歌の文句ではないが・ みどりの風も さわやかににぎるハンドル ・・ 帰宅途中(もくもく広場)で、森林浴・日光浴で休憩した。 芝生を横切ってくる風に独特の(緑の香り)がする。 数種類の鳥の鳴き声もこだまする。 鳴き声の下手の鳥も数多くいて面白い・ 反対する人の苦情で商店街の(ツバメの巣)が撤去されたので、今年はツバメが、見られない。
4月30日の投稿から・・<歯が欠けた> 正月に(奥歯)が欠けて応急処置をした。数日前に(下の歯の一部が欠けて・ブリッジの入れ歯)が怪しくなってきた。 朝食中に欠けた歯の大部分が欠けて入れ歯がガタガタになった。 当日(あい歯科)に出治療を開始・どのようになるのか分らなかったが本日(義歯)が出来た。(ブリッジ)を予想していたのでびっくりした。 (クラウン・ブリッジ)と言う義歯で2年間維持管理を実施てくれるそうだ。 帰宅後、トーストを食したが違和感・痛みもなく・久しぶりにおいしい食事ができた。
中杉通りが出来る前は、バス通りがクランクで鷺宮方面に伸びていた。 クランクの角に(ケーキ好味屋)が営業していた。 母親の従弟の(松倉さん兄弟)のフランス仕込みのケーキが人気だった。 店舗が手狭になって、昭和25年頃、我が家の向かいの長姉宅の庭先に工場を建築した。 記憶は定かではないが、工場の中心に樹木があった? その後、荻窪や三鷹にも支店を出して有名店になっていたがいつの間にか無くなった。 調べてみたら・・ 〇南阿佐ヶ谷で、関係者が営業しているようで、超人気店で高校などでも販売している。 〇弟の正さんは分離して、小田急線の柿生で(ミツバチ)を開業し倅が継続している。こちらも超人気店だった。 現在の店主とは面識もないが親族として嬉しい。
小生は当初から屋外ではマスクを着用していない。 現在は屋内でも(着用義務付けの施設)以外では着用しない。 一部の人からは警戒されるが気にしない。 以前から 集会などで気になっていたが、マスク着用者と話をしていると(異様な空気で口臭)が気になる。 本人は気が付かないだろうが(マスク内は雑菌の巣?)・食事後の歯磨きや適度のうがいなどで、口中を清潔に保たないとまずいのではないだろうか? 先ほどであった知人も(ノーマスク組)で意見が一致した
昭和15年生まれの小生は、東京府東京市杉並区で生まれた。 昭和18年東京都杉並区に名称が変わった。 〇1871年(明治4年)- 現杉並区にあたる地域の東京府への編入成る。 〇1872年(明治5年)- 現杉並区にあたる地域が神奈川県に移管される。 後の東多摩郡(現杉並区・中野区)に相当する地域32村が東京府に戻る運動を展開して東京府の管轄に戻される。 9月10日(10月12日)に編入成る 〇1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、高円寺村、馬橋村、阿佐ヶ谷村、天沼村、田端村および成宗村が合併し、東多摩郡杉並村が発足する。 〇1896年(明治29年)4月1日 - 東多摩郡および南豊島郡が合併し豊多摩郡となる。 〇1924年(大正13時年)- 町制施行し杉並町となる。 〇1932年(昭和7年)- 和田堀町、井荻町および高井戸町とともに東京市へ編入され、杉並区が発足する[ 〇1943年(昭和18年)- 東京都が成立し、東京市は廃止。東京都制施行により東京都杉並区となる。
(世尊院は宝仙寺の子寺) 小学校4年生の時・同じクラスの(高橋さん)が境内に住んでいた。 お父さんは何をされていたの((かくれんぼ)で遊んだ記憶が読みがった。 HPを見て初めて知った。 中杉通りが完成する前は突き当りだった。 ご両親は何をしていたのか分らぬが同級生の高橋さんが住んでいた。 当寺院は、1429年頃にそれまで阿佐ヶ谷の地にあった宝仙寺(この頃に中野坂上に移転し、現在に至っている。)の子寺として創建されたと言われている。 江戸時代には除地450坪を賜っていた。 かつては天祖神社(現・阿佐ヶ谷神明宮)の別当寺で、祇海という名の住職の時代に、お伊勢の森(阿佐谷北5丁目)にあった天祖神社を寺の隣に移したと伝わる[ また、天沼熊野神社の別当寺でもあった。 現在の本堂は1935年のもの。1973年に傍を走る中杉通り建設のため現在地に移築された。 現在では中杉通りを挟んで東側に本堂が、西側に墓地、観音堂などがある。明 治時代から大正時代にはかつての杉並村の役場が当寺院の境内に置かれたこともあった。
(東京府豊多摩郡杉並町) 曾祖父関係の資料を整理していたら・ 鹿児島県薩摩郡宮之城町(現在のさつま町)認証の除籍原本が出てきた。 平成拾五年参月七日認証・・ 昭和7年生まれの従姉の住所が・・東京府豊多摩郡杉並町大字天沼になっていた。 昭和15年生まれの小生は・・」東京都杉並区阿佐ヶ谷3丁目になっていた。 何時切り替わったのかは不明だがびっくりした・
(セブンスデイ・アドベンチスト教会) 1896年(明治29年) SDA教団(プロテスタント系キリスト教)の宣教活動開始。ウィリアム・C・グレンジャー宣教師来日。 2年後、東京麻布に「芝和英聖書学校」開校。 1919年(大正 8年) 東京杉並村天沼に(天沼学院)開校。小学、中学、高等部を併設。その後(三育学院9)名称を変更した。 明治30年頃・会津若松市郊外で農業の祖父孫太郎(3バカ兄妹)が、入信して東京との2重生活を始めた。 子供たちは全員小学校入学時から東京での生活・・多分全員杉一で学んだらしい?)・小生の大先輩になる。、 中学は姉3人が(女子学院)・兄と母親が(天沼学院)・弟と妹2人は立教で学んでいる。 いずれもキリスト教関係の学校です。 母親の話では、上京したころの阿佐ヶ谷近辺は、地名が示す起伏に富んでいてあちらこちらに(池・沼)が多く、タヌキ・キツネなどの小動物を年中見られた。 土地の価値もなかったようで(祖父の弟・深沢孫次)が寄付して現在の(病院と教会の敷地)が購入できたようだ。
講師は先週に続き(目黒の浅山美樹さん) 今朝は腰痛・腹痛なので、パスしようと考えたが、さぼり癖は退化に挑戦した。 始めたら従来通り・ロボットだが45分完走できた。 相変らず運動神経が鈍いので講師と反対の動きが多く自身でも何度も途惑った。 誰も見ていないから体裁を気にすることもなくマイペース・ ありがたい企画です。
<母の日の想い出> 白いバラの花言葉は? 白バラは白のイメージにぴったりな「純潔」、「深い尊敬」などの花言葉を持っています。 ほかにも「相思相愛」という花言葉を持っており、「これから相思相愛になりたい」という気持ちを込めて、片思いの相手に贈るのにおすすめです。 小学校4年生の時・Tさんが(白いバラ)を選んだ。理由を尋ねると涙目で(母が亡くなって叔母さんの家て暮らしている)と聞き.可哀そうに、なんで区別するのかと考えて涙が出た。 以後70数年(母の日)になると思いだす。 40年くらい前に(Tさん)に話をしたら当人は忘れていてほっとした。 そのような環境だったのか彼女は20歳で結婚した。 近年同窓会も開催しないので同級生の動向も分らなくなった。