《植物(29)地植え、移植の自宅紫陽花(9)❖’22/07/01》 6月19日時点で我が家の紫陽花達は、満開!!と言った感じになった。 今年は、地植え3年目、地植え2年目、と地植え1年目と紫陽花が咲いてくれた。 そんな中で半手鞠で濃いブルーの山紫陽花系紫陽花は、地植え1年目且つユニーク。 同株で別枝に面白い花芽が見えていた。気が早いが来年が楽しみだ。 背丈高の紫陽花を昨年挿し木をしたが、可愛く咲いてくれた。 挿し木したものは、開花が、遅い。背丈の低い紫陽花たちだ。 「令和肆年(皇紀2682年)7月1日、記」
《植物(28)紫陽花鑑賞;俣野別邸園❖’22/06/19》 首都圏の紫陽花名所、あきる野市の“あじさい山”に初めて訪れてみた。 今年は、諸々の条件下で紫陽花自体が悲惨な状況で、今後の課題をみたきがする。 植物観察を楽しみにしている身としては、植物を管理するのは人間ではないか。 “野生・自生紫陽花”を観ていて、自然環境に感謝したい気持ちだ。 掲載時系列で前後するが、前の週に訪れた俣野別邸の手鞠咲紫陽花を掲載する。 今年は、手鞠咲き紫陽花と生育環境を、あじさい山のを掲載するつもりでいた。 「令和肆年(皇紀2682年)6月30日、記」
《植物(27)紫陽花鑑賞に遠出。❖’22/06/25》 首都圏には、色々な紫陽花名所がある。中に“あじさい山”と銘打った場所がある由。 教えてくださったのが、植物観察スペシャリストの仲間(色々教えを乞うている)。 観察に行くというので同道させてもらった。そこは多摩山麓のあきる野市にあった。 随分と昔、幾度かその周辺は歩いたことがあった。 お一人の紫陽花愛好家が、造り上げた場所。昨今、紫陽花祭りを開催されている由。 出向く前に検索してみると、今年は開花が遅い(生育が悪い)とあった。 あじさい山までマイカーが今年から入れないとあったが、路が狭く当然と思った。 生育が悪い、と聞いていたのだが現地を散策していて思う所があった。 昨今、紫陽花鑑賞地を回っていて“野生・自生紫陽花”地を見習うべきと感じている。 総てが理に適っている、と思うのだ。人間の都合・身勝手で植物に対してはいけない。 そんな感覚で、野生・自生地を主に見て回って参考にしている。 植物の為ではなく、如何に花を美しく見せるかが先のようだ。 然るに園芸種が多くなる。 「令和肆年(皇紀2682年)6月27日、記」
《植物(23+1)地植え、移植の自宅紫陽花(6)❖’22/06/05》 我が家の移植・地植え紫陽花、微妙に成長してきた。 実際に観察していないと分からない。 画像で伝えられないのは、技量ゆえか。。! 「令和肆年(皇紀2682年)6月22日、記」
《植物(23)地植え、移植の自宅紫陽花(5)❖’22/06/02》 我が家の移植・地植え紫陽花が、開花し始めた。 4種類ある自宅紫陽花の内、背の高い花は、しっかりと見えてきた。 2番めに高い樹の花も色合いがはっきりとしてきた。 一番背の低い紫陽花は、植栽1年目。どんな色に成るか?? 最後の1株は、先年伊豆高原の師匠より分けて頂いた花。ちょっと面白い。 「令和肆年(皇紀2682年)6月21日、記」
《植物(22)地植え移植の自宅紫陽花(3+1)成長微変❖’22/05/28~31》 茎高1mほど萼片紫陽花は、青系。茎高50cm程の萼片は、淡いピンク。 茎高30cm前後の2茎は、濃い青系の花が(萼)咲くはずだが??? 開花し始めは、どれも同じに見える。 「令和肆年(皇紀2682年)6月18日、記」
《植物(21)地植え、移植の自邸紫陽花(3)❖’22/05/25》 3年ほど前に移植・地植えした紫陽花が、開花に向かう姿を見せる。 現在4種類を地植えしているが、開花始めでは区別がつかない。 その内2種類は、かなり大きな花になる。その2種が開き始めた。 「令和肆年(皇紀2682年)6月15日、記」
《浅草界隈(2)❖’22/05/12》 浅草周辺・・・下町感、香りと言った方がいいだろうか。 語る、言葉を持てない。古きを懐かしんでいるだけ。 ちょっと感傷的になった浅草の町、その周辺。 * * * * * 浅草の街中を貸し衣装か??若者たちが和装・浴衣姿で歩いて。 隅田川沿いの旧安田庭園では“Photo-wedding”らしき撮影も観た。 コロナ禍であったが、街中は普段通りに極普通に安全であった。 そんな中で和装姿を遠目に見ていると、青年時代を思う。 ノンポリ的で山登りに夢中になっていた青年時代。。。!! そんな時代に北朝鮮による拉致が判明した。だが未だに未解決。 一国民として出来ることって、署名とカンパくらいか。。。 政治家も含め報道関係者の対応に甚だ不満を持つ。 拉致問題・慰安婦問題等々、朝鮮半島での問題に日本政府は??? もっと、もっと積極的に対処して欲しく思う。 願わくば、来る参議院選挙で良き方向に向かう議員が増える事を希す。 而して憲法改正を早急に検討し改正して欲しい。 「令和肆年(皇紀2682年)6月12日、記」