《 “里地”にも春の気配が!!❖ 23-17❖》

アケボノアセビ(曙馬酔木) ツ... アケボノアセビ(曙馬酔木) ツツジ科(Ericaceae)
学名:Pieris japonica f. roseaMakino
別名: ベニバナアセビ(紅花馬酔木)

《 “里地”にも春の気配が!!...
上、2画像; ヒイラギナンテン... 上、2画像;
ヒイラギナンテン(柊南天) メギ科 (Berberidaceae)
学名:Mahonia japonica(Thunb.)DC.
別名:トウナンテン
泉の森・池周辺で一年を通して出... 泉の森・池周辺で一年を通して出会える水鳥(かるがも)。
画像は、子供のかるがもか??

ふれあいの森には植栽された木々... ふれあいの森には植栽された木々が多い。梅が開花していた。
梅園の脇に成っていた金柑。 梅園の脇に成っていた金柑。
《散歩道に見ゆる “早春の息吹”泉の森~ふれあいの森》

アケボノアセビ(曙馬酔木);
ベニバナアセビとも呼ばれるように、 アセビ の紅色種。
紅花馬酔木と云うより薄紅馬酔木(ウスベニアセビ)の方が的確。
 花は淡紅色で清楚だが、鈴なりに連なってる姿は遠目にも目立つ。
アセビの仲間の蕾はいずれも赤色、蕾が膨らむと違いが分る!!

ヒイラギナンテン(柊南天);
ヒイラギナンテンは常緑だが、陽があたり気温が低くなる場所では紅葉する由。
陽影に植栽されたものしか見たことが無いので紅葉した葉を観てみたい。
小さめの黄色い花、結構に見応えある。花にはぶどうのような匂いを持つ。


「令和伍年(皇紀2683年)2月15日、記」

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《 “里地にひっそりと食材が”!!❖ 23-16❖》

フキノトウ(蕗の薹) キク科 ... フキノトウ(蕗の薹) キク科 (Asteraceae /Compositae)    学名:Petasites japonicus (Sieb. et Zucc.) Maxim.

《 “蕗の薹・款冬・菜蕗”野菜!?!泉の森端》


ふきのとう(蕗の薹・蕗の花を指す)は、蕾みの状態を意味している。
それを摘み取り、天ぷらや煮物・味噌汁・ふきのとう味噌等に調理する。
一般的には、花が開いた状態になったふきのとうは食べない。
細かく刻み油味噌に絡める「ふきのとう味噌」などには利用されている。
蕗の薹の茎部分を軽く灰汁抜きし肉や刻んだ油揚げ、糸蒟蒻等で煮付けで頂く。
葉柄は、重曹や木灰等を入れた熱湯で灰汁(アク)抜き煮物や炒め物に。
生のまま塩や塩糠に漬け込み保存、調理前に煮て流水で塩抜き、
煮物や炒め物にする。このように処置しておくと冬の間にも利用できる。
醤油と砂糖で濃い味の佃煮にしたものを「きゃらぶき」と言い保存食・常備菜となる。
繊維質やミネラルが豊富で、昔は冬の野菜不足を補う一般的な山菜であった。
蕗の薹は、植物としては フキ(蕗)だが、早春の山菜としておなじみ。
花が開くほど苦味が強くなるので、生で食べるには花の開く前が良い。
がしかし、高温の油で苦味が少なくなる。天麩羅には咲き始めの花が美味。
*       *      *      *      *
観ることはできるが近づけない場所にあるフキノトウ。
昨日は、今年初めての積雪を見た(神奈川では2・3月が普通)。
地中は、春まじかとメタボリズム(新陳代謝)が始まっているだろう。
目の前のフキノトウは、食材に供するのではなく野生化してる。
里地の片隅に見る「蕗の薹」、今年もまた会えた。早春である。
*      *      *
まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の薹(たう)萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ
枯れ伏しし蕗にまぢかき虎耳草(ゆきのした)ひかりを浴みて冬越えむとす
(1937「庭前」,齋藤茂吉『寒雲』)
*       *      *      *      *
今日は、建国記念の日、1967年(昭和42年)から実施されている国民の祝日。
かつては”紀元節”として奉祝されてきたが、戦後廃止された。
「紀元節(きげんせつ)」とは、神武天皇が即位したと日本書紀で伝えられている日。
当時の暦では1月1日で、明治に入って新暦に換算されて2月11日となった。
神武天皇が即位したのは、西暦では紀元前660年にあたる。
神武天皇は初代天皇で、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)の事。
以来皇統は途切れることなく引き継がれ、令和の天皇は第126代に在らせられる。
現在主流となっている西暦は、イエス・キリストの生誕年を元年とする紀年法。
一方、神武天皇即位の年を元年とする紀年法は、1872年に制定された。
「皇紀(こうき)」「皇暦(こうれき)」「神武暦」と呼ばれていた。
日本独自の紀年法に基ずく呼称に戻すのも一考と思う。

「令和伍年(皇紀2683年)2月11日、記」

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《襍・/・画 “今年初見の樹花” ❖’23-15》

泉の森・民家園の素芯蝋梅。 泉の森・民家園の素芯蝋梅。
ふれあいの森の素芯蝋梅。 ふれあいの森の素芯蝋梅。
《身近な里地、泉の森・ふれあいの森2/6》
ソシンロウバイ(素心蝋梅) ロウバイ科(Calycanthaceae)
学名:Chimonanthus praecox (L.) Link form. luteus (Makino) Okuyama
蝋梅名は、半透明で蝋細工の様な花弁で、茎にスポンジ状の白い芯。
これが素心蝋梅と名付いた由来とされている。
ロウバイの園芸品種。内側の花被片が赤色を帯びない。
花もやや大きく、ロウバイより多く栽培されている。
ロウバイは、花がやや小さく内側の花被片が赤色を帯びる。

「令和伍年(皇紀2683年)2月9日、記」

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《襍・/・画 “CP+2023” ❖’23-14》

完成された名機、❛LeicaM... 完成された名機、❛LeicaM3❜
M3より古いライカ III f... M3より古いライカ III fの天井部、美しい。
ライカ III f+ライカエル... ライカ III f+ライカエルマー50mmF3.5機能的で使い勝手がよかった。
《襍・/・画 “CP+2023...
上二枚の画像は、LeicaM3... 上二枚の画像は、LeicaM3をパクった小型カメラ。
ミノックス製、遊び心ろ満載。ちゃんと写る。手中に隠れる大きさ。
最も気に入っていた、NIKON... 最も気に入っていた、NIKON SP 楽しいカメラだった。

編集

《二月の楽しみ・・❝CAMERA&PHOTO IMAGING SHOW❞》
’豆まき’が終わり春分の日も過ぎると私的楽しみが脳裏にせまってくる。
カメラ好きにとっては、年に一度のカメラ大展示会は貴重な催しだ。
今では、ネットを通せばあらゆることを容易に検索できる。
だが、カメラ関係機材を実際に触れて見れる機会は、CP+くらいだ。
会場で配布される出展機材写真一覧パンフレットは重宝でもある。
古くは、東京日本橋高島屋で開催されていて、見学後カメラ屋巡りもした。
今や日本のお家芸的に世界を席巻してるデジカメ産業、恐れ入る!!
そんな中でも全世界の写真家に愛用されてるドイツ製カメラ❛Leica❜。
高性能・・・高価格、とても、とても・・・高嶺の花、それ以上のカメラだ。
フィルム(銀塩)カメラ時代、❛LeicaM3❜を使っているご婦人が身近にみえた。
写真仲間、兄上がプロ写真家でおさがりだといっていたが・・どうしてどうして!!
撮影センスは、すごいものを持っておられた。今はどうしておれるか??
へそ曲がりの僕は、あえて一眼ではないレンジファインダーの国産中古カメラを探した。
それがNIKON SP。これとて分不相応なカメラだったが安く入手できた。
40年も昔のこと。ドイツと往復してた事もあって日本製カメラを誇りに思ってた。
性能的にライカに遜色なかった。ある時、友達とカメラ交換をしたことがあった。
欲しかった中判カメラとNIKON SPと交換、それほど評価されたカメラとおもっている。
今は、使わなくなったがフォルムが好きだ(一眼ではない。レンジファインダーだ)。
中身は、デジタルでいい、外観だけでも往年の形状でかつ日本製カメラの登場を待たい。
ある機種のデジカメを卒業したく思っている今、花撮影に特化したシステムもさがしたい。
知人のを借用して目星はついているが、高価。目の保養にでかけてみるか!?!

「令和伍年(皇紀2683年)2月6日、記」

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《襍・/・画 “豆まき!!” ❖’23-13》

《襍・/・画 “豆まき!!” ...
子供のころ、豆を買いに行くとこ... 子供のころ、豆を買いに行くとこんなお面がついていた。
お面をつけて豆をまいた記憶がある??
太巻きのお寿司は、子供時分、食... 太巻きのお寿司は、子供時分、食べた記憶がない。
恵方巻は、関西の食仕方と思ってきたが!?!
《遊び感覚だった”節分・・❝豆まきは、今!!❞》

節分祭という行事を見に行ったことがない。
各地でいろいろな催しがあるようだが出かけたことなかった。
若い・・青春時代頃は、期末テストでそれどころではなかった。
今でも覚えているのは、小学生時代に自宅でやった’豆まき’。
鬼は、そとぉ~! 福はうちぃ~! なんて言っていた気がする。
歳の数だけ豆を食べたのは覚えているが、夕食は何を頂いたか??
印象にない。ただ、母が小豆を煮込み羊羹を作り食べさせてくれた。
粒あんの羊羹は、我が家では定番お菓子でよく頂いたものだ。
 節分とは、各季節の始まりの日(立春立夏立秋立冬)の前日を意味する。
生まれ育った神奈川県の郷土的催しがあるや否や知り得ていない。
2月頃は、父や自分も多忙で節分を意識したことがなかった様なきがしている。
孫たちには、日本の伝統文化を知ってほしい。意識して教え示していきたいものだ。


「令和伍年(皇紀2683年)2月3日、記」

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《襍・/・画 “テレヴィジョン!!” ❖’23-12》

古き和室の佇まい。... 古き和室の佇まい。

モダ~ンな、ちょっとおしゃれな... モダ~ンな、ちょっとおしゃれな感じ、現代和室。

《televisionと共にある我が人生”懐古”》

今年は、寒気が強いと言われているが、それは今的感覚。

家中の暖房が、囲炉裏・炬燵・火鉢が主流だった我が子供時代。

風呂用の薪は、買っていた。石油ストーブ、電気炬燵に驚いた幼少期。

寝床に”湯たんぽ”今や知る人も少ないか(団塊世代なら???)。

暖房用には、豆炭が中心で炭も多用していた。居間の暖炉は暖かい。

今では諸問題があって使うのをひかえている。

そんな幼少期にNHK等のテレビ放送がはじまった。

今日は、テレビ放送記念日。1953(昭和28)年、NHK東京放送局がTV本放送を開始した。

受信料は月200円。53年8月に日本テレビ、翌54(昭和29)年3月にNHK大阪と名古屋。

55(昭和30)年4月にラジオ東京《現在の東京放送(TBS)》もテレビ放送が開始している。

我が家には、米国GE製の14吋のテレビがあった(いただきものだった由)。

白黒で、、、懐かしく思い出す。カラーテレビが普及したのは前東京オリンピック頃。

1959年の皇太子殿下(現上皇)のご成婚パレードがきっかけでカラーテレビ化が進んだ。

更には、この年にロケ取材番組が始まっていた。驚きの紀行取材だった。

兼高かおる世界飛び歩き』(『兼高かおる 世界の旅』の前身番組。)

世界の旅は1990年までつづいた長寿番組。刺激を受けた旅番組だった。

そしていまひとつ今でも見れてる旅・紀行番組『遠くへ行きたい』も、感慨深い。

兼高さんの世界紹介に感化され異国を旅してみると、国内を知らない自分が???

古都保存・町並み保存により感心がふかまった。成果は見たが、更なる課題もある。

TV放送も転換期だろう。今を生きる、未来を模索すべく、テレビ放送記念日におもう。

「令和伍年(皇紀2683年)2月1日、記」

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《襍・/・画 “忘れられていた植物” ❖’23-11》

《襍・/・画 “忘れられていた...
《花壇の片隅で立派に生きてる”万年青”》

今年は、寒気が強いと言われているが、、、?
僕の幼少期の感覚を思い起こすとそんなに寒いか!?!
身体が、寒さに慣れていたのかもしれない。単に鈍いのかも。

庭手入れの道具箱の裏側で、一鉢の植物が健気な姿をみせていた。
手入れもせずいつの間にかこんなところに追いやられていた。
万年青(オモト)、いつも青々と葉の姿も張りがあって美しい。
長寿と健康を司る縁起の良い植物とされ親しまれている古典園芸植物。

寒椿が蕾を持ち始めた。そんな木々の下で活きている。
ある瞬間、陽の明かりに照らされて華麗な姿をみせてくれた。

「令和伍年(皇紀2683年)1月25日、記」

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《襍・/・画 “あづさい'23(1)” ❖’23-10》

まだ、額輪、花が残っている。下... まだ、額輪、花が残っている。下部には新芽が元気に顔を見せた。
可愛い新芽。 可愛い新芽。
如何になるか楽しみだ!! 如何になるか楽しみだ!!
《自庭の紫陽花観察(1)》


一月も二〇日を過ぎた。小さな庭の一角に数株の紫陽花を地植えしている。
年頭より新芽が見え出して結構成長してきた。楽しみに観察して行こう。
我が家の紫陽花植栽場所は、比較的日当たりがよく落葉が遅かった。
いくつかの枝には、まだ花が残っている。このまま自然体で放置してみる。

マニュアル・手持ち、ワイドで撮っている。
切り出し画像だが、ピントがいまいち??老眼ゆえか??

「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」



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《襍・/・画 “匠・・道具” ❖’23-09》

鉋・・・日常の生活の中ではあま... 鉋・・・日常の生活の中ではあまり出番がなくなったが、
子供と一緒に遊べる道具だ。
何ともかわいい鉋。用途は特殊か... 何ともかわいい鉋。用途は特殊かもしれないが、見ているだけでもいい。
書斎に置いておくだけでもたのしめる。
鉋・大工の力量か、均一に如何に... 鉋・大工の力量か、均一に如何に薄く長く削れるか!!


《寺社建築の表情・・・!!》

日本の木造建築は、すばらしい。単なる素材ではなく木々の命を見せている。
とりわけ寺社建造物を手掛ける”宮大工”の職人技は、冠たるものがあり誇らしい。
技を活かす原動力源が、道具群。鑿・鉋・鋸等々、みな日本独自の鍛冶職人の技。
それら道具を駆使する大工さんは、魔術師のようにみえる。棟梁は、神だ。
道具、取分け刃物の切れ味は怖しい程に鋭い。地元鎌倉にも伝統ある刀工房がある。
生活具も作っておられ、包丁や鋏は、百年近く使っていても益々元気!!
現代の使い捨ての真逆をいっている。我が孫にも是非に使い続けてほしい。

この小正月に長男が、裁ちばさみと包丁を使うと言って引き取りにきた。
長男の仲間に砥ぎ師がいるから、と。ついでに鰹節削り器の刃も依頼!!
全部、子供に使ってほしく思って出しておいた(孫まで繋げるか)。
鰹節削り器の箱本体、鉋の鉋台部分共にかなり痛んでおり今は使っていない。
母は、鰹節削りを愛用していた。父が新潟で鉋職人から入手した物に由。
取に来た長男が、鉋の刃を見て驚いていた。刃を作った職人を知っていると!!
新潟県長岡市の与板打刃物・伝統工芸士、名工と謳われた碓氷健吾作だとか。
故人で面識はないというが、お弟子さんの船津祐司氏(鉋鍛冶)から聞いていると。
また、国立民族学博物館(大阪)映像資料「鉋づくり」も見たといっていた。
そんな職人さんの刃がなして我が家に??不思議だがご縁があったとしよう。
 新潟県三条市には、鰹節削り器の心臓部を作っている所もある由。
鉋(かんな)の木部「鉋台(かんなだい)」だけを作り続けているとは驚きだ。
刃を作る鍛冶屋、鉋台を作るのは台屋と呼ばれている由。知らなかった!!

鉋で思い出すのは、槍鉋。往古の木造建築物表面加工!!に使われていた由。
法隆寺宮大工、故西岡常一棟梁によって蘇った槍鉋と技巧。まさに温故知新。

日本の木造建築技巧をもっと取り入れるべきではないか。世界に誇り得るものだ。

昔、歴史的風土を考える市民団体が鎌倉にあった(全国歴史的風土保存連盟)。
今の時代に今一度、和の風土感を考えてみるのも一考か、と思ってやまない。

「令和伍年(皇紀2683年)1月21日、記」



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《襍・/・画“冬・森々(深々)” ❖’23-08》

冬・・雪中の室生寺・金堂。静か... 冬・・雪中の室生寺・金堂。静かなたたずまい。
室生寺・五重塔、瀟洒この上ない... 室生寺・五重塔、瀟洒この上ない。
一日で風情が!!幽玄な世界に。... 一日で風情が!!幽玄な世界に。
昨今は、ライトアップの照明器具が??
きらびやかにして頂きたくない。
かつ、機材は目障りで。。。!
石塔群、どことなく人体をおもわ... 石塔群、どことなく人体をおもわせる。
この五輪塔、鎌倉時代を思わせる... この五輪塔、鎌倉時代を思わせる。素朴な火輪がいい!!



《山懐に佇む古刹「宀一」山(べんいちさん)!!》

昔、社寺建築撮影の荷物持ちの手伝いをしたことがあった。
「宀一」山(べんいちさん)と言う変わった山号の古刹。
奈良県宇陀市にある室生寺。全山白皚々と言った趣ある寺院。
 土門拳の「室生寺ひとむかし」に、当時の荒木良仙老師の言葉が載っている。
室生寺が一番美しいのは、全山白皚々たる雪の室生寺が第一等である、と。
土門師は、青葉の室生寺域を好み、山気がジーンと肌に迫るところを気に入っていた。
老師に感化され、『女人高野室生寺』を編む中に雪の室生寺を入れるべく苦闘している。
1978(昭和53)年2月中旬の撮影模様は、壮絶な戦い、と言った感をもった。
病をおしての撮影待機、定宿・橋本屋の人々の温情、今の時代では味わえない風情がみえる。
土門師の感慨、「ぼくの待っていた雪はさーっと一掃け、掃いたような春の雪であった」。
かような風情は、残っているだろう。が、参拝者が多く静かではない。
参拝の楽しみ、自分流の静かな場所探しである。室生寺、再訪したい。
昨今の寺院、夜間のライトアップが盛んなようだが、、、好まない!?!
あのキラキラ感、好きでない。室生寺でもやっているようだ!?!

「令和伍年(皇紀2683年)1月18日、記」

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