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13歳誕生日を目前にして

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13歳誕生日を目前にして 13歳誕生日を目前にして 13歳誕生日を目前にして 13歳誕生日を目前にして 13歳誕生日を目前にして 13歳誕生日を目前にして


13歳の誕生日を控えていた長女には、二つの歌唱コンクールがあった。

RJC最終日と重なったため、
私は午前に一つのコンクールに出席することにした。

昨年と比べて、大きく飛翔した感があった。

歌いながら、彼女はその世界(ゾーン)に間違いなく入っていた。

#子育て

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Reaching Japanese for Christ 第一日目

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Reaching Japanese for Christ のカンファレンスに終日参加してきました。

日本人伝道に重荷を持つ方々の研鑽とネットワーク作りを主眼とした集いで、
毎年この時期に開かれています。


今年のメイン講師は、松岡和広牧師。

以下は松岡先生のメッセージ備忘録となります。




趣味はボディビルです。
そう言われてみればそうかな?と思われるかもしれませんが、
ここで服を脱ぐわけにもいかないのです。

かつての私は176センチで67キロしかなかった。
痩せていたので、貧血や声が出なくなってしまうことが多かったのです。

そこでボディビルジムに通うようになると
2年間で20キロ体重が増えて、以後疲れることはなくなったのでした。

イエス様によって私の内側も変えられました。

実家の町内には90のお寺があるが、お寺の次男坊として生まれた。

高校時代、生きる意味や目的を考えるようになり、
哲学書を読んでみるがそこに答えはなかった。

そこでお坊さんの道にはいることになった。

父親の宗派に属する仏教大学に入り、頭を丸め、勉強と修行とが始まった。

天台宗に属するが、その特徴は総合であり、
どんな宗派の教えでも取り入れるところ。

山にも登って厳しい修行を始める。

3000回の礼拝をする苦行、
それは「5体投地」というもので

一日に1000回身を投げ出すような拝礼を
3日間連続して行うものが最もきつかった。

しかもそれを他の修行僧にペースを合わせて行わねばならない。

やがて首席で大学を卒業。
だが、仏教には何ら見出すものはなかった。

勉強すればするほど、納得できない問題が沸き起こってきた。

日本に伝わったお経や教えはお釈迦さんのものとは大きくかけ離れていることが分かってきた。

それはヒンズー教の影響を大きく取り入れているもの。

仏教を勉強するには日本が世界一である。
そこで韓国からの留学生もいて友人となり、韓国に興味を持つようになった。

ソウルオリンピック後の1989年に単独で私の韓国留学生生活が始まった。

そこで知らされたことは、人間はいくらお金があっても、
自由時間があっても、
好きな韓国語に関わっていても
それだけでは幸せとはなれないこと。

1カ月後には「どうして生きているのだろうか。」
と同様の悩みを持つようになっていた。

クリスマスに人生で初めて教会に行って見た。
同じ語学学校に通っていた日本人に誘われてのことだった。

韓国にいるしクリスマスだからと、
日本にいたら絶対行くことのなかったキリスト教会へ行ったのだった。

「次の日曜日も教会に来てください」と韓国人の若い女性の誘いに断りきれずに
翌日曜に生まれて初めて礼拝にも出席した。

宗教としてのキリスト教を勉強しても良いかな?と思うようになり、
聖書研究会にも出席するようになった。

そこで創世記1:31 の教えに出会う。

「神はお造りになったすべてのものを見られた。
見よ。それは非常に良かった。
夕があり、朝があった。第六日。」
(Gen 1:31)

神はご自分で感動するほどにこの世界の全てを創られた後に
「すばらしい」と書いてあった。

仏教とは大いに違う。
あらゆることが虚しくて、無に帰するというのが仏教の教え。

それでもこれまで善人であろうと努力していた私に、
「罪人」であると語られてもすぐには分からなかった。

イエスという2千年前の人物がどうして私に関係があるのか?

そこで聖書研究会をやめようと考えていた矢先、
その研究会の感想を発表する自分の順番が回って来た。

心からではないが、頭に浮かんだ言葉を原稿に書き続けていった。
「神様お赦しください。私は罪人でした、、、、
私はあなたの顔にツバキを吐きかけたようなものです」
というような悔い改めの言葉で原稿用紙を埋めていった。

集会でその文章を読み始めた途端、突然感動に打たれ、
涙が込み上げてきて、床につき伏せてしまった。


帰宅してその晩は眠れなかったので起き上がり
「私の全てはあなたの栄光のためです」
と初めて祈って見たのです。

すると、天からの声が聞こえて来た。

「あなたの名前は天国に書き記されている」

その瞬間、否定できない確信が与えられた。
それは現在も続く確信であった。

神は存在するという確信である。

その後、仏教の大学でもその授業中でも、
内から湧き上がる喜びを抑えることができなくなり、

イエス様を信じたこと、
神が存在することを友人や先生たちにも言い始めた。


母がソウルに飛んで来て、大学の名のある教授たちと私を説得にかかり出した。

ですが、救われたのは私の体験です。
叱られても、説得されても、思い込みやいっときの感情ではないので、
私はびくともしませんでした。

神はお坊さんを辞めた人を救われたのではない。
神は現役のお坊さんを救われたのです。

どんなところにいる人でも神は救うことができるのです。

「私は仏教徒だから」と言って壁を作ることが日本人には多い。

「それでいいですよ。問題ないですよ。」
と言って聖書の話を説き続ければ良いのです。

神はどんな壁であっても崩し去ることのできるお方です。

#救済

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RJC第一日

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RJC第一日 RJC第一日


Reaching Japanese for Christ のカンファレンスに終日参加してきました。

日本人伝道に重荷を持つ方々の研鑽とネットワーク作りを主眼とした集いで、
毎年この時期に開かれています。


今年のメイン講師は、松岡和広牧師。

以下は松岡先生のメッセージ備忘録となります。

趣味はボディビルです。
そう言われてみればそうかな?と思われるかもしれませんが、
ここで服を脱ぐわけにもいかないのです。

かつての私は176センチで67キロしかなかった。
痩せていたので、貧血や声が出なくなってしまうことが多かったのです。

そこでボディビルジムに通うようになると
2年間で20キロ体重が増えて、以後疲れることはなくなったのでした。

イエス様によって私の内側も変えられました。

実家の町内には90のお寺があるが、お寺の次男坊として生まれた。

高校時代、生きる意味や目的を考えるようになり、
哲学書を読んでみるがそこに答えはなかった。

そこでお坊さんの道にはいることになった。

父親の宗派に属する仏教大学に入り、頭を丸め、勉強と修行とが始まった。
天台宗に属するが、その特徴は総合であり、どんな宗派の教えでも取り入れるところ。
山にも登って厳しい修行を始める。
3000回の礼拝をする苦行、それは「5体投地」というもので一日に1000回身を投げ出すような拝礼を3日間連続して行うものが最もきつかった。

しかもそれを他の修行僧にペースを合わせて行わねばならない。

やがて首席で大学を卒業。
だが、仏教には何ら見出すものはなかった。
勉強すればするほど、納得できない問題が沸き起こってきた。

日本に伝わったお経や教えはお釈迦さんのものとは大きくかけ離れていることが分かってきた。
それはヒンズー教の影響を大きく取り入れているもの。

仏教を勉強するには日本が世界一である。
そこで韓国からの留学生もいて友人となり、韓国に興味を持つようになった。

ソウルオリンピック後の1989年に単独で私の韓国留学生生活が始まった。

そこで知らされたことは、人間はいくらお金があっても、自由時間があっても、好きな韓国語に関わっていてもそれだけでは幸せとはなれないこと。

1カ月後には「どうして生きているのだろうか。」と同様の悩みを持つようになっていた。

クリスマスに人生で初めて教会に行って見た。
同じ語学学校に通っていた日本人に誘われてのことだった。

韓国にいるしクリスマスだからと、日本にいたら絶対行くことのなかったキリスト教会へ行ったのだった。

「次の日曜日も教会に来てください」と韓国人の若い女性の誘いに断りきれずに翌日曜に生まれて初めて礼拝にも出席した。

宗教としてのキリスト教を勉強しても良いかな?と思うようになり、
聖書研究会にも出席するようになった。

そこで創世記1:31 の教えに出会う。

神はご自分で感動するほどにこの世界の全てを創られた後に「すばらしい」と書いてあった。

仏教とは大いに違う。
あらゆることが虚しくて、無に帰するというのが仏教の教え。

それでもこれまで善人であろうと努力していた私に、
「罪人」であると語られてもすぐには分からなかった。

イエスという2千年前の人物がどうして私に関係があるのか?

そこで聖書研究会をやめようと考えていた矢先、その研究会の感想を発表する自分の順番が回って来た。

心からではないが、頭に浮かんだ言葉を原稿に書き続けていった。
「神様お赦しください。私は罪人でした、、、、私はあなたの顔にツバキを吐きかけたようなものです」というような悔い改めの言葉で原稿用紙を埋めていった。

集会でその文章を読み始めた途端、突然感動に打たれ、涙が込み上げてきて、床につき伏せてしまった。


帰宅してその晩は眠れなかったので起き上がり
「私の全てはあなたの栄光のためです」
と初めて祈って見たのです。

すると、天からの声が聞こえて来た。

「あなたの名前は天国に書き記されている」

その瞬間、否定できない確信が与えられた。
それは現在も続く確信であった。

神は存在するという確信である。

その後、仏教の大学でもその授業中でも、内から湧き上がる喜びを抑えることができなくなり、イエス様を信じたこと、神が存在することを友人や先生たちにも言い始めた。


母がソウルに飛んで来て、大学の名のある教授たちと私を説得にかかり出した。

ですが、救われたのは私の体験です。
叱られても、説得されても、思い込みやいっときの感情ではないので、私はびくともしませんでした。

神はお坊さんを辞めた人を救われたのではない。
神は現役のお坊さんを救われたのです。

どんなところにいる人でも神は救うことができるのです。

「私は仏教徒だから」と言って壁を作ることが日本人には多い。

「それでいいですよ。問題ないですよ。」と言って聖書の話を説き続ければ良いのです。
神はどんな壁であっても崩し去ることのできるお方です。
#救済

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RJCに参加して来ました

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RJCに参加して来ました RJCに参加して来ました
Reaching Japanese for Christという日本人伝道に関わる人々のためのカンファレンスに終日参加してきました。

今年のメイン講師は、松岡和広牧師。

以下が全体集会でのメッセージ備忘録です。


趣味はボディビルです。
そう言われてみればそうかな?と思われるかもしれませんが、
ここで服を脱ぐわけにもいかないのです。

かつての私は176センチで67キロしかなかった。
痩せていたので、貧血や声が出なくなってしまうことが多かったのです。

そこでボディビルジムに通うようになると
2年間で20キロ体重が増えて、以後疲れることはなくなったのでした。

イエス様によって私の内側も変えられました。

実家の町内には90のお寺があるが、お寺の次男坊として生まれた。

高校時代、生きる意味や目的を考えるようになり、
哲学書を読んでみるがそこに答えはなかった。

そこでお坊さんの道にはいることになった。

父親の宗派に属する仏教大学に入り、頭を丸め、勉強と修行とが始まった。

天台宗に属するが、その特徴は総合であり、どんな宗派の教えでも取り入れるところ。
山にも登って厳しい修行を始める。
3000回の礼拝をする苦行、それは「5体投地」というもので一日に1000回身を投げ出すような拝礼を3日間連続して行うものが最もきつかった。

しかもそれを他の修行僧にペースを合わせて行わねばならない。

やがて首席で大学を卒業。
だが、仏教には何ら見出すものはなかった。
勉強すればするほど、納得できない問題が沸き起こってきた。

日本に伝わったお経や教えはお釈迦さんのものとは大きくかけ離れていることが分かってきた。
それはヒンズー教の影響を大きく取り入れているもの。

仏教を勉強するには日本が世界一である。
そこで韓国からの留学生もいて友人となり、韓国に興味を持つようになった。

ソウルオリンピック後の1989年に単独で私の韓国留学生生活が始まった。

そこで知らされたことは、人間はいくらお金があっても、自由時間があっても、好きな韓国語に関わっていてもそれだけでは幸せとはなれないこと。

1カ月後には「どうして生きているのだろうか。」と同様の悩みを持つようになっていた。

クリスマスに人生で初めて教会に行って見た。
同じ語学学校に通っていた日本人に誘われてのことだった。

韓国にいるしクリスマスだからと、日本にいたら絶対行くことのなかったキリスト教会へ行ったのだった。

「次の日曜日も教会に来てください」と韓国人の若い女性の誘いに断りきれずに翌日曜に生まれて初めて礼拝にも出席した。

宗教としてのキリスト教を勉強しても良いかな?と思うようになり、
聖書研究会にも出席するようになった。

そこで創世記1:31 の教えに出会う。

神はご自分で感動するほどにこの世界の全てを創られた後に「すばらしい」と書いてあった。

仏教とは大いに違う。
あらゆることが虚しくて、無に帰するというのが仏教の教え。

それでもこれまで善人であろうと努力していた私に、
「罪人」であると語られてもすぐには分からなかった。

イエスという2千年前の人物がどうして私に関係があるのか?

そこで聖書研究会をやめようと考えていた矢先、その研究会の感想を発表する自分の順番が回って来た。

心からではないが、頭に浮かんだ言葉を原稿に書き続けていった。

「神様お赦しください。私は罪人でした、、、、私はあなたの顔にツバキを吐きかけたようなものです」というような悔い改めの言葉で原稿用紙を埋めていった。

集会でその文章を読み始めた途端、突然感動に打たれ、涙が込み上げてきて、床につき伏せてしまった。


帰宅してその晩は眠れなかったので起き上がり
「私の全てはあなたの栄光のためです」
と初めて祈って見たのです。

すると、天からの声が聞こえて来た。

「あなたの名前は天国に書き記されている」

その瞬間、否定できない確信が与えられた。
それは現在も続く確信であった。

神は存在するという確信である。

その後、仏教の大学でもその授業中でも、内から湧き上がる喜びを抑えることができなくなり、イエス様を信じたこと、神が存在することを友人や先生たちにも言い始めた。


母がソウルに飛んで来て、大学の名のある教授たちと私を説得にかかり出した。

ですが、救われたのは私の体験です。
叱られても、説得されても、思い込みやいっときの感情ではないので、私はびくともしませんでした。

神はお坊さんを辞めた人を救われたのではない。
神は現役のお坊さんを救われたのです。

どんなところにいる人でも神は救うことができるのです。

「私は仏教徒だから」と言って壁を作ることが日本人には多い。

「それでいいですよ。問題ないですよ。」
と言って聖書の話を説き続ければ良いのです。

神はどんな壁であっても崩し去ることのできるお方です。
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RJC最終日

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RJCにこの日も終日参加。

この日も講師として活躍したタイ人のSteveの話は凄い。

仏教に造詣の深い彼が、アジア人に福音を語る時に陥りやすい、盲点となっている点を実に整理して語ってくれた。

ユダヤ人にとって律法が人々をキリストに導く養育係であったように、
アジア人にとってはそれが仏教であったのだ、という視点。

その数千年の文化的蓄積を無視して突然、新約聖書の救いという「回答」を指し示しても人々は確かに戸惑うばかりであろう。

早速、彼が持ち込んだ書籍と講演DVDを購入。
出席できなかった彼の講演もRJCのウエブで視聴しようと思う。
#救済

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Reaching Japanese for Christ 第一日目

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Reaching Japane... Reaching Japane...
Reaching Japanese for Christ のカンファレンスに終日参加してきました。

日本人伝道に重荷を持つ方々の研鑽とネットワーク作りを主眼とした集いで、
毎年この時期に開かれています。


今年のメイン講師は、松岡和広牧師。

以下は松岡先生のメッセージ備忘録となります。

趣味はボディビルです。

そう言われてみればそうかな?と思われるかもしれませんが、
ここで服を脱ぐわけにもいかないのです。

かつての私は176センチで67キロしかなかった。
痩せていたので、貧血や声が出なくなってしまうことが多かったのです。

そこでボディビルジムに通うようになると
2年間で20キロ体重が増えて、以後疲れることはなくなったのでした。

イエス様によって私の内側も変えられました。

実家の町内には90のお寺があるが、お寺の次男坊として生まれた。

高校時代、生きる意味や目的を考えるようになり、
哲学書を読んでみるがそこに答えはなかった。

そこでお坊さんの道にはいることになった。

父親の宗派に属する仏教大学に入り、頭を丸め、勉強と修行とが始まった。

天台宗に属するが、
その特徴は総合であり、どんな宗派の教えでも取り入れるところ。

山にも登って厳しい修行を始める。

3000回の礼拝をする苦行、
それは「5体投地」というもので

一日に1000回身を投げ出すような拝礼を
3日間連続して行うものが最もきつかった。

しかもそれを他の修行僧にペースを合わせて行わねばならない。

やがて首席で大学を卒業。

だが、仏教には何ら見出すものはなかった。
勉強すればするほど、納得できない問題が沸き起こってきた。

日本に伝わったお経や教えは
お釈迦さんのものとは大きくかけ離れていることが分かってきた。

それはヒンズー教の影響を大きく取り入れているもの。

仏教を勉強するには日本が世界一である。

そこで韓国からの留学生もいて友人となり、韓国に興味を持つようになった。

ソウルオリンピック後の1989年に単独で私の韓国留学生生活が始まった。

そこで知らされたことは、人間はいくらお金があっても、
自由時間があっても、好きな韓国語に関わっていても
それだけでは幸せとはなれないこと。

1カ月後には「どうして生きているのだろうか。」
と同様の悩みを持つようになっていた。

クリスマスに人生で初めて教会に行って見た。
同じ語学学校に通っていた日本人に誘われてのことだった。

韓国にいるしクリスマスだからと、
日本にいたら絶対行くことのなかったキリスト教会へ行ったのだった。

「次の日曜日も教会に来てください」と韓国人の若い女性の誘いに断りきれずに
翌日曜に生まれて初めて礼拝にも出席した。

宗教としてのキリスト教を勉強しても良いかな?と思うようになり、
聖書研究会にも出席するようになった。

そこで創世記1:31 の教えに出会う。

「神はお造りになったすべてのものを見られた。
見よ。それは非常に良かった。
夕があり、朝があった。第六日。」
(Gen 1:31 )


神はご自分で感動するほど
この世界の全てを創られた後で
「すばらしい」と言われたと書いてあった。

仏教とは大いに違う。
あらゆることが虚しくて、無に帰するというのが仏教の教え。

それでもこれまで善人であろうと努力していた私に、
「罪人」であると語られてもすぐには分からなかった。

イエスという2千年前の人物がどうして私に関係があるのか?

そこで聖書研究会をやめようと考えていた矢先、
その研究会の感想を発表する自分の順番が回って来た。

心からではないが、頭に浮かんだ言葉を原稿に書き続けていった。

「神様お赦しください。私は罪人でした、、、、
私はあなたの顔にツバキを吐きかけたようなものです」

というような悔い改めの言葉で原稿用紙を埋めていった。

集会でその文章を読み始めた途端、
突然感動に打たれ、涙が込み上げてきて、床につき伏せてしまった。


帰宅してその晩は眠れなかったので起き上がり
「私の全てはあなたの栄光のためです」
と初めて祈って見たのです。

すると、天からの声が聞こえて来た。

「あなたの名前は天国に書き記されている」

その瞬間、否定できない確信が与えられた。
それは現在も続く確信であった。

神は存在するという確信である。

その後、仏教の大学でもその授業中でも、
内から湧き上がる喜びを抑えることができなくなり、

イエス様を信じたこと、
神が存在することを友人や先生たちにも言い始めた。


母がソウルに飛んで来て、大学の名のある教授たちと私を説得にかかり出した。

ですが、救われたのは私の体験です。

叱られても、説得されても、思い込みやいっときの感情ではないので、
私はびくともしませんでした。

神はお坊さんを辞めた人を救われたのではない。
神は現役のお坊さんを救われたのです。

どんなところにいる人でも神は救うことができるのです。

「私は仏教徒だから」と言って壁を作ることが日本人には多い。

「それでいいですよ。問題ないですよ。」
と言って聖書の話を説き続ければ良いのです。

神はどんな壁であっても崩し去ることのできるお方です。

#救済

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音楽教師とは魔術師か?

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今晩は長男の音楽コンサートがありました。

ここの小学校では最上級生の5年生になると楽器を選び、
毎週練習が始まります。

長男が選んだものはトロンボーン。

たったの週に1時間の練習だけで、人に聴いてもらうだけのオーケストラに仕上げてしまう音楽教師の力量は信じ難いものを感じてしまいます。






#子育て

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今年最初のオーナー会

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今年最初のオーナー会


本日のシアトルオーナー会は今年初回となり、
新年会を兼ねて普段とは異なる趣向。

10ドルを少々上回る弁当が通例だが、それに加えて寿司が付きました^_^

講師は早稲田大学社会学部で専任講師をされておられる奥迫元博士。

国際関係が専門であられることから、国際関係学の学問としての始点から現代までの複雑な国際関係の実情に至るまでを概観させていただきました。

2時間余りの講演の中で、学問的に整理された部分はもちろん一般には知り得ることのない国際会議での各国の攻防戦など、興味尽きないお話を伺いました。

特にルワンダでの虐殺問題は、家内が現地を訪れて奉仕しており、私の知人もその宣教に携わっていることから強い関心を持ちました。

ルワンダ内戦が、隣国のウガンダやコンゴにどういう経緯で波及して、一体どこが問題点でどこに解決への糸口があるのか、専門家を通じての分析に新しい視野が開かれて行くような感覚を持ちました。

現在の国際社会での日本の立ち位置や役割をどこに見出していくか、そのような視点からの質問が参加者から多く寄せられて、終わった時には午後10時を過ぎていました。

奥迫氏はシアトルの大学の研究室で数年学ばれ、この3月に帰国されるとのこと。

今後のご活躍を期待しています。
#政治 #歴史 #環境 #社会 #経済

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「自動車のオイル交換」と掛けると?

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「自動車のオイル交換」と掛けて

「コインが撒き散らされた運転席」と解く。


その心は、、、

家内の乗っているHonda車をオイル交換のため、私が早朝販売店へ届けに行った。

そのため家内は私のToyotaで出勤した。

Honda車のサイドブレーキはフッドレバーであり、
解除には左手を伸ばしてレバーを引けば良い。

一方Toyota車のそれは右手で車内中央部にある斜めの突起物を上下するだけ。

習慣とは恐ろしい。

この朝Yoyota車を発進させる際、家内は左手でダッシュボード左隅にあるレバーを勢いよく引き寄せた。

だが、レバーだと思って引いたそれはタバコの灰皿だった。

そこには釣り銭のコインが満載してあり、
コインが雨のように自らの左半身に降りかかってきたそうな。

これで2回目の悲劇(喜劇)

2度あることは3度ある^_^

#暮らし #生活

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「建設家達が見捨てた石」

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テルアビブ テルアビブ
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージ・ノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/12846-61

「建設家達が見捨てた石」
マタイ21章28~ 42節
~マタイ福音書連続講解説教61~

受難週の第3日目・火曜日の出来事である。

当時の過越の祭りではニサンの月の10日に捧げ物の羊を1頭選り分けると、
それに疾患や外傷がないかを14日まで吟味されることになっていた。

「贖いのための神の子羊」として主イエスは
同10日にエルサレムへの勝利の入城をされた後、
4つのグループから質問を受け、論争に巻き込まれていく。

火曜日の出来事とは、その論争に明け暮れた一日であった。

先ずサンヘドリンというユダヤ最高議会の構成員達(祭司長や長老たち)
から論争を挑まれる。

主イエスはこれについては直接答えるのを拒否されるが、
3つのたとえ話を用いて彼らの罪状を言い当て、
その結果である裁きを免れる事なしと断罪し、
将来の世界情勢がどう変遷していくかを預言された。


❶ぶどう園としてのイスラエル

最初の二つのたとえ話で主はイスラエルをぶどう園として描写している。
それは旧約聖書からの長い伝統でもあった。

話は変わるが、
カリフォルニア州はナパバレーを筆頭に多くの世界的なワイン産地となっている。
そのワイン造りは、カトリックの神父さんたちから始まったものであった。

ミッションストリートを巡りながら
各地に宣教の拠点となるカセドロを建てて行ったカトリックは、
ミサのためにぶどう酒がどうしても必要だった。

教会の敷地内から始められたぶどう造りが、
今日のカリフォルニアワインの元祖である。

ワイン造りには壮絶ともいうべき忍耐が強いられる。

長い年月と費用、労力を投じてようやく収穫を得るのである。

神はイスラエルをワインを作るような細かな配慮をもって、
いわば手塩にかけて育てて来たのである。

彼らと契約を交わし、律法を与え、ご自身を啓示して、様々な特権を与えてきた。

預言者を度々送ったが、イスラエルは彼らを辱め、殺してきた。

そしてぶどう園の所有者(神)は、最後に一人息子(イエス)を送った。

ぶどう園を預っていた農夫達(ユダヤ人リーダーたち:サンヘドリン)は、
その息子をも殺して財産を横取りしようと相談する。

神が良い収穫を期待して育てたユダヤ人の実情は
そのような期待はずれのものとなった。

そのユダヤ人リーダー達は、
「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、
季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません」
と答えているが、それは自分たち自身への死刑判決を結審したことになる。

事態はその通りに推移して行くのである。

それではユダヤ人が神の期待に応えて来なかったとしたら、
彼らに与えられた契約はどうなるのであろうか?

彼らが契約不履行ゆえに、
契約そのものも反故とされるのであろうか?


❷家を建てる者たちの見捨てた石

『22 家を建てる者たちの捨てた石。 それが礎の石になった。
23 これは主のなさったことだ。 私たちの目には不思議なことである。

これは詩篇118:22からの引用である。

ここで礎の石(コーナーストーン)について説明をしなくてはならない。

それは建設工程で最も重要な作業である。
礎としてどんな石を、どの場所に、
どの方角を向けて据えるかで建物の全体像が決定されるのである。

コーナーに据えられたその石の直角に交わる2辺が、
土台の縦と横のラインを決定する。

最も熟練した建設家がそのコーナーストーンを選び、
所定の位置に据えるのであるが、
一度据えて見たもののどうも収まりが悪いので、
横に跳ね除けて別の石をコーナーに据え直すということも時に起こった。

「家を建てる者たちの見捨てた石」とは、
そのようなコーナーストーンになり損ねた石のことである。

ここで「石」とは旧約聖書の用例から神やメシアを指す言葉である。

つまりユダヤ人たちからメシアが拒絶されることを預言した聖句なのである。
農夫達がオーナーの跡取り息子を殺してしまおうと陰謀しているたとえと共通している。



❸それが礎の石になった

一度捨てられた石が、
再び見直されコーナーストーンとして採用されるというモチーフ。

ユダヤ人による後日のメシアの受容が預言された聖句である。

それは詩篇が書かれた時点では将来に属することである。

イエス時代においてももちろん実現されていない。
イエスは拒否され十字架で死なれ、
民族としてのユダヤ人多数に理解されないまま天にお帰りになられた。

現在においても未だイエスはユダヤ人に受け入れられることなく、
その預言成就を目にしていないのである。

ところが、「礎の石になった」。
これは完了形で書かれていることに注目したい。

たとい人の目から見て将来に属することであっても、
神からすればその契約履行の確かさゆえに、
すでに過去に成就したものであると見なしているのである。

このような語法は預言的完了形と呼ばれるものである。

ユダヤ人によって拒否されたイエスが、
将来のある時点(それは艱難時代を通り抜けた世代のユダヤ人であるが)、
イエスをメシアとして受け入れるときが来るとは、
何とも信じ難いことである。

教会歴史においても、
教会はユダヤ人をイエス殺しの犯人であるとして目の敵にして来たのである。

今日の多くの教会もユダヤ人に対する約束や契約は終わってしまい、
キリスト教会がそれを引き継いだのだとする神学が流行している。

イスラエルへの祝福や契約はキリスト教会に置き換えられたとする考えが、
置換神学である。

今日までもその論争が続けられている。


まさに「主のなさったこと」は、実に「私たちの目には不思議なこと」である。




#救済

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