昨年、家内がお渡ししたワシントン州からの種から
こんな立派に成長
(序論)
人が気付いているかいないかにかかわらず、聖書は次の3つを教えている。
①人は誰でも神からの借金を抱えている
②その借金とは抱えきれないほどの膨大な額である
③よってその借金全額を肩代わりして下さった方がおられる
この事実を知ると知らないとでは、生き方に大きな違いを生む
(本論)
❶パリサイ人と罪深い女との差〜行動の違い
当時ユダヤ社会にあってホストは客人をもてなす3つの通例があった。
⑴足洗い、⑵頭上に香油を垂らす、⑶口づけ
ホストでありながらこれらをあえて省いたパリサイ人シモンに対して、
感動の涙で主の足を濡らした上髪の毛で拭った名のない不道徳の女性。
❷両者の行動の違いを生んだもの〜感謝の違い
50デナリの借金を棒引きしてもらえた者と、500デナリの借金を棒引きされたものとの間には感謝の度合いが異なることをたとえで明白にされた主。
地位、名誉、財産のあるシモンには赦される必要も救いへの渇きもなかったが、
社会的制裁を受け罪が身に染みて自覚できる女性にとって
赦されることの意味は大きかった。
❸主イエスへの信仰体験〜赦しの差
女性はシモンの家に招かれざる客として来る以前に
主のガリラヤ伝道の文脈の中でメシアとしての癒しや奇跡の業、
力あるみことば宣教に接していたと考えられる。
主への信仰が彼女に赦しの体験をすでに与えていたのであった。
「この女の多くの罪は赦されて(原語では完了形)います。
というのは、彼女はよけい愛したから(過去形)からです。」(47節)
(結論)
①神のみが人の負債を帳消しにできる
人が己の功績で救いを勝ち取ろうとするのは思い上がりであろう。
たましいはあまりに高価なゆえ人的手段の贖いは不可能で
人は永久に諦めねばならない(詩篇49:8)
②負債が帳消しとされた根拠
罪のないお方が罪そのものとなって十字架で死を遂げてくださったゆえに
その罪(借金)は肩代わりされたのである。
「私たちを責め立てている債務証書を無効にされた。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘付けにされた」(コロサイ2:14)
③この神の側で終了している御業を認め受け入れるのが信仰
主はすでにその赦しをあの女性に差し出され彼女は受け取ったのである。
貴方は如何に?
中学登校初日、娘は屈託なとも私はひどく緊張していた
自転車での約15分での通学
子供の中学校体験学習に関して
この日には町役場に町長を表敬訪問。
気さくな渡邊町長は私たちに1時間ほどの時間を割いてくださり、
ケネディ大統領狙撃犯の秘話までお話くださった。
明美が日本語を殆ど解さないことが分かると
英語に切り替えてお話くださった。
町長のお孫さんのJ君は
息子と同クラスの最大の友人でもある。
その後、教育長を訪問。
大江町ではこの年初めての企画として
11人の中学生を公費海外留学させる。
滞在先はモンタナ州。
飛行機の乗り継ぎのためシアトルにも立ち寄るらしい。
日系人の歴史や現在の日本との結びつき
マリナーズ観戦や観光と言った観点からも
断然、シアトルに滞在された方が魅力あるものになることをアピール。
どうぞ大江町の皆さん、
来年はシアトルにおいで下さい!
我が家での裏庭で歓迎BBQにお招きです^_^
私の生家のある横浜市戸塚区へ。
年々宅地化が進んで
帰国の度に変貌する町の様子に驚いてきた。
ところが。今回の驚きは人の変貌にあり。
先ず、長女が大きく背丈が伸びたと
一様に驚く家族たち。
昨年はおばあちゃんとほぼ同じ身長だった長女であったが
今回背比べをして見ると、
悠におばあちゃんを追い越し
おじいちゃんまで抜いてしまっている。
このところ食欲がないというおじいちゃんが
痩せてしまったのにも驚いた。
この後、この3つの座席シートをベットにお休みタイム
雲間から見えるのがオリンポス山
日本のW杯第3戦がこの日の午後に始まった。
自宅に
シアトルレイン選手の奈穂さんとトレーナーのさんとが来てくださり、
共に応援したがなでしこジャパンのようにはいかない^_^
その後、空港まで家内に送ってもらう。
長女との二人だけのしばらくの日本訪問である。
昨年から就航開始したシアトル・羽田間の直行便。
昨年もその前の成田行きの際も、いつもこの時期は満席だったと記憶しているが
今回は空席が目立つ。
チケットが通常よりも7-8割ほど高くなったためだろうか。
これ幸いとばかりに
3人がけの中央列を一人独占させてもらう。
腰痛の気配を感じ始めた身体には
これから横になって休めるのはありがたいこと。
シアトルの女子プロサッカーチーム、レイン
Wカップ日本の第3戦。
残念な結果となってしまった。
それも人生そのものであるし
サッカーであろう。
自宅に
シアトルレイン選手の奈穂さんとトレーナーさんとが来てくださり、
共に応援したが
なでしこジャパンのようにはいかない^_^
この街では、
5年生が終わると小学校を卒業する。
その卒業式もいたって簡易でカジュアル。
生徒らはもちろん普段着だし
入退場の時はあったものの
送辞や答辞の類は一切なく
校長の言葉だけが鳴り響く。
メインの出し物といえば何と言っても
卒業生一人ひとりの今と昔の写真がスライドショーされたこと。
その100名となる各人とイベントでのグループ写真を
パワポでまとめ上げる仕事を家内が受け持った。
この日までは毎晩徹夜のようにその仕事に励んでいた。
卒業証書を手渡されていたけれど
長男の中学校へ進むという気構えはホトホト怪しげに見えて仕方ない。
いやはや、そんな「気構え」云々を論じること自体が
この国では意味をなさないようだ。
卒業の打ち上げとばかりに
その日も裏庭で長男と1対1のサッカー対決。
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