Denny Creekへ子供たちといってきました。
自宅から高速90号線を東に45分ほどドライブするとその入り口に到達します。
山中を25分ほどハイキングすれば川原の広いその場所が姿を現します。
当初子供たちはハイキングの必要のない気軽な場所へ行きたがっていたのですが、
私が歩くことを強要。
目的地に着いてみれば格好の遊び場が広がっているそこがお気に入りの様子。
チャレンジを乗り越えたところに享楽があるのは遊びも同じです。
ISはシリア中部・ホムス県にあるガス田を襲撃し、このガス田の作業員およそ270名を集団処刑した。さらにその後、多数の民間人や政府系職員、治安部隊の隊員を集団処刑したとされる。
イスラム過激派組織 イスラム国(IS)の蛮行が報道されています。
イラク北部やシリアで独立国家宣言をして勢力を拡大、
一時期はバクダットに進行する勢いを見せました。
他宗派の人々にイスラムへの改宗を迫り、
従わない場合は斬首すると言う新聞報道に、
中世に「剣かコーランか」と迫った
イスラム教徒による領土征服の快進撃を思い出させます。
私は当初、それは限られた一部での極端な報道なのだろう、
と高をくくっていたのですが、
彼らの支配地域で組織的に横行している虐殺は、
目を覆うばかりの非常な現実であるのをあるサイトから知ることができました。
イラク第二の都市といわれるモスル。
旧約聖書に出てくる古代アッシリア帝国の首都ニネベのあった町とされ、
そこには古くからキリスト教徒の村落がありました。
過去形で書いたのはISが当地を征圧して以降、
おぞましい残虐行為によってキリスト教徒の共同体は破壊され、
クリスチャンは皆無となったからです。
http://www.asiapress.org/apn/archives/2014/0/29091207.php
ISは町々を襲って組織的な虐殺を行っています。
あるサイトの映像を見たのですが、子供までもが斬首されています。
女性はレイプされた後に斬首され、
男性は首のない胴体だけが逆さまにされて足首から吊るされている写真です。
米国人ジャーナリストが処刑される直前のビデオがTVで報道されました。
その後、彼は生きたまま首をナイフで切断され、
その首は胴体に乗せられた動画もありました。
おぞましいこれらの動画や映像はリンクできません。
ある町では6歳くらいと思える女の子の首のない胴体が道路に放置されてました。
その子の父親がその首のない胴体を抱きかかえながら狂乱状態に陥っている様子、、、
これが21世紀の地上で行われている現実であると思えません。
彼らはイスラムに改宗するか、人頭税を支払うか、死ぬかの選択を迫り、
人々を文字通り虫けらのようにして虐殺していくのです。
イラクの少数派ヤジディ教徒は村を抜けて山岳地帯へ逃れました。
そこでは家屋も食料も水もなく、飢餓や脱水状態が蔓延しています。
力尽きた子供たちが岩地に死体となって寝かされている映像もありました。
米国が自国民保護と人道救援見地からイスラム国への空爆を行っていますが、
更なる介入を視野に入れるべきではないかと考えます。
オバマさんが、「米国は世界の警察官であることを止めた」と宣言して以来、
中東地域やアフリカでの蛮行は加速するばかりです。
そこでは、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した」
とある日本国憲法前文の前提は通用しません。
外国が平和を愛し、公正と信義を尊重する人々ばかりではないからです。
海に囲まれたアジアの極東ではイスラム国の非道な蛮行を耳目することだけで、
直接攻撃にさらされることはないでしょう。
それゆえに対岸の火事として終わらせてよいものなのでしょうか。
自国だけが平和で豊かさを享受できればよいとするスタンスから
一般国際社会とは異なる常識が生じ、
「平和ボケ」といわれてしまうのではないでしょうか。
憲法前文には次のような名文もあります。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
「思う」「確認する」が観念だけの作業でなく、
現に専制と隷従に苦しんでいる方々に届く具体的な行動指針を
考えなくてはならないのではないでしょうか。
ベルビューの新しいビル!
窓に映るビルが面白い。
シアトルにある図書館
最近初めて立った街角の地点がある。
その近辺には来たことがあっても
その場所からある方角を見上げたことがなく
新しい発見があった。
一つはベルビューのcity center にある一角。
再開発が進んでいると聞いているが、
このビルは最近のものだろうか?
他の一つはシアトルダウンタウンにある図書館。
著名な設計士による斬新な建造物であるとは聞いていた。
この位置から反対側街区がハイウェイの進入路になっていて頻繁に通るが
ここからの眺めは初めて。
やはり奇抜な建物だなあ。
99号線を走っていてDuck(あひる)を追い越してしまった。
このアヒルは、シアトル観光の名物であり
このまま走りながら湖に浸かり、ボートとなって進む。
いわば水陸両用バス。
もう10年以上も前だが、
そのボートが浸水して沈没しただなんていうニュースをがTVで流れていた。
その記憶が残っていて、私は乗ったことはない。
イーストゲイトの高速90号線真上の交差点の信号が機能していなかった。
ポリスによる手信号。
ここは坂の下でもありスピードの乗った車が突入してくる4つ角である。
命がけのお仕事、ご苦労様です。
側近の石田三成から報告を聞いた秀吉は、
怒りを抱いて言う。
「右近のうつけめ、
このワシよりデウスを選びよった。」
「直ちに追放いたせ。」
「この秀吉に背くものがあってはならない。
それを存分に知らしめるのじゃ」
………………………………………………………………………………………
秀吉の銘により
京都での南蛮寺の打ちこわしが始まっていく。
領地を取り上げあっれた右近は
友人の庇護を求めて各地を流転したあと、
フィリピン・マニアに追放の身となり
移住後間も無くその地で最期を遂げる。
………………………………………………………………………………………
千利休に招かれた茶会での
官兵衛と右近の会話。
「私には右近殿の真似はできません。
殿下に面と向かって信心を貫くとは言えなかった。
信心ゆえに全てを捨て去ることはできない。
私は弱いのです。」
「官兵衛殿。人にはそれぞれデウスから与えられた使命がある
それを全うして下さい。」
……………………………………………………………………………………
秀吉の禁教令に真っ向から対峙し、一点の妥協も許さなかった右近。
それに対して信心を捨てるわけではないが、
迫害を受けるほどに公のものとせず
自己保身に比重を置く官兵衛。
一方が強く、他方が弱いとは断じられない。
一方が信仰者としての理想であり、
他方がまがい物であるとも単純に即断できないであろう。
この辺りの、棄教か死かの二者択一せざるを得なかった
当時のキリシタンの迷いと苦悩、
双方に主イエスはどう評価されるのか
という重いテーマを扱っているのが遠藤周作の「沈黙」であろう。
私の高校時代の国語教科書に掲載されているのを読んで、
激しく揺さぶられた当時のことを思い出す。
それにしても右近が官兵衛に言った言葉が深い。
ー 「人にはそれぞれデウスから与えられた使命がある
それを全うして下さい。」ー
これは信仰の真髄とも言っていい領域の言葉ではないか!
あのNHKが、このレベルにまでキリシタン信仰を調べ上げ
正確に描写しているのに驚かざるを得ない。
先回の大河ドラマ「八重の桜」でも
明治のキリスト教がほぼ正しく描かれていた。
Good Job NHK
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