この日旅行会社からの緊急Eメールがあり、
6月限定で日本行き往復の格安チケットの案内が届きました。
これはトラブルで検査のため使用不可となっていたボーイング787が
就航を再開することによるキャンペーンだそうです。
成田・シアトル間の最安値が、$898だそうです。
あ~、残念。
既に数週前に羽田・シアトル間を買ってしまいました。
これからの方、早速問い合わせてみては。。
彼の遺骨が収用収容される直前、お墓の前で。
奥様のKさんによって、白い鳩が解き放たれ、
天へと羽ばたいて飛んでいきました。
タコマでの家庭集会(聖書を学ぶ集い)に毎回奥様と出席されておられた
S.さんが癌との闘病生活の後、天に召されました。
ご近所の教会での葬儀があるので行って来ました。
S.さんはイエス様から平安をいただいた方で、
常に穏やかで優しい笑顔を絶やさない方でした。
いつも奥様と仲良くて、私の隣にお座りになられては聖書を熱心に学ばれた方でした。
旧約聖書時代に、
それを執筆した預言者たちは新約聖書時代をどのように理解していたのでしょうか。
聖書を書いた預言者たちは、
神の霊に導かれて真理を書き残しました。
その神の霊の働きのことを、
「霊感」と呼んでいます。
この神の霊(聖霊)によって、
真理が明らかにされることを「啓示」といいます。
啓示が与えられた彼らは、当然その啓示の内容まで良く理解していたはずだ、
と私たちは考えやすいのです。
メシアが来られる啓示、
そのメシアがイスラエルのものだけでなく
異邦人を含めた全世界へ伝えられていくという啓示、
その異邦人時代(教会時代)の後に、
メシアが地上を統治される王国が始まるという啓示。
実は、彼らはこれらを神様から啓示されましたが、
現在その時代に生きる私たちほどには理解できていなかったのです。
それが以下の聖書で教えられているところです。
Ⅰペテロ1:10-12
「10 この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
11 彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
12 彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。」
以下は、この聖書の解説です。
10節にある、「恵みについて預言した預言者」には、例えばダニエルがいる。(7:15-16,9:1-3,12:8-9)。
これは預言全般に渡って言えることであるが、
預言者は、NT時代の信者の救いについて預言し、参加し、語っている。
11節ではその預言の内容がある。
ただしその二つの矛盾してると思われる点は最後まで彼らの中で調和できないままであった。
その二つのうちの一つというのが、キリストの「苦難」。
これはメシアが初臨において経験することで、
複数形になっているのは十字架を含めた地上生涯でメシアが通過するすべての困難を意味しているからである。
「栄光」が苦難に引き続きメシアに与えられるものである。
それも複数形であるのは、メシアの復活、昇天、右の座への着座、再臨、千年王国の樹立を含む複合概念だからである。
ここでペテロが言っている点は、
聖霊が彼らに内在して預言のことばを与えていても、
彼らの理解は十分でなかったということである。
この節の完了形用法は、
聖霊が預言者たちに継続して啓示を与え続けたことを示唆している。
旧約時代の長期にわたり、預言者たちに啓示を与え続けたのである。
この苦難と栄光の、矛盾とも見えるメシア理解は、
ユダヤ文学で「二人のメシア」観を作り上げて行った。
ラビたちも、預言者同様にこの苦難と栄光の相反する概念が、
一人のメシアに調和・体現されるとは考えていなかった。
新約聖書になって明らかに教えていることは、
二人のメシアではなく、一人のメシアが2回に渡り地上に来られることである。
12節では、預言者への啓示に焦点をあてている。
その新約時代の読者になって始めてこれら二つの矛盾点が理解できるようになった。
「啓示を受けた」と受動態で書かれているのは、
彼らに働いた聖霊を強調するためである。
しかしながら、その意味については当時の預言者たちは理解できていなかった。
預言者達は旧約の彼らと同じ世代のためでなく、
新約聖書の読者世代のための働きをしたのである。
そういった例は、ローマ15:4,Ⅰコリント10:11にもある。
聖霊が使徒たちに働き、
その使徒たちが福音を説教して、
はじめて預言者達の預言が理解できるようになったのである。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
「奥義としての王国―その④{2回目}:御国の変遷」
マタイ13章44~51節
~マタイ福音書連続講解説教34~
{メッセージの抜粋}
13章に記された後半の4つのたとえから、
「奥義としての御国時代」(13:11)の特徴を学びましょう。
それは現在のキリスト教世界を理解する上で役立ちます。
前回に引き続いて、たとえの解説です。
Ⅰ 畑に隠された宝 (44)
「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。
人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、
持ち物を全部売り払ってその畑を買います。 (マタイ 13:44)
「宝」とは、OTでたとえとして使われる場合、
イスラエルを指します(出エジプト19:5、詩篇135:4)。
「畑に隠された宝」とは、信仰のユダヤ人(レムナント=メシアニック・ジュー)
「その宝を発見した人」とは誰か?
たいていの場合、それはキリストのうちに宝を見出した信者で、
それゆえに全てを犠牲にしてまで神の国のためにささげよ、
との適応が教えられているようです。
ところが、「宝」が聖書文脈からイスラエルになるのなら、
その適応は変ります。
「大喜びで、持ち物を全部売り払ってその畑を買う」人とは、
宝のために自発的に全てを犠牲にする人のことで、
それはメシアなるイエスの十字架での犠牲を表します。
Ⅱ 海にある真珠 45~46
「また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。
すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、
行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
(マタイ13:45-47)
「海」とはここには現れません。
しかし、真珠が採取される場所として検討されねばならない理由があります。
先述のたとえとの並行性です。
「海」とは、聖書の黙示文学にて異邦人世界の象徴として使われています。
ダニエル7:2~3
「真珠」とは何か
これはOTには出現ませんので、直近のたとえの用法から類推するほかありません。
海(異邦人世界)から捕れる価値高いものとは、異邦人クリスチャンです。
「持ち物を全部売り払ってその畑を買う」
~その犠牲を払った商人とは主イエスであるに他なりません。
主が命をささげられた対象は、メシアニックジューばかりでなく異邦人信者でもあります。
Ⅲ 地引網 47~50
「また、天の御国は、
海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、
良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
この世の終わりにもそのようになります。
御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、
火の燃える炉に投げ込みます。
彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。 (マタイ 13:47-50)
1. 世の終わりの様子=奥義の御国時代の終焉を教えるものです。
「あらゆる種類の魚」が網にかかるまで終わりは来ないのです。
「 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、
すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」
(マタイ24:14)と教えられています。
毒麦のたとえと酷似してます。
「良いものは器に入れる」=信者は千年王国へ入る
「悪いものは捨てる」=火の燃える炉に投げ込まれる(50)のが不信者です
2. 羊と山羊の選別のたとえと同じ終末の様子を教えるもの(マタイ25:31~46)。
この箇所は、「弱い者に善行をするのは、神への奉仕」であるとする
「靴屋のマルチン」神学を教えているところではありません。
もしそうなら、聖書は良い行いが救いを得ると教えていることになります。
艱難時代に苦難を通過する神の民、ユダヤ人を助けるかどうかは、
信仰のある・なしで決定されることが前提となっています。
「羊」~信仰ゆえに迫害下にあるユダヤ人に良いことをする信者のことです。
「山羊」~迫害下にあるユダヤ人をさらに苦しめる不信者のことです。
Ⅳ 倉から物を取り出す一家の主人 51~52
「あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」
彼らは「はい」とイエスに言った。
そこで、イエスは言われた。
「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、
自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」
(マタイ13:51-53)
1. 主イエスの問い「これらのことがみな分かりましたか」
奥義の王国時代の特徴を理解したか、と弟子たちに尋ねます。
先の神政政治時代にも、後のメシア的王国にもないものなのです。
「ハイ」と答える弟子たち
2. 奥義の王国時代の学者とは、取り出し自由の倉を持つ一家の主人です。
「新しい物」~その王国時代になってから啓示されたもの。
たとえば、教会とイスラエルの関係、それらが一体となることなどは、
NTになってはじめて啓示された奥義であり、新しい教えです。
「古い物」~御国に入る条件、すなわち神の約束に与る条件はいつの世でも変わりません。
イスラエルと異邦人の区別もありません。
信仰と恵みによる救いを聖書は一貫して啓示していて、それは古い真理です。
開演を待つ会衆。
子役の少女を抱える水兵さん。
彼は14歳です。
この日曜で、Newport Covenant Churchのミュージカルが最終日となります。
3時からの講演開始のため、昼過ぎには会場で最終準備に余念がありません。
今日も家族総出で応援に駆けつけます。
リッチモンドの消防署にて
米国では消防署員や警察等のオフィサーは尊敬を集めています。
そう学校低学年で社会見学のときがあり、消防署を訪れることになります。
カナダでも同様のようです。
この日、リッチモンドの消防署で小学生が消防ホースから実際に放水していました。
ヴァンクーバー空港と隣接しているこの街は、
平らな島の上に建設されていて海抜は数メートルしかありません。
もし沖合いで地震が発生したら、街全体が津波に飲まれることになるでしょう。
津波からの避難経路などの訓練も必要ないのかな、何てことが頭を過ぎりました。
カナダ太平洋沖は地震の心配が不要なのでしょうか。
開幕とともに、二人の子たちのダンスが始まります。
それに続いて、その子らのフランス語による独唱。
先週の週末から3日間、教会でのミュージカル・South Pacificの上演がありました。
毎回、2百~3百人くらいの大入り。
開幕とともに明美が登場して衆目を集めます。
フランス語でのソロですので、意味が全く分かりません。
南太平洋のフランス植民地となっている島での物語。
明美ともう一人の女の子たちは主人公の子役。
20名ほどのオーケストラが生の演奏をしながら舞台が進んでいきます。
看護婦、水兵たち、将軍などの配役~どれも素人がしているとは思えない熱演と熱唱の2時間です。
明日の金曜から再び3日間のステージが再開されます。
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