Beniciaへ行ってきました。
サンフランシスコから東へ50分ほど走ったところにある街。
サンフランシスコベイの北東の端にあります。
穏やかで温暖な気候は正に地中海を思わせるところです。
街の中心部の道を抜けるとそこはサンフランシスコ湾。
沈没船のようなものが入江に沈んでいたが、
それもまた絵になるような光景でした。
政府軍と反体制組織による過激な内戦が繰り広げられているシリア。戦局は日々激しさを増しており、2011年から今までで19万人以上の死者を出している。
そんな混乱の渦中にあるシリアで、紛争で負傷した3歳の男の子が病院に運び込まれた。瀕死状態であった彼は間もなくして息を引き取るのだが、絶えゆく意識の中、冷たくて硬い診察台の上で衝撃的な言葉を口にしたという。
「全部神様に言ってくるから」
シリアで何が行なわれているのか、人々がどのような困難を強いられているのか。紛争で起きた悲惨な出来事を全て神様に話してくるというのだ。彼がどのような景色を見てきたのか定かではないが、子供が拷問により亡くなることもある現地で体験したであろう恐怖は想像に容易い。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/42935986
「大艱難時代後半の3年半③」
マタイ24章29~35節 黙示録19章全節
~マタイ福音書連続講解説教86~
大艱難時代の最終段階は、「ハルバゲドンの戦い」といわれている
イスラエルを抹殺するための反キリストの全世界連合軍との最終戦争です。
唐突ですが、世界平和はどのようにして達成されるのでしょうか?
人間が歩み寄り知恵を結集して、
国際間の協調・協和によってという理想が国際連合の理念にあるようです。
ニューヨークにある国連ビルの石碑には次の聖書の言葉が刻まれています。
「彼らはその剣を鋤に、 その槍をかまに打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、 二度と戦いのことを習わない。」(イザヤ 2:4 )
まるで自分たちの努力で平和が達成されるといわんばかりです。
もちろん平和のための努力は必要不可欠で、
その努力自体にはこれまで日本もPKO参加を通じて貢献してきました。
それは評価され、尊重されるべきものです。
ただ、恒久的な世界平和は、
それではやってこないと聖書は告げています。
これまでがそうでした。
今後もその通りです。
先ほどのイザヤ書の言葉には重要なところが抜け落ちています。
「主は国々の間をさばき、 多くの国々の民に、判決を下す。」という文書の後に
「 彼らはその剣を鋤に、 ~」の言葉が続いているのです。
主イエスが王として世界に君臨し、世界の人々に正義と公正とをもたらすまでは
剣を必要としない時代は来ないと聖書は教えます。
イザヤ書の2章のこのところは、
主が地上に再び来られて、
大艱難時代に絶滅の危機にふんしているイスラエルの民を助け、
その後エルサレムから世界中を統治されるという
メシア的王国を預言している箇所です。
このメシア的王国を信じていない人たちは、
キリスト者と言われる人々の中にもおられます。
彼らが聖書の預言するイエスによる世界平和の実現(メシア的王国)を
どのようにして解釈しているかといえば、
キリスト教会の伸展による世界のキリスト教化によるものだというのです。
だいぶ苦し紛れの解釈のようです。
確かに19世紀以降、キリスト教勢力は宣教師の活躍により世界に広まりました。
でもそれが世界に平和を構築することにはつながり得ませんでした。
2度の世界大戦はキリスト教国と言われる欧州から始まったのです。
現在のイスラム原理主義の台頭とその盛んなテロ活動を見ただけで、
キリスト教化による世界平和は絵に描いた餅であるのが誰の目にも明らかではないでしょうか。
いったい彼らがキリスト教に改心するとでもいうのでしょうか?
ではどのようにして、、、?
それは激しい世界大戦の真っ只中で
主イエスが天から再臨され、
反キリスト勢力を殺害されることによってです。
「愛と赦しのイエスが、殺戮ですって??!!!」
多くの人にとり、これは驚くべき預言でしょう。
でも黙示録は明瞭にこれを告げています。
「この方(再臨されたイエスのことです)の口からは諸国の民を打つために、
鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
(黙示録 19:15-16)
2000年前の初臨のとき、イエスは苦難のメシアとして十字架で死なれました。
将来の再臨のときには、
悪に報復される勝利のメシアとして君臨するために来られます。
その世界最終戦争は、
イスラエルを抹殺するために世界中の軍隊がイズレエル平原に結集することから
「ハルマゲドンの戦い」と呼ばれます。
先週学んだ大艱難期後半に起こる「鉢のさばき」の
第6のさばきが、ハルマゲドンの戦いの第1段階に相当します。
第7のさばきが、ハルマゲドンの戦いの最終段階である第8段階です。
興味のある方は、メッセージノートを参照ください。
その全8段階の各ステップを旧約聖書からの引用により順次解説しています。
ところで、日本では先日安部内閣が集団的自衛権を容認する憲法解釈をしました。
護憲派からは憲法改悪だとする反対議論が盛んに沸きあがっています。
「憲法9条があるから戦後70年間、日本は戦争と関わらずに済んできたのであり、
今後も9条は永久不滅の大典であらねばならない」とするのが
中心的な論点のようです。
その論点には「われわれ日本だけが平和で繁栄すれば良い」
とする前提があるのではないでしょうか?
世界は終わりの時代に入り、今後もいよいよ混沌を深め、紛争が続きます。
7年間の大艱難時代の最中には、幾度も世界を巻き込んだ大戦が勃発するのです。
そんな中で9条をどのように死守できると言うのでしょう?
70年前と現在とでは世界情勢は大きく異なります。
憲法の前文には次のような崇高な文書があります。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
日本がどれほどに「崇高な理想」を掲げようとも、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できない時代が来ようとしているのを、
日本のキリスト者として警笛を鳴らすべきではないでしょうか。
自らのイデオロギーに賛同しないものは
容赦なく血祭りにあげるとする現在のイスラム国の凶暴性がその一例でしょう。
そんな他国に「信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
との姿勢のままで今後も良いというのでしょうか?
70年前は日本が他国侵略の加害者だった故の、
その暴走を警戒するゆえに連合国側から立案されて憲法が完成しました。
この先もずっと、その成立段階のままで、
現実の国際情勢に対処できると言えるのでしょうか?
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと
努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
これまでの国際社会はそのようなものであったかもしれないが、
今後の国際社会はいよいよ
「専制と隷従、圧迫と偏狭」へのベクトルが強まっていくのです。
憲法前文は
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、」と続きます。
これは一国平和主義、絶対武装反対に対する反論のように聞こえてきます。
もちろん70年まえに執筆されたときの論旨とは異なるでしょうが。
シリアの内戦、アフガンやイラクでのタリバン勢力の台頭、イスラム国の拡大、、、
その中で数十万人の一般市民が不条理にも虐殺されました。
先日、全身血だらけで病院に搬送された3歳くらいのシリアの男の子が
最期に言い放った言葉を知って衝撃を受けました。
「神様に言ってくるから」
子供でさえも残虐な拷問ののちに殺していく蛮行をどの程度見聞しての事かは
定かでないようです。
ただ、その幼い二つの目はおぞましくも正義が蹂躙されている様子を見たのです。
そして数分後に天国へ行くのを悟り、
そのときに神に告げると、泣きながら言い放ったのでした。
このような不条理が横行しているのが現在の中近東であり、
聖書預言によれば、
その状態が世界中に広まるのが大艱難時代と言われる時なのです。
正義と公正とはどのように樹立されようとしているのですか?
繰り返します。
国連の働きによるものでも、理想的な憲法と平和主義によるものでもありません。
主イエスが再臨され、
全ての悪に報復し、
悪者を自らの手で葬り去ることによります。
「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。
この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。
この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。」
(黙示録19:15-16)
主イエスよ、来て下さい!!
この秋のシアトルは暖かい。
この日も晴れ上がったため、
室内でウジウジしているのも、もったいない。
子供らをつれてFranklyn Fallまで行ってきました。
I90を東へ進むこと、30分ほどだったろうか、、、
スキー場の一つ前の出口を降りたら、もう7分ほどで駐車場に着く。
滝つぼにはロッククライミングのできる格好の岩場があり、
どうも子供らのお目当てはそれらしい。
私がダメ押ししても、私の目を盗んですたすたと岩登りをはじめてしまう、、、
子供らのFallとならないよう、目が離せない。
昨夜の大河ドラマ官兵衛では秀吉に実子の鶴松が生まれ、
茶々が正妻として立場を強くして行くものだった。
茶々と鶴松は秀吉とともに大阪城に住むことになり、
ねねは追い出される形で京の聚楽第に移り住むことになる。
茶々を取り込んで勢力を拡大して行ったのが石田三成である。
秀吉の子飼いとして幼少期からねねが世話をしてきた
加藤清正や福島正則、そして官兵衛は徐々に疎外されるようになる。
しぜん、家中に二つの派閥が対立する構造が出来上がる。
この後、小田原征伐が終わると朝鮮出兵が始まる。
目付き役の石田三成が加藤清正らの働きぶりをネガティブに秀吉に報告したことから恨みを買い、両者の対立は決定的なものとなって行く。
豊臣家が茶々派とねね派とに真っ二つに割れ、
やがてその豊臣家の内紛に乗じていくさを仕掛けるのが徳川家康。
いわば漁夫の利をむしり取ったタヌキさん(*^^*)
こうして見ると秀吉には信長のような世界戦略がなかったようだ。
朝鮮や明を従属させたいという信長の果たし得なかった夢を外面だけ継承しても、
内実が伴っていない。その器ではないということだろう。
鶴松可愛さとお家の存続が秀吉にとっての最優先課題。
トップがそのような私心を持っている以上、御家騒動は起こるべくして怒らざるを得ない。
アジアの覇者となるという途轍もない野望は、
少なくとも信長にとり「公」のものとしての位置付けであり、
その最終ゴールに向けての手はずが順次組み立てられつつあった。
南蛮貿易を奨励して貨幣経済を潤したのも、
貿易に伴う伴天連を優遇して、キリシタンを庇護したのも、
王としてのグローバルスタンダードを極東アジアにも確立させたいとする
戦略の一環ではなかったか?
運良く舞い込んだ天下を取ったがために
人変わりして私欲に走る秀吉は、得体のしれない化け物に成り果て行く。
あるサイトから拾ったHOTYOGAの様子です。
これだけ人がいればヒーターはいらない?
初めての体験をして見た。
HoyYoga!!
ちまたで噂になっていて、
私の知人が体験して好評だったので、
物は試しだ、とばかりに行って見ました。
手足を慣れない角度にストレッチ
しかもその体勢を数秒間キープしながらバランスを取るのはかなりしんどかった。
痛みを感じたり、関節の挙動範囲が狭いことや姿勢が崩れたりで四苦八苦。。。
私にとって高温も運動量も滝のように流れ出る汗も驚くにはあたらないが
かなり節々が硬くなっているのを再認識する時となった。
20人ほどが音楽に乗り、インストラクターの掛け声でポーズを変えて行くのだが、
30分を超えるとそれについていけない落伍者は全て男性陣だったのが面白かった。
炎熱の砂漠や凍結した氷原でサバイバルできるのは女性だという話を聞いたことがあったが、今回の事例を見て、さもありなんと結論に至る。
妻との結婚17周年記念日を迎えました。
これまで良く付いてきてくれたものだと感心します。
何かお祝いを、と考えて決まったのが
Anthonyというシーフードレストランでの食事。
ウオーターフロントに位置していることで有名で、
立地も、味も、価格もリーゾナブルでなかなかなところなんです。
17年間の私の感想は瞬時に過ぎ去ったかのような短いものに思えるのですが、
彼女の場合、長〜い時間感覚だったようです。
この違いの意味するところは?
と二人で顔合わせて考えたら
笑えてしまいました(^○^)
長男は放課後、サッカークラブの時間が1時間ほどあります。
この日、始めてその様子を観察できました。
日本の部活とは大きくかけ離れたもので
いわば放課後のお遊びプログラムの一環です。
市内にあるjubilee ReachというNGO民間団体が請け負っているプログラムで、
ボランティアのお兄さん達が数人やってきては子どもらの相手をしてくれるというもの。
大雑把に二つのグループに分けてゲームをするというもの。
広い場所とボール一つがあれば数十人を一挙に遊ばせることが出来るのだから
サッカーは魔法のゲームと言えないか?
電子機器のゲームで孤独に遊ばせるよりもずっと健康的であろう。
社会的にも身体的にも。
箸がどの店でもグリーンでプラスチック製というのはどうして?
シアトル近辺にはどこにでもベトナムレストランがあり
そこでの代表的な料理がPhoと呼ばれる米粉から出来たヌードル。
ラーメンよりも好きになってしまった。
味わいが優っているというより、「健康」を気にする年頃になったからかも。。
脂っこくなくアッサリしていて、麺を覆い尽くすような大量の野菜。
胃にも優しく、もたれるということもない。
この日のランチをパッドタイと呼ばれるこれも焼きそばに似たヌードルにしようと
タイレストランのドアを開けた。
満席だったので、お迎えにあるベトナムのPhoにした次第。
13歳で青春を奪われたままのめぐみさん
双子の弟と両親の5人家族です
北朝鮮による拉致被害者の調査報告がありました。
「報告」とは呼べないお粗末なもので、
何ら手掛かりになる情報のないまま「平壌で話がしたい」とのこと。
いつながらかの国の誠実さのカケラもない仕打ちに腹立たしかったり、
無力感を味わったり、、
横田めぐみさんは、1977年11月15日、新潟から忽然と姿を消しました。
当時、13歳で中学校1年生。
バトミントンの練習を終えての帰路、
海岸から船に乗せられて連れ去られてしまいました。
彼女は私と同じ年で今年50歳になります。
私は中学1年の時、どうしていただろう?
教科毎に代わる教師と教えられる事の目新しさに興味が尽きなかったり、
複数の小学校から寄せ集まった新顔の学友達に慣れるのに苦労したり、、、
思い出すにも苦労する遠い昔のあの時からずっと異国に暮らすめぐみさん。
人の半生をすっぽり搾取するだなんて、、、
その理不尽な仕打ちに言葉がない。
その消息だけでも正確に伝えて欲しい。
シアトルダウンタウンの一方通行のストリートで
初めてオートバイの軍勢に遭遇しました。
数分間、交通がストップしたと思ったら、
はるか後方からオートバイのエンジンをふかす爆音。
しばらくするとガラ空きの道路に数台のバイクがウイリーなどの曲芸走行を始める。
そのあとに引き続いて数百台のオートバイ行列。
若い子だけの暴走族というものではないし、、
一応、パレードのようだといえばそのようでもあるような、、
彼らの目的はいったい何?
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