《 木造仏を拜みたい。願望、其の一 》
年頭から事象が激しく搖れ動いている。震災、明日は我が身か。
荒廃した環境が、脳裏を掠める。今の鎌倉では想像できない寺々。
震災だけが原因では無いだろうが、名刹の荒廃した仏像が脳裏に浮かぶ。
岩波写真文庫の鎌倉編を見た時、言葉を持てなかった。悲惨過ぎて。
鎌倉の名刹、覚園寺の仏像が崩壊状態で瓦礫の山と化している写真に。
青年になって実際に覚園寺を訪れたときの光景に驚いた事を覚えている。
当時の御住職の尽力で見事に元のお姿に蘇っていた。あの黒地蔵像もだ。
地蔵堂自体に木の香りを感じた細香をいまでも鮮烈に覚えている。
家の風呂も木造りだったが木の香りはなくお堂の佇まいに感動してた。
後で知った事だが、一応檜の湯槽、と母。関東大震災後に造ったのだとか。
檜については、庭師の職人さんから色々と教えてもらった。
木の仏像に関しては、覚園寺の老師や写真の恩師に詳細に御教授頂いた。
古い仏像に多用された木材(1963年・小原二郎)とされていたヒノキ(檜)。
だが、近年の研究で仏像材の事がより鮮明に分析され判明してきた。
檜材が使われるようになったのは、奈良時代(8世紀)以降だった様だ。
飛鳥時代(7世紀)の仏像では、殆どがクスノキ材である。
これは、中国(隋)の仏像の多くが芳香ある白檀で作られていた事による。
当時、日本には白檀がなく芳香あるクスノキが使われたと推測される。
又、クスノキは成長が早く大木から材を得やすく柔らかい。加工もしやすい。
中宮寺(7世紀前半創建)の国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」はクスノキ材である。
良く対比される広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、アカマツ材の一木造。
中宮寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」は、一木造ではなく特異な木寄せ造り。
頭部は前後2材、胴体の主要部は1材とし、これに両脚部を含む1材、
台座の大部分を形成する1材などを矧ぎ合わせ、他にも小材を各所に挟む。
両脚部材と台座部材は矧ぎ目を階段状に造るなど、特異な造りである。
クスノキは、古代日本では魂ふりの力をもつ神木、霊木と見做されていた。
クスノキを仏像の材とされた要因は、種々考えられるだろう。
日本書紀には「ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺に使え」
と、それぞれの用途を教えしめされている。
日本は、木の国。木材を「信仰、霊性」の視点からも見てみたい。
而して仏像に使われている木材自体に“香り”がある。
素人的には、仏像から感受する精神性という香りも大切ではあるまいか。
できるものなら、写真(仏像写真)での憧れのD師の足跡を辿ってみたい。
まず最初に訪れたいは、法隆寺・中宮寺である。
「令和陸年(皇紀2684年)1月17日、記」