《襍観・/・凡声“植物(3+1)!?!”❖’22-14》

フクジュソウ(福寿草) キンポ... フクジュソウ(福寿草) キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Adonis ramosa Franch.
別名: チョウジュソウ(長寿草)、ガンジツソウ(元日草)
《泉の森・/・22/2/3》
フクジュソウ(福寿草);
いわゆる、「スプリング・エフェメラル」を代表する花と映る花。
雪解けと同時に初春一番で咲く事から「元日草」の名もある。
一面の枯落ち葉の中に鮮やかな黄色の花がみられるようになった。
園芸種として江戸時代から品種改良が盛んで紅花の「秩父紅」は有名。
キンポウゲ科、有毒で新芽の季節に誤食事故も起きている要注意。
従来、日本のフクジュソウは、種としては1種類と考えられていたのだが??
近年の研究によって分類が見直され、日本の福寿草は4種と判明した。
「フクジュソウ」(Adonis ramosa)、「ミチノクフクジュソウ」(Adonis multiflola)、
「キタミフクジュソウ」(Adonis amurensis)、「シコクフクジュソウ」(Adonis shikokuensis)。
学名から判るように、品種や変種ではなく、別種として扱われている。
「キタミ」「シコク」は地域限定だが、「ミチノク」は、本州全域と九州に分布。
目の前の花が、どの種に属するものかは、分からない。
「令和肆年(皇紀2682年)2月5日、記」
#植物

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《襍観・/・凡声“懐かしの行事!?!”❖’22-13》

“けんちん汁”(建長寺汁)。... “けんちん汁”(建長寺汁)。



信貴山朝護孫子寺 節分大法要・... 信貴山朝護孫子寺 節分大法要・鬼追式(豆まき)・星祭法要。




長谷寺の「だだおし」は、大和に... 長谷寺の「だだおし」は、大和における代表的な「火祭り」(赤鬼)。
長谷寺の青鬼。 「だだおし」の... 長谷寺の青鬼。
「だだおし」の「だだ」とは、閻魔大王の持ち物で悪人の罪を罰し穢れを祓う杖。
又、厄病神を駆逐する「難押し(だおし)」から来たという説もある。




《叛逆のろれつ、節分・・って。。。!》
二月三日の節分、って現代社会では何を行っているだろうか??
節分、各季節の始まり(立春、立夏、立秋、立冬)その前日を云う。
そんな風に教えられてきた。我が子達にも伝えているが。。。!
新暦・・旧暦、面倒で説明せずに、立春の前日を節分と云っている。
旧暦では春(立春)の節分は大晦日に当たる大事な日であった由。
又、季節の分かれ目(年の分かれ目)には邪気が入りやすい、と。
邪気が入りやすい節分に厄払いの行事が行われる(豆まき!)。
豆まきのしかた、我が家では家長(父親)が各部屋に落花生を捲いていた。
母が北海道育ちだったからなのか??両親から聞き漏らした、残念。
我が家の節分、夕飯には厄払いを以って、“けんちん汁”を頂いていた。
“けんちん汁”は、建長寺汁が語源とされる精進料理のひとつ。
特徴は、残り物の根菜、季節野菜等、ありあわせのものを使う。
鰹節や煮干しのダシは使わない、昆布・シイタケのみを使う。
ごま油で炒める。豆腐はもみつぶす。炒めながら醤油で下味をつける。
水を入れて煮たあとに仕上げの醤油で味付けをする。
複数の具材を一度に入れ煮るのではなく、丁寧に作り上げていく。
豆腐をもみつぶすところが建長寺汁のはじまりであり特徴と言われている。
なにゆえ、豆腐をもみつぶすのか? 寺に言い伝えがのこっている。
*      *      *      *      *
ある日、寺近くの住人が大覚禅師(建長寺開祖)に一丁の豆腐を寄進した。
禅師は、「一人で食すことは仏祖に申しわけがない」と、
膝下の修行僧と共に頂く為、食事係(典座、てんぞ)に一丁の豆腐を渡した。
典座は、700人ほどもの修行僧にどうすればいきわたるかを思案したあげく、
汁に豆腐をもみつぶして入れることに。
皆に広く公平に行き渡る様にする、仏教訓「食平等(じきびょうどう)」。
建長寺汁の豆腐は、食平等。精進料理の野菜に禅の教えが込められている。
皮まで残さず使う。食材はなるべく薄く、細かく切る。
殺生をしてはいけないという教えから肉や魚を使わない精進料理。
植物である野菜に対しても「他の者の命を頂く」、その気持ちを大事にする。
このひとつの椀の中に、人の思いや尊さがこめられている。
「建長寺では年に2回、修行僧たちが檀家さんを招いて精進料理を振る舞っている」
禅に云う『食材を活かしきる』という教え、それが伝承・建長汁(けんちん汁)。
*      *      *      *      *
能書きが・・・先になってしまったが、地域文化ってなんだろうと改めて思う。
身近な人々をみると、神奈川人でありながら節分に“恵方巻き”を頂いている!?!
“恵方巻き”って関西特有の食文化(節分)でなかったか!!
何も全国区にする必要があるのかって思う。豆まき用の豆(大豆)と落花生。
それぞれに歴史があるだろう。流行りとか好みもあるだろうが、、、。
何か??商売が・・・。僕からすると、恵方巻きは地方文化であって欲しい。
文化的行事、節分祭とか鬼追式と言った奈良の寺、行事を思い出す。
「和敬静寂」、そんな雰囲気をおもうのである。コロナ終焉をも希する所。
「令和肆年(皇紀2682年)2月3~4日、記」
#ブログ

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《襍記・/・青少年期の思い出❖’22-12》

神奈川県葉山町・森戸海岸・・名... 神奈川県葉山町・森戸海岸・・名島、裕次郎灯台
《懐かしの海辺、秋谷・森戸・鐙摺・披露山・材木座・稲村ヶ崎》
横須賀市・葉山町・逗子市・鎌倉市、こんな辺りで育った。
青春・青年時代は、このあたりが生活・遊び場であり友達も多くいる。
前の東京オリンピック頃が、當に我が青春真っ盛りの頃だった。
若者の間でIVYスタイルが流行りだした頃。アメリカ・アメリカだった。
でも、僕は米東部のカレッジファッションではなくブルックスブラザーズ!?!
幼少期、横須賀米軍基地内の教会属の日曜学校に参加させてもらえていた。
そこで知り合った人々、牧師さんや軍属の人々の中にBB愛好家がいて。
鎌倉材木座の家には、米軍関係者が週末に良く遊びに来ていた。
そんな人々が、衣服を持参してくれていた(いわゆるお古)。。!!
何も知らずに、アメリカントラディショナルファッションにどっぷり浸かってた。
横須賀は、独特な雰囲気があった所だ。ローカルだが。
僕らより上世代は、“太陽族”とかいう若者の社会現象があった由。
新進気鋭の石原慎太郎作品『太陽の季節』が第1回文學界新人賞を受賞。
而して 『太陽の季節』は、第34回芥川賞を史上最年少で受賞した。
又、『太陽の季節』は映画化され、弟・裕次郎が俳優としてデビューした。
慎太郎自らも映画に初出演、「太陽族」、「慎太郎刈り」が大流行した由。
だが、映画『太陽の季節』が反社会的とかで映画倫理委員会が出来る契機となった。

ヨットマンだった石原慎太郎・裕次郎兄弟。葉山周辺は、ヨットの聖地でも在る。
皇室の御用邸がある葉山だが、若者たちにとっても葉山は人気があった。
葉山の森戸海岸には我が大学の海の家(キャンスト)があったりで良く行った。
海上には森戸神社の鳥居がみえ、鳥居の立っている小さな島を名島という。
往古は、岩場で陸とつながっていたと言われてもいる。
今、名島の隣にかわいい灯台がある。この灯台は、裕次郎灯台と呼ばれている。
ヨットマンだった故石原裕次郎の三周忌を記念して兄慎太郎が基金を募り建てた。
葉山・森戸海岸沖の岩礁に建つ灯台、3秒に1度閃光し海の安全を守っている。
僕らにとって青春時代のシンボリック的存在な石原慎太郎さん。
政治家としてより、作家として而してヨットマンとしての存在の方が親近感が在る。
僕にとって小説家石原慎太郎作品は、『青年の樹』が最も印象に残っている。

昭和の偉人が、又一人、天星された。深く哀悼の意を表したい。
石原慎太郎さん、政治家としてももっと評価されて然るべきと思って止まない。
「令和肆年(皇紀2682年)2月1日、記」

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《襍観・/・凡声“植物(2)・・!?!”❖’22-11》

ヒメリュウキンカ(姫立金花)キ... ヒメリュウキンカ(姫立金花)キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Ranunculus ficaria L.
別名: オウシュウキンポウゲ(欧州金鳳花)
《襍観・/・凡声“植物(2)・...
《泉の森・/・22/1/21》
ヒメリュウキンカ(姫立金花);
ヒメリュウキンカは、イギリス原産と言われている帰化植物。
草丈は5~20㎝。葉は心形で艶あり浅い鋸歯がある。
花茎2~3㎝、春に黄色い花を付け、スプリングエフェメラルと言われる。
花弁(花に見える萼片)5枚。花は一重咲きで比較的大きい。
この花は萼花弁と呼ばれるもので本当の花は退化している。
夏に地上部がない夏眠性の植物で、地下に塊根がタコ足状に数本ある。
秋に芽を出し始め、冬の間も少しずつ芽を伸ばして葉をひろげる。
晩冬から早春に株はロゼット状に広がり、中心に蕾を抱き始める。
春に次々と咲く黄色の6~8枚の萼花弁、キラキラと輝く。
基本は黄色の一重咲きだが、多様な園芸種があり、愛好家に好まれている。
「令和肆年(皇紀2682年)1月30日、記」
#植物

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《襍観・/・凡声“植物(1)!?!”❖’22-10》

《襍観・/・凡声“植物(1)!...
ヒメウズ(姫烏頭) キンポウゲ... ヒメウズ(姫烏頭) キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Semiaquilegia adoxoides (DC.) Makino
別名: トンボソウ
《泉の森・/・22/1/21》
ヒメウズ(姫烏頭);
ウズとは鳥の頭と書き、トリカブトのこと。
ヤマトリカブト などの葉と似ているが、 ヤマオダマキ  と同属。
花は、小さく全体に細い。根茎は長さ約1㎝の塊状。茎は、紫褐色で軟毛が生える。
根生葉には長い柄があり、3出複葉。小葉は丸く2~3裂し、裂片は更に浅く2~3裂。
花は下向きに咲き、直径4~5㎜。花弁は筒状に5個つき、淡黄色。
雄蕊9~14個、内側の雄蕊は仮雄蕊。雌蕊2~4個。萼片5個、白色~淡紅紫色の花弁状。

今年初めて見つけた小さな花。
「令和肆年(皇紀2682年)1月27日、記」
#植物

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《襍観・/・凡声“伝統的なもの(2)!!”❖’22-9》

《襍観・/・凡声“伝統的なもの...
《襍観・/・凡声“伝統的なもの...
《陶器・/・布・/・木工》
旧き布(織物・久留米絣)の織柄を見ると、、、!!
布片の菱型等、織り込まれた図柄が面白い。用途は・・・?
普段、敷物に使っているが額に入れ飾っても良いかもしれない。
久留米の布片の下に敷いているのは、唐棧織の布片。
細かい縦縞が特徴の織り方だ。仲間と分けて一部分が残っている。
布の上に置いているピッチャー・扁壺の陶器、好みの色であり器。
真ん中の木工は、拭漆。僕の敬愛する木地師、府川晃さんの作。
どれも超一級のものだ。市井の職人技。僕の大切な宝物。
手仕事、緻密で手間のかかる仕事。後世に残る仕事と眺めている。
「令和肆年(皇紀2682年)1月24日、記」

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《襍観・/・凡声“伝統的なもの(1)・・・!?!”❖’22-8》

《襍観・/・凡声“伝統的なもの...
《襍観・/・凡声“伝統的なもの...
《和・/・洋》
旧き時代の一般的に使われた布(織物)の中に久留米絣がある。
その布が寝具の布団皮にも使われていた。図柄も沢山あった。
おめでたいものに使われたと思しきものが、手元にある。
今の時代に見ても図柄は興味深く、時折、敷物として使っている。
旧き明治・大正時代に織られた布、嫁入り持参品の布団皮。
現代では工芸品とされるが、元々職人の仕事、工芸品ではなかった。
*       *       *       *       *
敷物として用いた久留米絣の布、その上にあるお菓子は(仏)伝統のお菓子。
その子細については、以前ブログルで書いたので参照してください。
神事に関係する伝統的お菓子。日本人は、洋菓子をも多様に受け入れてる。
おかげで美味しいものを容易に手に出来る。和洋共々食する事ができる幸せ!!
そこで思うのは、“素” “原点”を見据えて今を知ることではないか。
青春時代に“民藝”を知り、河井寛次郎・濱田庄司・バーナード・リーチに出会えた。
特に、木工家具研究者の池田三四郎さんには師として教えを乞うた。
物好き愛好にすぎない陶器・木工だが、それらから色々と教えて頂いている。
伝統の素を忘れてはなるまい。目利き・眼力を養う。改めて思う。。。!
また仏お菓子文化では、A・ルコントさんに多くを教えて頂けた。
食に関しては、小野正吉・野田岩次郎御大に色々教えて頂けた。
偉人の教えを我が身内に残すべく記録作りを、と年頭に思った。
「令和肆年(皇紀2682年)1月21日、記」



#ブログ

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《襍観・/・凡声“歴史的環境・・・!?!”❖’22-7》

現代的な温室野菜か?? 現代的な温室野菜か??
野菜畑 野菜畑
相模平野と丹沢山地・大山 相模平野と丹沢山地・大山
《襍観・/・凡声“歴史的環境・...
宇都母知神社の本殿は、簡素な姿... 宇都母知神社の本殿は、簡素な姿を魅せる。
《襍観・/・凡声“歴史的環境・...
《襍観・/・凡声“歴史的環境・...
鎮守の森の片鱗をみせている。 鎮守の森の片鱗をみせている。
神社の外回り道路の脇に鐘撞堂が... 神社の外回り道路の脇に鐘撞堂がある。
地域住民が如何に助けあい信心し... 地域住民が如何に助けあい信心していたかが、現れている石碑文面。
現代の地域文化の拠点、K大学キ... 現代の地域文化の拠点、K大学キャンパス。
航空写真を見ると、新旧の文化の... 航空写真を見ると、新旧の文化の拠点が隣り合わせに見える。
このあたりから見るダイアモンド富士は、綺麗だ。
この環境、景観、この先も維持してほしいものだ。
《藤沢市打戻・/・遠藤地区》
昭和の時代頃までこの藤沢北西部地区は、農耕を中心とした生活環境だった。
北部とはいえないが、六会(小田急江ノ島線沿い)には大学・附属高・中校がある。
そのアカデミアから奥に通じる田園風景、昭和の原風景!!(半世期ほど前のこと)。
引地川を北上すれば、湘南台・長後と住宅地化している(小田急江ノ島線が主幹)。
この50年余りで都市化、湘南台には、横浜方面からの鉄道が乗り入れられた。
交通の便が格段に良くなり、その周りを素朴な田園景観が包み込む。
古く社寺は、文化の拠点であった。“鎮守の森”とか“鎮守様”と呼んだものである。
今では、学術・・文化といえば大学をはじめとする教育の場か・・・!!
*       *       *       *       *
藤沢市の地区計画に“健康と文化の森地区地区計画”を見つけた。
場所は、遠藤字打越、字西谷、字苅込、字矢崎、字諸之木、字笹窪上、
並びに打戻字大谷 地内、約44.4ヘクタール。
「健康と文化の森地区」がめざす、みらいを創造するキャンパスタウンを形成するために、
みどり豊かな自然を背景に、大学の技術集積や学術研究機能を核とし、
地域の強みを活かした活力が創造される都市環境の形成を図る。
*       *       *       *       *
文化の核(拠点)を大学という学術機関に置き準備・整備されつつある。
昔よりある原風景を堅持しつつ未来に向かって如何に環境を整えるか!?!
整備(再構築)ではなく歴史的環境保全との融合を望みたい。
この藤沢市の計画に隣接する茅ヶ崎市にも大学、里山公園がある。
更には、隣接する寒川町に「相模國一之宮、旧国幣中社・寒川神社」がある。
行政区画では、2市・1町に分かれている。だが田園景観・農耕地が共存している。
点から面へ、而して域へ。歴史的環境=過去・現在・未来を上手く共存させて欲しい。
「令和肆年(皇紀2682年)1月18日、記」
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《襍観・/・凡声“由緒ある神社境内!?!”❖’22-6》

神社案内板・・・かわいい^^)... 神社案内板・・・かわいい^^)。
提灯は、日本の紙・竹を使った文... 提灯は、日本の紙・竹を使った文化の継承に他ならないだろう。
菅原神社(境内社)・・・学問の... 菅原神社(境内社)・・・学問の神様!!
祈願の絵馬。 祈願の絵馬。
稲荷神社(境内社)・・・商売の... 稲荷神社(境内社)・・・商売の神を祀る!?!
鐘撞堂・・・神社の境内には含ま... 鐘撞堂・・・神社の境内には含まれていないのか???神仏混交の背景を思う。
《藤沢市打戻・/・宇都母知神社(2)》
さほど広くない境内だが、宇都母知神社は、『日本総風土記』によると、
宇都母知神社、式内社で言う社格は郷社とされている。
今的には、地域住民のための神社と言った感じか。明治六年に郷社に列せられた。
 大正十二年の関東大震災で社殿等全てが倒壊してしまった。
だが村人一同の総力で倒壊後わずか三年、大正十五年九月に総てを復旧させた。
昭和二十年春、戦争物資回収で鐘撞を献納し、鐘楼に鐘がないまゝであった。
が昭和五十年、天皇の即位五十年を記念して氏子総意により鐘が再建された。
境内は、約一丁六反(約一万六千平方米)で全域に風致林の指定を受けている。
また昭和四十九年、自然環境保全地域に指定されている。
「令和肆年(皇紀2682年)1月15日、記」
#ブログ

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《襍観・/・凡声“由緒ある神社!?!”❖’22-5》

宇都母知神社(うつもちじんじゃ... 宇都母知神社(うつもちじんじゃ)、正面鳥居。
《襍観・/・凡声“由緒ある神社...
参道からの本殿。 参道からの本殿。
狛犬。右 狛犬。右
狛犬。左 狛犬。左
本殿、左側(神輿舎)。右側に菅... 本殿、左側(神輿舎)。右側に菅原神社、稲荷神社と並ぶ。
参道の右側、郷土資料館。 参道の右側、郷土資料館。
神社・社務所全景(参集殿・・参... 神社・社務所全景(参集殿・・参道から本殿に向かって左)。
《藤沢市打戻・/・宇都母知神社》
藤沢市に打戻(うちもどり)と云う地がある。周辺は、田園地帯だ。
現代の地勢・治世的に見るとしっかりと郊外・緑ある田園農地と感じる。
すぐ近くに大学があったりと最近注目されてる地域でもある。
往古の日本の原風景も感じられる地域だ。“鎮守の森”の風情も感じ取れる。
*       *       *       *       *
宇都母知神社(うつもち)は、『日本総風土記』によると、
495年(雄略3年)に祭祀が行われたことが記されている(創建年は不詳)。
1290年(正応3年)、九代執権北条貞時が社殿を改築。
1627年(寛永4年)には、領主高木主水が社地九百坪を寄進し本殿を改築。
1923年(大正12年)関東大震災によって社殿等全部が崩壊した。
3年後の1926年(大正15年)には現在の姿に復旧された。
(※震災当時の建物は、1858年(安政5年)に建築されたもの)
祭神;
天照大御神(あまてらすおおみかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)
若日下部命(わかくさかべのみこと)
 宮鐘・・宇都母知神社銅鐘は、第二次世界大戦中の物資回収によって献納。
現在の銅鐘は、1975年(昭和50年)、天皇在位50年を記念して鋳造された。
※ 延喜式内相模十三社 ※
(大社一座・寒川神社、 小社十二座:大山阿夫利神社他、近間では深見神社)
「延喜式」とは、927年(延長5年)醍醐天皇の時代に編纂され、
967年(康保4年)、冷泉天皇の時代に施行された法典。
藤原時平が編纂着手したのが905年(延喜5年)で「延喜式」と呼ばれている。
「延喜式」は五十巻から成り、巻一から巻十までが「神祇・祭祇」に関する規定で、
巻九と巻十が「神名帳」となり、ここに登載されている神社を「延喜式内社」と呼ぶ。
神社等社寺は、其々存在・歴史の流れの中で日本の治世文化が見えてくる。
ここ宇都母知神社は、相模の国十三社のひとつ。今は農耕知で野菜生産地だ。
以前は、養蚕の神として崇められており、「神明様」と呼ばれている。
地区名である打戻は、この寺社の名の宇都母知から転称されたという説もある。
地名の由来等も思うと楽しい。
「令和肆年(皇紀2682年)1月12日、記」

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