《襍・/・画  “ 冬景(3)”  ❖ ’23-110 ❖》

《襍・/・画  “ 冬景(3)...
ナギイカダ(梛筏) キジカクシ... ナギイカダ(梛筏) キジカクシ科(Asparagaceae)
学名:Ruscus aculeatu L.

《 忘備録(11月に観る〝おもしろ花〟)!?! 》
常緑の小低木。茎はよく分かれ、高さ10~100cmになる。
 葉のように見えるのは枝で、中央に淡緑色の花をつける。
果実も同様の場所で赤く熟す。
ほとんどの人はこの植物の扁平となった茎を葉と思うでしょう。
本来の葉はごく小さくて鱗片状で目立ちません。
植物の器官は色々姿を変えるものだと納得するより仕方ありません。
この革質で先端の剌が痛い深緑色の葉状体のほぼ中央に小さな花や赤い実をつけます。
これも一見奇妙ですが、茎なら花をつけるのも当然かと思えます。(筑波大;八田洋章) 

研究者ノート;堤千絵(独立行政法人国立科学博物館 植物研究部 研究主幹)
ナギイカダで葉のように見えるのは,仮葉枝(かようし)と呼ばれる器官です.
この仮葉枝はいったい葉なのか茎なのか,長い論争が続いていました.
扁平なかたちや脈のパターンは葉に似ていますが,発生場所や花をつけることは茎と同様です.
この仮葉枝で、茎で働く遺伝子(STM)と葉で働く遺伝子(YABBY)、どちらが働くか調べた研究から、
どちらの遺伝子も発現していることがわかってきました.
どうやらこの仮葉枝、葉と茎両方の性質をあわせもつ器官のようです.
Y. Hirayama et al. (2007) Development Genes and Evolution 217:363-372(堤千絵) 
*     *     *     *    *
和名由来は、葉の姿が梛に似て、花が花筏の様に葉上に咲くように見える事から。
古くから栽培され、刺があるので枸橘と同様に生け垣に使われていたが、見掛ない。
常緑低木で根茎は匍匐し、太く、仮軸分枝し、茎を多数、直立する。雌雄異株。
硬い葉のように見えるものは、枝が変化した葉状枝(ヨウジョウシ)。
葉は退化し、葉状枝の先端が尖って刺状になり縦方向に重なって揃って付く。
葉状枝の1枚毎に、中心部が紫で周囲が緑色の小花を咲かせる。
雌雄異株で両性花だけの株や、雄株に雌花がつくことがある。
これは不完全雄花(subandroecious)と分類されている。雄株と雌株は外観は、似ている。

>&<  

紅葉の季節だが、思うように行動できない。
慰めではないが、扁壺(陶器)・お盆(木工)を眺めていると・・!
子供の頃にお会いできた、陶工(失礼を顧みず)を思い起こす。
無位無冠の陶芸家「河井寛次郎師」
暮しが仕事 仕事が暮し〜土と炎の詩人〜河井寛次郎師
勝手に心の師とさせて頂いているが、鮮烈に覚えているお姿を。
京都の紅葉もいいが、竹垣が更にいい。
最近、旧任天堂本社が、ホテルになった由。
行きたい、泊まりたい。未公開寺院で座禅を組みたい。
 

「令和伍年(皇紀2683年)11月19日、記」 

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《凡・/・声❝海岸線の緑と動物❞❖ ’23-109 ❖》

タイワンリス。... タイワンリス。


相模スナホリガニ!?! 相模スナホリガニ!?!
《 忘備録・・自然界の摂理(2)!?! 》
色々と脳裏をかすめる昔の事。老人たる所以か。ちょっと寂しい気もする。
とんびの事を記したが、それより少し前、前東京オリンピックの頃。
鎌倉は、宅地開発であちこち、緑が消えていった。が、功を奏した事も。
宅地開発で江ノ電は、生き残った。少年期頃、江ノ電廃止、バス化に!?!
真剣に検討されていたらしい。今の盛況を観ると感慨深い。
一部、緑は消えたが思いもよらぬ小動物が鎌倉に来た!?!
タイワンリスである。本来、鎌倉に生息していた動物ではない。
一説によると、伊豆七島・大島から逃亡・移り住むようになった、と。
前東京オリンピックの頃、江ノ島と大島を高速フェリーが就航していた。

大島にいたタイワンリスが、このフェリーで江ノ島に逃げてきた、と。
そのリスたちが、増え移動して広町~鎌倉山~極楽寺・長谷方面に。
生活拠点としていたのは、広町・極楽寺裏山・御霊神社あたり。
今や鎌倉一帯で観られる。増えすぎて問題となっているか??
我が子達は、ひまわりの種で餌付けしようとしていた(小生不在頃)。
ある時、自宅に戻った時、タイワンリスが直ぐ側までよってくるではないか。
びっくりしたが、妻に聞くと餌付けしている、と!!驚いた。
野生の狸がへったら、ハクビシンが増えているとか!?!
筍は今でも裏山でとれるが、自然薯が消えた。隣接緑地が宅地化した故か??
海岸の地形にしてもこの50年あまりで微妙に変化している。
江ノ島ハーバー周辺の整備で、潮流が変わった??それ故か、稲村周辺も変化。
かつて稲村ヶ崎に大波が来ることがあったが、すっかり影を顰めてしまった。
今、気になるのは海岸波打ち際の小動物、相模スナホリガニ、残存してるか??
元気になったら、これらの現況を観てみたい。来年は、忙しくなりそうだ。 

※画像ではイメージがわかないが、
波打ち際の砂利・小石の流れに反して真横に移動するものがいる。
まるで・・・サーフィンでもしているように見える。
ほんの数秒のことだが、横に移動して砂浜に潜る。
「すなほり蟹」の仲間が生息している。
返す波間で・・・何を補食しているのだろうか砂中の微生物!?!
七里ヶ浜の波打ち際に生息しているヤドカリに近い原始的な蟹。
Hippa sagamiensis(相模スナホリガニ)と命名されたと聞く。
故酒井 恒 博士にお聞きしたが文献が見つからない。
横浜国大・酒井の後輩の先生方が発表された論文を拝すると、
七里ヶ浜のそれは、ハマスナホリガニ H. truncatifrons (Miers, 1878)とあった。
酒井先生の画像や小生たちが実際に観察したものとは、一寸異なるような。
我が子達と随分と観察したが、形は同じだった。標本をとっておけばよかった。
酒井先生とは、七里ヶ浜で幾度となく観察、お教え頂いた。懐かしい。※ 

「令和伍年(皇紀2683年)11月15日、記」

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《凡・/・声❝昔の稲村ヶ崎海岸での事❞ ❖ ’23-108 ❖》

《凡・/・声❝昔の稲村ヶ崎海岸...
《凡・/・声❝昔の稲村ヶ崎海岸...
《凡・/・声❝昔の稲村ヶ崎海岸...
《凡・/・声❝昔の稲村ヶ崎海岸...
《 忘備録・・自然界の摂理(鳶・・とび、とんび)!?! 》

伏せっていると、何故か昔の事が色々と脳裏をかすめる。
今や鎌倉の海岸線は、物みうさんの観光客でいっぱいだ!!
浜辺はもとより海岸線を走る江ノ電、そして聖地化した所。
休日・平日を問わず老若男女が散策している。
暫く前(継続中か??)、海岸で話題、注意が喚起された事があった。
海岸でお弁当等を広げていると弁当等を襲い剥奪するとんびの事!!
あたかもとんびが、悪い様に言われているが、これは誤りだろう?
40年も前頃、稲村ヶ崎公園下の浜辺でとんびに餌(肉片)を撒いてる老人が。
見掛けたの4~5年間。ある時、長男と散歩をしてる時に止めるように申した。
しかし、ご当人はじめ周りの人々に顰蹙をかった。食料をあたえてなぜ悪い、と。
懇切丁寧に説明したが、意に介されなく、エサマキは続いていたらしい。
仕事で異国に参ってしまい最後は知らない(ご当人達はかなりの高齢者だった)。
善意が、自然界の掟??を破ってしまうことがある。習性を知らないと。
あの老人達の行動が、すべての要因とは思わないが、一要因で有ることは間違いない。
あの当時、鎌倉には狸もかなりいた。それを人間が駆除してしまった。
自然界での共存共栄を考えるまで思考が回っていなかった。環境破壊したのは人間だ。

「令和伍年(皇紀2683年)11月11日、記」

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《襍・/・画  “ 冬景(2)”  ❖ ’23-107 ❖》

アシタカジャコウソウ(愛鷹麝香... アシタカジャコウソウ(愛鷹麝香草) シソ科(Lamiaceae)
Chelonopsis yagiharana Hisauti et Matsuno 
synonym Chelonopsis moschata Miq. var. lasiocalyx Hayata
(花季は夏・・画像は借り物)
クロガネモチ(黒鉄黐) モチノ... クロガネモチ(黒鉄黐) モチノキ科(Aquifollaceae)
学名:Ilex rotunda Thunb.
別名:フクラシバ 
(画像は、昔のもの)


《 忘備録(夢で・・11月に観る〝種子〟)!?! 》
床に伏せっていると、色々と脳裏をかすめる。中に未見植物も!!
箱根の湿生花園で観れると聞いてはいるが、うまく出会えない。
日光の植物園でも見れるらしいが、これまた出会っていない。
夏に開花、今頃実がなり中に種子が!!実際に観察したいのだが。
 アシタカジャコウソウ(愛鷹麝香草);
日本固有種で、静岡県の愛鷹山で発見された。林縁に生える。
ジャコウソウに似るが、全体に小さく 高さ15~40cm。
地下茎が横に這う。茎は円柱形、開出毛があり、
葉柄、葉、萼などにも開出毛がある。
葉は対生し葉柄は長さ5~10㎜。
葉身は細長い倒卵形、長さ4~10cm×幅2~4cm、
基部は次第に狭まりくさび形、先は尾状尖鋭形。
花は上部の葉腋に1~2個ずつつき花序柄は長さ4~10mm。
萼は鐘形、長さは6~8mm、先は5裂する。
花冠は先がやや広い筒状、2唇形で濃紅紫色、長さ3~4cm。
花冠筒部は長く上唇は短く全縁、下唇は3裂する。
側裂片は短く、中裂片は大きく、前方に突き出し、
裂片のふちは細かい波状になる。
雄蕊は4本、下側の2本が長い。花柱の先は2裂する。
発見地愛鷹山はよく知っているが、沢筋は難儀だ。
若い頃にこの花を知っていれば!!母のメモにあった。
ここ20年あまりで知った野草だ。それにしても!!
植栽された植物園でも出会っていない、私的幻の植物。
温暖化とやらで、観れる季節感がズレている。

身近な所で、木々の実を探すか。鳥に食べられてるかも。
それにしても草木の漢字は、難しい。でも日本語文化。 

「令和伍年(皇紀2683年)11月7日、記」

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《襍・/・画  “ 冬景(1)”  ❖ ’23-106 ❖》

ホソバガンクビソウ(細葉雁首草... ホソバガンクビソウ(細葉雁首草) キク科 (Asteraceae)  
学名:Carpesium divaricatum var.abrotanoides
別名:キバナガンクビソウ
ガンクビソウ(雁首草)
学名:Carpesium divaricatum Siebold et Zucc. 
※   ※   ※   ※   ※

ガンクビソウ(雁首草);
普通、山野の木陰に生える。茎高25~100㎝。
茎には軟毛が密生し上部は、よく分枝。根生葉は花期にはない。
葉身は、卵状長楕円形、葉に軟毛があり葉裏は淡色で腺点がある。
葉縁に不揃いの歯牙状の鋸歯があり、葉先は鋭形~鈍形。
頭花は、直径7㎜位で枝先に頂生、枝先にふつう1個ずつ点頭してつく。
基部には、2〜4個の長楕円状倒披針形の反曲する葉状苞がある。
これは、高出葉(bracteal leaf= leafy bract 葉状苞)で2~4個輪生する。
高出葉は、反曲し頭花の長さの2~5倍。
総苞は卵球形で先端は少しつぼまってる、長さ7mm前後、径6mm前後。
総苞片は4列、外片は短く円頭または凸頭で緑色とならず基部は淡黄緑色。
頭花は舌状花がなく黄色。複合花序で、開花時は下向き。
雌性の周辺小花の花冠は円筒形、先が細く4裂する。先の拡大部は5裂する。
拡大部は、大きいものと小さいものがあり、子房の上部と基部に粘液腺がある。
var. abrotanoides (Matsum. et Koidz.) H.Koyamaホソバガンクビソウ(細葉雁首草)。
葉は幅が狭く、細長い。総苞外片が短く、2列に見える。
判別しがたいが、細葉雁首草とおもわれる。
随分と昔、山で採取したのを庭の日陰に植栽した。
いつしか消えたと思っていた。
体調が優れず外出できず、二階から庭隅を観て気づき驚いた。野草も文化だなぁ。 

《今日・・11月3日は、憲法記念日》
一般的には、文化の日。
1948年(昭和23年)に「自由と平和を愛し、文化を進める日」として制定された。
1873(明治6)年から1911(明治44)年までの祝日(明治天皇の誕生日天長節、)。
1872(明治5)年までは9月22日に行われていたが、
1873(明治6)年、太陽暦採用で9月22日を太陽暦に換算した11月3日に変更された。
1912(明治45)年7月30日の明治天皇の崩御に伴い廃止。昭和に入って「明治節」。
明治節(天長節)、昭和二年(一九二七)に制定された祝日。
近代日本の指導者、明治天皇を称え、その誕生日(明治時代の天長節)の十一月三日をあてた。
が、これは大正天皇の死去により明治天皇祭(先帝祭)がなくなったことによる措置である。
明治・大正時代には、四方拝(元日)・紀元節(二月十一日)・天長節が「三大節」であったが、
明治節を加えて「四大節」となり、この日は学校や軍隊では式典が行われた。
第二次世界大戦後は、吉田内閣が昭和二十一年の明治節に日本国憲法を公布している。
同二十三年、「国民の祝日に関する法律」の制定で、明治節はなく「文化の日」となった。
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」。日本国憲法の公布を記念した日。
文化の日11月3日(National Culture Day)日本国憲法は平和と文化を重視されていることから、
その意向で「文化の日」が、生まれた。
当初11月3日を憲法記念日にする動きもあったようだが。。。!
当時日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に強く反対された。
日本国憲法の施行日である5月3日を憲法記念日とすることでうまく収まったようだ。 

「令和伍年(皇紀2683年)11月3日、記」

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《襍・/・画  “ 秋景(13)”  ❖ ’23-105 ❖》

観音埼灯台(かんのんさきとうだ... 観音埼灯台(かんのんさきとうだい)は、日本最古の洋式灯台。
神奈川県横須賀市、三浦半島東端の観音崎に立っている。
白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。
我々を含め地元民は、かんのんざき、といっていた!?!
剱埼灯台(つるぎさきとうだい)... 剱埼灯台(つるぎさきとうだい)は、神奈川県三浦市東部、
剱崎突端に立つ白亜塔形の大型灯台。
ここも我々は、〝けんざき〟とよんでいる。

※   ※   ※   ※   ※

観音埼灯台(かんのんさきとうだい)、剱埼灯台(つるぎさきとうだい);
1866年、米・英・仏・阿蘭陀の4ヶ国と結んだ「改税条約」(江戸条約)によって、
江戸幕府が建設を約束した8ヶ所の灯台(条約灯台)の二つ。
観音埼灯台(かんのんさきとうだい)は、東京湾、浦賀水道を照らし、
東京湾海上交通センターとあわせ
海上交通が輻輳する浦賀水道航路の安全に寄与している。
初代の設計はレオンス・ヴェルニー等が担当したが、大正時代の地震により2度再建され、
現在の灯台は3代目にあたる。
かつて浦賀水道を照らしていた西浦賀の燈明堂に代わり、
1869年に点灯した。
「改税条約」(江戸条約)によって建設された8ヶ所の灯台の中で、
最も早く完成・点灯した。
初代建設当初は煉瓦造りの四角い洋館建て設計だった。
設計は、レオンス・ヴェルニー(仏人)等が担当。
屋上に灯塔を設けたフランス風白色八角形の煉瓦造灯台で、
地上から灯火までの高さは 12.12 m 。
フランス製の第3等フレネル式レンズ、3重心灯器を使用し、
実効光度 1,750 cd 、光達距離は14海里(約 26 km)。
 

剱埼灯台の設計は「灯台の父」と呼ばれるお雇い外国人リチャード・ブラントンが担当。
当初は石造であった。現在使用されている灯台はコンクリート造である。
関東地震(関東大震災)の後に再建された2代目のもの。
三浦半島南東端に位置し浦賀水道・相模灘を照らす。
剱崎から南南東に位置する館山市洲崎(洲埼灯台)までが、
浦賀水道(東京湾)と太平洋の境界となる。
周辺は岩礁が発達し、対岸に房総半島を望む風光明媚な地である。

※   ※   ※   ※   ※

《今日・・11月1日は、燈台記念日》
日本最初の洋式燈台は、1868に東京湾入り口近くの観音崎に設置された。
この日に着工された事を記念して海上保安庁が1949(昭和24)年に制定した。 

この観音崎灯台のあたり周辺にかつて、ガクアジサイの群落が要所にあった。
今や、風前のともしび。時代と共に開発で植物環境も変化。一寸寂しい。
観音崎燈台の近くに走水(はしりみず)という場所がある。
その地の上、丘陵地帯は防衛大学校の広大な敷地。
東京湾を眼下に国防を担う学生が学んでいる。
創設当初の学生は、九州人が多くいて、泳ぎが苦手な人が見受けられた。
暖かな日曜日、走水海岸で自主トレ!!してる学生さんがいた。
懸命に練習中の学生さんを餓鬼の僕らは、茶化したものだ。
この防衛大学校のお陰で緑濃い丘陵になっている。その恩恵で美味しい湧き水がでる。
美味しい水が、海岸の生物にも及び、魚介類の宝庫である。
ここ走水の鯵は、絶品である。美味なアジフライがいただける。
近年、当地に横須賀美術館が出来た。走水は、歴史的にも面白い土地だ。
残念なのは、横須賀の海岸線が埋め立てられ平成町等が出来た事。
子供の頃、夏の灯籠流しを楽しんだ。そのお供物野菜等が馬堀海岸にあつまる!!
夏の海水浴は、なんともすごいことになっていた。今となっては、楽しい思い出。
今、京浜急行は、浦賀が支線になっているが、かつては本線だった。
浦賀にドックがあり元々は、そこへの交通機関として開通したのが京急である。
段々と忘れ去られるかつての環境。かろうじて残ったのが、走水だ。
この先、開発変貌しないことを祈る。素朴だが由緒ある土地。
観音崎・剣崎燈台周辺だけでも歴史的環境として残って欲しい。 

「令和伍年(皇紀2683年)11月1日、記」

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《襍・/・画  “ 秋景(12)”  ❖ ’23-104 ❖》

《襍・/・画  “ 秋景(12...
《襍・/・画  “ 秋景(12...
《襍・/・画  “ 秋景(12...
《襍・/・画  “ 秋景(12...
《襍・/・画  “ 秋景(12...
以前、見かけたかぼちゃ達。 以前、見かけたかぼちゃ達。
《宗教的催事 or イベント? "Halloween!!"》
なんか日本だけが盛り上がっている!!
ハロウィン(halloween)って!?!
街のあちこちに、カボチャのランタンや、お化けの飾りつけが目立つ。
日本のハロウィンは、楽しければ、何でもありってかんじがする。
今年の渋谷は、仮装した人は少かった様だが他所はどうだったか??
昔、スコットランドのグラスゴウで聞いた話。
ハロウィンは、アイルランドやスコットランドに住むケルト人が信仰したドルイド教の行事だった。
ケルト人は11/1を新年としその前日にサムハイン祭(「夏の終わりの日の祭り」と言う意味)を行ってた。
ケルト人は、この日は神が人間に様々な悪戯を、また悪霊が姿を現し跳梁跋扈するとされていた。
人々は供え物をして神や悪霊の悪戯を鎮め、
またこうしたものが村に近づかないように、
夜は篝火を焚いた(かがり火とは、夏が終わり力衰える太陽を助けるために焚いた)。
 ハロウィンというとトリック・オア・トリート(Trick or Treat)。
お菓子をくれないといたずらするよ!と子供たちが仮装をして家々を巡る!!
この仮装はハロウィンの日に現れる悪霊の姿を表し、お菓子は人々が供える供え物を意味する。
仔細は、よく知らないが、この行事アイルランド系移民がアメリカで広めた??
ハロウィンは、キリスト教のお祭りではない、ドルイド教の行事。
だが、キリスト教の行事、11/1はカトリックでは、諸聖人の日(All Saints'Day)。
この諸聖人の日、英語の古名では All Hallow's Day といった。
その前日(イブ)で All Hallows'Eve、その短縮形でHalloween 。
キリスト教が世界に広まる過程で、土地の土着宗教や祭りの要素を取り入れた。
ハロウィンといえばカボチャのランタン。悪霊除けとしてこのランタンを飾った。
故事によればランタンは「カブ」で作るものが本当のようだ(仔細略)。
西欧の文化が、アメリカで拡散され、日本でイベント化、なんともはや!?!

「令和伍年(皇紀2683年)10月31日、記」

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《・/・“叛逆のろれつ・半世紀??”❖’23-103》

《・/・“叛逆のろれつ・半世紀...
《半世紀以上も前のこと???》
1964年に東京オリンピックが行われ応援に行った。
そして2021年の東京オリンピックもTV観戦できた。
前TKOオリンピックの翌年1965年4月8、9日には、
円覚寺で洪鐘祭が、江の島弁財天も参加して盛大に催された。
仏殿で本山・末寺の僧侶80名による大法要は壮観だった。
この後の祭礼行列は、神奈川県警察音楽隊の先導だったと思う。
木遣や稚児の行列が進み、行列中央には模型の洪鐘が曳行された。
弁才天洪鐘祭の洪鐘とは、「おおがね」と称し国宝の洪鐘(梵鐘)の事。
1965年の洪鐘祭の前後、鎌倉は宅地開発に揺れていた最悪の頃。
鶴岡八幡宮裏の御谷(おやつ)が宅地開発の危機に、最後は守れた。
古都保存、市街地の自然保護(日本の自然保護の原点)の先掛け事例である。
二日前の10月29日に行われた、洪鐘祭も拜することが出来た。
体調悪くフラフラ状態だったが、気力で参った(久しぶりの外出)。
この洪鐘祭、お凡そ60年に一度開催される。是非に2回めも拜したい、と。
前回のオリンピック・祭り、鎌倉環境保全を回想しながら、一人悦にいっていた。
 
だが、そのいっぽうで悲惨なこともあった。
学生時代、1966年に殺人事件が報道され震撼としたのを覚えている。
(当時は、殺人事件など皆無で全国報道で大ニュースだった。)
静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務の一家4人が殺害された事件。
法学部学生には、あまりにも衝撃的な事件で色々思った。今でも思いだす。
後に、強盗殺人罪などで死刑が確定した裁判だが、検察・判事に疑問を持った。
詳細を知り得ていないが、刑訴の根幹を考えさせられる事案だった(専攻外分野)。
その裁判をやり直す再審初公判が10月27日、静岡地裁で始まった。
冤罪(えんざい)ではなかろうか!?!
再審は有罪の確定判決に合理的な疑いがある場合に開かれる。
過去4件の再審死刑事件はいずれも無罪であった。
先日の再審初公判での裁判長の言動に注目している。
通常の刑事裁判では裁判官は「被告人」と呼称するが、
今裁判長は再審初公判で「袴田さん」と称呼していた!?!
再審になる、ここまで来るのに長い年月を費やしてきた。
初動の検察、裁判所の審理指揮等々に大問題をはらんでいる。
一個人の人生は戻らない。非人道的、人権無視とも言える。
捜査権力の横柄な横暴があったやに見える(個人の見解)。
この再審を以って刑事訴訟法の抜本的改正を希する所。
冤罪などあってはならないが、審理方法の検討を??
人生にあって半世紀余り拘束された。言葉を持てない。
青春時代を思い、観た祭り。至福でしかなかった。
が、同時に法を思うことが出てきたとは??? 

「令和伍年(皇紀2683年)10月29日、記」

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《襍・/・画  “ 秋景(11)”  ❖ ’23-102 ❖》

マユミ(檀、真弓) ニシキギ科... マユミ(檀、真弓) ニシキギ科(Celastraceae)
学名:Euonymus hamiltonianus Wall.
なんともきれいな色の実。... なんともきれいな色の実。


《 忘備録・・暫く前の泉の森・・光景。*2016/10/*  》
秋にできる赤い種、遠目に見ると赤い花が咲いているように見える。
春咲くまゆみの花は、とても地味で余り関心が持たれないようだが。
10月の中頃、秋を実感できる風景。カントウマユミ(関東檀)とも呼ばれる。
熟したマユミの実は、4裂し、橙赤色の仮種皮に包まれた種子が顔をだす。
和名の様にこの木で弓を作った。材は緻密でよく撓る。こけしの材料でもある。

「令和伍年(皇紀2683年)10月25日、記」

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《襍・/・画  “ 秋景(10)”  ❖ ’23-101 ❖》

《襍・/・画  “ 秋景(10...
《襍・/・画  “ 秋景(10...
迫力あった。 迫力あった。
《 忘備録・・昔、見た光景。*2003/10/2?*  》
横になり身体を休めてPCニュースを見ていたら。。。!
紛争地域より自衛隊機に乗って帰国した人々を見た。
かつては、近寄れなかった紛争地に自衛隊機が行けてる。
それを可能にした故安倍元総理の業績を思うのだ。
マスコミをはじめ野党等の反対した人々は、何も言わない。
自衛隊の日々を思うと感謝だ。他方、沖縄の知事は???
“抑止力”を実感した光景に出会った事がある。
横須賀の基地に停泊している米空母は、見たことがある。
だが航行している(相模湾鎌倉沖)姿は圧巻だった。
歴史的経緯は別として、今の日本国を守ってくれてる人々。
自衛隊・海上保安庁の皆さんにただただ感謝。
而して、在日米軍の存在は実に大きい。
感謝あるのみ。 

「令和伍年(皇紀2683年)10月21日、記」


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