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<新宿鮫>シリーズも、1作目の『新宿鮫』(1990年:光文社カッパ・ノベルス)からはや10作目になっています。
1作目から8作目までは、(光文社)から「カッパ・ノベルス」の体裁での発売でしたが、9作目の『狼花』と本書『絆回廊』は、根強い人気があるのでしょうか単行本での発行です。
キャリア組でありながら警察組織での出世にも関心が無く、警察の内部抗争に巻き込まれてはぐれ状態の立場を貫いている<鮫島>警部が主人公で、自分流の捜査方法で確実に事件を解決していく姿は、全編を通じて変わりません。
恋人として12歳年下のロックバンドのボーカル<青木昌>がいますが、本書ではバンドのメンバーが麻薬使用で逮捕、警察の面子のために<鮫島>とは別れたたこととして本書は終わっていますが、この後の展開は次作まで待たなければいけません。
一匹狼の<鮫島>の理解者である上司の<桜井>は、昔の事件がらみで本書で殉職してしまいます。
20数年ぶりに刑務所を出てきた男を中心に物語は始まりますが、この男を待ち続けていたけなげな<語り手>のどんでん返しが以外で、楽しめました。
表向きは投資会社であるながら、実態は対テロ対策の秘密組織の「ザ・キャンパス」ですが、メンバーの<ジョン・クラーク>は、9・11の首謀者<アミール>の捕獲に対して違法な拉致をしたことにより、FBIから指名手配を受けてしまいます。
きな臭い情報で、パキスタンに潜入した「ザ・キャンパス」の<ドリスコル>はテロ組織に捕虜となり、ドバイではパキスタンとインドの全面戦争をもくろむ<リアズ・レハン>が不審な動きをみせ<ザ・キャンパス>のメンバーは息つく暇なく、活動を余儀なくされてしまいます。
並行してインドでは高速道路でテロ行為が発生、パキスンタンでは、核爆弾が輸送中に強奪され、ロシアの「コスモス宇宙飛行社」のシンパ<ゲオルギー>は衛星打ち上げのロケットに核弾頭を載せ、モスクワを狙ってイスラム国家の再興を狙うのですが・・・。
全4冊の『ライアンの代価』ですが、限られた文字数では細かい内容が紹介できないのが残念なのですが、次作につながる終わり方で、これまた続編が楽しみなシリーズです。
前作を引き継ぐ形で物語は始まりますが、単独の小説として十分に楽しめる内容になっています。
9・11のテロの黒幕<アミール>を捕獲して、FBI管轄のもとフォローレンス連邦刑務所に入獄させた<ジャック・ライアン>は、再度大統領を目指して現大統領<エドワード>と11月6日に行われる大統領選挙の選挙活動に精力を注いでいます。
現大統領と対テロ政策が対立している中、民間の秘密機関<ザ・キャンパス>は、要警戒テロリストたちがフランスに結集している情報を得て、急きょ奇襲作戦で問題を解決、誰にも知られることなくアメリカに戻ってきます。
大統領選挙の流れを主軸に据え、パキスタン・ロシア・インドを舞台に暗躍する各種諜報機関とテロ集団の名称がこれでもかと入り乱れながら、読者を後半の(3&4)へと期待を抱かせるように誘い込ませるのは、さすがインテリジェンスの大御所です。
大学講師の<真壁弘平>は、新しく購入したマンションに移り住んで間もなく、「しずかにしろ!」というクレームが書かれた手紙を受け取ります。
息子の<智也>のゲーム音かもしれず注意していたのですが、嫌がらせはエスカレートしてゆき、玄関の前に鳩の死骸などが置かれ、同じマンションの住人<釘宮勝江>を犯人だと決めつけますが、確たる証拠はありません。
相次ぐ隣人トラブルの最中にもかかわらず、自らも大学を解雇されてしまい、不安定な日常生活の中、8年前にマンションで起こった自殺事件が浮かび上がります。
<真壁>と同じマンションの新任理事でありジャーナリストの<阿久津>は、この自殺事件を調査中に、自殺と判定される不審死で無くなります。
同じひとつの屋根の下に住むマンションの住民同士のトラブルを縦軸として、引きこもりの<智也>との親子関係が絡み、中年の悲哀と家庭環境が描かれた作品で、複雑な人間模様が楽しめました。
北海道に住む祖父が危篤との知らせを受け、<僕=伊原洋>は、大阪の住む離婚した「はとこ」の<歩美>と共に、父親の生まれ故郷の紋別へと向かいます。
<僕>の父親<伊原幸夫>は、10年ほど前にチェンマイに行くと連絡があったきり行方不明のままですが、伯父から遺産相続の件もあり、なんとか<幸夫>を見つけてほしいと依頼されてしまいます。
北海道を捨て「ナイチ」の神戸でブローカーまがいの仕事に手をだしながら、女性問題で離婚、自由奔放に生きた父親の生きざまを、<歩美>との関係を含め、自分の記憶を確かめながら、自分にとっての父親像を確認する場面が<僕>の語り口で丁寧に描かれていきます。
北海道を捨てた父と神戸という「ナイチ」で生まれた<僕>の故郷とは、血のつながりとは何かを求める構成で、描かれた時代背景と<僕>の年齢を重ね合わせますと、まさに神戸生まれの著者の自伝的小説かなと感じさせる力作です。
12話の短篇からなる構成で、たいてい短篇集のタイトルはその中の1編の作品名が付けられている場合が多いのですが、本書は全く別の表題になっています。
独立した12話で連作短篇ではありませんが、各短篇の主人公たちが、それぞれの作品の登場人物と何らかの関係でリンクする構成であることが分かり、表題の意味も自ずと理解できました。
12編に登場する主人公たちは、それぞれに違う職業で人生を歩んでいますが、ふとしたきっかけで歩んできた想い出に立ち止まり、また自分の人生観で歩み始める姿が優しく描かれています。
『足の速いおじいさん』では、建築学科を卒業した<七海>のおじさんは、海外に飛び出したままその後行方知れずになっています。<七海>が家庭教師をしている<繭子>から聞いた話で、公園にいるホームレスは行方不明のおじさんではないかと按ずるのですが、同じ建築学科卒業としては心痛む作品でしたが、作者の優しい目線に救われました。
「カソウスキ」という言葉に「ん?」と感じ、手に取りました。
著者は、『ポトスライムの船』にて、第140回芥川賞(2009年下半期)を受賞しています。
表題作をはじめ、3篇の作品が収録されていますが、どの作品も旨いシャンペンを感じさせる味わいで楽しめました。
「カソウスキ」は「仮想好き」の意味であり、本社から郊外の倉庫勤務に左遷させられた<イリエ>は、28歳の独身で彼氏はいません。
倉庫業務は残業もなく、同僚の<藤川>は妻子持ち、もう一人の<森川>が独身だと言うことで彼氏と仮定して仕事に励んでいる心情を、明るく描き切っています。
他の二作品についても、20代の男女の恋愛感が素直に語られており、ストイックでユーモアのある語り口がどの作品にも感じられ、さわやかな読後感が残りました。
第1部の 『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女(上・下)』 に続く第2部が、本書『ミレニアム 火と戯れる女(上・下)』です。
前作で苦境に陥った経済誌<ミレニアム>の記者である<ミカエル>は、フリーの調査員<リスベット>のたぐいまれな調査能力で依頼された事件を無事に解決しますが、彼女は12歳の頃に起こった「ある事件」により、無能力者扱いをされ、後見人をつけられる立場に置かれています。
無事に記者として<ミレニアム>に復帰した<ミカエル>は、幼い少女の人身売買と売春に従事させられる実態をあばくべく取材を進めている<ダグ>とそれを論文にまとめる恋人の<ミア>と共同作業を進めていましたが、ある日<ダグ>と<ミア>は銃殺され、その現場には<リスベット>の指紋が残された拳銃が残され、また<リスベット>の後見人である弁護士も死体で発見されます。
警察に殺人犯として指名手配を受ける<リスベット>ですが、彼女の無実を信じ、それと並行して人身売売買に関与する謎の人物<ザラ>を追い求める<ミカエル>の息詰まる攻防が物語を盛り上げていきます。
隠された衝撃的な<リスベット>の人生が語られると共に、終わり近い部分の読者を奈落の底に落とすような出来事が起こりますが、この先どうなるのかという不安な気持ちのまま第2部は終わりました。
結末は、第3部に引き継がれていますので、今後の楽しみに残しておきます。
4年前、野球の試合中の事故で膝を痛め引退した元プロ野球選手<秋草隼>は、恋人の小説家<田代塔子>の仕事を手伝って暮らしていました。
ある日、大学時代の野球部の先輩<栗林>がGM(ジェネラルマネージャー)をしている「バーバリアンズ」でコーチーをしている<峰村>から、現場復帰の話しを持ちかけられます。
どうやら「バーバリアンズ」の日本を代表するスラッガー<立花>が、ドーピングをしているという噂があるので、選手としてチームに入り、調査してほしいという依頼でした。
<秋草>は一度は断りますが、まだ32歳という若さで野球に未練があり、スパイ役として一軍選手としての調査が始まります。
プロ野球業界の商業ベースでの野球経営を主軸に、<秋草>自身の再起を掛けた男の奮闘が交差する野球ミステリーとして、楽しめる一冊でした。
初めて死刑判決に対する再審無罪が確定したのは「免田事件」の<免田栄>さんですが、先月3月27日(木)、1966(昭和41)年に起こった強盗殺人放火事件、いわゆる「袴田事件」として有名な<袴田巌>さんの死刑および拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定されています。
本書は、「罪とはなにか、罰とはなにか、そして死刑とは」の視点から、著者の独自の取材で構成されたルポルタージュです。
世界的な流れは死刑廃止国が増えているようですが、その中で日本はいまだ死刑制度が存続しています。著者は積極的に存続派・廃止派の取材を進め、また死刑確定囚の面会を通して、日本国民としての読者に死刑制度の現状と疑問を投げかけています。
「オウム真理教サリン事件」のように明らかに犯罪の立証に疑問の余地のない事件から、冒頭で述べましたように冤罪とおもわれる事件までがある現状を俯瞰して、死刑制度の本質を見直すにはいい一冊でした。
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