イーストゲイトの高速90号線真上の交差点の信号が機能していなかった。
ポリスによる手信号。
ここは坂の下でもありスピードの乗った車が突入してくる4つ角である。
命がけのお仕事、ご苦労様です。
側近の石田三成から報告を聞いた秀吉は、
怒りを抱いて言う。
「右近のうつけめ、
このワシよりデウスを選びよった。」
「直ちに追放いたせ。」
「この秀吉に背くものがあってはならない。
それを存分に知らしめるのじゃ」
………………………………………………………………………………………
秀吉の銘により
京都での南蛮寺の打ちこわしが始まっていく。
領地を取り上げあっれた右近は
友人の庇護を求めて各地を流転したあと、
フィリピン・マニアに追放の身となり
移住後間も無くその地で最期を遂げる。
………………………………………………………………………………………
千利休に招かれた茶会での
官兵衛と右近の会話。
「私には右近殿の真似はできません。
殿下に面と向かって信心を貫くとは言えなかった。
信心ゆえに全てを捨て去ることはできない。
私は弱いのです。」
「官兵衛殿。人にはそれぞれデウスから与えられた使命がある
それを全うして下さい。」
……………………………………………………………………………………
秀吉の禁教令に真っ向から対峙し、一点の妥協も許さなかった右近。
それに対して信心を捨てるわけではないが、
迫害を受けるほどに公のものとせず
自己保身に比重を置く官兵衛。
一方が強く、他方が弱いとは断じられない。
一方が信仰者としての理想であり、
他方がまがい物であるとも単純に即断できないであろう。
この辺りの、棄教か死かの二者択一せざるを得なかった
当時のキリシタンの迷いと苦悩、
双方に主イエスはどう評価されるのか
という重いテーマを扱っているのが遠藤周作の「沈黙」であろう。
私の高校時代の国語教科書に掲載されているのを読んで、
激しく揺さぶられた当時のことを思い出す。
それにしても右近が官兵衛に言った言葉が深い。
ー 「人にはそれぞれデウスから与えられた使命がある
それを全うして下さい。」ー
これは信仰の真髄とも言っていい領域の言葉ではないか!
あのNHKが、このレベルにまでキリシタン信仰を調べ上げ
正確に描写しているのに驚かざるを得ない。
先回の大河ドラマ「八重の桜」でも
明治のキリスト教がほぼ正しく描かれていた。
Good Job NHK
ホテルのプールでは私しか泳ぐ者はいなかったが。。
この日、シアトルでは雨も降り肌寒かったとの家族からの報告。
プールに飛び込んだ息子は寒さのあまり1分しか我慢できなかったとか、、、
毎年この時期夏が去って行く頃、淋しいような、切ないような気になる。
子供時代に味わった長かった夏休みが過ぎ去って行く寂寥感が今も繰り返される ためだろうか。
サクラメントは今も夏まっさかりで、ここに来ると得した気分。
モヤに覆われる早朝のシアトルとは異なり、
朝から晩まで雲一つない晴天が続く。
屈託なさそうなあっかる〜い人ばかりなのは、天候が作用しているためか?
能天気な方ばかりにお会いする。
秀吉は南蛮からの宣教師に質問する。
「大きな船は何のためにあるのか」
宣教師:「キリシタンを異教徒から守るためです。」
さらに秀吉が問い質す。
「この秀吉の水軍でもかわなぬか?」
「九州では伴天連が領地を持っているのだな」
「伴天連共は我が国の一部を勝手に占拠し、大筒を積んだ船を造った」
……………………
九州征伐に自ら乗り出した秀吉は
キリシタン勢力がただならない程大きくなっているのを見聞する。
そして突然の伴天連追放令を発布。
腹心の高山右近にもせまる。
「直ちに信心を棄てよ」
右近は殉教覚悟で応える。
「身内や家臣、領民のことを思えば胸が張り裂けるおもい、
されど、信心を偽ることはできませぬ」
彼の部下たちは地位も所領も取り上げられてしまうのを惜しみ進言する。
「殿下と折り合いをつけたらどうか」
……………………………………………………
秀吉がキリシタン禁制に至るまでのこれらの大河ドラマ筋道は、
史料から裏付けられて定説となっているものであった。
さらに天下人に駆け上がって行く途上の秀吉の変貌も
ドラマは見逃すことなく克明に描写して満足の行くものだった。
竹中直人の顔の表情がうまい。
徳川家康を大阪城でひざまずかせたのち
九州遠征を成功させると、
秀吉の自尊心は大いに膨らみ
不可能のない万能者のような自意識を持つに至る。
それまではことごとく官兵衛に相談し、そのアイデアを積極的に取り入れていたが、
冷たい視線を向けながら言う。
「もうワシは決めたのじゃ」
「この話はこれまで」
「官兵衛、ワシはお前を成敗したくない」
専制君主と成り果てた者の行き着く姿がそこにあった。
己の権力基盤を盤石にするためなら
どのような無理難題もおかまいなし、
流血も、殺戮も厭うことはない。
1ー4世紀のローマ皇帝によるキリスト教徒迫害がしかり、
太平洋戦争中、現人神に拝礼を強要した日本のキリスト教弾圧がしかりである。
イスラエルでは昨日から新学期が始まり、
約210万人の生徒たちが元気に登校しました。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの引用です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/412082
「大艱難時代の中間期②」
マタイ24章15~28節 黙示録13章1~18節
~マタイ福音書連続講解説教82~
7年間の大艱難時代の中間は、一大変革期である。
オリーブ山での主イエスの預言には、
ダニエル9:27が成就したときを合図として
ユダヤ人に「山」に逃げるように勧めている。
「預言者ダニエルによって語られた
あの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たのならば、
そのときには、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。」
(マタイ24:15)
その山とは、東のヨルダンにあるぺトラという断崖の続く岩山である。
反キリストがいよいよ本性をむき出しにしてユダヤ人抹殺を計り、
激しい迫害が始まる。
迫害がそのまま続けば一人として生き残るユダヤ人はいないのであるが、
そこにも神の統制があって、反キリスト軍勢のままにはことは進んでいかない。
その神による統制の一つは、
「二つの翼」(黙示録12:14)によってぺトラまで逃げ延びること。
さらにもう一つは、「選ばれた者のためにその日数は少なくされる」(マタイ24:22)
と主は言われたが、それは具体的には
「一時と二時と半時の間」(黙示録12:14)
すなわち3年半の間という制限されたときであること。
『荒らす憎むべき者』がエルサレムの神殿に据えられる事が、
反キリストがイスラエルと交わした安全保障条約の破棄であり、
これをもって艱難期の後半が始まるのである。
反キリストがそのような行動に至った理由がある。
天においてある異変が起こり(黙示録12章)、
それゆえに反キリストの暗躍が始まると教えるのである。
その異変とは、
天使長ミカエルの軍勢とサタンの軍勢とが天において戦いを交え、
敗北したサタンは天から追い出されて、地上に投げ落とされる。
そのとき、地に落ちたサタンは自らのいのちが短いことを知るに至る。
つまり、主イエスの地上再臨が間近であるのを悟り、
これを阻止するために躍起とならざるを得ないのである。
そこで主の再臨の前提条件を破壊しようとする。
前提条件とは、ユダヤ人の民族的な救いのことである。
彼らが長年拒否してきた主イエスこそがメシアであることを信じて、
主の名を求めるときが主の再臨の時となる。
これを阻止するために、ユダヤ人への福音宣教への妨害と攻撃、
さらにはユダヤ人抹殺のためのあらゆる迫害が起こるのである。
史上ユダヤ人撲滅運動は繰り返されてきた。
そこにはサタン的な意図が働いていることを
霊の目で我々は見抜かなくてはならないであろう。
ぺトラという自然の要害で守られるユダヤ人であるが、
サタンは攻撃の手を緩めようとしない。
そこで次の黙示録13章に入ると、
どのように迫害がエスカレートしていくのかが記されることになる。
1.海からの獣による攻撃~反キリスト(13:1~10)
2.地からの獣による攻撃~偽預言者(13:11~18)
悪魔・サタンとその手下どもの悪霊は、実在の霊的な存在である。
信者を惑わして神から遠ざけ、神の人類救済明確を打ち壊そうと躍起になる。
だが、その攻撃自体でさえも神の許容される範囲があり、
神の守りがあるのである。
私たちはいたずらに悪の存在やその攻撃を恐れる必要はない。
主イエスはすでに勝利してくださった。
そして私たちの勝利を約束してくださっているのだから。
「9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、
世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって
その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、
あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、
堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
11 どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。
アーメン。」
(1ペテロ 5:9-11)
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