太宰府天満宮の表参道で約40軒ものお店が、『梅ヶ枝餅』 を販売しています。
【梅ヶ枝餅(梅が枝餅)とは?】
無実の罪で大宰府に左遷された道真公は榎寺に謫居され罪人同様の生活を強いられていました。
毎日の食事にも事欠くという悲惨な暮らしぶりを見かねた老婆(後の浄明尼)が、
梅の枝に栗餅を巻き付けて道真公に差し入れました。
後に老婆は "もろ尼御前" や "浄妙尼(じょうみょうに)" と呼ばれ、人々に敬われました。
後に道真公臨終の地に浄明尼寺を建立(榎寺明治の廃仏棄釈後は榎社)し、道真公を弔い、
また餅を持参しては公の無聊を慰めたと言われています。
この故事にならい、『梅ヶ枝餅(梅が枝餅)』 と称して売り出されたこの餅に公の霊が通じたか、
『梅ヶ枝餅(梅が枝餅)』 を食うと病魔を防ぐに特効があるというので著名となりました。
太宰府天満宮参道の門前町では、この伝説を元にした 『梅ヶ枝餅(梅が枝餅)』 が作られるようになり、
江戸時代には太宰府といえば 『梅ヶ枝餅(梅が枝餅)』 と言われるほど名物土産となっていました。
1月18日(水)19日(木)は厄神さんです。
厄除大祭が行なわれています。
『厄年表』 です。(画像)
六甲八幡神社には厄年には関係なく毎年行ってました。
『延壽王院(えんじゅおういん)』
太宰府天満宮の参道を上がった所にあります。
安楽寺天満宮留守別当大鳥居家の宿坊で。(太宰府天満宮が安楽寺と呼ばれていた頃の宿坊)
宝暦4年(1754)桃園天皇より院号を賜わっています。
慶応元年(1754年)から約三年間、朝廷を追われた三条実美ら尊皇攘夷派の五卿が、
この延壽王院に滞在し、その間、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬ら大勢の勤皇の志士が去来して、
明治維新の策源地となったそうです。
他にも、中岡慎太郎、大山巌、伊藤博文、江藤新平らも訪れています。
現在は、西高辻宮司邸になっているそうで、一般の方は中には入れません。
神戸・淡路大震災も早いもので17年経ちました。
東日本大震災もはや1年が来ようとしています。
原発問題があるだけに、神戸のような早い復興は望めません。
時間はかかるでしょうが、地道に一歩づつです!
東北は必ず蘇ります、 日本国もしかりです!
★太宰府天満宮の境内にも、東北の震災復興の祈りがありました。
楼門の表の左側に、たくさんの薦被りの酒樽が。
日本全国の蔵元からお酒が奉納されています。
おなじみの灘の蔵も。
菊正宗、白鶴、桜正宗、福徳長、白鹿、富貴・・・
伏見の蔵、月桂冠や松竹梅、伊丹の白雪も・・・
★見事な薦被りの酒樽です、どの樽も綺麗です。
『太宰府天満宮の境内にある鷽の像です』
鷽は、一月七日、一年中の嘘を天神様の誠心と取り替えていただく、
鷽替(うそかえ)神事縁(ゆかり)の鳥で、
幸運を運ぶ天満宮の守り鳥でもあります。
【鷽替え神事】
1月7日19時より楼門横の天神ひろばの斎場にて行われる神事です。
「替えましょ、替えましょ」 の掛け声のもと、暗闇の中で手にした 「木うそ」 をお互いに交換し取り替えます。
これは、知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替え、
また、これまでの悪いことを嘘うそにして今年の吉に取り替えるという意味があります。
神事の後に手にした 「木うそ」 はご自宅の神棚にお祀りし一年間の幸福をお祈りします。
【鷽についての言い伝えは諸説あります】
★道真公は、嘘をつかない誠実なお人柄であったことから、「嘘」と「鷽」をかけた。
★鷽の字の形が「学」という字に似ているので、学問の神様とかけた。
★鉢の大群に襲われていた道真公を鷽が救ったから。
★鷽は幸運を招く鳥なので、幸運を招く天神様の守鳥となった。
(太宰府天満宮H・P、 九州倶楽部参考)
『麒麟(きりん)像』 (県指定文化財)
麒麟は中国の瑞獣(ずいじゅう)思想上の動物で、聖人が現れて王道が行なわれる時に出現すると伝えられ、
菅公御聖徳をたたえたものといえます。
嘉永五年(1852)年に奉納されました。
実は、この麒麟が太宰府天満宮の聖域の境界線、すなわち 「結界」 になっており、
麒麟の胸から本殿側が聖なる領域なのです。
また、この麒麟にはおもしろいエピソードがあります。
長崎のグラバー邸で有名なグラバー氏がこの麒麟像をこよなく愛され、
数回に渡って太宰府天満宮を訪れては麒麟の像を鑑賞していたそうです。
グラバー氏は、友人が設立したビール会社を引き受けましたが、 その時名前を 「キリンビール」 に変えたそうです。
東洋ならではの霊獣 ”麒麟” にちなんでつけた、それが今のキリンビールになったとのことです。
麒麟は、オスを 「麒」、メスを 「麟」 といいます。
体は鹿、尾は牛、蹄は馬という独特の外見を、良い政治が行われる前兆として出現されると言われています。
中国で孔子が生まれる際に母親の夢にも出てきたとさえ言われているほど神聖な動物です。
【太宰府天満宮の境内にはたくさん牛の像が祀られています。】
『御神牛(ごしんぎゅう)』
道真公が59歳の春に亡くなられた時、
お亡骸を乗せた牛車が 都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進んでいたところ、
まもなくその牛が動かなくなり、それを道真公の御心によるものだとして、
牛車の止まったところ、当時の四堂のほとり、御遺骸を葬ったそうです。
人々は道真公を慕い、お墓の上にお社を建てました。
これが現在の大宰府天満宮の始まりだそうです。
道真公は、後に太政大臣に復され 「天神様」 として崇められるようになりました。
★この神牛は 「なで牛」 とも呼ばれ、体に悪いところがある方は、
自身と牛の同じ部分を互いに撫でさすると病気が平癒するといわれ、
また神牛の頭を撫でると知恵がつくといわれています。
太宰府天満宮本殿前の紅梅 (画像)
【皇后梅(きさいのうめ)】
本殿に向かって、飛梅の反対側(参道を挟んで左側)にあるのが 『皇后梅(きさいのうめ)』 です。
皇后梅は大正13年に、貞明皇后(大正天皇后)が参拝の際に、
葉山御用邸より持参された梅の木をお手植えされたものです。
★因みに、飛梅は白梅ですので、左右が紅白の梅になります。
その、皇后梅の左側に立派な 『橘』 の木があります。
この橘、この時期見事に実を付けていました。(画像)
★因みに、京都御所(紫宸殿)の左に位置する、「右近の橘」 と同じ位置です。
★但し 「左近の桜」 の桜木は大宰府天満宮本殿にはありません。
『東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』 菅原道真
菅原道真公が京都を出発される際に、「紅梅殿」 の梅に惨別の想いを込めて詠じられた歌です。
「冬の終わりを告げる東風が吹いたら、また咲いて、遠くに行ってしまったわたしのところまで香りを届けておくれ。
主がいないからと言って、春を忘れないように」
この数年後に、菅原道真公は太宰府で亡くなりますが、主の死を知った京の 「紅梅殿」 から、
一夜のうちに太宰府へと空を飛んで来て花を咲かせたというのが、この 『飛び梅』 の伝説です。
「太宰府天満宮」 本殿へ向かって右側に鎮座するこの 『飛梅』 は主の言いつけどおりに春を忘れず、
太宰府天満宮にある6000本もの梅の木の中でも一番早く、
一月上旬からつぼみが膨らみ、中旬には花が咲き始めます。(画像)
この時はつぼみも未だでしたが、今頃はつぼみが膨らみ開花の知らせも・・・。
★歌碑は、太宰府天満宮の延寿王院前にあります。(画像)
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