気象庁発表の気温が30数度といえども、アスファルトの上では40度を超していることでしょう。
白い建物と黒いアスファルトの隙間から、ど根性な【オニタビラコ(鬼田平子)】が顔を出し、風に揺れていました。
人間様だけが暑い暑いと勝手なことを言っているようで、この時期とばかりに咲く花、元気に鳴くセミなどは、暑さを楽しんでいるのでしょうね。
同じキク科のタンポポに似た可憐な花で、本来はもう少し背丈が伸びるはずですが、根を伸ばせる部分が十分で無いのか、少しばかり小型版です。
この花の種、次は広々とした大地に根付いてくれればいいのになと、しばし眺めておりました。
猛暑の中、どのお仕事も辛いでしょうが、やはり建設現場に勝るものはないのではと感じています。
盆休みが目の前のこの時期、切りよく仕事を済ませるために多くの職人さんが働いていることでしょう。
休憩所などには「盛り塩」といって、汗の為に失う塩分を補給出来るように塩が置かれていることなど、一般の方は知らないでしょうね。
特に夏休みは期間があるため、学校等の改修工事が多く行われることになるのですが、風の通らない部屋内での作業は、サウナ風呂状態です。
大きなクーラーボックスに麦茶などを詰めて持参されていますが、一日最低3リットルは必要だとか。
職人さんも多くの方が帰省され、また工事現場の少ない影響なのか盆休みを長くとる建設会社が多いみたいで、しばらくは工事車両を見かける機会は少なくなりそうです。
芦屋市六麓荘岩園町には、徳川氏大坂城東六甲採石場(岩ケ平刻印)が分布しています。
徳川氏は元和6年(1620年)から大坂城再築する時に六甲東南麓部から、石垣として使う多くの石材を採石しています。
六麓荘は高級住宅地として有名な所ですが、敷地周りの石垣には、刻印跡のある石材や、矢穴(石を切り出す時にできるノミの跡)が残っている石材が多く利用されています。
個人で、歴史的な石材を所有保管していることにも驚きますが、地域の歴史を上手に生かしている「ゆとり」にも、感動を覚えてしまいます。
本日は<井原西鶴>が、1693年(元禄6年)に52歳で亡くなった日に当たります。
江戸時代の浮世草子として名を馳せた作家で、わたしも高校生の頃よく読んでおりました。岩波文庫が全盛期の頃でしたね。
俳人としても有名で、一昼夜で4千余句を詠んだというのはこれまた有名な話です。
西鶴が今の時代に生きておれば、『偽装盛衰記』や『中国置土産』、はたまた『産地胸算用』等の作品が読めたのではないかと感じた次第。
現代を風刺する作家が出てこないのが、残念です。
どの大学も今は夏休み。それでも、ひょんな仕事で訪れた芦屋大学では、ほそぼそと大学に登校されている職員や学生のために、学生食堂が営業されておりました。
久方ぶりに、わたしも学生食堂でお昼御飯を頂きました。
我が母校には、敷地内に4か所の学生食堂があり、それぞれに特色がありました。
洋食中心の店、うどん・そばが中心の店等があり、その日の気分で使い分けができました。
その中で、いちばんよく通ったのは、カウンターの端から一列に並び、トレーにご飯、味噌汁、好きなおかずを何品かを取り、最後に会計を済ますというスタイルの店でした。
お盆の中身を一目見て、「はい380円」とか「420円」とかの勘定を素早くするおばちゃんがおりました。
学校の機関誌で80歳を超えられても現役で活躍されている写真記事を見たときには懐かしかったですね。
サイフが苦しい時はご飯だけを取り、テーブルに置かれてある茶瓶のお茶で、茶漬けをするという離れ業も、今となってはいい思い出です。
最近は、学生の呼び込みの一つなのか、有名ホテルが学生食堂に入っている大学もありますが、「苦学」という文字から遠のく学生生活のようで、時代の差を感じてしまいます。
ひょんな仕事で、芦屋にあります芦屋大学に出向いておりました。
大学のマスコットマークを見て、驚きました。ブログル君とよく似ております。
スクールバスの側面や、ポスターにも書かれており、愛称も募集され名付けられている様子。
いつ頃から使用されているのか、作者等を含めて分かりませんが、なんだか複雑な気持ちで眺めておりました。
ひょんな仕事で、芦屋にあります芦屋大学に出向いておりました。
技術研究棟の1階に、昨年10月に開催されました「第9回ワールドソーラーチャレンジ」で優勝しました、プロジェクトカーが置かれています。
まったく偶然に、このソーラーカーの説明会が10人程度のグループに対して行われている所に通りかかり、何食わぬ顔でまぎれ込んでおりました。
オーストラリアのダーウィンからアデレードの町まで3021kmのレースで、見事この写真の車が、2位に1時間の差をつけ優勝を果たしたそうです。
時速約90kmは出るそうで、3000枚近いソーラーパネルが貼られています。
経費の掛かる研究のようですが、ロマンがあっていいなと感じた次第。
一生懸命話されている教授のお顔がうれしそうで、男はやはり子供心が必要だなと、改めて自覚しておりました。
評論やエッセイ、作詞・作曲のときは<中島梓>名義で書いていますが、小説を書くときには<栗本薫>名義で、『グイン・サーガ』や『伊集院大介』シリーズなどがあります。
著者は1991年に「乳がん」で一度癌手術をしていますが、17年後の2008年に「胆管がん(のちに膵臓がんとの診断)」が再発、入院から退院後までを綴ったエッセイ集です。
著者自らが、<「エッセイを読む」というのは、「その著者と膝をまじえて話をする」みたいなところがあって、>と書かれていますが、飾らない言葉の端々に作家の本性が見え隠れしながら、楽しめるのがエッセイの面白さだと思います。
あとがきで、<肝臓への転移が二つ、発見されてしまいました>と書かれていましたが、記録魔の著者としてはやくも心の機微を書き始めておられるのに、作家根性を垣間見るおもいで読み終えました。
お寿司屋さんが、「宅配します」とあれば、なるほどそうかと思います。
ピザ屋さんが、「ケータリングします」とあれば、これまた納得いたします。
うどん屋やソバ屋さんでは、宅配もケータリングもピンときません。やはり「出前」でしょうね。
昔馴染みのうどん屋さんの店先に、鎖でくくり付けてありますこの器具、出前の岡持ちを乗せ、バイクが揺れてもスプリングがバランスを取り、器の中身がこぼれないようにと考えられたすぐれモノの器具です。
うどん屋の大将も、はや80前の年。バイクでの出前もやめています。バイクは処分しても、この器具だけは店先になぜか置いておられます。
誰も見向きもしない錆びた器具、きっとなにがしかの思い入れがあるのでしょうね。
杉田玄白が、ドイツ人医師クルムスの医学書『ターヘル・アナトミア』を翻訳したのが『解体新書』でした。
神戸地裁の近所にあり、整体院とありますのでマッサージをしてくれるんでしょうが、「快体芯所」とのネーミングに笑ってしまいました。ツボを押さえて、言い得て妙ですね。
お店の内容を良く表現出来ていると思いませんか?
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