《”泉の森・・散歩??"❖’22/11/26》 時間的に余裕がなく、紅葉・黄葉鑑賞に出掛けられないでいる。 タイミングが悪い。紅葉・黄葉は、晴天の方がよく似合うのだが。。! 出掛ける折には、電車の一駅間を遠回りだが森を通って行く。 今年の11月は、天気が余り良くなかった、と感じている。 それでも里地・里山散歩は、気持ちいい。 「令和肆年(皇紀2682年)11月29日、記」
《”夜景・・世の事象"❖’22/11/27》 異国の友だちが、観光と休養を兼ねて日本各地を探訪している。 新嘗祭の日に、新宮にいて神事を見て感動したと連絡をよこした。 日本の伝統文化を新たに・・再発見していると。更に旅先の情報をきいてきた。 仲間(異国人達⇔西欧人)の感覚がいい。日本人に先導・案内して欲しくない、と。 暫く前、横浜で30年ぶりに仲間・学友が一同に会して議論を戦わせた(同窓会??)。 夜、宿泊した場所から見下ろす景色が、今の日本そのものか??って思った。 光にごまかされて、影が余りにも深く沈みこんでしまっている。闇が大きい。 政治の世界で、統一教会関連の規制・法制が言われているが、骨抜き法案だ?? 創価学会等、宗教団体問題の本質が問われるのではなく、ザル法、、、相変わらずだ。 議会人の見識を疑う。”もりかけ”と言われた問題処理となんら変わらないッて思う。 今の日本社会は、マスコミ報道主導で右往左往してよいか???危惧するばかりだ。 異国人達が、一同に驚いていたのが日本国内でのマスク対応、コロナ対応。 この問題でも、利権がうごめいているように聞こえてくる。マスメディア不信だ。 「令和肆年(皇紀2682年)11月27日、記」
《”新嘗祭・勤労感謝の日??=新・旧"❖’22/11/23》 勤労感謝の日=新嘗祭;第二次世界大戦後に勤労感謝の日と変化した。 勤労感謝の日「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」とある。 1948年(昭和23年)に制定された国民の祝日のひとつだが。。。! 戦前はこの日を新嘗祭と呼び、宮中では天皇が新しい米などを神殿に供えた。 新嘗祭と呼ばれていたのは、1873(明治6)年から1947(昭和22)年までの祭日。 天皇が新穀を天神地祇に勧め、親しくこれを食する祭儀と。 現憲法では、皇室典範から儀式は除外されたが各地の神社で新穀感謝の祭事は続いている。 新嘗祭は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的とする宮中祭祀の一つ。 新嘗祭は「しんじょうさい」とも言われ。「新」は新穀を「嘗」は奉ることの意。 収穫された新穀を神に奉り、その恵みに感謝し、国家安泰、国民の繁栄を祈る祭儀。 現在、このお祭りは毎年11月23日に、宮中を始め、日本全国の神社で行われている。 宮中では天皇陛下が自らお育てになった新穀を奉り、その新穀をお召し上がりになる。 神嘗祭も新嘗祭も神事、宮中行事でもあることから一般人にはあまり馴染みのない行事。 天皇の即位後、初めて行う新嘗祭を大嘗祭と称する。 神宮では神嘗祭と称して新穀が奉られる。 古来より日本では稲作が生活の基本になってきた。”黄金の国ジパング”と言われた所以である。 日本各地で初穂の収穫を祝い感謝する「収穫祭」や神社では「秋季大祭」が行われている。 収穫を祝い感謝する気持ちは、日本人の心の中に根付いていると行っても過言ではない。 初穂(新米)をいただくときは、古来より続く伝統ある行事と重ねてもよいと思う。 日本人は2000年以上の歴史のなかで、天皇陛下から国民に至るまで神を祀って来た。 五穀の豊かな稔りを祈る。稲の育成周期が日本人の一年といえる。 農耕が生活の総てであった時代、豊作を祈る事は国家安泰、国民の繁栄を祈る事であった。 祈年祭は国家規模で執り行われていたようだ。 伝統的行事を未来につなげよう!!米がパンに取って代わられた様に感じる昨今ではあるが、 米は日本人に不可欠なものでは!?!稲田公園、棚田等々、日本の原風景でもある。 米文化は、もっともっと語られて良いと思うし、日本の伝統行事をもっと盛り上げたい。 11月23日(木・祝)は、勤労感謝の日だが、「新嘗祭」と併記してみては!!お祭りとして。 現在でも「新嘗祭」の為に、献上米(献穀米)を作っている(皇室に献上する)。 毎年11月23日に皇居で行われる重要儀式「新嘗祭」に献穀米として献上するお米。 新嘗祭での献穀は明治25年(1892年)からはじまり、宮中献穀事業とも呼ばれ、 全国各都道府県で献上米を作る農家が毎年選定され、献上米が造られている。 その献納される新穀(新収穫した粟やお米等の穀物)を天皇陛下御自らが神様にお供えし、 五穀豊穣に感謝祈願をする重要な宮中祭祀の一つ。 全国各都道府県で献上米を作る農家が毎年選定され、献上米が造られている。 その製法には細かい規定があり、厳格な管理のもとで栽培された最高級のお米。 仔細は別にして、このような伝統的な祭祀を広く知らせるべき、と思って止まない。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ お米に関しては、神奈川県平塚生まれのブランド米「はるみ」がある。 平成28年度の日本穀物検定協会(穀検)で最高評価となる「特A」の評価を受けた。 コシヒカリとキヌヒカリの交配種で平成27年2月、県水稲奨励品種に決定。 全農営農・技術センターは、品種改良に約10年を費やしてきた。 神奈川県では初めての特A米。甘み!!を持つ、とっても美味しいお米だ(私感)。 全国各地で栽培されてる地域米種、競争ではなく地元として誇りを持って食したい。 「令和肆年(皇紀2682年)11月24日、記」
《”紅葉・黄葉の下に色づく花々"相模原公園❖’22/11/06》 麻溝公園の隣に県立相模原公園があり、中にサカタのタネグリーンハウスがある。 このグリーンハウス(温室)の熱源は、隣接の相模原市南清掃工場のごみ焼却熱を利用している。 この循環システムは、見習うべきシステムといつも感心しながら散歩している。 この季節、相模原公園に咲く花が楽しみで出掛けている。 「令和肆年(皇紀2682年)11月22日、記」
《”色づき始めた公園の樹々"麻溝公園❖’22/11/06》 神奈川県相模原市南区にある相模原麻溝公園は、時折散歩する場所。 当日の目的は、隣接の相模原公園に咲く花が目的だった。 が、駐車場の問題で麻溝公園に駐車。麻溝公園を通って相模原公園に行く。 麻溝公園には、グリーンタワー(展望台・38mの展望室)があり眺めがいい。 そしてこの公園に足が向くのは、関心ある植物が幾種類あることによる。 展望台から見ゆる景色。当日は、少し早かった。 「令和肆年(皇紀2682年)11月20日、記」
《”初めて気づいた小さな蝶”泉の森❖’22/11/05》 ムラサキシジミ(紫小灰蝶); 翅(はね)を広げても3-40mm。翅の表が青紫色で周囲を黒褐色で縁取る。 ムラサキシジミは、薄暗い照葉樹林の中の低い所の葉等に止まっている由。 その姿は、日光浴している風に見える。又、チラチラと飛ぶ姿も可愛い。 アラカシ、森のなかで極普通に見られる樹だが、その葉を好んで食するらしい。 アラカシは、高樹。それ故、見なかったか??偶然、低い位置の葉に見つけた。 蝶の名前が分からず調べてみたが、ムラサキツバメかムラサキシジミだろう? 泉の森・シラカシの家職員(学芸員)に尋ねたらムラサキシジミ、と教えて頂いた。 「令和肆年(皇紀2682年)11月18日、記」
《”露天風呂"”富士嶽"~”昼食"点描❖’22/11/01》 精進湖周辺は、保養地といった感じの場所。ペット連れの散歩者も多くみえた。 宿泊した宿の露天風呂からの富士嶽は、なんとも言えない美景だった。 末広がりが見える単独峰・富士山の姿だが、僕は相模湾から見る富士山姿が好きだ。 しかしながら、間近に見ゆる富士嶽は別、微妙な山肌がみてとれ美しい。 紅葉・黄葉自体は深まって居なかったが、富士嶽の迫力・優美さに魅了された旅。 3日目は、天候も良くない事もあって観光スポットをスルーして帰宅の途に。 帰り道、天気も曇り程度だったので時折おじゃまする山北カフェにて昼食をとった。 素朴なCafeだが、好きな場所。今回の三日間で唯一、まともな昼食がとれた。 このカフェの昼食、初めて頂けた。ここのカフェのソフトクリームは美味である。 自転車ツーリング仲間には有名(私見)な人気あるカフェ。ランチも美味しかった。 「令和肆年(皇紀2682年)11月17日、記」
《のんびりと”富士嶽"を拜いせる場所❖’22/10/31》 富士五湖に時折寄るが、西湖・精進湖・本栖湖周辺は若い頃歩いたのみ。 紅葉・紅葉は、少し早かったが湖・富士山拝観だけで良い、に変更。 同じように見える富士山の姿だが、僕は相模湾から見る富士山姿が最も好きだ。 しかしながら、間近に見ゆる富士嶽は、美しい・・・微妙な山肌がみてとれた。 「令和肆年(皇紀2682年)11月15日、記」
《紅葉・黄葉行脚”信玄餅~富士嶽"❖’22/10/31》 昇仙峡から甲府盆地の石和温泉まで走り(車)温泉で癒やされた。 笛吹川フルーツ公園も良かったが、この地に来たら”信玄餅”である。 昨今は、どこでも手に入るが・・最近、限定新製品が発売された。 販売場所も数カ所のみ、極端に入手困難。地元に来ても入手出来なかった。 諦め通常の信玄餅を購入して、紅葉・黄葉探しに出掛けたが・・・!?! 車からの眺めで、黄葉・紅葉は諦めた。せっかくなので富士山眺望に切り替え。 探すと笛吹市芦川町上芦川・新道峠にあるFUJIYAMAツインテラスが良さそうだ。 ツインテラス直下迄、町営バスが運行している(バス終点から徒歩5分)。 林道が狭く一般車の走行不可、駐車場所が無いことで町営バスが登ってくれてる。 テラスからの眺望は、”言葉を持てない”程の圧巻景観だった(天候も良かったので)。 河口湖を眼下に、富士山のすそ野・麓が一望出来た(初めての場所)。 感動景観でお腹いっぱい。峠から下り、河口湖の”コキア”を見に寄った。 軽い昼食を、と思うも混雜。パンでも買ってと思ったが売り切れ!!観光地は凄い。 「令和肆年(皇紀2682年)11月13日、記」
《紅葉・黄葉行脚”フルーツ公園"❖’22/10/30》 昼飯を取らずの渓谷浴は、すこぶる気分良いものだった!! 宿に行く道すがら甲府盆地を見渡せる丘陵(笛吹川フルーツ公園)に寄った。 途中のフルーツラインと称される道路は、まさに果樹農園の中を走っているよう。 目的の笛吹川フルーツ公園は、想いの外立派な公園で驚いた。駐車場も無料!! 観光地と言うより近在生活者の憩いの場の様に映る(ごく一部分しか見ていないが)。 資料には、公園内に近代的な老舗富士屋ホテルがある由(泊まりたかった)。 世界ブランドになったワイン産地、海のない山梨県でのホテル料理は如何に、と思う!! 甲州は、素朴な温泉郷、懐深い山々に囲まれ盆地と云ったイメージだった我が青年期頃。 親になった頃には、白州町のサントリーワイナリーが人気を博していた。 その白州町の山間に、BMXレースの立派なコースがあった。35年以上前の事。 夕暮れ近くで、浮かび上がるように富士山が顔を見せてくれた。 やはり富士山は、優美だ。 「令和肆年(皇紀2682年)11月12日、記」