今年もツール・ド・フランスが始まった(第101回目)。
昨日(5日)、初日・・プロローグは、英国・ヨークシャーからリーズまで190.5km。
第1ステージ、開幕スプリントを制したのは、マルセル・キッテル(ドイツ、ジャイアント・シマノ)
2年連続の第1ステージ制覇!!(画像1)。これ又すごぉ~い~~~!
今年も日本人では、新城幸也(ユーロップカー)が参戦している。とても楽しみだ。
扨々、このレース、個人的にもとても感慨深いレース。
レースを知ったのは、40年も昔のこと。
1968年12月六本木にフランス菓子専門店「A.ルコント」が開店。
日本で初のフランス人パティシエのフランス菓子専門店。
オーナーシェフパティシエ、アンドレ.ルコントさん、愉しい方だった。
その名店「A.ルコント」が、2010年9月26日(日)に閉店。
閉店前の6月にツール・ド・フランスを記念してのお菓子のイベントがあった。
仏蘭西の伝統ある調理の専門学校”ル・コルドン・ブル-”と
仏蘭西の伝統的地方菓子の普及に取り組む“クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ”
が共催で自転車レースから生まれたフランスの伝統菓子「パリ・ブレスト」(画像2)、
そして仏蘭西の地方菓子を紹介するイベント。
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ、ル・コルドン・ブルーのシェフパティシエ。
超一流のパティシエが、個性ある「パリ・ブレスト」と様々な地方菓子を披露した。
この両団体と深い関係を持ちフランス料理アカデミー日本支部の初代会長を努め、
日本に仏蘭西菓子文化を紹介し続けた“Andre Lecomte”さん。
この方を抜きにして菓子「パリ・ブレスト」や「ツール・ド・フランス」は、語れない(僕個人)。
故アンドレ・ルコント氏が、お菓子や料理を通じて日本に伝えたフランス文化。
彼のエスプリの効いた会話が懐かしい。
このケーキ、”パリ・ブレスト”は、ツール・ド・フランス(Tour de France)ゆかりのお菓子と聞いた。
ツールの前身レース(モデルになったレース)1891年にパリとブルターニュ地方の町ブレスト間で、
「パリ・ブレスト・パリ」(PBP)が行われた。 パリ~ブレスト間の約1200kmを90時間以内に往復する。
伝統菓子の名称の由来は、諸説あるらしいがこのレースの開催を記念して作られたと言うのが有力な説。
パリのロングイユ通り(コース沿道)にあった「メゾン・ラフィット」という菓子店の職人、
ルイ・デュラン氏が考案したと伝えられている。
※ツール・ド・フランスは、スポーツ新聞ロト(L'Auto・今のレキップ紙)がライバル紙に対抗して企画されたのが始まり。自転車レースを企画していた他社とは、ル・プティ・ジュルナルがパリ~ブレスト往復、ヴェロ紙がボルドーパリを主催していた。
この中で最も古いのが”パリ・ブレスト・パリ(Paris-Brest-Paris,PBP)、1891年に第一回大会が開催されている。このレースをモデルにして出来たのがツール・ド・フランス、つまりは、フランス一周レース。※
仔細は別にして、こうした事を教えてくださったのは!40年年以上昔・学生時代。。。
当時、六本木の”A.ルコント”で、オーナーのAndre Lecomteさんから教えて頂いた。
東京オリンピックの仏蘭西菓子シェフとして来日、終生、日本での仏蘭西菓子発展に寄与した方である。
彼のエスプリに富んだ会話が懐かしい。
当時、ロードレーサーで訪れ2階のサロン・ド・テで飲食する者などいなかったからか??
頂いているケーキに色々と解説をしてくださった。その一つが「パリ・ブレスト」だ。
リング状に絞ったシュー生地にクレーム・プラリネを挟んだ姿は、自転車の車輪をイメージしている!?!
上には、アーモンドスライスをたっぷり振りかけて。。。
又、上にアーモンドが無く中にクレーム・シブーストを使ったものはパリ・ニースと呼ばれている。
中に挟むクリームにもイタリアンメレンゲを加えた軽いバタークリームを使ったり、カスタードを加えたり、
シャンティを加えて軽やかにしたり。。。
お店によって、シェフによって少しずつアレンジされて楽しい。
*パリ・ブレストそしてパリ・ニース・・共に現役のロードレ-ス*
A.ルコントさんのパリ・ブレストは、クレームパティシエールにバター、
プラリネ、シャンティー、イタリアンメレンゲも加えた、スペシャル・クリームだった。
”クレーム・パリ・ブレスト”としか言い様がないかも・・とルコントさんは、解説していた。
手間がかかるためか、お菓子屋さんで余り見かけない。
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ(フランスの伝統菓子の継承や普及のための団体)が、
ツール・ド・フランスに合わせて7月(2010年のこと)にプロモーションして、
クラブ会員各店に”パリ・ブレスト”を店頭に登場させたとか。。。
多くは、プティガトーサイズ、夏場に合わせシャンティー・オ・プラリネの軽いクリームだったりと、
シェフも時代の嗜好に合わせて、伝統をベースにしながら試行錯誤されていたようだ(友人情報)。。
・・・ケーキ好き・ツールファンには、溜まらない!!
A.ルコントと云えば今一つ、思い出のケーキがある。
Eufs à la neige souce anglaise (ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)。
A.ルコントさんは、伝統的な菓子職人。ムッシュ・ルコントと言える風貌だった。
僕の好きだった、2つのケーキ・・・
Eufs à la neige souce anglaise(ウフ・ア・ラ・ネージュ、ソースアングレーズ)
Paris Brest(パリブレスト)
六本木の小さなお店の2階・サロン・ド・テでの会話を思い出す。
パンも素晴らしかった。特にA.ルコントのクロワッサンは、絶品だった。
日本国内で、あれを超えるものを食した事がない。
昭和は、遠くなりにけり・・・だ!!
André Lecomte(アンドレ・ルコント)さんは、
1931年 フランス・フォンテーヌ・ブロー生まれ。13歳で菓子職人の修業を始める。
1956年 ホテル・ジョルジュサンクのシェフパティシエに就任。
1963年 ホテルオークラの招聘で来日。
1968年12月17日 六本木に日本初のフランス人パティシエのフランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。
1968年 フランス料理アカデミー日本支部創設のために尽力し、初代会長を務めた。
1978年 店舗を六本木から青山に移転。
1994年 「ブラッスリー・ルコント」を青山にオープン。
1999年 逝去。
その後は、奥様ががんばっておられたが、、、閉店を決断された。
僕の学生時代・・・フランスの街角にあったサロン・ド・テ、そのものだったケーキ屋さん。
懐かしく思いだすが、淋しい限りだ。。