カルメル山の夕日
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/491480-1
「大艱難時代前半の3年半:黙示録から」
マタイ24章9~14節
~マタイ福音書連続講解説教80~
大艱難時代を聖書は以下のように表記する。
* 「1週の間」:ダニエル9:27
* 「1260日」:黙示11:3
* 「42ヶ月」:黙示11:2
* 「ひと時と、ふた時と、半時」:黙示12:14
黙示録には、その大艱難時代の進展が時間順に記されている書物。
* 前半の3年半:6章~9章
* 中間期:10章~14章
* 後半の3年半:15章~16章
①主がオリーブ山で語られた大艱難時代前半の預言:マタイ24章9~14節
9節~世界中の国民から信仰ゆえの迫害が起こる
10節~信頼関係の崩壊
11節~にせ預言者らの勃興
12節~正義や公儀の衰退による不法の蔓延
13節~サバイバルしたユダヤ人は民族救いに至る
14節~世界大のリバイバルが進む
②黙示録の大艱難時代前半の3年半の預言:黙示録6章~9章
* 7つの封印の裁き(6章):第一クオーター期間
第1の封印:白い馬に乗った反キリストの暗躍
第2の封印:赤い馬、世界大戦
第3の封印:黒い馬、飢饉
第4の封印:青い馬、4分の一の死
第5の封印:殉教者たちに白い衣が与えられる
第6の封印:地震と暗黒の第2回目
第7の封印(8:1~6):天における静けさ;次の厳しい裁きへの序曲
* 7つのラッパの裁き(8章):第二クオーター期間:
第1のラッパ:3分の1の地上の壊滅
第2のラッパ:3分の一の海の壊滅
第3のラッパ:苦よもぎという星の墜落;河川の3分の一の壊滅
第4のラッパ:天の光源の3分の一の壊滅
第5のラッパ:第一のわざわい(9章)
* 第5~第7までは特に厳しい裁きであり、
「3つのわざわいの裁き」と呼ばれる
* アブソスが開かれる
そこから立ち上る煙で第3回目の暗黒となる
煙の中から出る悪霊により、5ヶ月間人は苦しめられる
悪霊の王はアポリュオン(ギ)、アバドン(へ)
第6のラッパ:第二のわざわい(9:13~11:14)
第2回目の悪霊の侵入
ユーフラテスにつながれている4つの悪霊の開放
その軍勢の数は2億
人間の3分の一が殺される
③大艱難時代前半期間中に継続して起こること
このように地上や海が破壊され、
そこに住む者たちの約半数がこの時点で死に至る。
* 疫病、飢饉、世界大戦、悪霊からの直接的な殺戮など波状攻撃を受け続ける。
世相として、「人々は互いに裏切り合い、」と記されるような厳しい時代となる。
* 世界の政治形態は、10の帝国・王たちに分割支配される。
黙示録17:12~13、ダニエル7:22~24
やがて反キリストが出現して3人の王を倒して後、
反キリストによる世界統一政府が樹立される
* 同時に144000人による世界宣教が進展して行く。
黙示7章4~8、マタイ24:14
「イスラエルの子孫のあらゆる部族の者」が宣教師となるのであるが、
そこにはダン族が不在。これに何かの意味があるわけではなく、
12という数字に揃えるために削除されたに過ぎない。
同様の例として、かつてモーセが臨終で12部族を祝福した時には
シメオン族が除外された(申命記33章)。
* 二人の証人によるエルサレム 宣教
黙示11:3~6
144000人のユダヤ人は世界宣教に貢献していくが、
故国エルサレムで活躍する二人のユダヤ人がいる。
彼らには名前が記されていないが、
ゼカリヤが見た2本のオリーブの木のことである(ゼカリヤ4:11~14)。
世界はこの二人を殺そうとするが、その企みはすべて失敗する。
大艱難時代の中間期になると、
死から復活した反キリストが彼らを殺害する。
三日半の間、その死体がエルサレムの街路に晒されるが、
彼らも復活し天に昇る。それがユダヤ人の悔い改めへと繋がって行く
* 宗教組織バビロンによる聖徒らへの迫害
黙示録17章は「再記述の法則」
ここには、大艱難時代前半のことが繰り返されている
このバビロンは反キリスト勢力の首都であり、
聖徒たちやユダヤ人をを迫害する中心勢力となる。
結論 大艱難時代を前にどのように備えるべきか:テサロニケ5:1~11
大艱難時代前に携挙がある。
それゆえ信者は大艱難時代を経験しない。
突如とした滅びは、生みの苦しみのようなもので不信者が逃れることはできない(3)
「光の子ども、昼の子ども」とされている信者が襲われることはない(4~5)
主とともに生きる
私たちには世界の終わりの様相が啓示され、
さらにその際の逃れの場が用意されてある。
この地上生涯はほんのいっときに過ぎない。
終末論の学びは今を生き抜く力となるものである。
芸術作品とは不思議。
ある人にはガラクタの寄せ集めにしか見えなくても
ある人には魂を高揚させる高尚な道具となり得る。
よって価格は実に付け難い。
ある人には数ドルにしか見えなくても
他の人には数千ドルの価値を持つものとなり得る。
NHKの大河ドラマ「官兵衛」〜
キリシタン大名としての官兵衛をどの程度描くかを注視している。
先回の「八重の桜」ではあり得ないほどの忠実さで
夫の新島襄をキリスト信者の模範のように描写した。
守部喜雅氏の書かれた「天を想う生涯」によると、
日本には官兵衛のキリシタンとしての足跡がほとんど残されていないのだそうです。
それは1614年の徳川家康によるキリシタン禁制により
歴史的資料が消滅したためとされている。
よって資料としては、
ポルトガルに残されていたルイス・フロイスによる「日本史」にすがる他はない。
そこに官兵衛についての次のような記録が残っている。
「彼(官兵衛)はわずか2年前に、ジェスト右近殿とその父ダリオ、
および他の殿たちの説得によって大阪でキリシタンとなった。
だが天下の君(秀吉)の重大な用務に携わる身であったので、
キリシタンになった時にもデウスの話を聞く時間はほとんどなかった。
そのようにキリシタンとしての基礎に欠けていたので、
彼にはまだ救霊のことについて真の喜びと感覚が身についていない。
とはいえ、彼は大いに期待が持てる人物であり、稀有の才能の持ち主であるから、
教えを聴聞する機会が与えられれば、その信仰はより強固となり、
デウスへの奉仕に役立つ道具となることであろう。」
(フロイス日本史11巻)
やがて彼はその「教えを聴聞する機会」を得て熱心なキリシタンへと変貌を遂げて行く。
四国征伐を終えて九州遠征を控えていた時、
下関に司祭を定住させることに奔走し、
教会堂の敷地を家来の兵士を動員して整備している。
ゲヘナ
Gei Hinnom(ヒンノムの谷)から派生した用語であり
その谷はエルサレムの城壁の南に位置している。
旧約時代にはそこで人間がいけにえとして捧げられた。
またエルサレムのゴミ焼却場でもあり、常に火が燃えて煙が立ち昇っていた場所でもあった。
そこから失われた者達(堕天使と人間)がやがて過ごす事になる永遠の住まいを指す用語として新約聖書で使われるようになった。
新約聖書に12箇所、この用語が見出せるが
ヤコブ3:6を除いた全ては福音書の中で主イエスが使っておられる。
その用法を学ぶなら次の事が明らかとなる。
①ハデスが消滅し、白い御座の裁きで判決が確定した失われた者達(堕天使と人間)が永遠に住む世界
②霊魂と肉体との双方が苦しむ場所。ハデスでは霊魂のみが苦しむ場所であったが、復活して肉体を得た失われた人間の裁きの場所がゲヘナである。
③火と関連している。ただしここでの「火」は光を発せずに熱のみである。暗黒に覆われている世界である。
④「火の池」と同じ場所である。この用語は黙示録に4回現れる(黙示録19:20、20:10、20:14、21:8)
⑤肉体と霊魂との双方に対する裁きである。「それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた」(黙示録20:14)
死とは肉体に関係し、ハデスとは霊魂に関係している。これら双方が裁かれる場が火の池(ゲヘナ)である。
広島原爆投下から69周年を迎えた。
一般の米国人はこの日を知っているだろうか?
多くの人は知らないようだ。
50代後半の白人男性が小切手に本日の日付を記入している時だった。
答えは分かっているが聞いて見た。
「この8/6は何の日であるかご存知ですか」
「………………」
「69年前のことです。」
「……………………」
「日本と米国との間に何かがあって、酷いことが起きた日なんです。」
「………………………」
案の定、ここまでヒントを与えても答えられない。
これは95%以上の米国人一般の認知度であるように感じる。
私が答えを与えてからの彼は饒舌だった。
機関銃のような勢いで戦争に対する自らの見識をまくし立ててくる。
「戦争は全く、愚かなことだ。愚か、愚かだ。
敵も見方も傷つけ、破壊し、殺しあって一体何か得るものがあるのか。
戦争に勝者はいない。
だのに何故起きてしまうか?
何故だと思う?
国のリーダーたちがやらかすんだ。
全く迷惑な話だ。
平凡で普通の俺たちは戦争なんて真っ平なんだ。
リーダーたちが決めたことを俺たちがしなくちゃならないだなんて、どうかしているよ」
その不条理な戦争の究極が原爆だった。
あのキノコ雲の下で
人としての尊厳を奪われた10万人以上の被爆者たち。
生きた証人としての語り部が年々少数となって行く。
現実の原爆がどういうものであったか風化をさせないために
今年も「はだしのゲン」を一人読むこととしよう。
郵便局の窓口に立った時だった。
私のTシャツに Peace from Jerusalem と書かれてあるのを見つけた局員。
40代後半と思しき白人男性が私を見据えて聞いてきた。
「どうしたらエルサレムに平和が来るか私は知っているよ。教えようか?」
「ぜひとも教えてください!!」
以後、彼の独壇場となった。
「イスラエルがハマスを全て駆逐することだ。
仕事を途中で止めてしまわないで、最後までやり遂げるんだ。
そうしないなら、再びロケットでのテロ攻撃が始まって、
平和なんてあったものでじゃあない!
ハマスは殺人を何ら罪悪感を持っていないテロ集団なんだ。
彼らを野放しにしている限り、たとい停戦したって一時的なものにしかならない。」
確かにその通りだと私も思う。
だがイスラエルの正当防衛行動が
どれほどの罪のない一般民衆を犠牲としていることか。
民衆の生活と安全を奪い、幼子の命まで奪う現実に胸が痛い。
「明日から学校が始まっても
家も破壊されてしまって、子供たちはこれからどうしたら良いの?」
TVニュースにインタビュー出演した母親の嘆きである。
夫は荷物を取りに自宅に戻った際に爆撃を受け、
崩壊した自宅の瓦礫の中から遺体で発見された。
解決の無い問題提起をしたところでどうにかなるものではない。
私の後ろに行列が出来ているのを知って
局員に同意する仕草をしながら窓口から立ち去る他なかった。
彼の信条を一通り聞いたところで支払いも全ての用をおえた。
自分の意見主張より、背後の行列を気にしてしまうあたり
やはり私は日本人なのだと想う。
今週のシアトルは連日80度Fを超える猛暑が続く。
子供達からのリクエストの猛攻も続いた。
プールが欲しいというリクエスト。
チョロチョロと水の出るコースをスライドするだけでなく
水そのもの中に浸かっていたいのであろう。
その気持ちは良く分かる。
そこで、買いに走った。
だが、何処も売れきれていて在庫なし。
他の家でも同じことをリクエストされているのだろう。
3軒目の店で、最後の一つを見つけた。
汗だくとなりながらもプールを設置。
ゲームに興じるよりも健康的な遊びであるにちがいない。
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