本格的なタイの雰囲気の店内
料理まで本場の味らしく、うーん、私には今ひとつ馴染めなかった。
ポートランドでのオスス・ストリートは
Mississippi 通り。
ダウンタウンのすぐ北、
405号線が5号線から分岐する直前に位置している南北に走るトレンドのみち。
新興の開発された街中でありながら、とってもファンキーな街。
2箇所だけだったフード・トラックの集積地がさらにもう2箇所に広がっていた。
最北に位置するフード・トラックの場所には
日本人のお兄さんが一人で運営するラーメン屋台もある。
が、もうラーメンを食べる年齢ではないことを最近自覚。
消化機能が年とともに減退したためかラーメンを食べると胃がもたれてしまう。
ヌードルでありながらスープに入っていなくてアッサリしている
Pad Tai を目指してタイ・レストランへ。
どこの西海岸の街にも日本や中国料理に負けずに
タイ・レストランがあるのは面白い。
そんなにも移民者が多くないと思うのですが。
歯医者の次は緊急治療室(ER)。
妻が自ら運転して夜半の午前3時頃に駆け込んだ。
自分で運転出来るほどなのでご心配には及びません。
皮膚の内部で炎症が広がり、発熱、頭痛も伴ってひどくなるばかり。
眠れずに痛みに耐えかねてERに。
夜半のため、待ち時間も大してなくドクターに診てもらうことが出来ました。
いざという時に駆け込める医療があるのに感謝!
今後送付される医療費請求にも感謝!…………出来るかな?
この日は二人の子供らを歯医者へ連れて行く。
8ヶ月ぶりの検診となろうか。
長女にはまだ抜けていない子供の歯が2本ほどあり
これを抜歯するように勧められた。
合わせて虫歯の治療も。
長男にも子供の歯の数本に虫歯が発見される。
今後の歯磨きの頻度や手法などを指導いただいた。
これらのことは想定されていた。
一つだけ想定外の発見。
長女の歯茎が薄いため
最も柔らかい歯ブラシを使用するようにとのこと。
堅い歯ブラシでは、歯茎も減ってしまうという事か?
地中海に沈む夕日。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
メッセージノートは次のリンクから:
http://hosannamin.org/whatsnew/view/611695
「ベタニア村での憩」
マタイ25章1~16節
~マタイ福音書連続講解説教95~
現在の西側民主主義国家では、
様々なことなる価値観や宗教が共存する多元化された社会です。
平和で自由が享受できる社会では、
信教や思想、表現の自由が尊重されてしかるべきです。
ところが時代が沸騰してきたとき、
そのような多元社会は他者を強要する余裕を失い、
YESかNOを迫る2分化された社会へと変貌せざるを得なくなります。
明治維新の時、開国か攘夷かで国論が二分されました。
太平洋戦争時には、戦争協力するか非国民となるか
二つに一つの道しか選択の余地がなかったのです。
世界の終末時代は究極の沸騰時期です。
このとき、世界が統一されその王であり神格化された反キリストに付き従うか、
キリストに従うかの二つの生き方しか人には与えられないと聖書は預言します。
転機的な「神の時」を迎えたとき、
人類は二分されていくことをマタイ25章から見てきました。
1.携挙の時、二分される全人類~たとえ話・25:1以下から
2.再臨の時、二分される異邦人たち~たとえ話・25:31以下から
主イエスが十字架に至る過程でも
同様に人々は二分されて行きます。
① サンヘドリンとベタニア村の対比
サンヘドリン(3~5)とはユダヤ人の最高権力機関、
つまり国会のようなところでありました。
その議長であるカヤパ(大祭司)の家の中庭にて
イエス殺害の陰謀が密かに進行しています。
一方、ベタニア村のとある家ではイエスを歓待するパーティが開かれ、
質素ながらも愛と平和に満ちたものでした。
ベタニア村はオリーブ山東麓の田舎にあり、
そこにはイエスを愛する3兄弟姉妹がいたのです。
マリヤとマルタ、
それにかつて蘇させられた(ヨハネ11章)兄弟のラザロでした。
彼らは主イエスとの最後の時を
寸秒も無駄にすることの出来ない緊張の中で
心行くばかりにフェローシップ(交友)を楽しんだのでした。
策謀渦巻くサンヘドリンとは真逆に位置していました。
②マリヤと12弟子との比較
マリヤ(ヨハネ12:3)は
結婚式の初夜に使うという高価なナルド油をイエスにそそぎかけます。
誰もがその行為の真意を理解できない中にあって、
「わたしの葬りの日のためにそうしたのです」(ヨハネ12:7)
と主は言われ、彼女の心中にあった動機をご存じであったことを告げられます。
マリヤはイエスの使命が贖いの死にあることを理解していました
それは他の12弟子らの理解できなかった領域です。
彼女は、
献身的な傾聴の姿勢から(ルカ10:39,42)洞察力を得ていました。
3年間ほど主との共同生活による実地訓練を受けてきたにも拘らず、
12弟子には主の死というゴールが受け入れがたいものでした。
これは4回目となる受難の告知の直後の出来事です。
受難のメッセージを彼らが理解できなかったのは、
自己願望や自己計画、いわゆる自我が心中に風船のように膨れ上がっていて、
神の声を聞こえなくさせているからです。
貴方は、イライラと憤慨することがありますか?
その時、あなたの心には神のことを考えるスペースはなく、
自分の都合や願いでいっぱいとなっていて、
それが満たされないので怒りがあふれ出すのではないでしょうか。
③イスカリオテのユダとイエスの比較
イスカリオテのユダは、弟子集団の会計係りであったことから
信頼も厚く、かつ計算能力のある人物であったと推定できます。
彼が最も激しく、マリヤの愛の行為を咎めています(ヨハネ12:4~6)。
過越祭はチャリティー期間でもあるので、もっともらしい理由を並べたが、
真の彼の狙いは会計の不正利用にありました。
彼の自我(願望やら計画)がとん挫した時、
険しさと怒りとにあふれてマリヤを非難しています。
主イエスが彼女を擁護したこの出来事を境にして
ユダは裏切りを決意するに至っています。
主イエスのたどる使命を知ったゆえに
~死なれるなら、自分は王国設立時の重要ポストを得られない。
主イエスの価値観を知った
~主は金銭ではなく、純心の愛をより偉大なものとし見積もっておられる。
一方、イエスの使命と献身(2)を考えてみましょう
①誕生時から背負っていた父なる神からの使命があった
~それが贖罪の死
②使命が成就されるためには二つの条件があった
「二日たつと」:OTから過越しの祭りのゴールとして死ななくてはならない。
「十字架」 :神に呪われたものとして「木にかけられなくては」ならなかった。
主イエスにとり自己の願望や計画に走るよりも、
使命に従順であることが最大の関心事でした。
そのためには、神ご自身の特権から離れることから始まり、
地上に下り、死後の世界にまで降ることを選ばれたのでした。
イスカリオテのユダと主イエスの位置関係も対極にあることが変わります。
その生涯の総決算も、対極にあるものとなりました。
ユダは自殺して、その腸が全て飛び出るというう悲惨なものとなりました。
主イエスは復活して、ご自身が神の子であることを証明されました。
さて、貴方の立ち位置はどこにあるでしょうか。
中間はあり得ま せん。
「己」を優先させるか、
主イエスに従う道を選ぶか、
二つに一つの道しか人には与えられていないのです。
昨日に引き続いて、
ISからの迫害を人々はどのように対処したか、についての報道を紹介します。
海岸の波打ち際に補導された後、黒装束のIS戦闘員たちに
次々と喉をナイフで切られて処刑されたエジプト人の動画には背筋が凍りつきました。
彼らはコプト教徒(伝統的エジプト版キリスト教徒)であるという理由で
テロリストらから命を奪われたのです。
エルサレムの聖墳墓教会の裏側に回った高台に
コプト教会があり、数年前訪れたことがあります。
東方キリスト教聖堂の典型のようなケバケバしい装飾品と
礼拝のための香の香りが充溢していたのが印象に残っています。
聖堂や礼拝形式といった外側の入れ物を見て
当人たちの信仰を吟味・評価しようとするほど浅薄で愚かなことはありません。
プロテスタント教会のようなシンプルで、聖書信仰が高揚されていないからと言って、コプト教徒らがシンプルで純粋な信仰を持っていないと決めつけてはなりません。
家族を支えるために、リビアへ渡って汗を流していた労働者たちです。
彼らが何をしたので虐殺されなくてはならないのでしょうか。
第3者の傍観者に過ぎない私でも怒りがこみ上げてくる中で、
その犠牲者の母親が何と言っているか。
犠牲者の実兄の電話インタビューの肉声からは、
信じられないような話が伝わってきます。
「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」
と教えられた主イエスを信じる者として、
そのスピリットを内に宿した者の実際はこうも気高くなり得るのか、、、?
正直、私は衝撃を受けました。
さらに、エジプト軍がISを報復攻撃したことに関しては、
次のようにコメントしました。
「犠牲となった人々の消息が分からなかった期間の長さだけが、
空爆を正当化する理由です。もし拘束された日に殺害されたなら、
何の報復も願わなかったでしょう」
このコメントは、大切な家族の消息を知らされないまま捨て置かれた期間は、
彼らにとって拷問を受けているような一刻一秒の連鎖であったのであり、
当事者でなければあり得ないコメントであると感じました。
(以下が「クリスチャニティ・トゥディ」からの引用です。
ビデオでは肉声も聞けます。ぜひご覧ください。)
過激派組織「イスラム国(IS)」により、北アフリカのリビアで殺害されたコプト正教会の信者21人のうちの2人の兄弟である男性が、殺害映像の中で兄弟たちの信仰の言葉が残されていたことを感謝した。
17日に放送されたアラブのキリスト教系テレビ局「SAT−7」の祈りと礼拝の中継番組で、ベシール・カメルさんは、殺害された兄弟のビショイ・エスタファノス・カメルさん(25)とサムエル・エスタファノス・カメルさん(23)を、「キリスト教の栄誉のしるし」として誇りに思うと話した。
この恐ろしい殺害の場面を見た人は世界中にいる。殺された人のうちの何人かの最後の言葉は、「主イエス・キリスト」だった。
番組に電話出演したベシールさんは、キリストへの信仰の言葉を編集で消さなかったことをISに感謝した。それを見て自身の信仰も強められたからだ。そして、犠牲になった出稼ぎ労働者の家族たちは「互いに祝い合い」、絶望はしていないという。「私たちは、私たちの村出身で、犠牲となったこの人たち一人ひとりを誇りに思います」とベシールさんは番組で語った。
ベシールさんは、「ローマ時代から、キリスト教徒は常に迫害の犠牲となっており、自分の人生に起きた全てのことに対処することを学んできています。聖書は私たちに敵を愛し、私たちを呪う者を愛するよう教えていますから、このことはただ私たちの信仰を強めただけです」と語った。
犠牲者たちは昨年12月から今年1月にかけて、ISに拘束された。ベシールさんは、エジプト政府が報復として行った空爆も歓迎している。「犠牲となった人々の消息が分からなかった期間の長さだけが、空爆を正当化する理由です。もし拘束された日に殺害されたなら、何の報復も願わなかったでしょう」とベシールさんは語った。
番組のホストであるマヘル・ファエズ氏が、もしISを赦すよう請われたらどんな言葉をかけるかと尋ねたところ、カメルさんは母親の言葉を引き合いに出し、もし母親が息子を殺した人の一人に会ったなら何をするかを話した。「私の母は60代で、教育を受けていない女性ですが、犯人によって息子は天の御国に入ったのだから、犯人を家に招き入れ、神に彼の目を開くよう願うと言っていました」
兄弟を殺害した者たちのために祈るよう招かれ、ベシールさんはこう祈った。「愛する神、彼らが救われ、無知でいることをやめ、これまで教えられてきた間違った教えから離れられるように、目を開いてください」
SAT−7がこの映像をフェイスブックに投稿すると、数時間のうちに9万6千回も視聴された。21日までの視聴回数は19万回以上に上り、7千回以上共有されている。
■ ベシール・カメルさんが電話出演したSAT−7の番組(英語字幕付)
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15387/20150221/islamic-state-coptic-christian-faith-words.htm
「神は私の心にいてくださるの。…ISたちを神様が赦してくださるように祈るわ。」
キリスト教信仰は難解な神学的思索の末に抱くものではない。心で受け入れることから始まるので、幼子がたやすく真理に達することが出来る。
イエスの言葉を思い出す。
「誰でも幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできません」
"God is in my heart. I pray God forgive IS"
Christian faith is not something you can gain after theorogical study. It starts from opening your heart and receive Him.
That's why even small kid can reach the truth.
Here is what Jesue said:
"Let the little children come to me, and do not hinder them, for the kingdom of God belongs to such as these.
Anyone who will not receive the kingdom of God like a little child will never enter it."
以下は「クリスチャニティ・トゥディ」からの引用です。
住んでいた町が「イスラム国(IS)」によって制圧されたため、現在、イラク北部のクルド人自治区にある未完成のモール内で避難生活をしているキリスト教徒の少女が、神にISの戦闘員を「赦す」よう願っている。
昨年6月、ISがイラク第2の都市モスル周辺のほとんどを制圧したあと、そのほとんどがキリスト教徒である400以上の世帯が、カラコシュ、バーテラ、カラムルといった町々を離れ、クルド人自治区の主都アルビルに押し寄せた。彼らは、アルビル郊外のキリスト教コミュニティーがあるアンカワ地区で、建築中のモール内で暮らしている。
ISの戦闘員が到着する前に急いで荷物をまとめて逃亡したため、難民はほとんど着の身着のままで必需品を持ち出すこともできなかった。そのため、今はモール内で、マットレスと毛布、人道支援団体が届けた物資のみで生活している。
アラブのキリスト教系テレビ局「SAT−7」の子ども番組担当レポーターが、アンカワ地区のモールで避難生活する子どもたちにインタビューし、故郷での暮らしで何を最も懐かしく感じるか尋ねた。
レポーターとカメラマンと話す中で、カラコシュから逃げて来た幼い少女ミリアムちゃんは、昨年生活が大きく変化し、家族の将来が不確実だが、それでも神が彼女と家族に与えてくださると語った。
「私たちはかつて家があり、楽しく暮らしていました。でも今はそうではありません」とミリアムちゃん。「それでも神様に感謝します。神様が私たちに与えてくださるからです」
レポーターはミリアムちゃんのこのコメントに少し当惑し、「神様が与えてくださる」とはどういう意味かと尋ねた。するとミリアムちゃんは、「神様は私たちを愛していて、ISが私たちを殺さないよう守ってくださるからです」と答えた。
また、ISに仕返しをする機会があるとしたら何をするかと質問すると、ミリアムちゃんは「私は何もしません」と答え、「私は神様にISを赦してくださるようお願いするだけでしょう」と語った。
インタビューの後、レポーターはミリアムちゃんに、時間を取ってくれたことに感謝したが、ミリアムちゃんはレポーターの同情に感謝すると言い、「あなたは私の気持ちをくんでくれたからです。私には考えていることがあって、どのように感じているかをみんなに知ってほしかったのです」と語った。
カラコシュから来た他の2人の少女もインタビューを受けた。ISが制圧する前の生活で何を懐かしく思うか尋ねられ、フローリンちゃんは、「学校と教会です」と答えた。また、マリョーマちゃんは、教会を懐かしく思うが、「イエス様は私たちがどこに行っても共にいてくださいます」と語った。
「イエスはこの難民キャンプでも一緒ですか」とレポーターが尋ねると、フローリンちゃんは「はい」と強く答え、「私たちの心の中にいます」と語った。
このインタビュー動画は、難民の子どもたちがモールの入口の外で、こう歌うシーンで終わっている。「栄光ある救い主への愛は日ごとに深まります。新しい人生、幸せな日、そして私が主と再び結び付く日」
■「イスラム国」に家を追われた少女たちのインタビュー(英語字幕付)M
http://www.christiantoday.co.jp/articles/15388/20150221/islamic-state-christian-girls-forgive.htm
今年は日米終戦70年目の節目。
最初にやって来る記念日としては、
2月19日、米軍が硫黄島に上陸したことだろうか。
約1カ月間の戦闘で日本側に約2万2千人、
米側に約7千人の死者が出たとされる。
米国側は当初、数日間で陥落できると考えていたようだが、
日本側の徹底抗戦に思わぬ痛手を被ることになる。
硫黄島をめぐり、
米国側からの視点での映画と、日本側が視点となっている映画が
ほどんど同時期に封切られたのは7年以上も前だったか、、、、?
双方の映画を妻と二人で見に行ったのを覚えている。
地下壕の建設に邁進し、
宝玉は覚悟の上で本土攻撃の時間稼ぎをする栗林中将率いる日本側。
圧圧倒的な人員や火器で優勢に立ちながら、
穴の中からいつ出没するとも分からない恐怖と戦う海兵隊員。
彼らが当時、要衝の摺鉢山に星条旗を掲げた報道写真はあまりにも有名になった。
この硫黄島を制圧されて以降、日本への本土空襲がはじまった。
太平洋戦争の趨勢を決した一つの山場となった。
この日、米国首都のワシントンで戦没者追悼式が行われて、
退役軍人ら30名ほどがつだったという。
「厳粛だが、喜ばしい機会だ」
というある戦闘参加の人のコメントがメディアに載っていた。
負けるとわかっていて、死ぬとわかっていて戦わざるを得なかった日本軍。
若い兵士たちの決死の努力や決意、、
そこにどんな義を見出して死地へと向かったのか?
なぜそこまで無駄な抵抗をして死に向かうのか、米国兵には理解できなかった。
現在の我々日本人なら
当時の日本の置かれた状況を学べば彼らの宝玉は理解できる。
だが同じ真似はしないはずである。
多くの情報に接して、何を義とするか、自ら判断できる教養を備えているはずだから。
前途有望な若者たちを、いや国家そのものを丸ごと洗脳して
破滅へと追いやってしまった当時の戦争指導者たちの罪は重い。
2012年3月10日の河津町
朝7時過ぎの自宅前
本日のTVジャパンの報道で
鹿児島ではカワヅサクラが開花したのを知りました。
桜の中で最も早く開花する河津サクラが地元の静岡県河津町だけでなく
鹿児島にもあるとは知りませんでした。
例年より1週間ほど早いとか。
今年の冬は厳冬だっただけに
春を待つ方々の熱い思いが報道からも感じられます。
ここ米国のノースウエストでも春を待つ期待感は及ばずながらも健在です。
先日の日曜、教会に来られた方の庭では
すでに桜の開花が始まっているとのこと。
私の毎朝の日課となっている散歩で
小鳥たちのコーラスが盛んに聞こえるようになったのも今週から。
今朝は4種類の異なる小鳥たちの鳴き声を識別出来ました。
軒先の草花からも芳香が放たれています。
今年のノースウエストは暖冬でした。
雪山には降雪が少なく、スキー場関係者は困窮されていることでしょう。
我が家でも初めて雪遊びに行かないシーズンとなりました。
それでも、春の訪れを感じる小さな自然の営みに感動せずにはいられません。
はーるよ、来い。
はーやく、来い。
銀行マンからソウシャル・セキュリティ番号カードの原本が必要と言われ、
オフィスを探しつくしたが見つからないのです。
渡米後直後にそのカードを取得して、番号は暗記してあるものの、
原本カードがこの時に至って必要だなんて、、、
米国にしてはずいぶんと官僚主義ではございませんか?
すでにその銀行とは、その番号を使用して家のローンが組まれているというのに、
どうして今更原本がいるの?
そんな風に食い下がってみても、首を縦に振ろうとしない。
融通さのないところは銀行ゆえの通例か?
つぶやいていても始まらないので、その原本請求手続きを公開します。
国で管理しているものなので、
先週ロサンゼルスにいながらも最寄りの事務所に行けば
再発行手続きはできるはず、と考えました。
週日は午後3時までの事業時間であるのに、
その日に訪問した水曜日だけは午後12時で閉館となっていて、
玄関先でお払い箱の憂き目に。
翌日、再訪問したものの、建物を取り巻く長蛇の列を見て断念。
シアトルに帰って来て、地元の事務所へ行ってきました。
ネットでHPを探し出し、住所を確かめて出立。
到着して玄関を見ると、事務所は引っ越したとのサイン。
約10分運転してようやく事務所をゲット~!
こうなると、しゃにむにカード原本がほしくなる。
整理券を得て、室内で椅子に座れるのは助かった。
待つこと1時間、ようやく窓口に。
すでに前日から準備して記入を終えている申請用紙、
パスポートなどの必要書類を提出すると
5分もかからずにあっけねいほど簡単に手続き完了。
ところが、領収書を見たところ、そこにカード番号の記載がない!
原本が郵送されるまでに1週間ほどかかるが、
領収書に記載されている番号が代理となり得るので、
それを提出せよとの銀行マンの指示だった。
問い合わせると、昨年8月から方針が変わって
領収書に番号を記載しないことになったそうな。。。
IDに関する書類申請には年々締め付けが厳しくなるばかりのようです。
この情報、どなたかにお役に立てれば幸いです。
この週は子供たちの学校の冬休み。
ってことで、近所にあるヴァション島へ行ってきました。
この時期のシアトルには貴重な晴れ。
これを生かさない手はない、ってことです。
10分ほどのフェリーでヴァション島到着。
私自身はすでに10回以上は訪れていても、
家内には40年ぶりほどの訪問となったようです。
ビーチや灯台のあるところへ行って散策しました。
普段は気が付かないのですが、休暇のつもりで周りの景色を見渡すと
確かに雄大な自然の美しさに目が開かれたようです。
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