数個ずつ熱いかまどに入れる。四分焼いたら、いったん取り出し、ひっくり返して再び四分焼く。最後に「幕」の字をデザインした焼き印をジュッと押してできあがり。
直径約五センチ、高さ約三センチ。あんは、白あんと黒あんの二種。一個二百円。素朴で、ドスンと重い味。生地は香ばしく、黒あんはきめ細かくておいしい。一方の白あんは、京みそとユズの香りでひときわ上品。パンというよりまんじゅうといった風情で、緑茶で頂いて見ると・・・ウゥ〜〜ンいける。
でも、今のところどこでも、又、いつでも買えない。材料はすべて国内産。山梨の北杜の小麦、北海道の小豆。粗塩と黒砂糖は徳之島産という凝りようで、材料の調達が間に合わないのだとか。
更に、パンだけではなく、焼き窯から再現したという、まさに、復元志向、長崎のカステラと同様に横浜の名物になる事でしょう。二〇〇九年には横浜開港から百五十年を迎える。「それまでに、しっかり名物として根付かせたい」。とパン屋さんたちの夢はふくらんでいる。こんな記事もありました。
横浜においでの節は、是非にご賞味を^^。
テーマブログ本部:ReGeneration
Apr
15,
2005
稚児桜
先週では、すでに花は散、葉桜でしたが、周りのおおしまざくらが満開で中々の風情でした。観光客が入らない山中です。独り占めで気分は最高でありました。街中、近くの鎌倉山桜並木のすぐそばなのに静かです。あの混雑がここまで来たら何らかの制限をしないと・・・。然し皆さんにもこの里山を歩いてほしくも思います。
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