いかがですか、日本初の水陸両用車での神戸市内観光。メリケンパークの中突堤から、居留地・異人館街を回り、海上から神戸港を眺め、ハーバーランドに上陸いたします。
ジェイムズ・ボンドの車のようなスピード感を期待してはいけません。陸上では40キロ、海上では約3ノットのスピードですから、のんびりとした遊覧になります。
昨年10月から営業を始められて半年。アメリカから仕入た「スプラッシュI号」1台だけでの営業で、1日4回の観光ルートーが組まれています。なかなかの人気で、予約が取れないとか。
写真を撮る方も、交通事情や天候に左右されるため、「この時間」がないので、気長に待ち構えてなければいけませんでした。
前例のない事業を始めようとするには、日本は規制が厳しかったようで、事業として開業するまでに2年ほど要したみたいです。
陸にあがれば、お兄さんがホースで海水を洗い流す時間が必要みたいで、なかなかボンド映画のようにかっこよくはないですが、ガイド嬢がうまく時間を持たせている様子でした。
ちなみに大人料金は、¥3000です。
4月7日から、神戸におきまして海洋の科学技術に関する国際コンベンションが開催されておりました。
昨日中突堤において、調査船の一般公開をしているとのことで、見学してきました。
港町に住み、船とは身近に接する機会が多いのにも係わらず、タラップでの乗船にはいつもワクワクしてしまいます。
無人探査機「かいこう7000」の母船としてだけではなく、深海・海溝域の総合的な調査観測船としても、高い機能を備えています。
1997年建造、当時の「シップ・オブ・ザ・イヤー準賞」を受けている船で、製造は神戸の川崎重工業です。
船内は最新機器類がびっしり。基本的な質問にも、丁寧に船員さんが説明をしてくださり勉強になりました。
これも独立行政法人になった、いい面なのかもしれません。
トアロードに面した中山手地区で進められています再開発ビルも、外観的に完成してきました。高さ123.4M、地上35階建て、340戸の規模です。
何もない造成からの工事では、何も感じず、何も気に留めることはないと思います。
今までのその地区の顔が失われ、路地裏の雰囲気も消え去り、馴染んだ光景が無くなってしまうのは、寂しいものです。
そんなことを感じながら歩いておりましたら、工事前の看板地図を見つけました。真ん中あたりの白い部分が、現在工事中の敷地です。
この地図に見えていますが、料理の美味しいバー「リトルモー」は、すぐ近くのレンガタイル貼りのビルに早々と移転されています。
1年ほど前に伺ったときには、新しいビルに入るのかは、あやふやなご返事でした。
20数年前までは、隠れたお好み焼屋の「千代」も今はすっかり有名になってしまい、足が遠のきました。店の奥の小座敷にあがり、おまかせの台湾料理が、お母さんの裏メニューでしたが、お好み焼き以上に有名になりすぎました。
その「千代」も「金宝酒家」との共同プレハブで営業を続けられ、この秋の完成を待たれております。
再開発ビルの向かい側の中華の「友屋」も、ビルが完成すると移転されると聞いています。
こじんまりとした雰囲気のお店で、くたびれ感がなんともいえなかったんですが、残念です。
この地域は戦前から華僑の方が多く住んでおられ、新しいビルでの再出発のお店が多くなりそうです。
昔馴染みのお店の思い出も大切でしょうが、街はまた新しい活気で生まれ変わり、次の世代に違った思い出を残していくのでしょう。
医師として30代から鬱病に苦しみ、老父の介護に疲れ、何度かの自殺願望を乗り越えてきた著者ですが、あいかわらず研ぎ澄まされた文章が一人称の「僕」や「わたし」がないままに書かれた8つの短篇が納められています。
表題作にもなっている『こぶしの上のダルマ』は冒頭の1章ですが、著者が13歳まで暮らした生家に一年ばかり一緒に遅らした盲目の<おときばあさん>の思い出話が綴られ、最終章の『麦草峠』において、<おときばあさん>を理解する章で終わります。
それぞれが独立した短篇ですが、著者の心の葛藤を、生家がある廃村とそれらと関連する山の話を絡めながら、自らの存在意義を確かめる作品が連作でまとめられています。
各短篇にでてくる登場人物も個性的で、沖縄から来た研修生<東門真砂子>や、大きな田んぼを耕す百姓の<西野>など、相手との会話は反面著者の考えを表しているようで、飾り気のない文章が心に奥深くしみ込む一冊でした。
本日11日から、5月25日まで、六甲アイランドにあります小磯記念美術館で、「小磯良平聖書の挿絵展」が開催されます。
神戸市が生んだ日本を代表する洋画家ですので、一度はどこかで作品を楽しまれたことがあるでしょう。
地下街の駅のポスター掲示で、前々から気にしていることがあります。
公共の場所ですから、勝手に関係のないポスターを貼られては困るというのは、よく理解できます。
ただ、むやみやたらに検閲されているのか、流れ作業でいい加減なのか、ポスターごとに承認のシールの位置がバラバラです。
単なる1枚の宣伝ポスターといえども、製作者は頭を悩まし、考えられた作品です。
まして、絵画のドマンナカやサインに掛るような場所は避けて頂きたいと、無粋な処理に唖然としています。
限られた期間だけのポスターでしょうが、もっと粋な方法はないものでしょうか?
今日は映画評論家、淀川長治さんのお誕生日です。
重ねて、亡くなられてからはや今年で10年。来年は生誕100年に当たります。
神戸も街中の映画館がなくなり、シネマコンプレックスとかの名前で、一つのビルの中で、こじんまりと少人数で観る映画になってしまいました。
映画館だかろこその迫力感が、感じられません。
新聞会館を筆頭に、阪急会館や朝日会館の大きな空間が、懐かし世代になってしまいました。
映画業界の低迷を受けてでしょうか、淀川さんが大好きだった新開地でさえ、「淀川」さんの名前を聞くことはありませんでした。
来る生誕100年の企画として、何か進んでいるのなら、淀川フアンとしては嬉しいことなのですが。
「ええとこ、ええとこ、聚楽館」と謳われた、映画の街新開地の全盛期は、遠い記憶になってしまいました。反面、新しい飲食店が色々と開店してきています。
そんな時代の流れをじっと見守っているのが、もの言わぬ電柱の一枚のプレート君でしょう。
神戸市立王子動物園で飼育されてました、国内最高齢のインド象の諏訪子が、飼育員に見守れながら今朝方亡くなりました。
昭和25年7歳で神戸の諏訪山動物園に来神、王子動物園に移される機会に「諏訪子」と命名、長く神戸市民に慕われてきました。年齢は65歳、人間でいえば100歳を超える大往生だそうです。
3月頃から体調を崩し、4月初めには寝たきりになっているとの報道がありましたが、「やはり」という思いで、ニュースを聞きました。
王子動物園は桜もきれいな所で、今年も多くの方が来園されたでしょうが、諏訪子の姿は檻の中で見ることは出来なかったでしょう。
飼育歴では、井の頭動物園の「花子」が62年という日本最長の記録を持ち、かつ最高齢のインド象になるはずです。
遠足・写生会等の学校行事、また家族でと、神戸の誰もが接したことのある諏訪子、冥福を祈りたいと思います。
お別れ会が催されるとのことですが、多くの市民の参列があるはずです。
ご近所にある桜(?)の木です。
驚いたことに、一本の桜の木なのですが、米色と白色の、二色の花びらが交ざり合って咲いています。
驚きながら「エエッ!!」と眺めては、通り過ぎております。
ひとつの花びらが二色に咲いているのは梅などは見たことはあるんですが、1本の同じ木から白色の花びらの枝、紅色の花びらの枝と別れて咲いているのは、本当に不思議な現象です。
1本の木で二植楽しめる桜の木、名前の付いている品種なんでしょうか、気になる品種です。
ようやく神戸も桜が満開です。
自宅から山陽東須磨駅の道筋に病院があります。その玄関先に、見事な桜の木が並んでいます。
病院の歴史と共に育ったのでしょうから、50年以上は経っているはずです。
神戸は坂道のイメージ通り、ここから駅までは勾配15%の道を下って行かなければなりません。
おばちゃんは、休み休みこの坂道を上がってきます。
それでも、咲き誇る枝の下をくぐり、青々とした海原を航海している船を眺めることが出来る坂道は、とても気分の良いものです。
むう少し経てば、次は桜吹雪の恩恵を受けることになり、道路一面がさくらの絨毯になります。
季節感あふれるお気に入りの坂道です。
今日は、明治27年に生まれました筝曲家宮城道雄のお誕生日です。
彼が生まれましたのは、居留地内の58番館にありました会社のお茶の倉庫だと言われています。
現在は三井住友銀行の神戸支店の東側にあたり、つつじに囲われて生誕碑が飾られています。
幼少の眼病がもとで、8歳にて失明。神戸の生田流筝曲の二代目検校に師事し、11歳で免許皆伝を受け、作曲家の道を歩み始めました。
お琴自体を楽しまれる方を見かけなくなりましたが、お正月の定番曲と言えば、なぜか彼の『春の海』ですね。
この碑には、スピカーが埋め込まれていますので、お昼間に前を通りますと、『春の海』の調べが流れているのを耳にすることができます。
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