東海岸のニュージャージー
サクラメントのパフォーマンスセンター
ここのところ、米国東海岸では大寒波の襲来。
ドライブウエイの雪かきを朝の6時半から励んで出勤しているFB友人がいます。
西海岸のワシントン州とオレゴン州では豪雨と強風の嵐が吹き荒れています。
自宅に張り出している隣の敷地の大木は
その強風で枝払いが進んで半分ほどの大きさになったらしいです。
そんな嵐の中、家内はサッカーの試合があり、
もちろんずぶ濡れで帰ってきました。夜の9時過ぎに。
ご苦労様でございます。
カリフォルニアのサクラメントでは、申し訳ないことに快晴が続いています。
気温も穏やかで、春のような陽気です。
冬季のシアトルは毎日が雨模様ですから、
ここでは良い具合に息抜きとなります。
ついに松陰は野山獄での囚人生活を送ることになる。
同僚の金子が死に瀕していること以外、この若者を気落ちさせるものはなかった。
天性の楽天家か?
人の善性を疑わなかった分だけ、
他人の懐に飛び込んでは幽閉生活を快活なものに創り上げてしまう。
そんな稀に見る気質は母親譲りかも知れない。
ドラマでも、事あるごとに「世話ない」と決まり文句を放つ彼女の屈託なさが目立つ。
松陰の身を案じてオロオロする家族の中にあって
母親だけは笑顔を崩さず悲観しないのは、
痴呆かと思える程である。
司馬遼太郎は天真爛漫な松陰をこんな風に描いている。
「この若者のほとんど生まれつきといえる奇妙さは、事態が悪化し、豪雨の前の空のように陰々として暗くなればなるほど、その密雲の上の固有の蒼天をおもうらしい。
むろんたれの目にも見えないが、松陰の目には網膜が青く染まるほどのあざやかさでおもうようであった。」
〜「世に棲む日日」の「空の青」から〜
スーパーボウルは全米の最大の祭典。
年間で最もTV視聴率が上がり、人々の関心をさらう。
特に今年もシアトルのシーホークスが出場するとあっては
地元での盛り上がりも半端ではない。
この日、妻も子供達も弟の家にある大型スクリーンでの応援に出かけて行った。
親戚中が集まってTV観戦をするのだという。
三人称で書いたのは私が一人で留守番するから。
付き合い悪いのねぇ、私って男は、、、
大男たちのおしくらまんじゅうとボールの取り合いだけのことに
数時間のTVなんて耐えられない。
数秒ごとにプレイが中断されることにも耐えられない。
プレイヤーのフォーメイションが複雑でその戦術が分からないため、
見ていても少しも面白さを感じない。
つまるところ私って、
協調性なくセッカチで、その上分からず屋なんですねぇ^ - ^
親戚の皆さんにもそんな私を受け入れて(あきらめて?)もらっているようで
助かっているんです。
間違っても、「非国民だ」なんてジャッジされないので生きていけるんです。
この日、息子のサッカーチームがその親達を相手に試合をするという。
もちろん、私も意気揚々と馳せ参じた。
まだまだ子どもらに負けるわけには行かない。
相手は小学校の6年生ほどの子どもである。
子どもといえども、そのボールさばきは大人達を完全に凌駕している。
長い足や空中戦でのヘディングが有利である分、
ようやく釣り合いが取れた試合内容であった。
もう1年でも彼らが成長した段階なら
親達は歯が立たないに違いない。
子供らの成長を嬉しく感じるとともに
衰え行く現実に一抹の寂しさも感じざるを得なかった。
クイーンアンからエリオットベイを見下ろして
本日は霧が一日中街を覆っていた。
大抵の場合、午後あたりから晴れて来るのに今日ばかりは暮れても晴れず。
特に湖や海岸などの上空は厚い雲でスッポリ包まれた感じの世界。
外気は普段よりも冷たいのでそのことと関連があるらしいのだが、、
ロンドンやサンフランシスコと同じ気象条件や地形が作り出している濃霧なのだろうか?
どなたか教えてください。
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驚き‼️
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ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/192792
「永遠の秩序」
黙示録21章1~27節
~マタイ福音書連続講解説教92~
新しい天と新しい地の創造: 黙示録21:1~8
メシアの地上再臨後、千年続いた王国にも終焉を迎える時がやってきます。
その時、
私たちが現在住んでいる地と天とは消滅して、新しく創造された世界が出現します。
現在の天地とは、
サタンの堕落による地上が荒廃された闇に覆われた世界(創世記1:2)を
神が七日間かけて再創造されたものと考えられます。
歴史の最終章に出現する究極的な永遠の世界は、
新天新地であり、創世記1:1にて神が創造された原初の世界に対応する(近似した)ものであると類推できます。
すると、聖書の最初にある創世記記述から最後の黙示録世界が
一つの輪のように繋がっているのが解ります。
神は、罪と悪の力ゆえに汚され堕落した世界を再び原初に存在していた
完璧な神の栄光あふれる世界へと回復される、
そこに聖書の一貫した救済プログラムを見出せるのです。
その新天新地の特徴について
①海がない~海とは、裁きの結果生じたもので(創世記1:2)、
原初の世界にも存在していいなかったものです。
②「新しいエルサレム」
第3の天に、現在すでに存在している
花嫁の装いをして将来、天から降りてくる
「自由の街」と呼ばれる(ガラテヤ4:26)
「アブラハムが望んだ故郷」とも呼ばれている(へブル11:9~10)
「全て購われた者たちの永遠の住まい」(へブル12:22~24)であり、
そこに存在するものとは、
*三位の神
*全ての天使
*教会時代の聖徒・「長子たちの教会」
*旧約時代の聖徒・「全うされた義人たちの霊」
spirits of justmen made perfect
*ここに言及のない大艱難時代聖徒らと千年王国時代の聖徒らが含まれる
③「神の住まいが人とともにある」
dwell = to tabernade(ギリシア原語において同じ語幹)
かつて荒野に宿ったシャカイナ・グローリーが永久に存在することを意味する
④創世記3:16~19の全ての呪いが除去されている
古い地の消滅は、その地に連なっていた呪いも消滅したことを示す
ゆえに涙、死、嘆き、苦しみ、痛みは消え去る
⑤天の御座からの宣言(5~8)
永遠の秩序は確かなものである:約束されたお方が真実である故
いのちの水の泉の流れ
信者の群れの存在
不信者の永遠の住まいは、火と硫黄との池である
「新しいエルサレム」にあっては、
太陽も月もないと書かれています。
にもかかわらず、「夜がない」(黙示22:5)
この黙示録22:5は、ヨハネに啓示されたメッセージの最終節であり、
それ以後の節はヨハネ自身と御使いとの会話となります。
「神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。
彼らは永遠に王である」(黙示録22:5)
新しいエルサレムを常時照らすものは、神からの栄光の光、
それは専門的にシャカイナグローリーと言われるものです。
これは新しい概念ではなく、旧約聖書の昔から限定された時と場所、
機会においてイスラエルの歴史の中で現われてきたものでした。
•アブラハム契約の締結時に(創世記15:17)
•イスラエルの幕屋と神殿の至聖所に(出エジプト40:34)
•主イエスの誕生の時に(ルカ2:9)
•新天新地において完成される(黙示録22:5)
世界で最初に輝いたシャカイナグローリーは、
アブラハムよりはるか以前のことで、
天地の7日間での創造の最初の日の時のものです。
神が「光よ。あれ」と仰せられた。すると光ができた。
(創世記1:3)
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