今日入ったレストランでカウンター越しの厨房で働いている青年。
日本食レストランで日本人に見えるからといって日本語が話せる人は稀。いつもそうしてるように英語で話しかけてみた。
すると「すみません、英語がわからないんです」と日本語でのたもう。
海外に出て英語学校にも通いほぼ1年間仕事についているけど英語に伸び悩んでいると言う。日本に帰国してさらに英語を勉強するかどうするか迷ってると話して来た。
沖縄出身の23歳の好青年。
その歳になってもやりたいことが決まらず、海外に来ても英語で苦労してる様子が伝わってくる。
23歳と言う年齢はどんなことに挑戦するにもまだまだ若いものであること、英語で苦労するのはお互い様で、20年以上滞在している私自身はその苦労を苦労と認識しない悟りを得たんだというようなことを話した。
そのカウンター席でおでんが彼によってサーブされるのを待っている束の間の時間、FaceTimeタイムラインでは他の23歳の青年の記事が流れて 来た。彼は数ヶ月間河川敷で野宿生活をしながらもウーバーイーツの仕事で資金を貯め、所属教会主催のイスラエルツアーに出かけて今日、1日目の観光巡礼を終えた。エキゾチックな写真と一緒に夢の聖地に降り立った高揚感が伝わってくる。
それぞれの23歳の貴重な青春時代を謳歌している様子が眩しく見えた。
私自身が23歳の時はどうしていたか。
その年、神学院を卒業して赴任した教会は三重県の小さな漁師町にあった。
峠から99曲ある山道を降りて入ってくる世間の情報は取り寄せている一つの新聞紙からのみだった。当時インターネットはもちろん、その生活していた教会堂にはテレビラジオもなかった。
車もない私にはそこから自由に出かけることもままならず、その3000人ほどの町が世界の全てだった。
ある時その教会のある方々がイスラエル旅行に出かけると聞いて羨望の思いで駅まで見送ったこともあった。
今になってつくづくと思うこと。
私たちの神は芸術家である。
当時の私には自由なアルバイト生活や海外旅行ではなく、その小さな町でひたすら伝道や教会の働きに明け暮れることが必要な時期であったように思う。
もし自分で自由に選べる選択肢があっらそのようには選ばなかったかもしれない。私自身よりも私のことをよく知り抜いておられる方は、その時々でベストな環境や状況を配剤してくださっていたのだ。
人の考えも及ばない知恵を持って私たちそれぞれの人生に必要な人との出会い、時々の仕事、生活の場所を用意される芸術家。
そして今回のそれぞれの23歳の青年らにとってもベストな環境であるのだろう。
「福音のエッセンス」
使徒の働き 9章3~9節
"ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」
同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
サウロは地面から立ち上がった。しかし、目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。
彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。"
⑴栄光の神との出会い
①天からの光〜シャカイナグローリー
地に倒れた彼に声が聞こえる(4)
それが彼を改心へと導く革命的な力を持った声
②同行した人々に同様の声が聞こえてもその実態が把握できていない
現象的経験に留まる(ヨハネ12:29、ダニエル10:7)
⑵福音のエッセンス(実態・中核)を把握した
①「主よ、あなたはどなたですか」
➡️「あなたが迫害しているイエスである」
②「しなくてはならないことが告げられる」
➡️「わたしの名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶわたしの選びの器です」(15)
⑶生涯とは、ダマスコ経験の拡大
パウロ書簡に見るキリスト理解の深化
「教会はキリストの体である」(エペソ1:23)
「御子は教会のかしらです」(コロサイ1:18)
②私という人間の源泉、意義と使命感の確立
使徒されたのは神による選定(ガラテヤ1:1)
生まれた時からの選定であった(ガラテヤ1:15)
(結論)
私どものクリシャン生涯は、キリストと出会ったその転機的経験の意味の深化と拡大にある。
絶えず個人的に神との接触、交渉、お取り扱いをいただこう。
娘たちを同行してはじめてのミッション/ビジネス/バケーション/ファミリー旅行としてヴァション島へ行ってきました。
家族の結束を表すために「同盟ゴッコ」をしているのですが、今までのトンビ同盟、ピギー同盟に加えて今朝は「ギリギリ同盟」が結成されました。ヴァション島へのフェリー出発40秒前にギリギリ滑り込んでフェリー最後尾に乗船したと言う体験からです。
彼らとのランチは当然ヴィーガンのレストランへ。
さすがにおいしい上にヘルシー!そして値段も格安。
私もヴィーガン教徒に改宗しそうです^_^
素晴らしい1日に感謝です。
We went to our first mission,business, vacation and family trip to Vashion island along with my daughter and her friend.
We have been doing “Alliance” play representing our unity as a family. This morning we established Giri-Giri Alliance adding to kite alliance and piggy alliance.
Because we made it very slightly, means Giri-Giri in Japanese, to board ferry to Vashion 40 seconds before it’s departure, got sneaking to the very end of the line on the ferry.
Of course they took me to Vegan restaurant for lunch.
Surprisingly that is a quite yummy and healthy. Also it’s a reasonable price. I feel I gonna convert myself to vegan religion almost.
What a wonderful day.
2時限目は岩崎正史氏で、ここシアトルに拠点を置くWebrain Thinktankの共同経営者。「未来の授業」と題してレクチャー下さいました。
まず冒頭から質問を投げかけられました。
「世界に冠するIT関連のグローバル企業経営者には、なぜインド出身者が多いのか」
インド人CEOのそれぞれ顔写真と名前付でモニターに映し出されます。
「どうしてインド出身なのか?」
私は咄嗟に数学教育の突出性が思いついたのです。
なんでも歴史上「ゼロ」を最初に発見した民族がインド人だった事は別としても、小学校を出る頃に彼らは19 × 19のまでの暗算を全て記憶しているというのに衝撃を受けた事がありました。
我々日本人は99暗算がやっとです。
私は「算数」と答えましたが、他にも幾人かの回答がありました。
そして岩崎氏はダイバシティーと言うキーワードを上げました。
ご存知インドはカースト制度の下での強烈な身分制社会。
ところが日本は同一民族同一宗教同一言語。その上どこの市町村行っても同質の教育内容。その上周囲の同調圧力が強いとなっては傑出したイノベーションが起こりにくいのは当然と言えましょう。
日本が国家として歴史上最大のイノベーションを起こして成功させた例が、明治維新であると言えるかと思います。
当時日本は300ほどの藩に分かれていてそれぞれに国言葉があり、教育やしきたりも違い、その上士農工商の身分制社会でした。
明治前の江戸時代ほどにダイバーシティーが進んだ日本列島は史上なかったはずです。
それゆえに日本は自ら革命を起こし、その300に分かれていた諸藩を1つに纏め上げて中央集権国家を作り、第一次大戦の頃までには世界に名だたる一等国に躍進できたとするなら、現在のインドとも相関関係が成り立つ。
岩崎氏は、その専門性から現代の日本が抱えている問題をその教育から掘り起こし、グローバル視点から数値とグラフによって他国と比較検討されて行きます。そのデータに裏付けられた解説の手法には説得力がありました。普段何とはなしに私が抱いていたことが、専門家の分析によって裏付けられたようです。
こう書くと何やら固苦しい講義のように聞こえるかもしれませんが、実際はとてもなごやかで、また笑いを取る巧みなトークに時間が経つのも忘れたほどです。
講義終了後は恒例の記念撮影。
生徒と先生が並ぶ中、熱中!のポーズで締めました。
「もう一度7歳の目で世界を」を標語にしている熱中小学校。
毎回刺激に富んだ新しい世界を垣間見させていただいています。
シアトル熱中小学校が第2期の開講を迎え、その1回目の授業に参加してきました。
第1時限目の講師は金川裕一氏。
横河レンタリース株式会社代表取締役社長で、社内ベンチャーから1000億円企業に成長させた経験から「失敗から学んだ経営の秘訣」をテーマにお話しくださいました。
理解ある社長に気に入られてベンチャー企業を発足するものの、10億円の赤字を作ってしまう。そんな中から何を原則とし、誰とチームを組み、どこに標準を置くのか、ビジネス経営の根幹、いわばエッセンスを次から次に話されて気がついてみれば1時間があっという間に過ぎていました。
ご自身の経営哲学を「幸動力」であるとして、それは「幸せ」に「働き」続ける「力」を社員に与えることを経営の中心に据えているとお話しくださいました。
社員の満足や幸せなくして企業の成長は無いのであり、最小限の投資で最大のパフォーマンスを発揮させるのが経営者の仕事であるとレクチャー。
氏はカリフォルニアに年に4-5回来られていると聞いていますが、今回シアトル訪問は初めてとのこと。
熱中小学校関係者から声がかかると、まさに手弁当で来てくださったとのこと。
有益な講義を感謝します。
「からし種ほどの信仰」
ルカの福音書 17章4~10節
"一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい。」
使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」
すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。
あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。
むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。
しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。
同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」"
⑴信仰を増してください(5)
①弟子たちの願い
主のの行動と行いについていくには信仰が必要であると感じた
②到底実践的出来そうにもない教え
1日に7度許しなさい
罪を犯しているものを戒めなさい
⑵からし種ほどの信仰(6)
①ユダヤ的文学表現〜巨大な困難の比喩
その困難の克服は信仰の大小ではなく有無による
②信仰による偉大な業績
その資源はすべて神から来るので私どもは無益な僕であるとの立ち位置を保たねばならない
⑶信仰がいやしたのです(19)
① 10人のうち1人(サマリヤ人)だけが感謝のために戻ってきた
9人はどこにいるのか(17)〜彼らの信仰はイエスを利用するだけのご利益信仰
②サマリヤ人はイエスへの人格的な信頼があった
それ故肉体的救いばかりでなく霊的な救いにも預かっている。感謝と言う行為は信仰の表れ
(結論)
神の前における自分の分をわきまえなくてはならない。神の資本を使用させていただいている私たちは、決して「何かを仕上げた」と言う意識に立ってはならない。
「麒麟が来る」
ついに始まりました。
先週第一回目を見てその感想をアップしようとしていたら既に1週間が過ぎ去った。第2回目はまだ見ていないので、その前に駄文書いてみようかと。
舞台となっている当時の世界は、応仁の乱後の荒廃した京都と戦国乱世のなんとひどい世の中であったことか。野盗による村落の襲来、殺人強盗強姦また人身売買が日常的に頻発していた時代。
ドラマも何とかそのような戦国の悲痛さを戦いの中で見せようとの努力がうかがわれる。しかし登場人物の人間味溢れる姿やその綺麗な顔立ちから、ちぐはくさを感じてしまうのは、求めすぎているのか。
この乱世を治めるヒーローが大衆から求められ、そのヒーローはキリンを連れてくると言う伝説が紹介される場面があった。
明智光秀はこれまで融通が効かない堅物、衝動的に本能寺の変を起こした精神角乱者、主人への裏切り者とのレッテルが貼られてきた。
今回のドラマでは、その乱世を終わらせ戦さのない世を造るヒーロー役として描かれるらしい。
大河ドラマはそのようなヒーロー役が登場しないと視聴率が稼げない。
この点、司馬さんがその歴史小説の中でSpotlightを当てる人物描写と似通っているように感じる。
「すると彼の目は輝いた」
サムエル記 第一 14章24~30節
"さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。
この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。
兵たちが森に入ると、なんと、蜜が滴っていたが、だれも手に付けて口に入れる者はいなかった。兵たちは誓いを恐れていたのである。
しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。
兵の一人がそれを見て言った。「あなたの父上は、兵たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵たちは疲れているのです。」
ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。
もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」"
⑴父はこの国を悩ませている
①サウル王の抜擢とその能力
容姿、謙遜の美徳を兼ね備えていた〜Ⅰサム10:23
②宗教的儀式や形式には熱心である
戦いの前のいけにえや祈り〜13:9-10
⑵私の目はこんなに輝いている
①2世としてのヨナタンの素養
父の宗教的束縛には陥っていない
ノルマや罰則を定めることで部下からの成果を期待するサウルの目論見(24)
②ひたむきで純粋なヨナタンの信仰(13:6)
指導者の言われるままの思想に染まり、自分の頭で考え判断できないカルト信者の犠牲者と比較。
⑶この蜜を少し味見して見ただけで(29)
①信仰の杖を取り蜜(聖書の言葉)を味わえ
②エネルギーに溢れたヨナタン
疲労した人達との比較(30)
(結論)
御言葉に生かされてゆくその経験値が力を生み出し勝利へと
す
「わたしの顔はいつもあなたとともに」
出エジプト記 33章14~23節
"主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」
モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。
私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」
主はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」
モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
また言われた。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」
また主は言われた。「見よ、わたしの傍らに一つの場所がある。あなたは岩の上に立て。
わたしの栄光が通り過ぎるときには、わたしはあなたを岩の裂け目に入れる。わたしが通り過ぎるまで、この手であなたをおおっておく。
わたしが手をのけると、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は決して見られない。」"
⑴行くべき道はどこに
①誰がイスラエルの民を導くのか分からない不安(12)〜神ご自身ではなく御使いを代わりに立てるとされて(2-3)
②「わたしが道である」(ヨハネ14:6)
その道がわからないとのトマスの疑問(ヨハネ14:5)
知っているはずだ、と仰せらた主。
⑵わたしは神にかなっているのか
①お心にかなっているのだろうかとの不確かさ(13,16,17)
②失敗を預言されたペテロ(ヨハネ13:37-38)
なおも主はその彼を「友」と呼ばれ、選ばれたことを確かな事とされた(ヨハネ15:15-16)
⑶神ご自身を見てみたい
①栄光を見せてくださいとの求め(18)
あらゆる善をあなたの前に通らせるとの約束
「善」とは栄光のことであり、ご自身の名誉と存在をかけての誓い
②「私たちに父を見せてください」とのピリポの要求(ヨハネ14::8)
私を見たものは父を見たのです(完了形)とイエス様
(結論)
「わたし自身が一緒に行ってあなたを休ませよう」
この直訳は、
「わたしの顔がいつもあなたと共にある」となる。
人の持つ究極的な求めであるこれら3つは、このお言葉に解決を見出せる。
「安息を与えよう」
出エジプト記 33章12~19節
"さて、モーセは主に言った。「ご覧ください。あなたは私に『この民を連れ上れ』と言われます。しかし、だれを私と一緒に遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身が、『わたしは、あなたを名指して選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と言われました。
今、もしも私がみこころにかなっているのでしたら、どうかあなたの道を教えてください。そうすれば、私があなたを知ることができ、みこころにかなうようになれます。この国民があなたの民であることを心に留めてください。」
主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」
モーセは言った。「もしあなたのご臨在がともに行かないのなら、私たちをここから導き上らないでください。
私とあなたの民がみこころにかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。それは、あなたが私たちと一緒に行き、私とあなたの民が地上のすべての民と異なり、特別に扱われることによるのではないでしょうか。」
主はモーセに言われた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名指して選び出したのだから。」
モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」
主は言われた。「わたし自身、わたしのあらゆる良きものをあなたの前に通らせ、主の名であなたの前に宣言する。わたしは恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」"
⑴道をお教えていただくことによる
①荒野の中に道はない
これまでは雲の柱が行くべ道に導いてくれた
②「わたしが道である」(ヨハネ14:6)
イエス様をより深く知ることが安息につながる
⑵みこころにかなってる事を確認して
①「名指しで選び出した」(12、17)
②救いの1側面として神の選びによって信仰に立ったこと。マタイ11:27。
⑶栄光を仰ぎ見ることで
①主の名を宣言された
ヘブル的に名は実態実質を著している
主ご自身を啓示されること
②日々の信仰の更新であり刷新の営み
(結論)
新年を迎えるにあたって私たちも新たな決意を持って臨みたい。主が与えて下さる安息に憩うものとされ、この約束に生きるものとされよう。
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